帰還

 朝方、ユウキはソーラルの噴水広場でナンパ活動を始めようとしていた。


「……しかし寒いな」


 現世から持ってきたマフラーをきつく首に巻き直すと、柔軟剤の香りがした。


 現世を思い出させるその香りにセンチメンタルな気持ちになってしまう。


「…………」


 冬なので広場は強烈に冷え込んでいる。腰を下ろしている噴水の縁も氷のように冷たい。


 それに加え、お馴染みの状態異常である『広場恐怖』が、ユウキの全身を強ばらせていた。


「とはいえ……いつまでもこうしてられないな。そろそろやるか」


 緊張をスキルによって和らげつつ、ナンパの基本ルーティーン、『顔上げ』を始める。


「…………」


 広場を見渡すと、冬の朝靄の中、看板を出して喫茶ファウンテンの営業準備を始めるエプロン姿の店員が見えた。


 その隣の宿屋からは冒険者の一行らしい六人が姿を現した。


 彼、彼女らは広場で体を伸ばしたり、噴水の水を水筒に汲むなどしている。


(おっ……いい装備じゃないか)


 なんとなく冒険者たちの武器防具には魔法がかかっていると感じられた。


 現在、異世界では闇の魔力の減少と、光の魔力の増加傾向が続いている。そのため冒険者の武器防具に付与される魔法も、光関係のものだろう。


 そしてユウキは昨夜、エリスから『光のイニシエーション』を受けていた。それによって、光系統の魔法に対して感覚が鋭敏になっているのかもしれない。


 と、そのようなことにまで気が回るほど、今のユウキは広場の隅々にまで自分の意識が行き届いているのを感じた。


 むしろ今の自分にとって『顔上げ』の難易度は低すぎるとすら感じられた。


 人は作業を繰り返すことで成長していくものである。だが、作業の難易度は、成長に合わせて適切なレベルに保つ必要があるのだ。


(そうだ、顔を上げながら、昨日手に入れたスキルを練習してみるか……)


 ユウキは広場を眺めながらスキル『癒し』を発動した。だが……。


(……ん? なんともならないぞ)


 脳内にナビ音声が響いた。


「そのスキルを発動するには、一定以上の『光』……この世界の用語で『光の魔力』と言ってもいいでしょう……そんなエネルギーが必要です」


「どうやって光の魔力なんてものを手に入れればいいんだ?」


「この世界には現在、光の魔力が大量に降り注いでいます。特にソーラルではその受信量を増やすべく、市庁舎に受信機が備えられていますね」


「ああ、あれか」


 ユウキは広場の屋根の向こうに聳えている、巨大なパラボラアンテナを見た。


 噴水広場と市庁舎はかなり距離が離れているというのに、ここからでもそれはかなり大きく見えた。


「あのパラボラアンテナが光の魔力を吸収し、市全体に循環させているらしいな」


「ええ。そのためソーラルでは空気にも光の魔力が濃厚にチャージされています。それを活用してみては?」


「よし……スキル『半眼』『想像』そして『深呼吸』発動……」


 ユウキは顔を上げて広場を見つめつつも、半眼によって心の中に意識を向け、そこでこの街の大気に満ちる光を想像した。


 さらにその光の粒子が呼吸と共に自らの胸に流れ込んでくることをイメージしながら深呼吸した。


(おっ。これはなかなかいいぞ……)


 光のイメージが全身に広がっていくと共に、温泉に入ったような気持ちよさがじわじわと湧いてくる。


 昨夜は異世界に帰ってきた直後に戦闘があった。


 はっきり言って心も体も疲れている。


 その疲れを取るためにユウキはスキル『癒し』の発動を続けた。


 と、ふと足元に気配を感じた。見ると鳩らしき生物が寄ってきていた。


(まさかオレが出している癒しの雰囲気に惹かれて動物が集まってきたというのか……)


 もしかしたらこのスキルを伸ばしていけば、異世界でアニマルテイマーとして活躍できるかもしれない。


 だが鳩らしき生物はパンくずをもらえないことを悟ったのか、喫茶ファウンテンのテラス席に近づいていった。


「はあ……昨日は本当に疲れたなあ」


 集中が途切れたユウキはため息をつきながら、いまだその効果が続いているスキル『半眼』と『想像』によって、漠然と昨夜の出来事を思い出した。


 *


 どこをどう歩いたものか、流れに任せて次元の間を彷徨っていると、いきなりポータルから吐き出された。


 左右を見渡すと、そこは闇の塔の最上階、第七クリスタルチェンバー『転移室』だった。


 転移室の床には瓦礫や魔道具が散乱しており、部屋の中央には半壊した祭壇が転がっている。


 外壁にはいくつも穴が空いており、そこから夜空と、塔を取り囲む闇の軍勢の篝火が見えた。


 と、いきなり巨大な火球が夜空を飛んできたかと思うと塔の外壁に直撃し、そこにさらなる大穴を開けた。


 赤熱して飛び散った外壁の破片がユウキを掠める。


(まじかよ……戦時中か)

 

 いきなり戦争映画のクライマックスのごとき状況に飛び込んでしまった。


 次元の間に一時避難したくとも、背後のポータルはすでに光を失って閉じている。


 しかも戦況は見るからに敗色濃厚である。


 塔の外からは、異形の者どもの……おそらく死霊とか悪魔とかその類の者たちの立てる悍ましい鬨の声が響いてくる。


 塔に押し寄せる進軍の地響きによって、天井も足元の床もぶるぶると震えている。


 いつ闇の塔の全面的な崩壊が訪れてもおかしくない。


(こっ、これはもう塔の陥落まで秒読み状態じゃないか……)


 だがそのときだった。ボロ雑巾のごとき布に身を包んだ少年が、半壊した祭壇の影から飛び出て来た。


「ユウキ君っ!」


「なんだシオンかよ。いつも真っ白だったローブが穴だらけ、煤だらけだが、どうしたんだ?」


「敵の魔法の直撃を何度も受けたんだよっ! この『創生のローブ』を着ていなければ僕は百回は死んでいただろうね!」


「なんだ、お前の服、そんなすごいマジックアイテムだったのかよ。ちなみにどんな由来があるんだ?」


 超絶非常時ではあったが、ついスキル『世間話』を発動してしまった。


 シオンはユウキの胸に顔を埋めながら、二言三言、ボロ雑巾のごとき様相を呈しているアイテムの詳細を語った。


 だがシオンはやがて言葉に詰まったかと思うと、肩を震わせて泣き出してしまった。


「お、おい……」


「ユウキ君……僕、もうダメかと……」


「大変だったみたいだな。ていうか実際、これはもうダメな状態じゃないのか」


 塔の外壁に開いたいくつもの穴から、戦争映画の深夜爆撃のごときショッキングな映像が飛び込んでくる。


 いくつもの火の玉が夜空に弧を描き、塔めがけて飛んできている。


 ユウキは死を覚悟した。


 だがシオンは涙に潤んだ瞳を輝かせて断言した。


「ダメじゃないよっ! なぜならユウキ君が僕らを助けに来てくれたんだから!」


 そうは言われても、今から第二クリスタルチェンバーまで駆け降り、生命のクリスタルを使って魂力を魔力に変換し、その魔力によってシオンが敵の軍勢を攻撃するという手順を踏むには、最低でも十分は必要だ。


 だがあと数十秒後にも、敵の放った火の玉が魔力によって飛来し、全弾塔に命中し、それによって塔は致命的な崩壊へと至るはずである。


(これはもう本当にダメだ……)


 なぜそれがユウキにわかるかというと、生きた巨大魔道具たる闇の塔が持つさまざまな感覚器官を、今のユウキはわずかではあったが自分のものとして活用できたからである。


 塔の内部に神経のごとくに張り巡らされた『魔力備蓄のツタ』や、第六クリスタルチェンバーで稼働している『叡智のクリスタル』……遠隔視能力を持つ強力なアーティファクト……それらがもたらす情報を、ユウキは認識することができた。


 その情報から総合的に判断する限り、塔は本当にあと数発の火の玉の直撃で完全崩壊する。


(それにしても、なんでオレはこうも詳しく塔の状態を感じられるんだ? 前まではこんなことはできなかったはずだが)


「その原因の一つはユウキの『共感』スキルがレベルアップしたせいでしょうね」


 脳内にナビ音声が響く。


「二つ目の原因は、ユウキが現世から毎日魂力を塔に送る努力をしたことで、塔とのリンクが深まったことです」


(なるほど……)


 とにかくオレと塔の結びつきが強まっているってことか。


 そのせいなのか、ユウキと同様に深くその肉体を塔にリンクさせているシオン……戦火によって薄汚れているがそれでも美しい少年……彼に対するこれまでにない親しみを感じた。


 思わず強く抱きしめたくなってしまうほどに。


「ゆ、ユウキ君……! 苦しいよ!」


 気がつけばユウキはシオンを力の限り強く抱きしめていた。


「おっと、悪い。スキルが暴発して……痛かっただろ」


「う、ううん。いいんだ。もっと強く抱いてくれてかまわないよ」


「…………」


 ユウキはもう一度、シオンを強く抱きしめた。


 瞬間、かつて感じたことのない快感が全身に走るのを感じた。シオンもユウキの手の中で電流に打たれたように体を震わせていた。


(な、なんだこりゃ? どうなってるんだ?)


 ユウキはスキル『半眼』によって意識の半分を塔の内部状態に向けた。


 すると、現世で大量に貯め込んできた自分の魂力が、今、シオンを介して塔へと勢いよく流れ込んでいるのがわかった。


(そうか、塔との結びつきが深まったせいで、シオンとのリンクも深まったんだ。今オレは、シオンを介して塔へと魂力を直接流しこんでいるんだ)


 その気づきと共に、ユウキはスキル『集中』を発動し、魂力の流れを制御して、それを塔の下層、第二クリスタルチェンバーの『生命のクリスタル』に集中させた。


 伝導経路が長く、抵抗も大きい。そのため直接、『生命のクリスタル』に魂力を流すことに比べ、一割から二割ほど多くのエネルギー損失が生じている。だが今、何より必要なのは時間だ。ユウキはそのままシオンを伝導体として、すべての魂力を塔に流し込もうとした。


 しかしいきなり高出力のバッテリーのごときものを繋がれた形のシオンは、ユウキの腕の中でさらに大きく体を震わせ始めた。はっきり言って心配になるレベルだ。


「お、おい、大丈夫か?」


「すごい、すごいよ……これがユウキ君の魂のエネルギーなんだね」


 そう口走るシオンの顔には見たことのない恍惚とした表情が浮かんでいる。


(こいつ、大丈夫か? 何かの障害が残らなければいいが……)


 心配ではあったが、小出しにするよりも短時間で切り上げた方がいいだろう。そう判断したユウキは一息に魂力をシオンの中へと吐き出した。


 それはシオンの神経系をオーバーフローさせ電気的に発火させつつも、速やかに塔の第二クリスタルチェンバーへと流れ落ちていった。


 そしてその力は、この異世界に物質的な変化を起こすための重いエネルギー、闇の魔力へとすべて変換され、今、魔力備蓄のツタを通じて塔全体とシオンにかつてない高濃度の魔力となって勢いよく逆流してきた。


 バチバチと音を立ててシオンの周りに火花が飛び散った。


「かはっ! はあっ、はあっ……」


 シオンは体をくの字に折り曲げて何度か喘ぐと、ユウキの手を振り解いた。


 それからシオンは壁の穴を通して塔の外の戦場を見つめた。魔術師の顔を、すぐそこまで接近した火の玉が赤々と照らした。


 ユウキは死を覚悟した。


 だがシオンは一瞬、振り返り、爛々と魔力に輝く瞳でユウキを見つめると、すぐにまた塔の外へと視線を戻した。


 そして両手で複雑な印を組むと口の中で何かを唱えた。瞬間、塔の周りに不可視の防壁が張られ、炎の球はすべてその防壁の表面で爆散した。


 さらにシオンは右手を掲げて塔の天井の向こう、夜空を指差した。


 瞬間、塔の真上の夜空に凄まじい勢いで雷雲が凝集した。


 さらに塔の全体からシオンへと魔力が集中していく。その魔力に触れたシオンの『創世のローブ』が本来の純白を取り戻していく。魔力によって虚空から紡ぎ出された糸により、ローブにいくつも空いていた穴も塞がれていく。


 その『創世のローブ』とシオン本人により多くの魔力がチャージされ、ある一定の閾値を超えたところで、それはシオンの詠唱と共に天に向けて吐き出された。


 魔力は塔の頂上から上向きの雷として放射され、夜空の雷雲を打ち、その四方へと広がった。


 シオンは塔の周囲を遠隔視し、塔を取り囲む闇の軍勢の、一万体はいると思われる構成員すべてに魔術的な標識を埋め込んでいった。


 そのターゲッティング作業を塔に同調したユウキも共に認識していた。塔を取り囲む骸骨兵、生ける屍、腐れ牛、腐れ馬、さらに魔法を使う巨大な悪魔と、その他なんだかよくわからないおぞましい存在たち、そのすべてに次々と雷を模した標識が貼り付けられていく。


 その闇の軍勢の合間で剣を奮い続けるゾンゲイル、アトーレ、ラチネッタ、エクシーラらの姿も見えた。彼女たち味方をスルーして敵にのみ標識を貼り終えると、シオンは短く呪文を唱えた。


「雷の雨よ。敵を撃て!」


 瞬間、夜空に満ちる帯電した雲からいく筋もの雷が豪雨のように降り注ぎ、すべての敵を打った。回鶻兵の骨は弾け飛び、腐れ牛、腐れ馬、生ける屍は炭となって崩壊した。


 魔法を使う巨大な悪魔は魔術的な防壁によって降り注ぐ雷を一時的に防いだが、いく筋もの雷に防壁は破られ絶命した。


 塔の最上階にて、シオンは一瞬、ユウキに笑顔を向けると気を失った。


 ユウキは慌ててその体を抱きとめた。


 塔の周りで絶望的な戦いを続けていた戦士たちは、闇の軍勢の残骸が散らばる戦場を見回すと、自分達がいつの間にか勝利していたことに気づいた。


 その原因に思い至った彼女らは武器を鞘に収めると、塔の最上階に向けて手を振った。


「おかえりなさい! ユウキ!」


 戦場にゾンゲイルの声がこだました。

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