第50話 入れ替わり

「おっ、オレが誘拐だと? ハイドラの姫騎士を?」


「そうよ。紛れもない現行犯ね」


「はあ……」


 ユウキは朝の噴水広場で両手を上げながらため息をついた。


 こいつにレイピアを突きつけられるのにも慣れてきたな。


 もはや微塵も恐怖を感じない……と言えば嘘になり、全身にどっと冷や汗をかいているが、状況を観察するぐらいの余裕はあった。


「…………」


「何か言ったらどうなの!」


 状況観察の結果わかったのは、エクシーラは完全に現実を見失っているということである。


 この噴水広場は庶民の空間だ。


 ここにいるのは朝の散歩の者と、オレとエルフと仮面の女だけである。


 当然、ハイドラという大国家の姫騎士などという雲上人がいるわけもない。


「とうとう認知機能に問題が生じ始めたか。そんなになるまで働いて……もう休んでいいんだぞ」


 ユウキは哀れみの目をエルフに向けた。


「何よっ! この後に及んでまだ言い逃れするつもり? 姫騎士陛下を前にしてどこまで図太い男なの」


(姫騎士に陛下って敬称はおかしくないか?)


(翻訳には迷いましたが、どうやら姫騎士という身分はハイドラの統合の象徴的存在のようなのでこの訳を採用しました)


(なるほど……)


「で、この噴水広場のどこに姫騎士陛下がいるんだよ。この場にいるのは、この前ここで声をかけて知り合った市井の女と、長生きしすぎて認知機能に問題を抱え始めたエルフだけだぞ」


「こ、声をかけて知り合った、ですって……? 陛下、それは本当なのですか?」


「ん」仮面の女は鷹揚にうなずいた。


「はあ? 陛下だと? この仮面の女が? そんなレアキャラがこんな道端にいる訳ないだろ」


「頭が高い!」


 エクシーラはユウキの首根っこを掴むと強引に地に引き倒した。


「ん。そんなことしなくてもいい。その者は僕……いや、朕の身分を知らなかっただけなんだ。誘拐もされていないよ。約束があったからここに来ただけ」


「約束ですって?」


「今夜、朕と彼が入れ替わる約束。彼はソーラル迎賓館に行き、朕は星歌亭のライブに行く……楽しみだよ」


 仮面の女はその場でスキップする様子を見せた。


「へ、陛下が訳のわからないことを……わ、わかったわ! 闇の塔の汚れた魔法で陛下を惑わしているのね!」


 エクシーラがわなわなとレイピアを震わせた。その振動が首筋に伝わってくる。


「正直に話しなさい! 陛下にどんな魔法をかけたの? この破邪のサークレットの前に真実を明かしなさい! でなければ切ります!」


 地に跪くユウキの頭上に高々とレイピアが振り上げられた。


 どっとユウキの全身に冷や汗が噴き出た。


 確かあのサークレットには嘘判定機能もあった気がする。またエクシーラは殺人を恐れる今の自分を乗り越えるため無茶をしそうだ。


 嘘をつけば本当に首を切り落とされかねない。


 ユウキは真実を叫んだ。


「ナンパだ! ナンパしただけだ!」


「…………」


「たまたま道を歩いていたこの人に声をかけて仲良くなったんだ!」


「う、嘘おっしゃい! 陛下が……いと気高き神の子が、道を歩いていただけのどこの馬の骨ともわからないあなたと、なんの脈絡もなく仲良くなることなどあり得ないわ!」


 ユウキはとっさにスキル『討論』を発動した。


「そもそもゴズムズの教義によれば万物はゴズムズと一体であり、オレもゴズムズ、お前もゴズムズだ。同じ人間になんの違いがあるというんだ。この仮面の女が神の子ならオレも神の子だ。オレのナンパはゴズムズに認められている」


「し、知ったふうなことを言わないで! 一般人と姫騎士には明確な違いがあるのよ。『ゴズムズ濃度』という違いがね!」


「『血中ゴズムズ濃度』だと? なんだそれは」


「ふん、そんなことも知らないなんてやっぱりあなたはとんだ知識欠落症患者ね。教えてあげるからよく聞きなさい」


 エルフの語るところによれば『血中ゴズムズ濃度』とは、血液中にどれだけゴズムズ神のエネルギーが浸透しているかを表す尺度だと言う。とあるアーティファクトによって検測できるらしい。


「初代姫騎士ライフのゴズムズ濃度はおよそ五万ゴズムズだったと言われているわ」


「おっ、五万か。なかなかいいじゃないか」それがどの程度のものかまったく想像できないままユウキは話を合わせた。


「バカね。驚くのはこれからよ。ここにおわしますココネル様のゴズムズ濃度はなんと五億と言われているのよ!」


「まっ、まじかよ。五億だと……そんなのはもう人間を超えているじゃないか……」


「『アーケロンの至宝』……『ゴズムズの娘』……『闇を払い三千世界に光をもたらす現人神』……それがこのココネル様なのよ!」


「なるほどな。話はわかったからとりあえず店に入らないか。オレたち、目立ってるぞ」


「い、いいでしょう。ただし……絶対に怪しい真似はしないことね」


 ユウキはエルフと仮面の女を伴って、喫茶ファウンテンに向かった。


 *


 魔コーヒーのふくよかな香りが漂う薄暗い喫茶店、その一番奥の席に座る。


「あ、おはようございます。今朝はお友達も一緒なんですね」


 顔見知りの店員さんが声をかけてくれた。


 エプロンがよく似合っている。


 ユウキは条件反射的に『世間話』を発動した。


「まあな。今日はいい天気になりそうだな」


「ですね。どこか遊びに行きたくなりますね」


「ソーラルの遊びポイントってどんなのがあるんだ?」


「ええと……私は市立図書館とか好きですよ。休みの日はよく行きます」


「へー、意外だな。本なんて読むんだ」


「何言ってるんですか、読みますよ! これでもソーラル大学の学生なんですからね!」


「ま、まじかよ。頭いいんだな。オレも図書館見てみたいから、いつか連れてってくれ」


「いやですよ」


「そこをなんとか」


「はいはい。私がものすごく暇なときならいいですよ。ご注文は?」


「そうだな……朝セットをくれ。三人分」


「はーい」


 世間話を終え、対面に座ったエルフに目を向けると、彼女は手をレイピアにかけたまま、ユウキと店の入り口を交互に監視していた。


 額に汗が滲んでいるのは緊張のためか。


 両者の中間地点に座った仮面の女は興味深げにメニューをめくっている。


 しばらくして朝セットがやってきたのでスマホをいじりながらつまんだ。


 仮面の女もパクパクと食べ始めた。


「へ、陛下はこのようなものは避けられた方がよろしいのでは……」


「ん。この前も食べたから平気。朕の喉を通るものは全て自動的にゴズムズ神によって浄化されるし」


「いいからエクシーラも食えよ。忙しいようだが、ちゃんと食ってるのか?」


「エルフは少食だから……」


「好きな食べ物はあるのか?」


「え? ええと……」


 エクシーラは顎に手を当てて考え込んだ。


 いいことだ、過去を思い出すことは認知症の予防につながる。そうユウキが考えているとエクシーラは口を開いた。


「そうね、故郷の森で取れる三角菜が好きよ」


「三角菜?」


 エクシーラは身振り手振りを加えて説明した。


 それによると三角菜とはエルフが好んで食べる山菜のようなものであり、その正三角形の株のソテーは肉食を忌避するエルフにとってまさにジューシーな肉のごとき御馳走であるという。


「なかなかうまそうだな。ここらで売ってないのか?」


「足の速い食べ物だからね。どこにも売っていないわ。迷いの森のでたまに採れるそうだけど……」


「まじかよ。迷いの森ならよく行くから探しておくぞ」


「あ、ありがとう……」


「…………」


 三人は朝食を口に運んだ。


 途中、ユウキの『会食恐怖』が発動し、フォークを持つ手が震え始めた。


 だが熟練度が高まった『順応』と『深呼吸』によって、なんとかやり過ごすことができた。


「はあ、食った食った。それじゃあそろそろ行くか」


「そうね……ここは私が払っておくわ」


「お、悪いな。ごちそうさん」


 ユウキは立ち上がり店外に出ようとした。その背をエクシーラに掴まれ席に戻される。


「ごちそうさん、じゃないわよ! あなたには釈明してもらうわ」


 エクシーラはしつこく、ユウキと姫騎士の関係を問い詰めてきた。


 ユウキはありのままを素直に話した。


「とても信じられない……だけどこの破邪のサークレットが、ユウキの言葉を真実だと告げている……」


「な。オレは無実なんだよ」


「でも……だとしたら一体、誰がココネル様を誘拐しようとしているの? 多方面に放った密偵からの報告によれば、誘拐計画が動いてしているのは確かよ」


「とりあえずレイピアをオレに突きつけたことを謝ってもらおうか」


「ごめんなさい……私としたことが……最近、ミスばかりね」


 エクシーラは疲れた顔を見せた。


「はあ……やれやれ」


 ユウキはため息をつき、ついでに『深呼吸』を発動した。


『深呼吸』に触発され、『直感』と『戦略』が自動的に発動された。


 ここにいたりユウキはひとつの素晴らしいアイデアを閃いた。


「なあ……オレがココネルの身代わりになってやろうか」


「身代わりですって?」


「ああ。今日はライブで忙しいからやっぱりやめておこうと思ってたんだが……もともとオレとココネルは、今夜、入れ替わる予定だったんだよ」


「そんなこと許される訳ないでしょ!」


「いいからよく考えてみろよ。誰が誘拐計画を立てているか分からないんだろ? ソーラル迎賓館の中も危険かもしれない」


「そうよ、こうしている今このときも誰が陛下を狙っているかわからないのよ!」


「だったらココネルはあんたが直接、警護すればいい。エクシーラが今から明日の儀式までココネルに張りついていればいいんだ」


「そっ、それは……」


「ん。楽しそう。朕はそれがいい」


「一方のオレはココネルの格好をしてソーラル迎賓館とやらで一晩、優雅に過ごさせてもらう。刺客の注意はオレに向けられるから、ココネル本人は完全に安全だ」


「あ、怪しいわ! そんなことしてユウキになんの得があるっていうの?」


「ははは……哀れだな……しょうもない血で血を洗う戦いをしすぎたせいで、人の純粋な好意を信じられなくなってるんだな。……まあ一応、オレにとっての利点もある」


「わ、わかったわ! 私の冒険者ギルドに貸しを作って乗っ取ろうって魂胆ね! 闇の勢力を私のギルドに入り込ませはしないわ!」


 エクシーラはレイピアに手を伸ばした。


「いいや……聞いてくれ。真っ当な取引だ」


「何よ、言ってみなさい。事によっては、斬る……!」


「歌バトルの件なんだが」


 瞬間、仮面の女はウキウキした様子を見せた。


「ん。今夜のライブ! 朕は早く見たい」


「よしよし、入れ替わって見せてやるからな」


「朕は嬉しい!」


「だがオレがココネルと入れ替わったら、今夜の歌バトルにオレは行けなくなる。それはオレのチームにとって大きな不利だ」


 ユウキはエクシーラを見つめて言った。


「よって、その不公正を埋め合わせるために、二十点、いや、三十点をオレのチームに加点してくれ。いいな?」

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