天使のカウンセリング

 星歌亭の客席で、ユウキは女学生に宿った大天使と向き合っていた。


 元々黒かった女学生の髪は、今、金属的な光沢を持った黄金色に変わっていて、それは周囲に暖かなオーラを放射していた。


 女学生は思い詰めたような暗い表情をしていたが、大天使は何が楽しいのかにこにことした笑顔をユウキに向けていた。


(ていうか、これ、本物の『大天使』なのか? 大天使が何なのか知らないが、なんとなく格上の雰囲気を感じるぞ)


 そのとき脳内にナビ音声の声が響いた。


「この若者に宿る存在、私よりも上位の存在ですね」


(まじかよ……)


 朧げな記憶によれば、いつもかなり気安く使ってるナビ音声も、その本体はかなり高位の存在だった気がする。


(それよりレベルの高い存在だとは……慎重に接しないとやばいな……)


 とりあえずユウキはスキル『質問』を発動し、おずおずと会話の口火を切った。


「あ、あんた、本当に大天使なのか?」


 金色のオーラに包まれたその存在は即応した。


「だよ。大天使の仕事なんで、宇宙のバランスをとるよ。お悩み相談で、あなたさんのバランスも取るよ」


「べ、別にオレの悩みなんて……」


「万物は照応しているよ。あなたの悩みが解決されれば、もしかしたら世界もよくなるかも」


「…………」


 自称大天使からなんとなく深い感じの言葉が返ってきた。


 しかも彼女のオーラに包まれているとそこはかとない気持ちよさを感じた。


(さすが大天使と言ったところか……いや、こいつをまだ信用したわけじゃないぞ)


 憑依されている女学生は、かなり性格に問題を抱えている。


 ゴゾムズ神を狂信したり、学校を辞めたり、家出したりと、問題行動のオンパレードである。


 さきほどの執事とのやりとりから察するに、彼女の家庭環境にも大きな問題があるように思われた。


 そんな奴が本当に大天使なんて召喚できるのか? 偏見かもしれないが、悪霊かなんかじゃないのか?


 しかし大天使は無垢な笑顔をユウキに向けると言った。


「あなたさん……かなりがんばってるみたい」


「オレが……がんばってる?」


「世界を行ったり来たり。しかも責任重大」


「わっ、わかるのか?」


「信じて。私、あなたさんの重荷を軽くしたい。だから話して……あなたさんのお悩み……大天使の前には何も恥ずかしくないよ」


「そ、そういうことなら……言うぞ」


 ユウキは大天使に自らの悩みを吐露しはじめた。口を開いてみるとあとからあとから大量の悩みが溢れ出した。


 途中から、仕事の面接という社会的な動機を忘れて、ユウキは胸の中の苦悩を大天使に吐き出し続けた。


 そんなユウキの話を、大天使は目を閉じてじっと聞いていた。


 やがてユウキの心の中に溜まっていた未消化の悩みがすべて言葉として表現され尽くした。


「はあ、はあ……言ったぞ。これでオレの悩みは全部、語り尽くしたぞ」


「…………」


「さあ、この悩みを解決してくれ」


「あれ。ここはどこかな?」


 大天使は目を開けるとキョロキョロと左右を見回した。


「お、おい」


「だ、大丈夫。今はお悩み相談の時間だよね。わかってる。ただ接続が悪くて、聴き取れてなかったいたい。もう一回喋って」


「本当に大丈夫なのかよ……まあいい。喋るぞ」


 ユウキは大天使に自らの悩みを吐露しはじめた。二回目ではあったが、口を開いてみるとあとからあとから大量の悩みが溢れ出した。


 大天使は無垢な笑顔を浮かべたまま目を閉じてユウキの話に耳を傾けていた。


「はあ、はあ……どうだ? これでオレの悩みは全部、語り尽くしたぞ」


「…………」


「おい。どうしたんだ?」


 大天使は笑顔で目を閉じたままなんの反応もみせなかった。ユウキは恐る恐る客席から腰を浮かせて、大天使の肩を指でつついた。


 それによって微妙に保たれていたバランスが崩れたのか、大天使はずるずると椅子から床に崩れ落ちた。


「すやあ……」


「ね、寝てるのかよ! オレが真剣に悩みを語ったっていうのに! おい、起きろよ!」


「おはよう、お父さん」


「お父さんじゃないよ! 大天使にお父さんなんているのかよ!」


「大丈夫。宇宙はね、愛だよ」


「なんだよ、その唐突なフワッとしたいい言葉は……」


 大天使は床に転がったまま目を擦ると、ユウキを見上げ、両手を奇妙な形に組み合わせて指をワサワサと動かしながら言った。


「愛……それはラブだよ……」


「言い換えただけじゃないか! ていうかなんなんだよ、その気持ちの悪い指の組み方は!」


「これはね、ハートだよ」


「どうみてもハートじゃないだろ。それはカニだろ、影絵の!」


「ちょっと接続が悪くて」


 大天使はぽりぽりと頭をかいたかと思うと、椅子に座り直した。そしてやおらユウキに向かって指を三本立てた。


「とにかく大事なのは真、善、美、愛の三つだよ。これだけは覚えておいてね」


「よ、四つだろ、それは……」


「はい。これで解決。あなたさんのお悩み」


「あっ、頭がおかしくなりそうだ。もう限界だっ。そろそろ帰ってくれ……」


「はいはーい。またねー」


 大天使が手を振ると、その髪が金から黒に変色していき、キラキラしたオーラも消え、女学生が戻ってきた。


 女学生は縋り付くような目で問いかけた。


「どっ、どうでしたか? 私の『大天使召喚』によるカウンセリングは? 良かったですよね?」


「……採用結果は後日連絡する」


 星歌亭の隅の席からこちらをチラチラ伺っていた執事が駆け寄ってきて勝手な主張を始めた。


「後日などともったいぶらず、今すぐお嬢様に採用結果を伝えるべきですぞ! お嬢様はストレスに弱いのですぞ!」


「出口はあっちだ」


 ユウキは立ち上がると、身勝手な主張をわめく女学生と執事の背を押して星歌亭から追い出した。


「はあ……疲れた……」


 客席に倒れ込むように腰をおろす。


「何が大天使によるお悩み解決だよ……あんなヤツといくら話したところでオレの悩みが解決するわけがないじゃないか」


 ユウキは眉根を揉みながら、先ほど大天使に訴えた自らの悩みを思い出した。


 それは……一言で言えば、『異性と交流しすぎて頭がおかしくなりそうだ』というものであった。


 ナンパを始めるぞと決意し、自分にできる小さな行動を少しずつ積み重ねるにつれて、異性との交わりの回数と深みが指数関数的に増大しつつある。


 もともと母以外の異性と話すことは数年に一度、あるかないかの極めてイレギュラーな事態だった。そんな自分が今は一日に何人もの異性と交流するようになっている。


 しかもただ会話するだけではない。肉体的なレベルでの交流が増えつつある。現に今日などは美人姉妹の全身をまさぐるというアクティビティをしてしまった。


(頭がおかしくなりそうだ……)


 自分の頭がおかしくなるだけならまだよい。問題は、仲間たちにまで何かしらの害を及ぼしてしまうかもしれないということである。


 なぜならば……異性との交流の果てにあると言われている肉体的な交わり……それは人類に、多くのいざこざと戦争を生み出してきたと言われている。


 経験はないので詳しくはわからないが、肉体関係を持つことによって、他者との間に、これまで存在しなかった各種の問題が持ち上がると言われている。


 しかも会社やサークル等において、見境のない性的な交流はときに致命的な悪影響を集団にもたらすと言われている。


(そうだ……オレはもう人を雇う責任ある身……ナンパよりも集団の利益のことを考えねばならないんだ)


 そう綺麗事を自らに言い聞かせたとしても、司書として雇ったモカも、戦闘要員として雇った女戦士も、はっきり言ってユウキにとってとても魅力的な女性であり、できることならもっと深い仲になっていきたい。


 だがそんなことをすれば闇の塔の職場モラルはどうなってしまうのか?


 今でさえ崩壊ギリギリのところで保たれている人間関係の危ういバランスは、完全に崩壊してしまうんじゃないか?


 そんな欲望と社会的責任の板挟みがユウキを悩ませていた。


「はあ……こんなにも重い悩みを抱えてるってのに、まったく、なんだったんだ、あの自称大天使は」


 ユウキはさきほどの天使との面接を思い出した。


 最後までまったく噛み合わず、ただユウキの知性に混乱のみを残していった大天使との面接……それを思い出すユウキの口からふいに笑い声が漏れた。


「滑稽なヤツだったな……は、はは」


 その笑い声は乾いていた。だがそれでも笑い声には違いなかった。


 小さな笑いによってユウキの心はわずかに余裕を取り戻した。


 笑い。それは悩みの中にある人の心をくつろがせ、しばしの余裕を生み出す。


 もしかしたら今のユウキにもっとも必要だったのはそんな小さな笑いだったのかもしれない。


 それをあの大天使は残していってくれたのかもしれない。


「…………」


 本当のところはわからないが、徐々に冷静さを取り戻していくユウキの脳裏に、少しずつ『今後のナンパの方針』が形作られていった。


 それは『今後、できるだけ清らかなナンパを心がける』というものだった。


 ナンパに性愛がからむから面倒なことになる。だったらナンパから性愛を切り離せばいい。そうすればナンパによる利益だけが残る。


 ナンパとは肩書きや文脈に制限されない自由なコミュニケーションだ。それは毒にもなれば薬にもなる。


(だとしたらオレはナンパの薬としての部分だけを探求していこう)


 ユウキがそう決意したそのとき、ゾンゲイルが厨房から夕食セットを持ってきた。


「お、サンキュー」


 ゾンゲイルは湯気の立つ皿が満載されたトレイをユウキの前に置くと、自らも正面に腰を下ろし、じっとユウキを見つめてきた。


「なんだよ」


「営業が始まるまで見てる。ユウキが食べるの」


「…………」


 じっと直視されることによる食べにくさを感じつつも、食事を口に運ぶ。


 だがゾンゲイルの食い入るような視線が一口ごとに強まっていく。


 食べにくさが限界を超えたのでユウキはゾンゲイルを見つめ返した。


「おいしいよ。ありがとう」


「…………!」


 ゾンゲイルは瞬時に耳の先まで真っ赤に染めるとうつむいた。見つめ返されて照れているらしい。


 その可愛らしい仕草にいつもなら強く魅了され、自分まで照れてしまったかもしれない。


 だが今、ユウキは不思議に落ち着いた気持ちでゾンゲイルの可愛らしさを見つめることができていた。


 それはもしかしたら、ナンパを性愛から切り離すという決意を固めたからかもしれない。


(そうだ……ゾンゲイルも他の女もオレと同じ人間なんだ。この人間同士の仲の良さを大切に育てていこう。オレはそのためにナンパで培ったスキルを使っていこう)


 そういうわけで、ユウキは各種スキルを発動し、客入り前で若干の緊張を見せているゾンゲイルをくつろがせ、楽しませていった。


 ユウキと会話のキャッチボールを繰り返すごとに、目の前でさまざまな表情を見せるゾンゲイル……やがて始まったステージで心を込めて歌うゾンゲイル……日毎に人間らしくなっていく彼女を見つめながらユウキは決意した。


(守っていこう。オレが、この世界を、そして彼女たちの笑顔を……オレのナンパで……欲望から解放された、オレの光のナンパで!)


 そのときユウキは自らの中の属性値がぐぐっと光方面に傾くのを感じた。


(今の決意の影響か。今日は何人もの光属性の奴と会ったというのも関係してるかな)


 なんにせよ目下の悩みに関する一つの回答が出た。


 気持ちが軽くなったユウキは、せっかくなので女学生も雇ってやることにした。


 女学生は性格に難がありそうだが、欲を離れた今の自分であれば、大人として適切な距離を保ったビジネスとしての付き合いができそうだ。


 あの大天使によるカウンセリングも、もしかしたらムードメイキング程度の役には立つかもしれない。


 ユウキは石板で女学生に連絡した。


「もしもし」


「あっ、あなたさん……さっきのカウンセリング、そろそろ効いたかな?」


「……その間の抜けた声はお前、大天使か? まあ気持ちは軽くなったぞ……たぶんお前のおかげじゃないけどな」


「よかったね。宿主は今、寝てるよ」


「お前の宿主が起きたら伝えといてくれ。明日から闇の塔に働きに来てくれ、ってな」


「給料、いくらかな」


「このくらいでどうだ?」


「もう少しダメかな?」


「お前、以外にしっかりしてるな。じゃあこのくらいでどうだ」


 交渉の末、大天使は契約内容について承諾すると、ふいにシリアスな声を発した。


「あなたさん……何か見つけたみたい。声に力があるよ」


「おお。オレは自分が進む道を見つけた。それはつまり……」


 ユウキはさきほどの気づきを大天使に伝えた。


 すなわち自分の性欲を離れた、他者への奉仕としてのナンパをオレは追い求めていくという考えを天使に伝えようとした。


 だが途中であくびが聞こえてきた。


「ふああ。もう眠いから寝るね」


「宿主だけじゃなく、お前も寝るのかよ! お前たちのシステムはどうなってんだよ! ていうか、またオレの話は無視かよ!」


「応援してる」


「て、適当だな……」


「うまくいかなくても大丈夫。失敗しても大丈夫。それが人生」


「不吉なこと言うなよ!」


 そこで通話は切れた。


「…………」


 どうせあの大天使のこと、何も考えず適当なことを言っただけに違いないが、ユウキは妙な胸騒ぎを感じた。


 性欲から離れたナンパをする。


 自分の欲望のためではなく、この世界のため、皆のためにナンパの力を使う。


 その決意が今夜にも儚く挫折する運命にある……そんな不吉な予言のように天使の言葉がユウキの脳裏に響き続けていた。


(いやいや、弱気になっちゃダメだ。オレはもうナンパを善のためにのみ使うと決めたんだ!)


 だがその日の夜、ユウキは早くも性的なアクティビティの必要に迫られることとなるのであった。

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