メンタルヘルス

 度重なる戦闘によって魔力回路の多くが焼き切れているためか、食堂を照らしているのは原始的なランプのみである。


「はあ……疲れたな」


 ひび割れたテーブルの上でゆらめく灯りに照らされつつ、ユウキは戦闘の疲れをため息と共に吐き出した。


 まもなく螺旋階段を関係者が駆け上がってくる音が聞こえてきた。


 久しぶりの再会に心の準備をする間も無く、食堂のドアがバーンと音を立てて開き、ゾンゲイルがダッシュして飛びついてきた。


「おかえりなさい! ユウキ!」


「うぐっ!」


 さらにアトーレ、ラチネッタらが駆け寄ってくる。その背後にアトーレの部下の暗黒戦士たちの姿も見えた。


「ユウキさん、よく生きて帰ってきたべ!」


「ユウキ殿……またお目にかかることができて我らは、我らは……」


 ユウキとしても皆に喜びを伝えたかったが、ゾンゲイルが万力の如く胴を締め付けていて返事できない。


 視界がブラックアウトしかけたところで、その締め付けは緩んだ。


「私、知ってた! ユウキが帰ってくること! 向こうの世界のユウキの部屋に、私の分身、いたから」


「ごほっ、げほっ……ああ、そうか。オレの部屋にやけにかわいいフィギュアがあったが……あれは万能肉で作ったゾンゲイルの一部だったな」


 ゾンゲイルは数体のガーゴイル体を操作して、ユウキと戦士たちに給仕しつつうなずいた。


「ユウキが元気になるよう、私、いつも念を送ってた!」


 確かに机の上のあのフィギュアを見つめるたび、なぜだか勇気付けられるのを感じたものである。ユウキは感謝スキルを使った。


「ユウキさん、お久しぶりだべ! お、お久しぶりだべ……」


 ラチネッタはゾンゲイルのあとに飛びついてきたが、すぐに離れ、自分の指で輝いているリングに目を落とした。そこでは二匹の蛇が絡み合う複雑な意匠の指輪が怪しげな輝きを放っていた。


「お、おらもユウキさんのことは感じてたべ。おらの種族特性の動物的テレパシーと、この指輪のおかげだべ……」


 その指輪はユウキが嵌めている『ゲストの指輪』と同型のものである。どうやらこれらの指輪は対として機能し、着用者の間になにかしらの共感を生み出すもののようである。


 ユウキの脳裏に数ヶ月後に待つ『成人式』についてのヴィジョンが花開きかけた。なんとかそれを押し殺し、ガーゴイル体が運んできた白湯を飲む。


 マグカップの縁は欠けており、食堂の壁にはいくつもの穴が空いていて、テーブルや椅子などの家具もどれも崩壊寸前に見える。


「きつい戦いが続いてるみたいだな」


 ユウキは暗黒戦士に声をかけた。


「うむ……しかしもはや安泰である」


 隣の席に暗黒戦士は腰を下ろすと、兜を脱いだ。


 聞く者を萎縮させるしわがれた暗黒戦士の声から一転して、鈴の音のごとき可愛らしいアトーレの地声が響いた。


「ユウキさんが帰ってきてくれたのですから……必ず帰ってきてくれると、私もわかっていました」


 聞くところによるとアトーレも天鳥というパラレルセルフや、怨霊による夢通信によって、かなりダイレクトにユウキの動向を知ることができていたという。


 ユウキとしてもこの闇の塔の関係者と長く離れていた感じはない。すぐに場に馴染んだ。


 状態異常『会食恐怖』が発動してはいたが、緊張でモノが食べられなくなるほどではなかった。


「…………」


 いや、だんだんと緊張が高まってきた。


 テーブルの隣に座ったラチネッタは自らの指輪と、ユウキの横顔をちらちらと交互に見つめている。


 アトーレとその背後に控えた部下二人もユウキに何かを訴えかけるがごとき視線を向けている。


 ふいに小声でアトーレが囁いた。


「ユウキさん……今晩、暗黒をチャージするために、私たちの部屋に来てくれますか?」 


 思わずユウキはごくっと生唾を飲み込んだ。そのときゾンゲイルが暗黒戦士らの前に立ちはだかった。


「ユウキは疲れてる! 塔も穴だらけで危険。私が朝まで見守る!」


 アトーレの部下がどん、と拳でテーブルを叩いた。


「我らがユウキ殿に害をなすとでも? 言いがかりはやめてもらおう」


「こっちに来るだよ、ユウキさん」


 ラチネッタに手を引かれて食堂を出ると、背後から戦闘音が響いてきた。


「長く続く戦いで、みんな気が立ってるだ」


「大丈夫なのか、あれ?」


「いつものことだべ。みんな少しおかしくなってるだけだべ」


 もしかしたら食堂の家具が壊れていたのは、仲間内での争いが原因だったのかもしれない。


「ほっといてユウキさんはもう寝た方がいいだよ。部屋まで送るべ」


 ユウキはラチネッタと共に螺旋階段を登った。


 塔の中腹で、螺旋階段を降りてきたシオンに出くわした。寝巻きの上にローブを羽織っている。


 ユウキは罪悪感を覚えて顔を逸らした。


「ようシオン……さっきすごい量の魔力をお前にチャージしてしまったわけだが……」


 正直、やりすぎたと思っている。


 現世で貯めに貯めたエネルギーを放出する行為が気持ち良すぎて、つい緊急事態とはいえ一切の遠慮なく魂力のすべてをシオンに注いでしまった。


 はっきり言って何かしらの障害が残っていてもおかしくない。


 事実、戦闘後のシオンは床に転がって激しくあえぎながら痙攣を続けていた。


 言われるまま抱き上げて彼の自室に運び、少し一人にしてくれと言われるまま彼を放置し、今に至るのだが……。


「……大丈夫か? どこかおかしくなってないか?」


「ふふっ。さっきは見苦しいところを見せたね。部屋で瞑想したらいつも通りの僕に戻ったよ」


「そ、そうか……ならいいんだが。それじゃ」


 ユウキはシオンの脇をすれ違って自室に向かおうとした。だが服の裾を引っ張られて引き止められる。


「それで……ユウキ君……『支払い』はいつすればいい?」


「支払いだと? オレ、お前に金でも貸してたか?」


「ふふっ。いくら優しい君でも、僕の君に対する債務を無かったことにはできないよ。君は『誓約』に応じて、この世界に帰ってきてくれたんだから……」


「誓約? 何の話だ?」


「魔術師はときに自らの術を高めるために、さまざまな犠牲を払うものさ」


「オレは別にお前とそんな約束を交わした覚えはないぞ」


「ふふっ、いいんだよ、ユウキ君。いや、マスター・ユウキ。覚悟はできてる。地位も、名誉も、僕の魂も……何もかも君に捧げる覚悟はできているよ」


「…………」


 ユウキは振り返りラチネッタを見た。猫人間は手を叩いて飛び跳ねていた。


「さっ、さすがシオンさまだべ! おらだの救い主たるユウキさんを、そんな大きな犠牲を払って召喚してくださっていたとは!」


 シオンはぐっと両手を握り締めると、自分に言い聞かせるように叫んだ。


「勝てる! ユウキ君がいれば僕らは勝てるよ! ユウキ君がいればなんとかなるんだ!」


 ユウキはゾッとするものを感じつつ、シオンとラチネッタから距離を取った。背中が塔の壁に当たった。


(ダメだ。全員おかしくなってる)


 戦争のストレスが塔だけでなく関係者の心に大きな歪みをもたらしているのが感じられた。


 特にシオンはユウキを病的かつ妄想的に崇拝しつつあるようだ。それは闇の塔の長という重責に耐えかねての、無意識的な逃避に思われた。


(人間、ここまでおかしくなったら、そう簡単には治らないだろうな)


「…………」


 しかしゾッとするものを感じつつも、ユウキは生唾を飲み込まざるを得なかった。詳しい仕組みはよくわからないが、シオンは性別を超越しており、今はかなり女っぽく見える。

 

 今の状態であれば、なんでもシオンに言うことを聞かせられそうである。それはユウキの支配欲と性欲を大いに刺激した。


「…………」


 だがここでシオンを自分の支配下に置くことは、この世界の破滅を招くことと同義である。


 もしシオンがオレに精神的に依存するようになれば、この戦いは負ける。


 オレはナンパに集中しなければならない。よって戦闘などのどうでもいいことは、シオンらに頑張ってもらなわければならない。


 だからシオンにはなんとか精神的に自立してもらう必要がある。


(だが……どうやってシオンを立ち直らせたらいいとのか?)


 焦点の合わない瞳から放たれるシオンの崇拝の視線を受け止めつつ考えてこんでいると、寄りかかっていた壁にふいに穴が空いた。


 保守点検のための魔力をすべて戦闘に振り向けているためか、塔のあらゆる設備は今にも崩壊しそうである。


 ユウキは慎重に螺旋階段を登り始めた。


「…………」


 ゲストルームの中にまで付いてこようとするシオンを押し返し、軋むベッドに横になる。


 だが心配事が頭をぐるぐると駆け巡りなかなか寝付くことはできなかった。


 ほとんど眠れずに一夜を明かしたユウキは、早朝、一人でポータルを通ってソーラスに向かうと噴水広場でナンパを始めた。


 今や塔内に落ち着きはなく、街でのナンパこそが心安らぐひとときと化していた。


 *


「……ふう」


 ソーラルの噴水広場でユウキは『半眼』と『想像』を解き、昨夜の回想を終えた。


 状況は厳しく先行きは不透明である。気になるのは闇の塔の戦闘員の心の歪みだけではない。


 先日、この異世界を離れる際にはかなり慌ただしくバタバタしていた。


 そのため相当量の宿題というか、片付けねばならないことが放置されたままになっている。


 だが恐るべき麻薬の効果か、それとも性別チェンジによる脳神経への負荷のためか、オーク百人に代わる代わる犯されたあの儀式の前のできごとの記憶は頭のなかでぐちゃぐちゃに絡まっている。


「はあ……」


 それでも今、高く登りつつある日が広場を照らし、朝靄を晴らしつつあった。


 今もスキル『癒し』が発動されているためか、気持ちもわずかながら整いつつあった。


「悩んでもしかたない。とりあえず今やりたいことをやるか……」


 ユウキは近くにいる人に声をかけるため腰を浮かせた。


 しかし人生は複雑なものである。通常、人間には数百個もの処理すべきタスクを心の中のTODOリストに抱えていると言われている。


 そんな状態でナンパひとつに集中し、他のすべてのタスクを無視していいのだろうか?


 もちろんナンパは大事である。だが闇の塔の関係者のメンタルヘルスを向上させる手を早く打つ必要があるのもまた確かなことなのである。


 ユウキが今、発動している『癒し』。もしかしたらこれこそが人の心の歪みを直すための必須スキルなのかもしれない。


 だがユウキの『癒し』スキルはまだまだ低レベルである。こんなもので他人の心を癒せるとは思えない。


 そう……はっきりいってオレの力では無理だ。誰かに『癒し』を頼まなくてはならない。


 つまり早急に強力な『癒し』の力を持つ『癒し手』をどこかから探してくる必要があるのだ。


「とはいえ……」


 噴水広場のユウキは声かけの途中の、中途半端に腰を浮かせた姿勢で考え込んだ。


 基本的に『癒し』とは光の属性の力のはずだ。そして『光』とは闇の塔にとって忌避すべき力のはずである。


 よって闇の塔に必要な癒し手は、光だけでなく闇の属性をも重ね持っている必要がある。


「そんな奴、見つけられるのか……」


 見つけられない気がした。


 何もかもお先真っ暗な気がしてきた。


 このままシオンは頭が完全におかしくなり、戦闘員たちも互いに殺し合いを始め、次回の大規模戦闘を待たずして塔は自滅すると思われた。


 しかもオレはオレでもっとナンパしなければならない。


 ナンパ、それはオレのライフワークであり、義務でもある。


 なぜなら昨夜の戦闘で、オレが現世でチャージしてきた魂力はすべて戦闘用魔力に変換され雷として放出されてしまったからだ。


(うわー、ナンパと人探し、どうやって両立すればいいんだ!)


 パニックに陥ったユウキの脳裏にナビ音声が響いた。


「同時にやってみたらどうですか?」


「同時に、だと?」


「ええ。ナンパしながら、強い癒しの力を持つ人を探してみたらいいのでは?」


「なるほど……やってみるか」


 ユウキは完全に立ち上がると、噴水広場で朝日を浴びて背伸びしている冒険者らしき女性に近寄って声をかけた。


「おはよう」


「ん? おはよう」


 冒険者は振り向いた。腰に帯びた幅広の剣と鎧が金属音を立てる。


 赤を基調とした鎧には水着のように隙間が多く、地肌の面積の多くが透けて見えた。


 急に話しかけられたためか、彼女の顔には若干の戸惑いの表情が浮かんでいた。


 ユウキは各種スキルによって心と体の緊張を解きつつ、目に見えるものを口にした。


「晴れてるな。今日はいい一日になりそうだな」


「そ、そうか? 私はこれから仕事だ。気が重いよ」


「その格好……冒険者だよな?」


「ああ。一応、戦士をやっている。ツレは先にギルドに向かったが……やっぱりこの依頼、ひきうけるのやめようかな」


 戦士は独り言のように呟いた。


「この魔法の鎧、風は完全に防いでくれないから、正直寒いんだ。風邪をひいたかも」


 戦士は鎧の上に羽織っているケープの襟元を閉めたが、両足の大部分の肌が寒風に晒されている。


「本当に寒そうだな、鳥肌が立ってるぞ。そこでちょっと暖かいものでも飲んでこうぜ」


 ユウキは喫茶ファウンテンを指差した。


「あ、ああ」


 戦士はうなずいてユウキの後ろをついてきた。


 喫茶ファウンテンに入る数歩前でユウキは振り返った。


「それと……ちょっと聞きたいことがあるんだが……」


「ん?」


「癒しの力を持ってる奴を探してるんだが知らないか? できれば性格が暗い奴がいい」


 そのときユウキの脳裏にナビ音声の声が響いた。


「スキル『マルチタスク』を獲得しました」

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