第51話 イグニッション

 諸々の計算の果てにエクシーラはユウキの提案のメリットを理解したようだった。


「でもいくつか問題があるわ。陛下の仮面は現人神の強力なゴズムズ放射が外部に漏れるのを防いでいるのよ」


「ん。この仮面が無ければ朕はとても目立つよ」


 なんでもココネルが仮面を脱いだ瞬間、大量のゴズムズ放射が溢れ出し、四方に神の栄光が広がるという。


「まじかよ。そんなことになったら人目が集まりそうだな。となると……仮面をオレが借りるわけにはいかないってことか」


「ん。大丈夫。仮面の裏張りのスペアがあるから」


 ココネルはポケットからアルミホイルの帽子のようなものを取り出した。


「これを被れば朕のゴズムズ力は外に漏れない」


「でもこれはこれで目立つだろ。そうだ……もしもしラチネッタ……持ってきて欲しいものがあるんだが」


 ユウキはiPhoneでラチネッタを呼び出した。


 しばらくしてラチネッタが喫茶ファウンテンに荷物を届けてくれた。


「言いつけ通り、おらのスペアのヘルメットとマスク、持ってきたべ。おろしたてだから綺麗だべ」


「サンキュー、助かる。ラチネッタも朝ごはん食ってくか?」


「おらは塔でいただいてきたから遠慮しとくべ。さあて、今日も一日頑張るべ」


 ラチネッタは中央広場の祭壇建設現場に向かった。


 すでに設営は完全に終わっているが、まだ細かい片付けが残っているとのことだ。


「頑張れよ」


「ユウキさんもナンパ、頑張るだよ」


「おう」


 ラチネッタが去った後でユウキはテーブルに向かい、工作に取りかかった。


 アルミホイルの帽子状のものをヘルメットの裏に押し込んでいく。


 ココネルの仮面に比べてヘルメットの面積は小さいため、アルミホイルの生地が余ってしまったが、折り返して無理やりフィットさせる。


 そうして完成したヘルメットをココネルに見せる。


「どうだ?」


「ん。朕の仮面に比べて面積が少ない分、ゴズムズ放射が外に漏れるかも。でもなかなかいいね」


「よし。それじゃあさっそく服を交換するか。エクシーラの宿屋でどうだ?」


「それはよくないわね。私の寝床は常に多くの敵対勢力から監視されているわ」


「となると……」


 ユウキは店内を見回した。店の奥にお手洗いの看板がある。


 ユウキは看板を指差した。


「そこでどうだ?」


 エクシーラはガタンと音を立てて喫茶店の椅子から立ち上がった。


「陛下をそのような場で裸にするわけには!」もっともな抗議である。


「ん。朕は構わないよ」


「どこに潜んでいるかわからない敵の目を欺くには、そこのトイレみたいな意外性のある場で入れ替わった方がいいんじゃないか」


「そ、それは確かにそうだけど……」


 迷いを見せるエクシーラに構わず、ココネルは立ち上がると率先してお手洗いに向かった。


「オレも行かないとな」


 ユウキはヘルメットとマスクを手に取り立ち上がった。


「わ、私も!」エクシーラも付いてこようとした。


「いいや。トイレは完全密室だから護衛の必要はない。だいたい三人も入れない。エクシーラはここに残って外から怪しい者が来ないか見張っててくれ」


 なおも細々とうるさいことを言うエクシーラを置き去り、ユウキはさっさとトイレの個室に入った。


 *


 喫茶ファウンテンはは掃除が隅々まで行き届いており、ソーラルは魔力的な上下水道が完備されている。


 そのためトイレは清潔である。


 何か爽やかなハーブの香りまで漂っている。


 だがかなり狭い。


 すでに個室にはココネルがおり、服を脱いだり仮面を外したりしていた。


 その肘がユウキの脇にあたる。


「ん。朕の顔は見ないほうがいいかも」


「なんでだ?」


「朕を見たら奉仕したくなるから」


 強すぎるゴズムズ放射がもたらすカリスマに意識を奪われてしまうということか。


「ははは。大袈裟だな。でも一応、気をつけるよ」


 ユウキは背を向けて自分もスグクルの作業着を脱ぎ始めた。


「…………」


 気をつけて服を脱いでいく。


 だが体のあちこちがココネルと触れ合ってしまう。


(トイレの個室でナンパした女と二人きり……か)


 だんだん変な気分になってきた。


 それを誤魔化すため、できるだけ冷静な声を発しつつズボンを下ろす。


「ここに置いておくぞ……」


 だがそのときだった。


「うおっ」


 ココネルの素顔が一瞬、視界に入った。


 十代半ばの素朴な可愛さのある顔だが、宗教画のような光背を背負っている。


 その光背から謎のエネルギー……ゴズムズ放射がさんさんと放たれている。


「ま、まじかよ。めちゃめちゃ神々しいな……」


『顔は見ないほうがいい』という先ほどの警告を、もっと真面目に聞くべきだった。


 今、ユウキははこの十代半ばの少女に命を捧げて奉仕したくなっていた。


 仮に死ぬまで戦えと命令されたら喜んでゴズムズのために殉教者となるだろう。


 むしろ命令してもらいたい。


 だが危ういところでユウキは自分を取り戻した。


 視線を切り、拳を握りしめ、唇を噛み締める。


「……くっ!」


 そして、この神の子にトイレ内でひざまずいて己が人生を捧げたいという欲求を、意志の力でなんとか押しとどめる。


 そしてすかさず人格テンプレートを『女神官』に切り替える。


 そうだ……ゴズムズにはゴズムズだ!


 ユウキはかつてソーラル女学院の生徒に教えてもらったゴズムズの真言を心の中で唱えた。


(ゴズムズは全知全能なり……ゴズムズは万物なり……ゆえに我は全知全能のゴズムズなり……)


 これによって微々たるものではあろうが、自らの中にも何かしらのゴズムズ力が湧いた気がした。


 同時にココネルへの崇拝の思いが仲間意識に切り替わっていくのを感じた。


 崇拝とは他人をアイドル化してしまうことであり、他人を自分とは違う異物として認識することである。


 だがどんな人間の中にも何かしらの共通点があるのだ。それに気づきさえすれば、誰もが同じ人間として認識できる。


 そして同じ人間が相手ならば、誰が相手であっても世間話を始めることができるのだ。


 たとえ相手が現人神であろうとも。


 強いゴズムズ放射で満たされた個室の中、ユウキはスキル『世間話』を発動した。


「ええと……今日はいい天気だになりそうだな。トイレに窓は無いからわからないが……」


「ん」


「ココネルはどんな天気が好きなんだ?」


「僕の……いや、朕の個人的な好みは、あまり無いんだ」


「僕でいいぞ。趣味とか無いのか?」


「僕はただの伝達装置。僕を通して溢れ出る無限のゴズムズ力を色付けしないために、僕はできるだけ透明な方がいいんだ」


「なるほど……でもこの前、教会でステンドグラスを見たんだが……窓の向こうの光が、色のついたガラスを通して差し込み、床に多彩な模様を描いていたぞ。あのガラスが単色ならつまらないだろうな」


「ん。僕はつまらない人間だよ」


「そ、そうなのか?」


「うん。祈るだけの毎日……つまらないものさ。だけどそんな無色透明な僕を、みんなは勝手に崇拝してしまう。変だね」


「そりゃあ、あんたのゴズムズ放射、まじで強いからな」


「君はなんで平気なんだい?」


「なんでかな……いや、実はぜんぜん平気じゃないぞ」


 強すぎるゴズムズ放射の中、ナンパした相手とトイレの個室で半裸になっている今、肘や指がちらちらと互いの肌に触れ合っている。


 その多様な刺激に頭がくらくらしてきた。


 そのユウキの脇腹をふとココネルは指でつついてきた。


「な、なんだよ、くすぐったいだろ」


「ん。こっち向いて。僕のゴズムズ放射に飲まれないよう気をつけながら……」


 背を向けていたユウキはスキル『深呼吸』と『順応』を強く発動してから振り返った。


「…………!」


 目の前に全裸のココネルがいた。


「僕の直感によれば、君はこれから大きな試練を迎えることになる」


「は、はあ」


 目のやり場に困る。


 できるだけ肌を直視しないようにしながらスキル『相槌』を使った。


「どうやら僕の試練を君に押し付けてしまうようだ。それはごめん」


「よくわからんが……いいってことよ」


 ココネルの乳房に気を取られ、話が頭に入ってこないままうなずく。


「でもこれがゴズムズの意図する宇宙の流れのようなんだ。その流れの渦の中心は、僕ではない。君だよ」


「お、おう」


「君が無事、このイニシエーションを乗り越えられるよう、僕は君を祝福したい」


「…………」


「そして君が人々に新しい道を明瞭に指し示すことができるように……僕はもう一度、君に祝福を与えたい。いいかな?」


 トイレの個室の中でココネルは半歩、ユウキに近づいてきた。


 彼女はユウキに肌を密着させると爪先立ちをした。


 ユウキは吸い込まれるように彼女に口づけした。


 ココネルの舌を自らの口内に感じながら無我夢中でキスを続けるユウキに、濃厚なゴズムズの光と膨大な情報パターンが流れ込んでくる。


 それはユウキの興奮で昂った心と体の隅々に染み込んでいく。


(人格テンプレート『法皇』がトランスミッションされています)


 ナビ音声の警告を脳裏に聞きながらユウキはエネルギーの大波に飲まれしばし完全に我を忘れた。

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