第60話 決行
『本物のオークの催淫薬を姫騎士に飲ませる』というゴルゲゴラの発表により、観客席はざわめきに包まれた。
「な、なんだと……」
「信じられないわ……」
確かに五百年前、初代姫騎士がオークに強制されて本物の催淫薬を飲んだという史実がある。だがそれは人権意識の欠如した剣と魔法の時代の話である。
ゴズムズ神の威光の下でオークと人間が平和を受け入れて久しい現代、そのような野蛮なことはとても市民に受け入れられるものではない。
黒装束集団とゴーレムによって制圧されているというのに、客席から非難の声が上がる。
「やめろ! ハイドラの象徴たる乙女に、そんなことが許されるわけがない!」
「邪悪なネクロマンサーめ。なんていう非道な計画を!」
「最低だな。人間の考えることじゃない。死ね!」
ユウキ的にも百パーセント無理だった。
「こんな衆人環境の中で『オークの催淫薬』を飲むだと……? 馬鹿か。そんなことやってられるかよ」
姫騎士の影武者としてこの状況に付き合ってきたが、もうそろそろ限界だ。
「おーい、あんた。ゴルゲゴラだっけか」
ユウキは祭壇のベッドからネクロマンサーに呼びかけた。
「クハハハハ。俺様に泣きついたって無駄だぜ。神の子を自称してるあんたに人権はないんだ。神の子なら堂々と催淫薬を飲んで、その力を証明してみやがれ!」
「いや、そういうことじゃなくてな……実はオレ……影武者なんだ」
「ん? なんだと? よく聞こえなかった」
ゴルゲゴラは最前列のVIP席から身を乗り出して耳に手を当てた。
ユウキはベッド上から大声で叫んだ。
「実はオレ、影武者なんだよ!」
「…………」
ゴルゲゴラは眉根を揉みながらユウキを見た。
「ク、クハハハハ……嘘を言うな。お前からは確かなゴズムズ放射が感じられるぜ……」
「今朝、本物の姫騎士に『ゴズムズの祝福』を授けてもらったんだ。そのせいだろ」
「バカな! そんな話、信じられるわけが……」
そのときだった。マントを翻してエルフが客席の通路を走り抜けてきたかと思うと、大きく跳躍してゴルゲゴラの隣に降り立った。
「本当よ! 諦めてお縄につきなさい、ネクロマンサー・ゴルゲゴラ!」
最強の冒険者、エクシーラが駆けつけてくれたのだ!
「ふう、やれやれ……」ユウキは安堵のため息をついた。
これで影武者の役から降りられそうだ。星歌亭での歌合戦もウヤムヤになったことだろう。万事順調である。
と、エクシーラは客席の一角を指さした。
「見なさい! そこに本物の姫騎士が来ているわ!」
エクシーラの指先の向こうに作業服姿の少女が座っていた。
「あの方こそがハイドラの姫騎士、ココネル様よ! 疑うのなら、彼女のゴズムズ値をチェックしてみなさい」
ゴルゲゴラは眉根を揉んでココネルを見た。
「な、なんだと……祭壇のそいつより百倍も高いゴズムズ値だと? ということは……本物はそっちで、こっちは偽物ということか?」
エクシーラは腰に手を当てて重々しくうなずいた。ユウキはスキル『暴言』を発動した。
「さっきからそう言ってるだろ。頭が悪いんじゃないのか。早くオレをここから出せよ」
「し、信じられん……この俺様が……こうも見事に騙されるとは……」
VIP席で、ゴルゲゴラはがっくりと項垂れた。
「策士策に溺れるとはこのことね。さあ、大人しくお縄につきなさい」
エクシーラは懐から何かのマジックアイテムと思われる縄を取り出した。
客席のココネルは左右を冒険者に守られながらVIP席まで降りてくると、祭壇のユウキに声をかけた。
「ご苦労。今のところいい感じ。君のおかげ」
「そうか……でもそうは言ってもおたくの国、かなりヤバい感じだぞ。暗黒戦士の偉い人……確かマスター・エアレーズだったか……そいつが裏切った」
「ん。聞いてる。暗黒評議会は全滅」
そのココネルの言葉を聞いて、VIP席のアトーレが立ち上がり素の口調でわめいた。
「そ、そんな! 何かの間違いです! 私の師匠であるマスター・エアレーズが裏切るだなんてあり得ません」
ユウキはとりあえずアトーレのショックを和らげるため、スキル『相槌』『受け取る』『流れに乗る』を発動した。
「ああ……確かに何かの間違いかもしれないな。まあとにかくこの場は解散して、あとでゆっくり話そう」
ここでさらにユウキはスキル『雰囲気作り』を発動した。
早急に『これにて一件落着』という雰囲気を生み出し、さっさとこのシチュエーションを終わらせるためである。
「ふう、とにかく、やれやれ……とんでもない大事になるかと思ったが、結果として人死も出ず……たぶん出てないよな?」
エクシーラはうなずいた。
「ええ……ソーラル迎賓館のガードには多くの怪我人が出ているけど、全員、一命は取り留めたそうよ」
「あー、よかったよかった」
「しかも大オーク帝国の尊皇派まで炙り出せそうよ」
「というと?」
「姫騎士に本物の催淫薬を飲ませることでゴズムズ教の権威を落とす……同時にオーク帝国尊王派によってハイドラ国境警備所に再襲撃をかける……それによってアーケロンを戦乱の渦に叩き込む……これがゴルゲゴラの計画だったのよ」
「いろいろわからないとことがあるんだが……ちょっと聞いていいか?」
「いいわよ」
「そもそも、なんで姫騎士が本物の催淫剤を飲むと、ゴズムズ教の権威が落ちるんだ?」
「…………」顔を赤くして黙るエクシーラの代わりに、VIP席のネクロマンサーが答えた。
「クハハハハ、決まってるだろ! 偉大なる初代姫騎士ならともかく、現代の甘やかされたお飾りの姫騎士が、本物の催淫剤を飲めばその効果に容易く屈するはずだぜ!」
ユウキはチラリとココネルを見て答えた。
「まあ……その可能性はあるかもな」
「クハハハハ……そうだろうそうだろう。そして哀れにも催淫剤に屈し、オーク百人に蹂躙されるゴズムズ教のシンボルを見たら、アーケロン大陸の皆はどう思うかな?」
「ゴズムズ教にはもはや昔年の力がない……皆はそう思う……そしてゴズムズ教の権威が地に落ちる……そういうことか?」
「その通りだぜ! しかもそのタイミングで、俺様の理念に共鳴しているオーク帝国尊王派がハイドラ国境警備所に襲撃をかける! するとどうなると思う?」
「ま、まさか……今までゴズムズ教への畏れによって押さえ込まれていたオークの心理的ブロックが外れ、尊皇派以外のオークまでもがハイドラ襲撃のために蜂起するということか?」
「クハハハハハ、わかってるじゃないか、その通りだぜ! オークは戦い奪う生き物。その本能を俺様が解き放ってやるんだぜ! 何事もナチュラルが大事なんだぜ! 戦乱! 略奪! 蹂躙! 凌辱! それがアーケロンのナチュラルスタイルなんだぜ!」
エクシーラがわなわなと両手を振るわせた。
「なんていう恐ろしい野望……でもそれはすでに失敗したのよ。本物の姫騎士は影武者によって守られたわ。だからゴズムズの権威は失墜しないし、国境警備所を襲撃するオークたちにも誰も共鳴なんかしない!」
「くっ……」
うなだれて拳を握りしめるゴルゲゴラにエクシーラが詰め寄った。
「さあ、お縄につきなさい、ゴルゲゴラ! あなたの野望はここで終わったのよ! あの悲惨なアーケロン大戦はもう二度と繰り返させはしない!」
そしてエクシーラはマジックアイテムらしき縄でゴルゲゴラを捕縛しようとした。
一方、祭壇のユウキは精一杯、『これにて一件落着』という雰囲気を醸し出すため、テレビのサスペンスドラマ終盤のような台詞を吐こうとした。
「やれやれ……人が悪なんじゃない。悪が悪なんだ。だとしても……犯した罪は裁かれなければならない……」
その雰囲気に飲まれたのか、ゴルゲゴラは項垂れたまま、両手をエクシーラに差し出しかけた。
(よし、これで無事に塔に帰れる!)
ユウキは内心、ガッツポーズを取った。
だが……そこでゴルゲゴラは肩を震わせ始めたかと思うと、エクシーラが差し出す縄を振り払って叫んだ。
一件落着の雰囲気は、その雷鳴の如き声によって切り裂かれた。
「ク……クハハハハハハハ! 誰が降参なんてするかよ!」
「な、なんですって? まさか、あなたの手下とオークたちで戦うつもり? そんなことしても無駄よ! 冒険者の精鋭がこの舞台には集まっているわ!」
「バカめ。この程度の外的障害で計画を揺らがせるのは三下のやることだぜ。俺様のごとき百年、千年を見据えたヴィジョナリーはただまっすぐサイのツノのごとく己のプロジェクトを前に推し進めるのみだぜ。おい、お前……」
ゴルゲゴラは祭壇上のユウキに声をかけた。
「な、なんだよ」
「そろそろ始めるぞ」
「な、何を始めるっていうんだ?」
「クハハハハハハハハ! 決まってるだろ、儀式の始まりだぜ!」
「だ、だってオレは……オレは影武者……」
瞬間、ゴルゲゴラはユウキに鋭く命令した。
「黙ってろ。これ以上、大声で叫んだら死んでもらうぜ」
「ううぅ……」
「エルフ……お前も俺様から離れろ。あの影武者を殺されたくなければな」
エクシーラは後退り、ゴルゲゴラから距離を取った。
ここでゴルゲゴラは振り返って客席を見ると大声で叫んだ。
「さあて、紳士淑女の皆様! 長らくお待たせしたぜ! これより皆様お待ちかねの、真の『姫騎士と百人のオークの儀式』を始めるぜ!」
エクシーラが抗議の声を上げた。
「ダメよ! あの人は影武者で本物じゃ……」
「クハハハハ……それがなんだっていうんだ? 真実は常に人の意思によって作られるものだぜ!」
「ま、まさか……ユウキを使って儀式を決行するつもり?」
「ユウキだと? そんな奴知らないぜ。あの祭壇にいるのはハイドラの姫騎士だぜ。おーい、姫騎士!」
ユウキは目を逸らそうとしたが、オークに首根っこを掴まれてゴルゲゴラに向き合わされた。
ゴルゲゴラは言った。
「飲めよ」
「……な、何を?」
「そのテーブルの上に置かれている薬を飲め。今すぐ飲まなきゃ殺すぞ」
「い、いやだ……」
しかし飲まなければ殺される。
だが飲めばもう二度と後戻りできず始まってしまう。
オレを主役とした『姫騎士と百人のオーク』の儀式が、この公衆の面前で。
「ううぅ……」
オークの百対の目と、客席の千人の市民の視線を浴びるユウキに、今、ついに二択が突きつけられていた。
『殺されるか、姫騎士として催淫薬を飲むか』というその二択に答えを出せぬままユウキは朦朧としていた。
そんなユウキの首根っこがオークのどっしりとした手のひらで優しく包まれた。
「ひっ……」
オークは震えるユウキの耳元に囁いた。
「ふひひひひひひひ……姫騎士ちゃん、さあお薬飲みましょうね……怖がらなくてもいいんだよ……おじさんたち、みんなで優しくしてあげるからね……」
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