第84話 直接物理攻撃

 空奈宅での人生初の鍼治療……資格も経験もない女子中学生による施術は、思いの外、安らかな体験に終わった。


「あれ、痛くない……本当に鍼なんて刺さってるのか?」


 ユウキは夕日の差し込む空奈宅の布団にうつ伏せになりつつ聞いた。


「もう五本も刺さってるわ。そんなに怖がらないでいいわよ。基本、鍼は痛くないんだから。この本によるとね」


 最初はなかなか信用できず緊張していたユウキだったが、本当に痛みはなく、ツンツンという軽い刺激を背中に感じるのみであった。


 たまにピリッとする痺れを感じたが、全体としては不快さよりも心地よさが勝った。


 やがて畳に敷かれた布団の上でうつらうつらとしてきた。


「眠っててもいいわよ。仕事で疲れてるのよね」


「いつあんたのお母さんが帰ってくるかわからないんだ。寝るわけには……」


 しかしユウキの背中に鍼を打ち終わったところで、空奈が枕元に良い香りのするハンカチを置いた。


「エッセンシャルオイル……フランキンセンスとミルラとローズをブレンドしたものよ。実はディスポ鍼よりもこっちの方に沢山お金がかかってるのよね。特にこのローズ……高いけど、さすがにうっとりするわね」


「確かにいい香りだが、なんか意味があるのか?」


「もちろん! この私が異世界の私から受け取った情報によれば、特定

の香りのブレンドによってユウキの内なるエレメントの乱れを正すことができるのよ」


『エレメント』なる中学二年生的な単語が中学二年生の女子の口より出た。


(そんな非科学的なものがこの世に存在すわけないだろ)


 だが現に空奈の癒し行為によってオレの死にかけの命は何度も救われているのだ。とりあえず専門家にケチをつけるのはやめよう。


「…………」


 ユウキは植物の生気が感じられるその芳香に包まれながら目を閉じた。


 複雑な香りと背中に打ち込まれた鍼がユウキの全身の神経に微細な刺激を送り込んでくる。


 その優しいさざなみのような刺激を受け取るうちにユウキは眠りに落ちていた。




 気づくと日は暮れており全身から鍼は抜かれていた。


「ユウキ、もうすぐお母さんが帰ってくるわよ。このまま家でご飯、食べていったらいいんじゃない?」


「いや、それはちょっと……」


 ユウキは空奈宅から走って帰宅した。


 スグクルでの仕事を続けていれば遠からず疲労によって死ぬと空奈に警告されていたので、夜、ユウキは派遣会社に軽い仕事を所望した。


「軽い仕事……つまり軽作業ですね。食品関係の軽作業はどうですか?」


「おっ、食品か。スグクルでプリント用紙がいっぱいに詰まった段ボールを上げ下げするよりは楽そうだな」


 そんなわけで翌日ユウキは外国人労働者とともに食品配送センターへと送り込まれた。


 ベルトコンベアが縦横無尽に走るセンターは巨大生物の体内を思わせた。そこに食品が詰め込まれた段ボールがいずこからか大量に流れ込んでくる。それを謎のルールに従って特定の穴やベルトコンベアに移動させることが労働者の仕事だ。


「なんだこりゃ。スグクルとほぼほぼ一緒じゃないか」


 段ボール箱の重さに関しても、インスタントラーメンの箱は確かに軽いものの、ミネラルウォーターの箱はスグクルと同等かそれ以上の重みがあった。


「何が軽作業だ。こんなものは重作業だ」


 だが来てしまったものは仕方ない。とりあえず今日も可能な限り魂力をチャージしながら仕事して明日へと命をつなごう。


 ユウキは各種スキルを発動し、折を見て周りの人間に話しかけつつ仕事していった。


 フォークリフトが運んでくるパレットを高所で待っている際には、東南アジア出身の若者と話した。


 見た目が駅前にいる不良っぽくて怖かったが、なんとか質問スキルを発動して余暇の過ごし方などを聞いてみた。


 すると彼は夜の駅前広場で仲間と趣味のラップの会をしていることがわかった。この若者は、確かにこれまでユウキが『駅前にいる不良』として認識してきた存在そのものだった。


 会話を打ち切りたい衝動を堪えつつ、なんとか世間話を続ける。


「ま、マジかよ……夜の駅前広場でのラップの会というと……円陣を組んで早口言葉を言い合ってるやつだな。前に見かけたことがあるぞ」


 若者はラップについて実例を交えて説明しながら、ユウキに安全帯を付けてくれた。熱っぽくラップについて語り始めた彼の言葉には魂力が感じられた。彼の魂力に自らの魂力をそこはかとなくハウリングさせて双方を高めつつ、ユウキは軽作業という名の重作業を続けていった。


 途中、何度も体力の限界が訪れた。


 もう帰りたい。


 だが空奈の癒しを受けるには金がかかる。闇の塔が要求する魂力もどんどん増えてきている。


 早いところ体をもっと万全に癒し、より大くの魂力がチャージされるアクティビティ、つまり直接的なナンパができる体になる必要があり、そのためには金が必要だ。


「やっぱり世の中、金だな」


 ユウキがぼそりと呟くと東南アジア出身の若者も同意した。


「メイクマネー大事。メイクマネー必要」


「おう!」


 若者に励まされながら、ユウキはなんとかその日の仕事を終え、空奈の癒し行為を受けた。


 だが、このレベルの強度の仕事を続けていけば遠からず命を落とす。空奈にまたそう警告されたので、ユウキはより軽い仕事を派遣会社に希望した。


 デパートの催事場の設営、大規模運動会の警備、試験会場での試験官など、さまざまな仕事が紹介された。ユウキは次々と未知の軽作業を体験していった。


 だがいずれも強度が高すぎた。


「もっと本当に軽いやつはないのかよ!」


「ではここなんてどうでしょう。通信会社の備品の整備です」


「おっ。なかなか良さそうだな」


 翌朝、ユウキは品川駅から送迎バスで港湾部の倉庫へと運ばれた。


 情報漏洩防止の観点から、仕事場にスマホ等の電子機器は持ち込めない。そのためiPhoneやApple Watchをロッカーにしまった上で金属探知機のゲートをくぐり作業場に入る。そこで朝礼を受けたのちに、三人一組の班に分けられて持ち場に向かう。


 ユウキの班は学生っぽい若者と、どんよりと暗く濁った目をした女だ。


 割り当てられた作業テーブルに彼らと向かい、段ボールによって送り込まれてくる大量の電子機器を整理整頓、整備していくことが今日の仕事である。


(こ、これは……オレが求めていた『真の軽作業』かもしれない!)


 どうせ今日も重い段ボールを運ばされるのだろう。そう心の中でどこか諦めていたユウキだったが、本日の仕事はかつてない楽なものだった。


 重たいものを運ぶ必要はほとんどなく、基本的に作業テーブル上での細やかな手作業がメインであり、しかも驚くべきことに椅子に座ることが許されている。


(まじかよ……こんなの天国じゃないか)


 それでいて時給は今までの身を削るハードコアな仕事と変わらない。


(そうか。仕事とは同じ給料でもこんなにも強度に違いがあるんだな)


 むろん人によっては細やかな手作業よりも、段ボール運びの方が楽だという者もいるだろう。つまり自分の適正に合った内容の仕事を選ぶことが、快適な労働生活を送るためには大切ということか。


「…………」


 そういう意味では今日の軽作業も、まだまだ自分の真の適正に合っていないように感じた。


『仕事』なるものへの拭い去れない違和感を抱えつつ、ユウキは段ボールで送り込まれてくる大量のACアダプターの絡まりを解いては結束バンドでまとめ続けた。


 昼休みに食堂に向かうと、同じ班の女が一人で弁当箱を開けていた。


 彼女の周りにはどんよりとした暗いオーラが張り巡らされており、正直、近寄り難かった。


 だがその一方で彼女には謎の親近感を覚えた。午前に同じテーブルで作業したためだろうか。正確な理由はわからないが、特に気負うことなく自然に話しかけることができた。


「さっきは仕事のこと、色々教えてもらって助かった。ここ、座っていいか?」


「はい、もちろん」


 謎の親近感にプラスして『同じ職場、同じ班の人間』という文脈があるためか、街で見知らぬ人間に声をかけるのに比べて千倍ぐらいの精神的な余裕があった。


 それがプラスに作用したのか、昼休みの世間話は弾み、少しずつ深まっていった。


 いつしかユウキは今日会ったばかりの女に、『仕事』に関する疑問を打ち明けていた。


「オレ、自分に向いてる仕事がなんだかわからないんだよな」


「私、わかります」


 ルーズサイドテールの女は箸を止めてユウキを見つめた。


「えっ? あんた、わかるのか? 教えてくれ。オレはいったい、何をすればいいんだ?」


「それはわかりませんよ、私は占い師ではないので。ただ、働くことについてのモヤモヤとした不安……生きづらさ……心の闇……そういった気持ちを理解できる、ということです」


「こ、心の闇、だと?」


「そう。心の闇……現代人が心に抱える暗黒……それを凝固させて表現すること……それが私に課せられた使命なんです」


「へえ。使命というと、この作業場以外にも仕事があるってことか?」


「まだお金にはなってませんけどね。午後の三時にここを抜けたら、私、いつも夜まで街の図書館で書いているんです。ルポタージュを」


「まじかよ。つまりあんたはノンフィクションライター志望ってわけか。早く売れるといいな」


「頑張ります」女は暗く淀んだ瞳をユウキに向けた。


 昼食後、午後の作業をさらに二時間ほどこなしてその日の仕事は終わった。


 派遣作業員たちは送迎バスで品川駅まで送られ、そこで解散となった。


「それじゃお疲れ」


 ユウキは同じ班だった者たちに軽く挨拶して駅構内に向かおうとした。


 だがそのときだった。


「うわー! 通り魔が出たぞー!」


 駅前でそんな声が上がった。


 声がする方に目を向けると、駅前の雑踏の只中で血走った目の中年男性が紙袋から出刃包丁を取り出して振り回していた。


 周りの人間は一目散に逃げ出している。


「まじかよ。今流行りの無敵の人ってやつか。世も末だな」


「こっちに向かって来ますね」同じ班の女が冷静に呟いた。


「お、お、オレたちも逃げようぜ」


 だがいきなり目を血走らせた中年男性はユウキを一瞥したかと思うと、ダッシュし加速して一直線にこちらに向かってきた。


 かなりのスピードで包丁を腰だめに構え、真っ直ぐユウキに向かって走ってくる。


(えっ、オレがターゲット? なぜ?)


 理由はわからないが、なんにせよ中年男性は明らかにユウキめがけて全力ダッシュしてくる。もはや背を向けて逃げても後ろから必殺の攻撃を受ける間合いである。


 ユウキは唐突な死を覚悟した。


 だが同じ班の女は駅前の遊歩道に設置されていた交通整理のガイドポールに駆け寄ると、それを手に取って大剣のごとく上段に構え、裂帛の気合とともに中年男性の頭に振り下ろした。

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