第62話 無限力

 オークの催淫剤が効いてくるまで、まだ数分の猶予があった。


「クハハハハ……それでは今のうちに放送の準備をするぜ。『遠見のクリスタル』起動!」

 

 ゴルゲゴラはノームの技術者から奪ったマスター石板を操作した。


 瞬間、祭壇の床にあまた埋め込まれていた小さなクリスタルが光を放った。


 そのアーティファクトの機能によって、百人のオークに取り囲まれたユウキの立体映像がアーケロン中の石板に配信された。


 次第に荒くなっていくユウキの呼吸音までもがハイファイな音質で世界の皆様にお届けされていた。


 今宵、草原のエルフが、猫人郷の猫人間たちが、そしてハイドラ国民と大オーク帝国の武者たちが、唐突に始まった儀式の生中継に釘付けになった。


 ゴルゲゴラはマスター石板に語りかけた。


「クハハハハハハ! 世知辛いアーケロンに生きる皆さんこんばんは。俺様は儀式の司会進行を務めるネクロマンサー・ゴルゲゴラ、ここはソーラル中央広場の祭壇だぜ。これから皆さんにリアルな姫騎士即位の儀を生放送でお届けするぜ。姫騎士はちょうど今、本物の『オークの催淫剤』を飲んだところだぜ!」


 アーケロン全土で驚きの声を上げる数百万人の視聴者に向けてゴルゲゴラは語りかけた。


「さあ儀式のルールを説明するぜ。今、姫騎士を百人のオークが取り囲んでいるが、オークたちは決して自分から姫騎士に手を触れるということはしないぜ! 姫騎士が自ら望まなければオークたちは決して淫らな行為はしないぜ! それがこの儀式のルールなんだぜ! 姫騎士が催淫剤への抵抗に成功するか、それとも薬に負けてオークに蹂躙され性的に消費されることを自ら望むか、それによって姫騎士とオークの勝ち負けが決まるんだぜ!」


 マスター石板にそう叫ぶゴルゲゴラの横からエクシーラがわめいた。


「卑怯よ! オリジナルの一万倍の効果を持つ催淫薬に人間が抵抗できるわけがないわ!」


「クハハハハハハ! 語るに落ちるとはこのことだな! ゴズムズ教の根本教義の一つに『ゴズムズの奇跡は無限力』というものがあるはずだぜ!」


「そ、そうなの?」エクシーラは隣に座る本物の姫騎士、ココネルに聞いた。


 作業服姿のココネルは他人事のようにうなずいた。


「ん。もちろん」


「クハハハハ! つまり一万倍なんていう数字の上での大小は、ゴズムズの無限力の前ではなんの意味も持たないってことだぜ。もしゴズムズの力が本物なら、姫騎士は難なく濃度一万倍の催淫剤に抵抗できるはずだぜ!」


「無茶言わないで! 常識的に考えて!」


「いいや、教義には責任を取るべきだぜ。無限の力があると主張するなら、実際にその力をデモンストレーションすべきだぜ。オークだって命をかけてるんだぜ」


「どこがよ? ただ薬で弱った女の子を集団でいたぶろうとしているだけじゃない。下劣よ!」


「いいや……あいつらはここで姫騎士を犯せないと爆発して死ぬ運命なんだぜ。五百年という時間の中で悪霊が溜め込んできた性欲が逆流し、依代である儀仗衛兵隊の肉体ごとすべてが吹き飛ぶんだぜ」


「し、信じられない……なんてひどい……儀仗衛兵隊は悪霊に取り憑かれただけでなんの罪もないというのに」


「いいや、いかに俺様の死霊術の力が強かろうとも、完全に無垢なる存在に悪霊を取り憑かせることなどできないぜ。衛兵隊も無意識下で悪霊と同等の欲望を抱いていたんだぜ」


「そ、そんな……だとしたら、やっぱりオークは汚らわしい存在だということなの……? ゴズムズ教に教化されて以来、ずいぶん文明的になったと思っていたのに」


「クハハハハハハ。しょせんオークはオーク、悪知恵の効く獣に等しい存在なんだぜ。エルフだってオークには手を焼いてきただろ?」


「ええ……私が若いころはよくオークに村を襲われたものですが……い、いいえ!」


 エクシーラは自分の発言がマスター石板を通して全国放映されていることに気付いたのか、急遽、政治的に正しい発言を始めた。


「オークも人間も、あらゆる種族は友達です! 差別意識に捕われてはいけません! ゴズムズの威光の元に皆は手を取り合って平和に生きるべきなのです!」


「そのゴズムズの威光とやらが今、失墜しそうになってるぜ! クハハハハハ、見ろよ!」


「はあ、はあ、はあ……」


 祭壇上のユウキは膝に手を当てて荒い息を吐いていた。


 ダメだ。もう立っていられない。崩れ落ちるようにベッドに腰を下ろす。


 その自らの仕草がセクシーに感じられ興奮度が急上昇していく。


「や、やばいぞ……」


「さあここで姫騎士の性的興奮度をチェックしてみるぜ」


 VIP席のゴルゲゴラがマスター石板を操作した。


 すると『遠見のクリスタル』によって観測されたユウキのバイタルサインが謎のロジックによって『性的興奮値』に変換され、立体映像にオーバーレイされた。


「おおっと、これはこれは……『オークの催淫薬』が本格的に効き始める前だというのに、すでに興奮値は五千を超えているぜ!」


「五千? それってどの程度の数値だというの? 教えなさい!」エクシーラが凄みを効かせた。


「そんなに怒鳴らなくても解説するぜ。通常の人間が性的行動を始めようとする数値が千だ。数値が一万を超えると、もはや通常の人間では理性の抑えが効かなくなり、どんな社会的状況であろうとも性的行動を始め出すと言われているぜ。つまり興奮値の限界は一万と考えていいだろう」


「そ、そんな、もう限界の半分まで数値が上がっているというの……ユウキ、堪えて!」


 だがVIP席からのエクシーラの声はユウキの耳を素通りした。スキル『集中』と『深呼吸』を発動し、神経の昂りを抑えることに全力を注いでいるためである。


 しかし……。


「はあ……はあ……」ユウキの顎から汗が滴り落ちる。


「ユウキ殿……すごい汗である」


 ユウキと共に祭壇上で晒し者にされている暗黒戦士の双子が、汗を拭こうとして近づいてきた。ユウキはその手を振り払った。


「さっ、触るなよ!」


「なんでであるか?」


「おっ、お前らの存在自体がエロいんだよ! オレを刺激するな!」


「なっ、何を言っているのであるか。怪我だらけの我らにいかなる魅力もあるものではない。少しでもユウキ殿の役に立ちたいのだ」


 長年、暗黒戦士としてガサツに暮らしてきたため、自らの性的魅力に無頓着なのであろう。


 双子は無用な積極性を発揮し、ベッドのユウキの左右に腰を下ろすと、手術室の助手のようにシーツでユウキの汗を拭ったり、背中をさすったりした。


 これによりユウキの興奮値は千ポイント上昇した。


「クハハハハハ! ここでなんと味方のはずの従者から、姫騎士への手痛い攻撃だ! 無能な働き者ほど厄介なものはないという古くからの諺が実証された形になるぜ!」


 本当に、体に触れるのはやめてほしい。


 だが双子らと口論して気を散らすよりも『深呼吸』に集中することをユウキは選んだ。


 いつ薬が本格的に効き始めるかもわからない。それまでにできるだけ精神を安定させるんだ。


「すー、はー……すー、はー」


 すると……。


「な、何だと?」ゴルゲゴラが驚きの声を発した。


「一時は六千まで上がった興奮値が五千まで低下……さらに四千まで低下だと? ……あいつめ、どんな技を使っているんだ?」


 闇の塔の関係者が立ち上がって声援を送った。


「頑張って、ユウキ君!」


「男の意地を見せるだよ!」


「ユウキさん! 私たちが見守っています!」


 だがアトーレのその応援によって興奮値が五百ほどアップした。


 自分の恥ずかしいところを見られてしまう……そのような想像により全身がカッと熱くなったためである。


 や、やばい……。


 ユウキの意識が興奮に飲み込まれる。


 それと共についにオークの催淫薬が効き始めた。


「……うううううっ!」


 大津波のごとき性的興奮がユウキを襲う。ラゾナ宅での催淫体験のまさに一万倍の勢いで性的欲望が高まっていく。その強度はもはや宇宙レベルである。


「ふひひひひひ……とうとう薬が効き始めたみたいだね。頑張れ頑張れ、姫騎士ちゃん! おじさんたちはみんなで君の頑張りを応援してるからね。でももう我慢ができなくなったら、おじさんたちにお願いするんだよ。『もう我慢できません。どうか私にエッチなことしてください』って」


「うえええ……」


 強烈な嫌悪感に吐き気がする。


 だがそれ以上のゾクゾク感がユウキの背筋に鳥肌を立てていく。気持ちの悪いオークの視線がユウキの肌を舐め回す。それにより興奮値が倍々に跳ね上がっていく。


「クハハハハハハ……ついに興奮値は一万を突破……五万……十万……百万……千万……おいおい、大丈夫かよ」


 ベッドの上で双子に介抱されながらビクビクと痙攣を始めたユウキに、ゴルゲゴラは心配そうな視線を向けた。


「あなたのせいでしょ!」エクシーラがわなわなと拳を振るわせた。


「あいつ、このまま気が狂って死ぬんじゃないか。おい、姫騎士! 早くオークに助けを求めてスッキリしやがれ! その方が身のためだぜ!」


「ふひひひひひ……姫騎士ちゃん、こっちを見てごらん……ほら、おじさんたちはもう準備ができているからね。おじさんたちのこのたくましい体で姫騎士ちゃんをたくさん満足させてあげるからね……」


 そのオークの気持ちの悪い声がユウキの全身を貫き熱くさせる。


 だっ、ダメだ……もう我慢できない……。


 これ以上我慢したら頭がおかしくなる……!

 


 幾何級数的に増幅する興奮値はついに一億を突破した。ユウキの脳神経が興奮によってバチバチとスパークし、全身の自律神経が性的興奮によって発火し、発汗と発熱によってユウキの体は内と外からどろどろに溶けていくかに感じられた。


「ユウキ殿……しっかりするのだ!」


 涎を垂らし白目を剥き始めたユウキの背を半裸の双子がさすった。瞬間、これまでに生を受けて一度も感じたことのない恐るべき快感がユウキの全身を貫いた。ユウキは失禁した。


「あ、うあああああ……見ないで……見ないで……」


 だがオークの百対の瞳とソーラル市民の千の視線とアーケロンに生ける全種族の数百万の意識がユウキの失禁に向けられている。


 溶け出るように流れ出る熱い液体とともに守るべき社会規範がユウキの脳から流れ落ちていく。


 そうそう……確か何か守らねばいけないものがあった気がする……なんだったっけ?


 もうよくわからない。


「あは……あははははは……」


 一呼吸ごとに強くなるこの快楽を強めること以外に大事なことはもはやユウキの世界には存在していなかった。


 そう、快楽……。


 もっと、もっと……。


 ユウキは快楽を求めるために完全に裏返っていた目を戻し、わずかに外界を認識した。


 ユウキの目に逞しく鍛え上げられた百人のオークの肉体が飛び込んできた。


 その男たちの視線は自分の肉体に向けられており自分に強い欲望を抱いてくれている。


「あ、ああ……嬉しい……!」


 ユウキは熱い吐息とともに胸のときめきを吐き出した。


 今、男たちに向かって自分の肉体が開かれていくのを感じた。


 今、完全にユウキの肉体は百人のオークを受け入れる体勢になっていた。


 そしてユウキ自身、心からオークたちを求めていた。


 あとはその心と体の奥から湧き上がる欲求を口にして表現するだけでよかった。


 そうするだけであの逞しい男たちがオレを代わる代わる貪り尽くしてくれるはずだ。


 なんて幸せものなんだ、オレは……!


 よし、言うぞ……!


 お、オークさん!


 来て……!


 そしてオレを……。


 あんたたちのその立派な体で……。

 

 めちゃめちゃに貫いてくれ……!


 も、もう我慢できません……。


 どうかオレに……エッチなことをしてくれ!


「オークさん……」


 だがそのときだった。


 VIP席からの応援の声と観客席からのざわめきを貫いて、ココネルの声が耳に飛び込んでいた。


「ん。それもいい。外から与えられる快楽に溺れるのもいい。でも内なる無限の力。それをまずは使ってみて」


「む、無限の力だと?」


 ユウキは涙に濡れた目を姫騎士に向けた。


「そう。君の中にある無限の力。感じて」


「…………」


 ユウキは人間の限界を遥かに超えた快感に心と体を震わせながらもスキルを発動させた。


 それはいまや深い夢の中でも、どのような悪夢の中でさえも、自らを取り戻したいときには自動発動されるほどに熟練度が高まっていた。


 困った時はいつも頼りになるそのスキル……『深呼吸』が導く一瞬の安らぎの中で、ユウキは自らを助ける無限の力を探し求めた。


 濃度一万倍の催淫薬が作り出す一億ポイントの興奮をも超える無限の力を、自らの内に。


「…………」


 その求めに応じて人格テンプレートが自動的に『女教皇』に切り替わった。それにより何度も繰り返し打ち寄せるオーガズムの波に揉まれながらもユウキの直感力はブーストされ、宇宙との接続率が平時の四百パーセントを超えた。


 ここに至りユウキは自分を最大最高最善に貫く究極の快感の源を自らの内に見出した。それは百体のオークよりも大きく絶対的な、抗いようのない逞しき原初の力だった。


 フルトランス状態に陥ったユウキの口から祈りの声が流れ出る。


「神よ……大宇宙に偏在する神よ……」


 目を裏返し涎を流しながら神への祈りを捧げるユウキに今、誰の目にも明らかな神性が宿りつつあった。


「…………」


 客席の市民は、そしてアーケロンの全種族は今、固唾を飲んで彼女の口をついて出る祈りの言葉に耳を傾けた。


 それはやがてゴゾムズのマントラへと変化していった。


「偉大なるゴゾムズは全知全能なり……無限なるゴゾムズは万物なり……ゆえに我は全知全能のゴゾムズなり……」


 そしてユウキは深く息を吸い、吐いた。


 目を開ける。


 その瞳には、理性の光が灯っていた。


 ゴルゲゴラは怯えを見せた。


「ばっ、馬鹿な……興奮値が一億を超えているのに、理性を取り戻しやがっただと? な、なんなんだあの光は……まさか肉眼で確認できるほどのゴゾムズ放射だとでもいうのか?」


 美しき光の放射が祭壇から客席へと、そしてアーケロン全土へと広がっていく。


 その光の中心でユウキは次なる一手を探し求めてスキル『戦略』を発動した。


 なんとか神の力で、催淫剤のファーストラッシュは乗り切った。だがその効果は抜けたわけではない。


 いまだ体は爆発的な性欲によって支配されているのだ。


「と、とりあえずシーツで床を拭いてくれ。こんなこと頼んで悪いが……」


 先ほど少し漏らしてしまった後始末を双子に頼みつつ、今、始まったばかりのこの戦いを最後まで戦い抜くための戦略を、ユウキは必死で組み立て続けた。

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