第49話 姫騎士

 眠気まなこをこすりながら、ユウキはソーラルの噴水広場で『深呼吸』していた。


 スキルへの習熟により、現在『深呼吸』にはさまざまな副次的効果がプラスされていた。


 まず『直感』が深まり、『流れに乗る』ことが容易になるという効果。


 さらに、自分がとるべき行動への『戦略』的な理解が深まるという効果だ。


「すー、はー」


 秋の朝の冷えた空気を吸って吐いたユウキは、ここ最近の迷いに決断を下した。


「よし、『仮面の女の身代わりになる』という話は延期しよう!」


 今夜は星歌亭でエクシーラとの歌バトルが行われる。


 この戦いに負けたら星歌亭の営業は今夜で終わる。


 だがオレは負けない。


 だから仮面の女は、後日、ゆっくりライブを観にくればいいのだ。


「そうだ、そうしよう……」


 仮面の女は家庭の事情で夜に外出することができない。


 そこで背格好が似ているオレが、仮面の女の身代わりになり、その間に彼女は星歌亭のライブを観に来る……この計画自体は悪くない。


 だが何も今夜、その計画を実行することはない。


 今夜オレは勝つ。


 そのため星歌亭の営業は無限に続く。


 だから例の身代わりプロジェクトは延期だ! 今日のオレはライブのサポートに全力を尽くす!


 そんな決断を深呼吸後にユウキは下した。


「さて、と……」


 先日の約束を忘れていなければ、もうすぐ仮面の女がこの噴水広場にやってくるはずだ。


 彼女に会ったらこの選択を伝えよう。


 ユウキはまた噴水の縁に腰掛けて『深呼吸』しながら仮面の女を待った。


「すー、はー」


 しばらくすると人の気配を感じた。


「お、来たか」


 だが目を開けるとそこにいたのは仮面の女ではなかった。


 噴水広場に訪れたのは、ユウキのiPhoneを謎の超技術によって改造してくれたノームの技術者、ルーファだ。


 今朝もたくさんのポケットがついたツナギを着ており、髪を無造作にポニーテールでまとめている。


 小学校高学年ぐらいに見えるが、ソーラル通信網のコア技術を開発した凄腕の技術者である。


「おはようユウキ、私は常に自分の創造性を最高のコンディションに保つため朝は散歩を心掛けているんだ。高く飛び立つには地に足がついていることが必要だからね。ここ数日は新しいプロジェクトで大忙しさ。だがこんな時こそ運動を欠かしてはならないんだ」


 意識の高いことを早口で言いながらルーファは忙しなくユウキの周りをうろうろ歩き回った。


 頭の回転速度が違うのかルーファとは会話するのが難しい。とりあえず『大忙し』という単語だけ拾えたのでそれを『質問』の端緒とする。


「大忙し、というと……」


「ユウキ、君も知っているだろう。明日、ソーラル中央広場でハイドラの姫騎士の即位式が行われる。その儀式の効果を最大のものとするため、ソーラル市政府は石板通信網を使うことにしたんだ。そのための石版システムのアップデート作業で、てんやわんやの大忙しだったというわけだよ」


「なるほど」


 確かによく見てみるとルーファの目の下には隈ができている。


「その作業はうまくいったのか?」


「もちろん。石版通信網によって全市民に動画を配信できるようになった」


「まじかよ。なんでもありだな」


「君のアーティファクトとの接触が、私の想像の限界を広げたんだ。ユウキには感謝しているよ」


「お、おう」


「儀式の動画を祭壇からリアルタイム配信することで、ゴズムズ神の威光も市民にあまねく届くだろう。いいや、ソーラル市内だけではない。ソーラル市役所にチャージされた膨大な光の魔力によって、アーケロン全域に儀式を生中継する予定だからね。乱れていた秩序、ハイドラと大オーク帝国の諍いもこれで収束するだろう、ゴズムズの威光の下にね」


「よく分からないが大変だったみたいんだな。おつかれさん。それにしても石版が動画を配信できるとは……」


「それだけではないよ。魔力感応システムによって、ごく微量ではあるが、人の感情や感覚までも伝達できるんだ」


「ま、まじかよ、とんでもないな。完全にiPhoneを超えてきたな。さてはあんた……本物の天才技術者かよ」


「君に見せてもらったアーティファクト……そこから得たヒントをまっすぐに実装しただけだよ。ちょっとテストしてみようか」


 ルーファはたたたたたたと噴水広場の端まで駆け出すとそこで石版を操作した。


 突如、ユウキのスマホに着信があった。


「もしもし。こちらはルーファだ。今から感情通信システムのテストを始める。ユウキも自分のアーティファクトを胸に当ててみてくれ」


「お、おう」


 ユウキはスマホを自分の胸に当てた。


 ルーファも朝の噴水広場の端で石版を胸に当てた。


「何も起こらないぞ……いや……なんだこれは?」


 なぜか唐突に、しみじみと暖かな感謝の気持ちが湧いてきた。さらに急激な眠気と疲労感によって体が重くなった。


 ルーファはたたたたたたと駆け寄ってきた。


「どうだった? 感じられたか?」


「ああ……謎の感謝がスマホを通して伝わってきた」


「それが私の気持ちだ。とんでもないアーティファクトを貸してくれたユウキへの感謝……」


「お、なんだか照れるな。だが同時に強い疲労感も伝わってきたぞ」


「それは……」ここでルーファは顔を赤らめた。


「それはおそらく私の内的感覚だ。自分では気づかなかったが、もしかしたらこの体はとても疲れているのかもしれない。自己管理できないなんて、愚かなことだが」


「早く休んだ方がいいぞ」


「そうはいかない。儀式の本番では、祭壇上のあらゆる映像、感情、感覚がキャプチャーされてアーケロン全土に配信されるんだ。これからシステムの最終チェックをしないと」


「大仕事だな。そういうことなら、ちょっとここに座れよ」


 ユウキは癒し系スキルを動員して、噴水の淵に腰掛けたノームの技術者にマッサージを施した。


 先ほど伝わってきた肉体感覚によると、目、肩、腰が限界を超えて疲れている。


『共感』『集中』を発動し、さらにかつてネットで見たツボの知識を思い出しながら、良さそうなところを押していく。


「う、あっ……」


 さきほど石版を介して内的感覚を繋げたためか、『共感』の効果がブーストされている。


 なんとなくルーファの肉体のエネルギーが指を通じて感じ取れる。


 エネルギーが滞っているところを押したり揉み解したりして、全体のバランスを整えていく。


 次第にルーファの小さな体から緊張が抜けていくのが伝わってきた。


「よし、こんなところかな……」


「あれっ……ここは一体……私は何を……」


 噴水の淵で眠りに落ちていたらしいルーファはよだれを拭った。


「疲れは取れたか? 少しでも楽になったらいいんだが」


「かっ、体が軽い……! これなら今日の仕事も頑張れそうだ!」


「あまり無理するなよ」


 だがノームはペコリと頭を下げると、たたたたたたと走り去っていった。種族特性なのか、それとも個性なのか、せわしない奴である。


 小さくなっていくノームの後ろ姿を見送っていると、路地に消えるルーファと入れ違いに仮面の女が噴水広場に現れた。


「おっ、来たか……」


 仮面の女の足取りは軽やかだ。


 彼女の唇の感触を思い出し、ユウキの気分も浮き浮きしてきた。


 仮面の女はスキップするようにユウキに近づいてくる。 


 今夜の星歌亭ライブに行くことを楽しみにしているのかもしれない。


「…………」


 そんな彼女の力になってやりたい。


 仮面の女は自然に奉仕したくなるオーラを発しているように思われた。


 目の前にまで近づいて来るとそのオーラは強まったように思われた。


 いやいや、ダメだダメだ。


 オレは今夜は絶対に、星歌亭のライブに行くんだ。身代わりになんて、なってられない。


「悪い。今日のライブのことだが……」


 意を決したユウキは噴水の縁から立ち上がって仮面の女に声をかけた。


 そのときだった。


 ユウキの首筋に斜め後ろからレイピアが突きつけられた。


 氷のように冷たい感触に鳥肌を立てながら恐るおそる振り返ると、斜め後ろにエクシーラが立っていた。


 伝説のエルフの冒険者はユウキを睨みつけている。


「やはり……あなただったのね」


「えっ、なにが?」


「最近、姫が朝にこっそりとソーラル迎賓館を抜け出して、何者かと密会しているとの報告が警護の暗黒戦士たちから上がっていたのよ」


「ほう」


 エクシーラはレイピアをユウキに突きつけたまま、仮面の女を見た。


「私自ら尾行させていただきました。姫ご自身を囮にしたことは後でいくらでも責任をとりましょう。ですがそのおかげで見つけることができたのです」


「なにをだ?」


「明日の即位式を妨害するため姫をさらおうとする賊を」


「まじかよ。見つかってよかったな」


「ばっ、馬鹿にするのも大概にしなさい。やはり闇の手の者は心の底まで悪に染まっているのね! ユウキ……あなたをハイドラの姫騎士誘拐の現行犯で逮捕します!」

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