第80話 次元魔法
ユウキはいい流れに乗っていた。
昼間は駅前でナンパ活動、夜は妹と修行するという生活を繰り返した。
それが良い方向に作用しているのか、いつも見る夢は少しずつその悪夢的性質を和らげていった。
*
ユウキの夢の登場人物は主に二つの勢力に分けることができた。
その一方、邪神勢は依然としてその勢いを強めていた。
だがもう一方、闇の塔に集う勢力も、なんとかギリギリのところで命脈を保っていた。
闇の塔関係者の活動により、ユウキの夢はなんとか完全なる悪夢に陥ることなく、ギリギリのところで平和に保たれていた。
「…………」
夢とはつまるところオレの精神が生み出している物語である。昼間のナンパ活動によってオレの気持ちが上向きになることにより、夢の中身もまた上向きに保たれているということなのか。
なんにせよ夜の悪夢が緩和されたことによりユウキの眠りのクオリティが上がった。それにより睡眠による気力の回復量が増えた。
これまでは寝ても寝ても疲れが取れず、むしろ寝るほどに気力体力を共に失っていく毎日が続いていた。だが今朝などはカーテンから差し込む朝日に爽やかさを感じることさえできた。
ユウキは心身に満ちるその気力を使って、より勢力的に昼間のナンパを推し進めた。
と言っても依然としていわゆる通常のナンパ活動をできるレベルには達していない。
ただ街の雑踏の中で深呼吸して自らを落ち着かせつつ、身の回りで起こるちょっとした親切の機会に反応する……それがユウキのナンパだった。
駅前のスーパー前で買い物のビニール袋が破けて困っている人には、新たな袋を調達して渡した。
階段の手前で、巨大な荷物を持って途方に暮れている人には、手伝いましょうかと声をかけた。
これらの行為によりユウキの胸にほっこりとした気持ちが充填されていく。
その温かなエネルギーは夢の中の塔にチャージされ、夢は悪夢から守られていく。
この安定した日々は永遠に続くかに思われた。
だが年末のある日、ついにその平衡状態が崩れはじめた。
*
夕食後、寝る支度を整えたユウキは、例によって妹と共にソファで修行のためのエッチなビデオを観た。
「はあ……はあ……」
エッチなストリーミングビデオが再生されていくにつれ、ユウキの呼吸は荒くなり全身に激痛が走った。ここ数日、妹と共に観るビデオの内容はかなりハードなものになっていた。それゆえにユウキの肉体に生じる負担も大きかった。
だがユウキはこの刺激に耐え抜いた。
「はあ……はあ……なんとか持ったぞ……」
ユウキは額の汗を拭うと各種の精神技能を発動し、すみやかに肉体を落ち着かせた。
「よし……心拍もクールダウンしてきた。次のビデオ再生していいぞ」
だが妹はしばしソファ上でもぞもぞした様子を見せた。
「おい、どうしたんだ、顔が赤くなってる。熱でもあるのか?」
ユウキは妹の額に手を伸ばして触れた。
「ユウキ……」
「なんだ」
妹は赤い瞳をこちらに向けた。風邪でもひいたかのように瞳が潤んでいる。その目からは正気の光が失われているように感じられた。
ユウキはソファの端に寄って妹から距離をとった。
だが危機回避は間に合わなかった。
妹はこれまでの繊細な距離調整をいきなり踏み越えてきたかと思うと、ユウキをソファに組み敷いた。
ユウキは後頭部をソファの手すりに打った。
「うっ、何するんだ!」
「すまない。もう我慢できない。我が血肉となってもらうぞ!」
瞬間、妹がユウキの首筋に噛み付いてきた。
犬歯が肌を食い破る痛みと共に、えも言われぬ甘美な快感がユウキを貫いた。
よくわからないが、このまま被捕食者として上位存在に自らの血を提供したい……!
そんな謎の欲望に突き動かされ、ユウキは妹がより噛みつきやすいようパジャマの襟元を開いて自らの首筋を晒した。
その仕草に興奮したのか妹は猛った肉食獣のようにユウキにむしゃぶりついてきた。熱い鼻息が肌をくすぐる。
その瞬間だった。ユウキの脳裏に屈強な男百人に取り囲まれ組み敷かれて公衆の面前で慰み者にされるという謎の恐怖の記憶が蘇った。
「う、う、うわあああああ!」
パニック症状を発したユウキは妹を思いっきり突き飛ばすと、ソファから床にずり落ちて過呼吸の発作に喘いだ。
一方、妹はソファの手すりに後頭部をぶつけて正気に戻ったらしい。
「はっ……私は一体何を……ユウキっ……大丈夫か!」
妹が近寄ってユウキを助け起こそうとするが、触られると余計に発作がひどくなった。
ユウキは妹を片手で遮りながら、なんとか深呼吸を発動して発作を治めた。
「はあ、はあ……もう大丈夫だ……」
「すまない、ユウキ……」
「もうちょっと離れてくれ……近寄られるとヤバい」
「ううう……」
妹はしばらく心配そうにユウキを見つめていたが、やがてうつむいて居間から去っていった。
異性がいなくなったことで、ユウキの発作は落ち着いていった。
痛みを感じる余裕も出てきた。
妹に噛まれた首筋にふと手をやる。
「ま、まじかよ……」
べっとりと血がついていた。
そういえば話に聞い他ことがある。性行為の最中に相手の首を噛んで血を流す嗜好……そんなものを持つ人間がこの世に実際に存在しているということを。
まさか妹がそういう嗜好を持っているとは……。
いや、あいつはただ中二病なだけだ。あいつは高校生ではあるがいまだに中二病を患っていて、闇とか流血とかそういうものに子供っぽく憧れてるだけなんだ。いずれ大人になれば治るはずだ。
ユウキは希望的観測をしながら、戸棚から救急箱を取り出し、首の傷に絆創膏を貼った。
それから、二階の妹の部屋に向かう。
「…………」
狭い廊下を歩いて自分の部屋を通り過ぎ、妹の部屋の前まで来た。
二人しか住んでいないわけだから、感情的なギクシャクはその日のうちに解消しておいた方がいい。
だが……妹の部屋のドアをノックしかけたところで、ユウキはその手をふと止めた。
「…………」
直感が働いている。なんとなくだが今、妹の部屋には入らないほうがいい。
そっとしておこう。
「…………」
*
翌朝、妹は何事もなかったかのような態度でユウキに接してきた。朝食を作り今日の分の小遣いをくれた。
なんと夜には、また修行の手伝いを申し出てきた。
「い、いいのか?」
「うん。今日は大丈夫だ。昨日のようにはならない。安心していいぞ」
だがビデオを一本観たあたりで妹の瞳から正気の光が失われた。
妹はユウキに馬乗りになると首筋に噛み付いてきた。ユウキは過呼吸の症状を発しながらも妹を思いっきり突き飛ばした。
妹はソファの手すりに後頭部を打ちつけると正気に戻った。
「はっ……私は一体何を……! そ、そうか……ユウキより先に私の方が限界に達したということか。すまない……もうこれ以上ユウキの修行には付き合えないみたいだ」
「き、気にするな。オレ一人でなんとかする」
妹は肩を落として居間から出ていった。
ユウキは首筋にできた新たな傷に絆創膏を貼ると、エッチさへの耐性獲得の修行を一人で進めるべくエッチなビデオを再生した。
だが妹と一緒に見ない限り、それはしょせん二次元的な刺激に過ぎなかった。
こんなものをいくら見ても、現実のエッチさへの耐性は身に付かないことは明らかだった。
事実、妹との夜の修行がストップしたことにより、昼間のナンパ活動に支障が生じ始めた。
*
例によって妹と朝食をとった後、バスで駅前広場に移動し、ベンチで深呼吸する。
街で心身を安定させつつ、通り過ぎる人々に適宜、親切行為をする。
ここまでは問題ない。
だがこのワークを続けることにより、ユウキと街のシンクロ率はどんどん高まりつつあった。
街とのシンクロ率が高まることにより、そこに生きる生物……街を歩く人々からユウキへと入力される刺激も増えてきた。
なんとなく女性と目が合う回数が増えてきた気がする。
駅前広場の現代アートを取り囲む円形ベンチなどに座っていると、近くに女性が腰を下ろす回数が増えてきた気がする。
「…………」
今もオレの右となりには女子高生が座り流行りの飲み物を飲んでいる。また左隣では女性のビジネスパーソンがコンビニのサンドイッチを食べている。
と、ビジネスパーソンは何かの拍子にサンドイッチをスカートに落としてしまった。
ユウキは先ほど道で受け取ったパチンコ屋のポケットティッシュを手渡した。
かわいい笑顔が向けられる。
瞬間、ユウキの心臓は針で突き刺されたように痛み始めた。
感謝の言葉を述べるビジネスパーソンを背後に、ユウキは痛む胸を手で押さえ脂汗を流しながらその場から立ち去った。
「…………」
ヤバい。
街は刺激が多すぎる。
この異性とのささやかな交流によって、ユウキの性的興奮は限界まで高まり、それがもたらす苦痛は限界に達した。
Apple Watchの心拍計も異常心拍を警告していた。
やがて視界がブラックアウトし道に倒れ込みそうになる。
それをなんとか堪えて帰宅しながらユウキは思った。
早く妹との修行を再開しなければ、この刺激あふれる街に適応することはできない。
だが妹は平時においてもその瞳から正気の光を失い、ユウキの首筋に噛み付いてくるようになってきた。
また、風呂にも侵入してくるようになってきた。
そのつど、筋肉の力によって押し返すことにより、なんとか頸動脈を噛み破られることは免れた。
だが力と力でぶつかっていてはいずれ力尽きて負けてしまう。それを回避するためユウキは合気道のYoutubeビデオを見て、合気っぽい技を習得した。
それにより遥かに楽に妹の襲撃を受け流せるようになり、首に新たな傷は増えなくなった。だが、なんにせよ妹との修行は途絶したままだ。
結果、エッチさへの耐性を失ったユウキの街での活動時間は一日ごとに短くなっていった。ユウキは部屋で寝込みがちになっていった。
夜の夢の内容も、急速に悪化していった。
夢の中によく出てくる塔……森の奥に聳えるあの古びた塔……それは邪神の軍勢の絶え間ない攻撃に晒されていた。
だがその軍勢を押し返す力はもはや塔には残されていなかった。
塔のエネルギー源は急激に枯渇し、敵の攻撃がなくともやがて自然に枯死し倒壊するように思われた。
そして朝に冷や汗と共にユウキは目覚めた。
寝て起きるごとに、自分の肉体から生命力が失われていくのをユウキは感じていた。
まるで夢の中の塔と自分の肉体はリンクしており、一方の崩壊が他方の死を招く……そんなシステムになっているかのようだ。
事実……ユウキは今まさに死につつあった。
今朝、心配する妹を学校に送り出したあと、ふと洗面所の鏡を見た。ユウキの肌は荒れ、目は落ち窪んでおり、一晩で百年も老け込んだように見えた。
「まじかよ……」
立っているのが難しかったのでソファに倒れ込んだ。
Apple Watchから絶え間なく異常心拍の警告が通知されてきた。そんな中、途切れ途切れに気を失いながら、いつもの悪夢を見た。
夢の中で完全にエネルギーを失った塔が敵の攻撃にさらされながら自壊を始めていた。
塔から瓦礫が剥がれ落ちるたびに、塔とリンクしているユウキの生命維持システムが内側から崩壊していくのが感じられる。
各種の内臓の痛みで目が覚めた。
「だめだこりゃ。今日中にでも死ぬんじゃないか、オレ……」
刻一刻と視界が真っ暗になっていく。
病院に行く……救急車を呼ぶ……などという常識的な対応も考えられたが、現代医学では今のオレを救うことはできない気がした。
そうだ……病室で死ぬより、せめて前向きな気持ちで死のう。
「…………」
ユウキは重い体を引きずって家を出てバスに乗った。
駅前に向かうバス車内で何度も気を失ったが、車内ではなんとか絶命を免れた。
駅前に停まったバスから転げ出るように外に出ると、なんとかいつもの定位置……駅前広場のベンチにたどり着いた。
腰を下ろした瞬間、ユウキは駅前の喧騒の中でまた気を失い、いつもの夢を見た。
*
崩壊する塔の中で、二人の魔術師が、ところどころ足場の崩れた螺旋階段を登りながら会話していた。
「ユウキ君から魂力の供給が完全に途絶えたよ。このままでは僕らはおしまいだよ」
そう早口で呟く少年……シオンのローブは外での戦闘の影響か煤まみれになっており、髪の毛先も焦げている。
その隣を歩く美貌の魔術師ラゾナは戦闘能力を持っておらず、防衛戦に参加していない。そのためか彼女の赤いローブは比較的小綺麗に保たれている。
「そのようね。だけど『最後の手段』があるんでしょう?」
「うん。でも多分失敗するよ。さっきのミーティングで全員に通達した通り、今日死ぬことを覚悟しておいてほしい。さあ塔の最上階、第七クリスタルチェンバーについたよ……」
シオンは薄暗い部屋の真ん中にある祭壇の椅子へとラゾナを導いた。
そしてラゾナの手にクリスタルを握らせると、ストレスによってひび割れた声で呪文を唱えた。
「今、この塔に残る全魔力を捧げるから……次元の扉よ、僕の世界とユウキ君の世界を繋げてくれ!」
しかし第七クリスタルチェンバーは依然として暗闇に包まれており、次元の扉が開く様子はない。
「何も起こらないわね。扉を開くには魔力がぜんぜん足りてないのよ」
「ううん。これでいいんだ。開いたよ、次元の扉が」
「どこに?」
「ラゾナ君、目を閉じて。心の内側に意識を集中するんだ」
「え、ええ……こうかしら」
美貌の魔術師は長いまつ毛を伏せた。シオンはラゾナの耳元に語りかけた。
「そのまま心の奥に意識を送り込んで……そうすれば見えるはずだよ。次元の扉が」
「み、見えたわ! 私の心の奥に……青白い光を発している扉が……」
「そこをくぐり抜けてほしい。黒ローブの僕の意識はこの地に縛り付けられている。だけど赤ローブのラゾナ君なら意識だけを上の世界に送り届けることができるはずだよ」
ラゾナは小さくうなずくと、自らの心の奥で輝く次元の扉、その奥へと自らの意識を送り込んだ。
瞬間、ラゾナの意識は半ばこの世界から離れ、ユウキの世界に瞬時に送り届けられた。そしてその地に生きる何者かの肉体へと、ラゾナの意識は一時的に定着した。
一方、闇の塔の第七クリスタルチェンバーで、シオンは目を丸くして叫んだ。
「信じられない。成功だよ! 次元魔術の真髄が教えるところによれば、ひとつの魂は多くの世界にその化身を持っているんだ。ラゾナ君はいま、その化身のひとつ……ユウキ君の世界に生きる自らのパラレルセルフにアクセスしているんだよ!」
祭壇で目を閉じるラゾナは途切れ途切れにつぶやいた。
「なるほど……そういうことね。でも接続率が低すぎるわ。向こうの世界で生きる別の私……パラレルセルフの人格の力も強すぎて、とても操れない。こちらから、ごくぼんやりとあちらの世界を認識できるだけよ」
「わかってる。次元の扉も魔力切れですぐに閉じるよ。その前に、ここ数日の僕らの研究で見つけた、ユウキ君の肉体を癒すための情報を、向こうのパラレルセルフの脳に焼き付けるんだ!」
「わかったわ……」
ラゾナは片手で次元のクリスタルをぎゅっと握りしめ、もう片方の手で印を組むと呪文を唱えた。
「いま、こちらの私の脳から、あちらの世界の私の脳へと情報のパッケージを伝達するわ……向こうの私よ……どうかこれを受け取って」
「いいよ! うまくできてる! さあ次の作業に移って! 次はあっちで生きてるユウキ君を見つけて、ラゾナ君のパラレルセルフとその波動を強固に結びつけるんだ! いわば運命の糸で二人を一つにするんだ!」
「わかったわ……」
ラゾナはさらに呪文を唱えた。
「あちらの世界の私よ……ユウキが発する微弱なバイブレーションを探って……そしてこの波動の持ち主へとなんとかして接近して、何がなんでも交流を持ってちょうだい!」
「よし、最後の作業だよ。この次元魔法が最大効率で働くようにタイムラインを適切に操作するんだ!」
「わかったわ……」
ラゾナは自らのパラレルセルフから離れて向こうの世界を俯瞰する位置に自らの意識を置いた。そして時空をわずかに超越したその場から、ここ数日、シオンから学んでいた高位の次元魔法を発動した。そして向こうとこちらの時間のずれを適切に調整し、意味のある偶然の一致……シンクロニシティが最大限に生じるように諸々をセッティングした。
その作業が終わった直後に、ラゾナの心に開いた次元の扉は閉じた。
魔力が完全に枯渇した闇の塔、その第七クリスタルチェンバーの天井からパラパラと埃が降り始めた。
「ふふっ。崩壊が始まったね」シオンは床に大の字に寝転がった。
「私は次は何をしたらいいのかしら」ラゾナは優雅な所作で次元のクリスタルを祭壇に戻した。
「もうやることはないよ。今の次元魔術がうまく作用して、あちらの世界に生きるラゾナ君のパラレルセルフがユウキ君と出会うことを祈るだけさ」
「うまくいくかしら……」
「ふふっ、無理だろうね。仮に二人が出逢えたところで、しょせんは初対面の見知らぬ者同士さ」
「それもそうね……」
「もちろん、さっきの次元魔法の効果により、ラゾナ君のパラレルセルフはユウキ君に近づきたい、そして彼を癒したいという謎の衝動を感じるかもしれない。だとしても実際に癒しの技を施せる距離まで二人が接近できる可能性は限りなくゼロに近いだろうね」
ラゾナはもう繋がることのできない異世界を想うように目を閉じた。
*
ユウキが駅前広場のベンチで目を開けた。
「なんだ今の訳のわからない夢は……」
死にかけると人間、やけにディテールが細かいファンタジックな夢を見るものだとでもいうのか。
それにしてもあのラゾナとかいう女……美人だったな。
大人の女性の魅力を強く感じた。
魔術師のローブとやらに身を包んでいたが、体のラインから滲み出る色気が全く軽減されるどころかむしろ強くブーストされている。
もしあんな強烈な魅力を持ったヤツが目の前にいたら、ただでさえ死にかけているオレは一秒も持たず絶命するだろう。
「まあどのみちここで死ぬみたいだがな……」
心拍の間隔が長くなっていき、視界がどんどん暗くなっていき、さらに非科学的な話ではあるが、自分の体から生命力が抜けていくのが感じられた。
ユウキは目を閉じ、己の生命力の量を感じ取ろうとした。するとなんとなくだが残存生命力は五パーセントぐらいであるとわかった。しかもそれは一分に一パーセント、現在進行形で減りつつある。
つまり後五分でオレは絶命するらしい。
この駅前広場の雑踏の中で……。
まあここで死ねば片付けも楽だろうから、家で死ぬより悪くないかもしれない。
だがせめてこの世界でナンパしてみたかった。
もう足腰も立たないが残り五分でなんとかナンパできないものか?
ユウキは霞む目を全身全霊の力を使って開け、声の届く範囲にナンパ対象がいないか走査した。
「くっ……ダメだ……」
声の届く範囲にいるのは、制服を着た中学生ぐらいの子供だけだ。
完全にナンパ対象外である。
だが……その中学生は駅前広場の雑踏の中で足を止め、ベンチにへたり込むオレをじっと見つめている。
そんなに死にそうに見えるのだろうか。
まあしばらくすれば興味を失って去るだろう。
「…………」
しかし中学生はなかなか去っていかなかった。
「…………」
目が合ってしまう。
これが高校生の妹と同年齢ぐらいであれば、オレは彼女から受ける刺激によって絶命していただろう。
だが中学生であれば大丈夫だ。ありがたいことになんの刺激も感じない。
いや、もちろん、見知らぬ他人と見つめ合う気まずさは感じるが……。
「…………」
それにしても長い。
どうしてこの中学生はこんなにも長くオレを見つめているんだ……。
まさか知り合いだったか?
実際……なんとなくどこかで会ったことがある気がする。
だが冷静に考えてそんなことはない。この世界でオレが知っている人間と言えば実家の家族ぐらいのものだ。
しかし……それにしても……目の前の中学生が発している雰囲気に強い懐かしさを感じる。
思わず声をかけてしまいそうだ。
だがそれはあまり良くない。
間も無く絶命する男が話しかけたらトラウマを与えてしまうかもしれない。
「…………」
ユウキはぐっと口を閉じた。
それなのに中学生はユウキの目の前に立ったまま動かない。
ユウキは最終的に、ここ数週間の現世の特訓で身につけた『親切さ』を発動した。
「……座るか? ここ」
ユウキは円形ベンチの隣……ほどほどのスペースを空けた場所を指さした。
「そうね……ありがとう」
中学生はスカートを押さえてそこに腰を下ろした。
ユウキはさりげなく腰をずらして中学生から距離を取ると、絶命の準備をした。
結局、最後までこの世界でナンパはできなかった。だが最後の親切で、ごくわずかではあるがほっこりした気持ちになることができた。
しかしもう死のカウントダウンが始まっている。
ユウキは生命力が限界を超えて流出していくのを感じながら目を閉じた。
その瞼の裏、いつも見る夢の中でも、例の塔が崩壊を始めていた。
先ほどの中学生への親切行為によってわずかに生まれた暖かなエネルギーが塔に流れ込むのを感じたが、塔の崩壊を防ぐには焼け石に水であった。
この塔……おそらくはユウキの命とリンクしていると思われる塔を崩壊から救うには、現実空間において、もっと強力にユウキを高揚させる行為……つまりナンパをする必要があるのは明白だった。
だがすでにナンパするだけの力はユウキに残されていなかった。もう瞼を開けるだけの力もなかった。
こんなことならさっき無理にでも中学生をナンパしておくんだった……。
い、いや……そ、そうか……!
むしろ中学生だからこそナンパすべきだったんだ!
死にかけたユウキの脳裏に天啓が閃いた。
なぜならオレは中学生相手には性的な興奮を感じない。ということは中学生が相手であれば肉体の拒絶反応に苦しめられることなくナンパでき、それによってオレは精神エネルギーを得ることができ、それによって夢の中の塔を崩壊から救い、結果としてこの肉体の死を遠ざけることができる!
だがとにかくもう死はすぐそこに迫っており、一度閉じたこの瞼を開ける力も、口を開ける力も残っていない。
まだベンチの隣に中学生は座っていると思われるが、彼女に何かを話しかける力はまったく残っていない。
オレはもう完全に身動きが取れない。
すぐそこに助かる手段が残されているというのに、判断ミスによってオレはその蜘蛛の糸を手放してしまったのだ!
うわー!
ダメだ!
もう死んでしまう!
ただほんの少し目と口を開けて隣の中学生に声をかけるだけで助かるというのに!
その僅かな力さえ今のオレには残されていないんだ!
ただちょっとナンパするだけで命が助かるというのに! ナンパする力が今のオレにはもうこれっぽっちも残されていないんだ!
いやだー!
死にたくない!
しかし脈拍がどんどん弱まっていく。
ユウキは自らの判断ミスを悔いながら絶望と共に死の淵へと沈んでいった。
だがそのときだった。
「あの……」
ベンチの隣に座る中学生が話しかけてきた。
「…………」
「変な話だけど……すごく気になるんです」
「…………」
「私……ただの通りすがりの中学生なんですけど……どうしてもあなたのことが気になって……」
「…………」
「迷惑だと思いますけど話しかけちゃいました」
耳元に囁かれるその声によってドクンと力強くユウキの心臓が脈打った。
その鼓動によって僅かながら生命力がユウキに付与された。
ユウキは全気力を使って目を開けて中学生を見た。
やはりどことなく見覚えがあるような懐かしい雰囲気を発している。少女は頬を赤く染めてユウキを見つめると言った。
「つまり……あなたのこと……ナンパしてるみたいですね、私」
「な、ナンパだと……!?」
少女はうなずいた。
その被ナンパ行為により、ユウキにどくどくと音を立てて大量の魂力が流れ込み始めた。
それはさらに向こうの世界の闇の塔に流れ込んでゆき、それによって崩壊が食い止められた闇の塔からユウキへと生命力が還流してきた。
「まじかよ……助かったぜ……」
見知らぬ中学生の逆ナンパ行為により息を吹き返したユウキは、とりあえず深呼吸を発動して次の展開に備えた。
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