闇の塔の闇の中で
『オレはもう欲を捨て、清らかな光のナンパだけをしていく!』
そんな崇高な誓いを立てたユウキだが、すぐに出鼻をくじかれることになった。
夜、星歌亭でのゾンゲイルのライブが始まったころ、カウンターで酒を作るユウキの前に赤ローブの魔術師、ラゾナが現れた。
ラゾナはエルフの若旦那にカウンターを任せると、ユウキを引っ張って勝手口から店の裏庭に出た。
冬の星の光を浴びて、休耕中のハーブ畑に埋め込まれているクリスタルが輝く。
「ラゾナ……」
「またこの体で会えて嬉しいわ、ユウキ!」
ラゾナはユウキを星歌亭の裏の壁に押し付けるようにきつく抱擁してきた。
ローブに染み込んだ魔術の触媒の香りがユウキを陶然とさせる。その耳元にラゾナは囁いた。
「今日は大丈夫よ」
ユウキは全身の血が沸騰するがごとき興奮に叩き込まれた。
以前、この星歌亭の裏で、ユウキは勘違いからラゾナを性魔術に誘ってしまった。
『細かいことは気にするなよ。とにかく早くやろうぜ』
『まさか……ここで?』
『ああ。善は急げだ。たいして時間のかかることでもないしな』
あのときラゾナは顔を真っ赤にし、しばらく迷っていたが、最終的に『ごめんなさい。今日はダメなのよ』と言った。
しかし今、ラゾナは「今日は大丈夫よ」と言っている。
それは何を意味するのか?
それはつまり、今日は大丈夫だということを意味していた。
(まさか、するのか? ここで? さきほどオレは清らかなナンパをすると決意したばかりだというのに……)
その一瞬の迷いがラゾナに伝わったのか、彼女は体を離すと背を向けた。
「そ、そうね……こんなところじゃ性魔術じゃなくて、ただの獣の交わりになっちゃうものね。ごめんなさい……」
ただの獣の交わり……それは非常に魅力的なアクティビティに思えた。
ユウキは意を決すると、一歩前進してラゾナの肩に手を伸ばした。
だがラゾナはローブのポケットから小瓶を二つ取り出した。
クリスタルを削り出して作られたかに思われるその小瓶には、燐光を発する液体が満たされていた。
「はい、これ。錬成したばかりの、『魔力増幅の飲み薬』と『暗黒増幅の飲み薬』よ。どちらも一般人が飲むと発狂して三時間から四時間後に絶命するから気をつけてね」
手渡されたその劇薬の小瓶への恐れが、ユウキの中に燃え盛っていた獣の交わりへの欲を消沈させた。
以後、二人は冷え込む星歌亭の裏庭で、いくつかの事務的な連絡を交わした。
「闇の塔の銀行口座を教えてくれる?」
「調べてあとで石板に送る。資材は港の倉庫に届いたか?」
「双子の暗黒戦士、ムコアとミズロフが大八車で運んできたわ。あの子たち、暗黒鎧を失っていてかわいそうね」
「ああ……前に高位の暗黒戦士エアレーズとかいう奴に破壊されたんだ。奴の裏切りで暗黒評議会も崩壊し、それで帰る場を失った双子は当面、師のアトーレと共に、塔の防衛に専心してくれるようだが……」
「暗黒鎧がなくちゃ、双子の戦力はガタ落ちね。あの子たち、ムコアとミズロフ……雑用も似合うけど、もしかしたら暗黒鎧、私が再建できるかもしれないわよ」
「まじか……ぜひ頼みたい。暗黒鎧がないと戦闘力がガタ落ちだからな。薬の製造も引き続きよろしく頼む」
「ええ……薬の素材は十分にキープしてあるわ。暗黒鎧の材料、『古き刑場の血に濡れた鉄鎖』なんかのツテもある。ただ……」
「何か問題があるのか?」
「暗黒鎧を再建するにも、薬を錬成するにも、魔力が足りないのよね、私の」
ラゾナは星歌亭の外壁によりかかると、魔力増幅の紙巻薬に火をつけた。
ユウキも一本もらって吸った。
「げほっ、げほっ。それは困るな……ずっとギリギリの戦いが続いてる。ラゾナの援助はどうしても必要なんだ」
「そういうことなら頑張るしかないわね」
「…………」
「最後まで進めるわよ……『性魔術の奥義』を」
「そうだな……」
ラゾナが魔力を回復するには『性魔術の奥義』の実践に頼る他ない。
ユウキはラゾナの隣に並んで星歌亭の外壁に寄りかかり、紙巻薬をふかした。
二人の紙巻薬がすべて煙となり冬の夜空に立ち上っていったあと、性魔術の実践の日取りを決めてから闇の塔に帰った。
*
ゾンゲイルと共に塔に帰還したユウキは、戦闘準備を始めた。
まずソーラルでのナンパで貯めた魂力を、第二クリスタルチェンバーの『生命のクリスタル』に注ぐ。
テレパシーにより塔のどこかにいるシオンから賞賛の声が届く。
(すっ、すごいよユウキ君! かつてない大量の魔力がチャージされているよ……)
その賞賛は思わぬ満足感をユウキにもたらした。
今日の頭がおかしくなるかと思うほどの大量の異性との触れ合いが報われた気がした。
しかし休んではいられない。
次はブリーフィングだ。螺旋階段を駆け登って第六クリスタルチェンバー『司令室』に向かう。
すでに司令室には戦闘員が勢揃いしていた。半裸の女戦士や、ゾンゲイルの各種ボディが勢揃いしている。
彼女たちをかき分け、中央の祭壇にたどり着いたユウキはまずぐるりと司令室を見回した。
昨夜の敵の猛攻により、最上階にある転移室と同様、この司令室の外壁も穴だらけになっているかと思いきや、昼のうちに補修されたのか壁にはいくつか小さな穴が空いているだけだった。
「偉いぞゾンゲイル。よく一日でここまで補修できたな」
ユウキはゾンゲイルにスキル『ねぎらい』を発動した。
ゾンゲイルは異様な美しさを誇る歌姫ボディと、いかついゾンビガーゴイルボディ、さらに街の花屋さんのような可愛さを持つ四体の量産型ボディでユウキに殺到してきた。
「嬉しい、ユウキ!」
「うぐっ!」
「ユウキ殿より離れるがよい。命を持たぬ人工精霊ども」
差別的な表現を口にしながら暗黒戦士の双子、ムコアとミズロフが割って入り、ゾンゲイルの集団からユウキを引き出した。
「ユウキを返して!」
ゾンゲイルのヘイトが双子に向かう。
だが、暗黒鎧に身を包んだアトーレが深々と頭を下げて部下の非礼をゾンゲイルに詫び、その場は収まった。
「助かった。アトーレ、調子はどうだ?」
アトーレは兜を外すと鈴の音のような声で答えた。
「部下たち、ムコアとミズロフは暗黒鎧を失っています。ですから戦闘ではサポートに回ることになりますね」
「ああ。基本、弓矢で遠隔攻撃に努めてくれ」
「私は暗黒量に不安があります……だけど今夜の戦いは持ち堪えます!」
「頼んだぞ。ラチネッタは……」
ユウキはスポーティな革の鎧に身を包んだ猫人間に目を向けた。ラチネッタは金の指輪をユウキに向けた。
「今日の大穴のバイトでは思わぬミスリル塊が湧いてボーナスが出ただよ! ボーナスは九割、塔の金庫に入れただよ。残りでこの指輪を買っただよ!」
「悪いな。助かる。その指輪、似合ってるな」
どうやら戦闘用のものではなく、純然たる装飾用のものらしい。これまで飾り気がなかったラチネッタにしては珍しいが、金色のゴージャスな輝きが妙に彼女に似合って見えた。
「えへへだべ。このあとも塔にはお金を入れていくつもりだべ。その代わり……もうすぐ春になっておらが正気を失ったら、ユウキさん、なんとか面倒をみてけろ」
ふいに不安げな表情を見せたラチネッタに、ユウキはうなずいた。
次にユウキは魔術師に声をかけた。
「シオン、魔力は万全か?」
藍色の魔術書をめくり、ぶつぶつと口の中で呪文を唱えていたシオンは顔を上げた。
「大規模殲滅魔法を三発は打てるね」
「おっ、いい感じじゃないか」
「だけど今夜は強力な人型悪魔が参戦してくるようなんだ」
「まじかよ」
「叡智のクリスタルの予知によれば、その人型悪魔は僕の魔法と戦闘員の防御網を突破して塔に潜入し、塔の重要な魔力網のいくつかに大ダメージを与えるらしい。それを修復できず塔は崩壊の運命を辿るようだよ」
「やばいな……だが今夜は助っ人がいる」
ユウキは戦闘員の合間に所在無げに立ち尽くしている半裸の女戦士を見た。
「彼女は……」
「マリエンだ。よろしく頼む」
女戦士に皆の視線が集まった。
一人だけ半裸であることが恥ずかしいのか女戦士の頬が赤らんでいく。それに気づいていないのか、シオンは女戦士の面積の少ない鎧をしげしげと見つめて言った。
「その鎧……すごいアーティファクトだよ。闇の塔の魔力にもよく同調している。これなら僕たち、今夜を乗り越えられるかもしれない……よく来てくれたね」
生の可能性を感じて気が緩んだのかシオンの目に涙が滲んだ。
ユウキはシオンの背を軽く叩きつつ、引き続き場の雰囲気づくりに努めた。
やがていつもの戦闘開始時間になると、塔の周りに三個の時空の歪みが現れた。
戦闘員たちの顔に緊張が浮かぶ中、ユウキは努めて軽い声でシオンに聞いた。
「なあ、なんでいつも夜のこのくらいの時間に敵襲があるんだ?」
「この前、計算してみたんだけどね、邪神を封じている各地の遺跡と太陽の織りなす角度の関係で、今の時間もっとも封印が弱まるようなんだ」
「なるほどな。それじゃあみんな……そろそろ転移に備えてくれ」
今日は塔の魔力に余裕があるので、味方の戦闘員はシオンの魔法によってこの司令室から直接、戦場に転移する段取りになっている。その方が敵の初期配置に合わせた柔軟な戦術が採れるはずだ。
各戦闘員は再度、自身の武装を確かめてから祭壇前に集った。
シオンは祭壇で瞑目するとコンセントレーションを高め始めた。
「おっと、集中してるところすまんが、シオン、これを飲んでくれ。アトーレもだ」
ユウキはポケットから魔力と暗黒増幅の飲み薬を取り出した。
もう飲んだことがあるのか、シオンとアトーレは眉を顰めた。
「まずいんだよね、これ」
「味を想像しただけで暗黒が高まりそうです」
「あとでラゾナに味の改善を頼んでおく」
シオンとアトーレはうなずき合うと、眉を顰めながら薬を一気に飲み干した。
涙を浮かべる二人の魔力と暗黒がひとまわり膨れ上がった。
その間、ユウキは祭壇に投影された敵の初期配置を眺めつつ、スキル『戦略』を発動し、戦略を練った。
その間も敵は塔へと押し寄せつつあり、その進軍の喇叭と太鼓と怒号と地響きがユウキの心を見出した。
司令室の壁面には闇夜の中を雲霞の如く押し寄せる敵の影が投影されており、その圧迫感に押しつぶされそうになったのか、ラチネッタがユウキの袖を握ってきた。
誰かが緊張で生唾を飲み込む音や、鎧と武器がぶつかる音が響く中、ユウキは何度も焦りに押し潰されかけ、拙速に戦闘開始の指示を出しかけた。
その度にスキル『深呼吸』で気持ちを整えつつ、スキル『半眼』と『想像』によって誰も死なず生き残るルートを数多の可能性の中に探していく。
「…………!」
もちろん戦いは生物であり想像通りにいくとは限らないだろう。だが今、ユウキには見えていた。なんとなくの勝利のビジョンが。
ユウキはそのビジョンに従って指示を飛ばした。シオンは大規模殲滅魔法を発動した。そののちに全ゾンゲイルとラチネッタとアトーレ、そして双子と女戦士は戦場の要所へと転移された。
*
「はあ……なんとか勝てた……」
深夜、自室でユウキは安堵のため息をついた。
指示が当たったこと、戦闘員が持てる能力の120パーセントを発揮して戦ってくれたこと、さらに今夜現れた人型悪魔に対し女戦士マリエンの相性が良かったこと……これらが噛み合って際どいところではあったが今夜も生き延びることができた。
むろん塔に損耗はあったが、致命的なレベルではない。
勝利によって士気も上がっている。
この調子ならこの先も戦っていけるかもしれない。
だがそのためには組織内に問題を起こさないことが大事だ。そのためにオレはオレ自身の規律を引き締める必要がある。
(そう……オレは欲を捨てる)
ユウキは再度、決意を固めた。
さきほど戦闘後の汗を落とすために入った塔の裏の野天風呂、その温かみがいまだ体の中に残っており、ともすれば緩みそうになる気持ちにユウキは喝を入れた。
「そうだ……オレは清らかな光のナンパをするんだ。仲間のことも、あくまで職場の同僚を見る目で見なければダメだ」
さきほど戦闘後の興奮に任せて抱きついてきた各戦闘員の熱く上気した肌の感触をユウキは頭を振って追い払った。
そしてベッドに腰かけ、小窓から差し込む月明かりを浴びながら、スキル『深呼吸』と『癒し』を発動し、自らの中で荒れ狂う欲望の炎を少しずつ鎮静させていった。
「…………」
やがて……塔全体が静まり返り、誰もが寝静まったかに思えた深夜……ついにユウキも心を穏やかにすることに成功し、このまま眠れそうな気配を感じてベッドに横になった。
そのときだった。
何者かの気配を部屋の外に感じた。
敵ではないだろう。
だが今このときユウキは誰も自室に入ってきてほしくはなかった。
それゆえにユウキは寝たフリすることにした。
静かなノックの音が二度三度と響いたが、ユウキはベッドに横になり闇の中で目を閉じ続けた。
すると部屋の外に立った者はドアノブを捻った。
しかしドアには鍵がかけられている。
ドアはガチャリという音を立てるのみで開くことはなかった。
「ふう……」
ユウキは安堵のためいきをつくと、再び目を閉じ思考停止し、今日という日を終わらせようとした。
だがあるとき、すぐ近くに人の気配を感じた。
微かに目を開けると、ベッドの脇に、双子の暗黒戦士、ムコアとミズロフが立ってユウキを見下ろしているのが見えた。
窓から差し込む月光を浴び、パジャマ姿の双子が闇の中に浮かび上がっている。双子は片手に枕を持ち、片手に小さな暗黒の蛇をうねらせている。
どうやらその暗黒の蛇によって鍵を開けたらしい。
ユウキはそう気づきつつも、なおも目を閉じて寝たフリをすることにした。
しかしユウキが寝ていようが起きていようが双子は頓着しないようだった。
双子はベッドに乗り上げてくるとユウキにまたがった。
「ユウキ殿……チャージしてもらうぞ、暗黒を」
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