第61話 濃縮一万倍
VIP席のゴルゲゴラはユウキに向かって叫んだ。
「さあ、早く催淫剤を飲め! そうしたら命だけは助けてやるぜ!」
ネクロマンサーの隣に立つエクシーラも叫んだ。
「ダメよ、飲まないで! あなたがその催淫剤を飲んだら、ゴズムズ教の権威は地に落ち、アーケロンに戦乱が巻き起こってしまうわ!」
その他、観客席、VIP席、祭壇上の面々が口々に勝手なことをわめき始めた。
「人権を守れ! 野蛮なオークはソーラルから出ていけ!」
「ふっ、ふっ……あとで絶対、叩いて殺す!」
「ふひひひひひひ……姫騎士ちゃん……おじさんたちといっぱい楽しいことしようね」
意識を朦朧とさせるその喧騒の中でユウキは情報を整理した。
意思決定の際は、メリットとデメリットを対比させることが大事だ。
Amazonの本読み放題サービスKindle Unlimitedで先日読んだ自己啓発書にそう書いてあった。
そのメソッドに基づき、ユウキはさっそく今の自分に突きつけられている選択肢を分析した。
まずはオークの催淫薬を飲むことのメリットを考える。それはもちろん命が助かるということである。
だが何事も、メリットの影にはデメリットがある。
催淫薬を飲んだユウキは観衆の前で発情し、おそらく異常行動を始め、その上でオーク百人に蹂躙されるだろう。
またその結果として、ゴズムズ教の権威は地に落ち、オーク尊王派が活気付き、結果としてハイドラと大オーク帝国の戦争が始まってしまう。
「…………」
凄まじい巨大なデメリットである。
ユウキは恐る恐るエルフに聞いた。
「なあ、エクシーラ……戦争が始まったらどのぐらいの被害が出るんだ?」
「冒険者ギルドの試算によれば、第二次アーケロン大戦が起これば少なくとも数百万人が命を落とすわ」
「ま、まじかよ」
「しかも数百万人というのは、あくまで戦争で亡くなる人の数よ」
「それ以外でも人が死ぬってのか?」
「ええ……戦争が起これば邪神とその眷属の復活が加速し、それによって最終的には全人類が……」
「つまりオレがこの催淫剤を飲めば、全人類が破滅するってことか?」
「ええ、その通りよ。だから薬を飲むのはやめて!」
「で、でも飲まなきゃオレが殺されるぞ!」
「冒険者ギルドはあなたの貢献に深く感謝します」
「感謝だけで死ねるか!」
「永世名誉冒険者として表彰します。ご遺族には年金も出します!」
「名誉より金より命だろ!」
「だ、だったら私が今後五百年、毎日あなたのお墓に花を持っていってあげ……きゃっ」
愚にもつかないことを語るエクシーラを、ゾンゲイルがドンと押して叫んだ。
「ユウキ!」
「な、なんだ!」
「迷わないで飲んで! その薬!」
さすがゾンゲイル、オレの人命を優先してくれる。
ユウキはサイドテーブルに手を伸ばした。
だが……。
この薬を飲んだら最後、オレは公衆の面前で異常行動をした挙句、オーク百人に慰み者にされるのである。
「う……」
催淫剤の杯に伸びるユウキの手が硬直した。
そのときだった。再度ゾンゲイルの声がユウキに届いた。
「怖くても……きっと平気!」
それは今夜の星歌亭で披露するはずだった曲のタイトルだ。
「…………!」
瞬間、何度も何度も繰り返し歌い練り上げた曲の全貌がユウキの胸の内に甦った。
その曲はリスナーに伝えようとしていた。
初体験は怖いけど、きっと平気だということを……。
自らが練り上げたそのメッセージが今、ユウキを強く鼓舞した。
「そ、そうだ……オレはこの薬を飲んだらもう二度と後戻りできない未知の体験の中に投げ入れられてしまう……でも平気なんだ、きっと……!」
ユウキを覆っていた異常ステータス『恐慌』が音を立てて霧散した。そして初体験への挑戦の意思が湧き上がってきた。
「そ、そうだ……よく考えたら……催淫薬を飲んだって、それで姫騎士の権威が地に落ちるって決まったわけじゃないんだ。初代姫騎士がそうしたように、オレも催淫剤に抵抗すればいいんだ!」
ゾンゲイルはVIP席から身を乗り出して叫んだ。
「そうよ! ユウキなら何にだって勝てる!」
闇の塔の他のメンバーもVIP席からユウキを鼓舞した。
「僕は信じてるよ、ユウキ君が催淫剤に打ち勝つことを! 闇の塔の底力を見せてやろうよ!」
「お、おお、シオン!」
「私の暗黒をいつもあんな上手に引き出してくれるユウキさんなら……催淫剤ごとき乗りこなせるに決まってます!」
「ああ、アトーレ。オレは頑張るぜ!」
「おらも応援するだ! 薬ごときに負けるユウキさんではねえだぞ!」
「わかった、見ててくれラチネッタ!」
ユウキに死んで欲しそうだったエクシーラも、雰囲気に流されたのか重々しくうなずいた。
「わかったわ……世界の運命……あなたに預けます」
「ああ……任せとけ!」
ユウキは闇の塔のメンバーとエクシーラにうなずき返した。
そして……ベッドのサイドテーブルに置かれた杯に、再度手を伸ばす。
ゴルゲゴラの哄笑が響いた。
「クハハハハハハ、いいぞ、飲め!」
「ああ、飲んでやる! だがお前の思い通りにいくと思うなよ!」
今、ユウキの脳裏で目まぐるしくスキル『戦略』が働いていた。
ただ飲んでひたすら性欲を我慢するだけではない。
そう……オレには戦略があるのだ。
まず先ほど気づいたことだが、客席の中程に赤ローブの魔術師、ラゾナの姿があった。オレの危機を知って店から駆けつけてくれたのだろう。
ゴルゲゴラに気付かれぬようチラリとラゾナを見ると、彼女もユウキに気づいたようで小さく手を振ってくれた。
その手にはガラスの小瓶が握られている。あれはきっと催淫剤の解毒剤だ。先日二人で研究開発したものが実を結んだのだ。
そうだ……あの解毒剤を飲むことさえできればオレは助かり戦争も回避できるはずだ。
だが観客席のラゾナから受け取るには、どうにかして祭壇を包むバリアを破る必要がある。
しかしこの強固なバリアは伝説の深宇宙ドラゴンでもなければ破ることができないらしい。
「となればあいつに頼むしかないな……」
ユウキはゆっくりと催淫剤の杯に手を伸ばして間を持たせながら、片手でiPhoneを操作しVIP席のゾンゲイルに密かに通話した。
「ゾンゲイル、頼みがあるんだが……星歌亭に量産ボディはいるか?」
「ええ。何体か待機してる」
「よし。量産ボディを遠隔操作して、星歌亭の納屋にいる少女、ルフローンをこの祭壇に連れてきてくれ」
「ルフローン?」
「ああ……納屋の奥で寝てるはずだ。そいつは深宇宙ドラゴンの化身……」
だがそのときゴルゲゴラが強く命じた。
「何をノロノロしてる。早く飲みやがれ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「もうお客さんは待ちくたびれているぜ。これ以上時間稼ぎをするならオークに無理矢理飲ませるぜ」
「わ、わかった」
これ以上の通話は無理なようだ。ユウキはiPhoneをポケットにしまうとゾンゲイルを見た。
ゾンゲイルはうなずくと目を閉じた。おそらく量産ボディの遠隔操作を始めたのだろう。
これでやれることはすべてやった。
あとはもう……。
「頑張るだけだ。全力で頑張ってやる」
ユウキは催淫剤の杯を手に取った。
「クハハハハハ、オークの催淫剤にレジストするつもりか? お前にそんなことができるとでも?」
「で、できらあ!」
ユウキは杯に口をつけると一気にオークの催淫剤を飲み干した。
「ぷはあ……」
そして手の甲で口を拭い、ターンと音を立てて杯をサイドテーブルに置いた。
どくん、どくん……。
自分の心臓の鼓動を感じる。
もうすぐ薬が効いてくる。
オークの催淫薬は強力だ。
でも勝機がないわけじゃない、なぜならすでにオレは一度この薬を飲んだことがあるからだ。
一度目はあまりに強い効果に完全に飲まれ、一生で一番恥ずかしいことをしてしまった。
だが二度目の今なら、きっとあの強烈な催淫効果にも抵抗できる。
だからどうか持ち堪えてくれ……オレの理性よ……!
ユウキはそう祈りながらスキル『深呼吸』と『順応』を発動して薬の効果が現れるのに備えた。
「すー、はー。すー、はー。見せてやる……オレの底力をな!」
「クハハハハハハ……面白い、せいぜい頑張って一万倍濃縮の催淫剤に抵抗するといいぜ」
「は? ……今なんて言った? 一万倍濃縮?」
「クハハハハ、そうだぜ! 一万倍濃縮だ!」
「それって……どういう?」
「オリジナルレシピが誕生したのは五百年も前のことだが、その後の技術革新によって、催淫効果だけを一万倍に高めることに成功したんだぜ! すまんすまん、言うのを忘れていたぜ」
「も、もうダメだ……」
どくん、どくんと脈打つ鼓動と共にユウキの体内にマグマのごとき熱いものが込み上げ始めた。
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