第87話 運命の輪
ユウキは妹……いや、ロードバンパイアのエリスと共に、実家の玄関を出た。
冬の夜、月明かりが乾燥した大気を貫いて実家の庭に降り注いでいる。だが天体観測などする気にはなれない。
強い木枯らしが吹いていて、とても寒いのだ。
ユウキはロードバンパイアの手によって分厚い防寒具を着せられていたが、それでもぶるぶると震えてしまう。
「ふむ。ずいぶん冷えてきたな。これも付けるといいぞ」
エリスは自らの手袋を外すとユウキに渡してきた。ユウキは遠慮しかけたが、多くの血を失っている自らの体力を鑑み、まだエリスの体温が残る毛糸の手袋に指を通した。
これからリアル吸血鬼と共に『ポータル』へと向かうのだ。道中、何が起こるかわからない。体力の損耗は防ぐべきだろう。
そんなことを考えながら、エリスの高校へと続く通学路を歩き出す。
その校舎の部室棟にあるという異世界へのポータルに向かうのだ。
(それにしてもポータルだと? なぜ学校にそんなものが?)
学校とは勉強を学ぶところであって、決して異世界に旅立つための場所ではないはずだが……。
(そもそも異世界って。そんなものが本当に存在しているのか?)
冷たい夜道を歩くユウキの脳裏に、今更ながらにそんな疑問が渦巻く。
すでに異世界に関するユウキの記憶はほぼ全て蘇っていた。だがそれはあまりに荒唐無稽で、ポータルの存在と共に、にわかには信じがたい記憶である。
しかし隣を歩くエリスの月に照らされた横顔をふと見ると、異世界とかポータルとか、そう言うファンタジックなこともあるのかな、という気になってくる。
(そもそもエリスもオレの妹ではなく、赤の他人の吸血鬼だったらしいしな)
「…………」
そのことについてよくよく考えてみると、急に緊張感が湧き上がってきた。これまで妹ということで意識せずにすんでいたが、エリスは異性なのだ。
それでいてエリスはまだ妹気分でいるのか、距離感がかなり近い。彼女のパーカーの袖から出た手が、歩きながら揺れて何度もユウキの体に触れる。
「…………」
心拍数の上昇をApple Watchで確認したユウキは深く考えるのをやめ、これまでと同様の家族モードに気持ちを切り替え、エリスと共に夜道を歩いた。
やがてコンビニの灯りが暗い通学路の向こうに見えてきた。
「私は少し買い物をしてくるぞ」
エリスはコンビニに早足に入っていった。
ユウキがオレンジ色の照明を浴びながらコンビニ前で待っていると、やがて買い物を終えたエリスが店内から出てきた。
おでんの容器とコンビニ袋を抱えている。
まずエリスはゼリー飲料と何種類もの健康サプリメントを袋から取り出してユウキに渡した。
「飲むといいぞ。たくさんの血液が失われたからな」
「お、おう」
ユウキはサプリの袋を破って錠剤を取り出し、ゼリー飲料で喉に流し込むという作業を始めた。
コンビニに出入りする客がユウキとエリスの何人も横を通り過ぎていく。
ユウキが最後の錠剤を飲み込むと、エリスは言った。
「ところで……去年、私の学校の学園祭にユウキが遊びに来たこと、覚えているか?」
「学園祭? ……ああ、異世界に旅立つ前のことだな。もちろん覚えてる。そうか……あれはエリスの学校だったのか……」
「これも食べるといいぞ。おでんだ」
エリスは割り箸をユウキに渡した。ユウキはエリスが持つおでん容器から、卵、大根、ちくわぶなどをいただいた。
コンビニの前で立ったまま食べるというかつてない食事スタイルだったが、血の抜けて冷えた体に、出汁の染みたおでんが染みた。
「はふはふ……うまいな。エリスも食えよ」
「うん。それじゃ遠慮なく。はふはふ……」
昆布、がんもなどを食すエリスを見ながらユウキは、学園祭のことを思い出した。
「あの日……オレはたまたま通りかかった学園祭に勇気を出して飛び込んでみたんだ」
「あの学園祭で私はユウキと出会ったんだぞ」
エリス曰く、その学校の『ライトノベル部』なる組織に、多くのエクスプローラーが所属しており、エリスもその一員であるという。
「ユウキが異世界転移した原因のひとつは、学園祭で私たちの同人誌を買い、私たちの出し物の朗読劇を観たせいなんだぞ」
「はあ? オレが転移したのは向こうの世界の魔術師……シオンって奴に召喚されたせいじゃないのか?」
「もちろん最終的なきっかけは、その召喚魔法だと思うぞ。だけど、ユウキのようにこの世界に土着の人間が、私たち『探索者』のように世界から世界へと旅をするには、ステップバイステップの準備が必要なんだ」
「…………」
「まず、ユウキは何を求めて私たちの学園祭にやってきたのか、それを思い出してみてほしい」
ユウキはおでんを摘む箸を止めて考え込んだ。
「うーん。オレはあの日……未知を求めて、あの学校の校門をくぐったんだ。楽しそうなお祭りなんてオレの人生に無縁のものだったからな」
「ふむ。『未知の楽しさを求める』という意図に基づいた行動……それが『準備』の最初の一歩ということになるな」
「そしたら学園祭の人並みに押されて、オレは物販ブースに流れ着いたんだ。そこでオレはハッピを着た金髪の女子高生に呼び止められて、同人誌を売りつけられたんだ」
『何か楽しいことが欲しいならこの本がおすすめだよ! 一冊五百円だよ!』
金髪の女子高生はまるでユウキが求めているものを前もって知っているかのごとく声をかけてきた。
ユウキはなけなしの500円玉を金髪の女子高生に渡し、色とりどりの万華鏡のごとき幾何学模様が表紙に描かれたその同人誌を購入した。
そしてユウキは人混みから離れ、日陰にある校庭のベンチでしばし同人誌のページをめくった。
闇の迷宮。
巡礼の探索者。
邪神と闇の魔術師。
暗黒機械。
そういった若干の中二感があるキーワードが散りばめられた小説に、ページをめくるごとにユウキはのめり込んでいった。
普段は小説など滅多に読まないのに、こんなにも熱中して読んでしまうだなんて、この同人誌とオレは相性がいいのかもしれない。
小説を読み終えたユウキは書き手について知るため、同人誌の奥付けを見た。するとそこに、部室棟で行われる朗読劇のチケットが挟み込まれていることに気づいた。
まもなくこの同人誌を発行しているライトノベル部が、学園祭の出し物として自分たちの部室で朗読劇を発表するらしい。
興味を惹かれたユウキは、チケットの裏に書かれた地図を参考に、ライトノベル部の部室を目指した。
人の波に流され、さまざまな部活や教室の模擬店に寄り道しながらも、やがてユウキは旧校舎の奥にある古びた部室棟にたどり着いた。
埃の舞う部室棟の木造廊下には五つのドアが並んでいた。
手前から軽音楽部、文芸部、UMA研究会、ライトノベル部との表札がかかっている。一番奥にあるドアには表札はかかっておらず、空き部屋か物置のようである。
そのひとつ手前、ライトノベル部のドアをユウキは開けた。
先ほど校庭で売り子をやっていた金髪の女子高生が部室内にいてユウキを見た。エリスの姿もそこにあった。
彼女たちはたった一人の客であるユウキをパイプ椅子に座らせると、同人誌に書かれている小説を元にした朗読劇を始めた。
パイプ椅子に座ってその朗読劇を眺めるにつれ、何かしら得体の知れない感情が自分の中に湧き上がるのを感じた。
同人誌の表紙に描かれた色とりどりの幾何学模様や、先ほどざっと読んだ小説の内容が、目の前の朗読劇と混じり合い、ユウキの心の中に何かを生み出していく。
目の前で朗読劇を続ける金髪の女子高生の身振り手振りと視線、そして声が、ユウキの中に謎のエネルギーパターンを焼き付けていく。
そう感じられるのは、今のユウキが異世界での体験の果てに、目に見えない微細なエネルギーをある程度、認識できるようになっているからである。
(当時はただなんとなく頭がぼんやりして眠くなったように感じただけだったが……)
今、思い出してみると、あの朗読劇で得た感覚は、異世界でルフローンに人格テンプレートを伝達された時のものに酷似していると感じられた。
「ナビ音声。聞こえてるか?」
寒いコンビニ前で箸を握るユウキは心の中でナビ音声に呼びかけた。すぐに答えが返ってきた。
「ユウキのことはいつもモニタリングしてますよ」
「調べてくれ。異世界に旅立つ以前に、オレに何かの人格テンプレートが伝達されていないか」
「そんなことはあり得ないと思いますが。人格テンプレートはあのルフローンという少女によって、初めてユウキに送り込まれたのです」
「まあいいから調べてみてくれ」
「仕方ないですね」
しぶしぶといった様子でナビ音声がユウキの精神内をスキャンするのが感じられた。
「ほら。特に何も見つかりませんよ」
「もっと深く調べてくれ」
そう頼むと、ユウキの精神の深層がナビによってスキャンされるのが感じられた。
まもなく驚きの声が上がった。
「し、信じられません。ルフローンによって送り込まれた最初の人格テンプレート『愚者』よりもさらに古い層に、人格テンプレートに特徴的なエネルギーパターンが見つかりました」
「なんなんだそれは?」
「ふさわしい名前をつけるなら……『運命の輪』」
「運命の輪、だと? これまでの人格テンプレートはどれも『愚者』だの『魔術師』だの『悪魔』だの、何かしらの個体の属性を表す名前を持っていたと思うが」
「この人格テンプレートは、個体の表層よりもさらに深い層……集合的無意識のレベルに変化をもたらす元型のようです。これはユウキの運命を変えるテンプレートです」
「まじかよ……なんだかよくわからないが、そんなヤバそうなものがいつの間にかオレに埋め込まれていたとは……」
よく知っているはずの自分の心の中……いわば実家の自室のような見慣れた場所に、墜落したUFOから採取された異星の機械のごとき謎のオーパーツが隠されていたことを知ってユウキは唖然とした。
だがそのとき、割り箸を持つユウキの手に誰かが触れた。
「おい、どうしたんだ、ユウキ。どんどん寒くなってきたぞ。そろそろ移動しないか?」
顔を上げると目の前にエリスがいた。おでんもすっかり冷めている。
どうやら過去の回想やら、ナビ音声との会話やらに意識が沈みすぎていたらしい。
スキル『半眼』を使うのも忘れて、自らの内面世界に完全に没入していたようだ。
ユウキは頭を振って気を取り直した。
「悪い悪い。それじゃ、行こうぜ」
そしておでんの残りを急いで平らげ、各種のゴミをコンビニのゴミ箱に捨てると、またエリスと共に夜道を歩き出す。
エリスの高校……かつて学園祭で謎の人格テンプレートをインプラントされたあの校舎へと。
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