第45話 ユウキの身だしなみ

 夜、闇の塔に帰る電車の中で、ユウキはさっそく『女神官』を活性化させた。


 その状態で、電車の真ん中で歌って踊ってみる。


 観客はラチネッタと暗黒戦士、撮影はゾンゲイルだ。


「みんな、聴いてくれ。明後日の歌バトルで使う曲『初体験 ~怖くても、きっと平気~』」


 照れはあったが、『女神官』の効果ですぐにトランス状態に入ることができた。その状態なら照れは忘れることができた。


 自らが放つ歌声にさらに蕩然となりながらユウキは熱唱した。


 *


 気がつくと長椅子に座っているラチネッタと暗黒戦士が唖然とした顔でこちらを観ていた。


 蘇ってきた照れに顔を赤らめつつユウキは聴いた。


「はあ、はあ……どうだった?」


 ラチネッタは手を叩いた。


「す、す、すごすぎるべ! かわいさと神秘のハーモニーだべ! おら、感動したべ!」


 一方で暗黒戦士は怯えを見せていた。


「ゆ、ユウキ殿……魅力が強すぎる……我の頭がおかしくなりそうだ」


「なんだ、アトーレはこういうのが好きなのか?」


「そ、そのようである。だが……暗黒戦士は乙女の柔肌には一生触れぬ誓いを立てている。それゆえ苦しくてたまらぬ……」


「自分だって乙女だろうが」


「無論……我自身の体にもできるだけ触れぬよう心掛けておる」


「まじかよ、さすが禁欲のプロだな。それはともかく……よし、皆の反応は最高レベルだ! これならエクシーラに勝てるかもしれない」


 だが……。


「一応、ビデオも確認しておくか。ゾンゲイル、見せてくれ」


 ゾンゲイルからスマホを受け取ったユウキは、自分の歌と踊りのビデオを再生した。そして、がっくりと肩を落とした。


「だ、ダメだ……まだエクシーラには勝てない」


「どうして? ユウキ、凄く神秘的になってる」


 横からスマホを覗き込んでいたゾンゲイルが抗議の声をあげた。


「ああ……確かに謎めいた神秘的雰囲気がオレの歌と踊りに付与されている。それは確かだ」


「だったら!」


「それでもエクシーラには勝てない……」


「そんなことない!」


「いいや……見てみろ。神秘感が強まったせいで女性的な魅力が薄れてしまっているじゃないか」


「そ、そんな……」ゾンゲイルは口元に手を当てて目を丸くした。


「でも大丈夫だ、安心してくれ。オレにはまだ手が残っている」


 今までルフローンにもらった人格テンプレートは、すべてタロットカードの大アルカナと同じ名前を持っていた。


 ということは、タロットカードを見れば他にどんな人格テンプレートが残っているかわかるはずだ。


 ユウキはスマホのタロット占いアプリを起動すると、いまだトランス状態の熱が残った瞳で大アルカナ一覧表を真剣に眺めた。


 *


「なに、小僧……今日も新たな人格テンプレートを所望するだと? 頭がおかしくなってもいいというのか?」


 誰もいない朝の星歌亭で、ルフローンはグーで握ったスプーンでお粥を食べていた。彼女は呆れ顔をユウキに向けた。


「あ、スプーンの持ち方、こう持った方がいいぞ」


「なに……余に意見するというのか」


「ちょっとしたアドバイスだがな」


「ふむ……確かにこの方が持ちやすい。スプーンの持ち方に関しては小僧に一日の長有りと言ったところか」


「そうそう、だからくれ。欲しいのは『女帝』だ」


「『女帝』だと?」


「ああ、くれ」


「……近隣諸世界の人格システムは、かつて余と大天使どもが共同で作り上げたものである。その神秘の一端をなぜ一介の人間が知っておるのだ?」


「オレの生まれ故郷じゃ意外にメジャーだぞ」


「ふむ……人間どもも己を駆動するシステムへの認識を獲得しつつあるということか」


「そうそう、だから難しいことはいいから、とにかくくれ。欲しいのは『女帝』だ! オレの直感によれば、それでバランスが取れるはずなんだ」


 ユウキは椅子から身を乗り出して対面のルフローンに頼み込んだ。


「焦るでない。念のために聞くが、小僧……今までの自分なら絶対にやらなかった行動を無意識にやっていることはないか?」


「ああ……昨日、帰りの電車の中で歌って踊ったぞ。昔のオレなら絶対にできないことだ」


 ルフローンは木のスプーンを椀に置くと、身を乗り出してユウキの目蓋を指で広げ、瞳孔を覗き込んだ。


「な、なんだよ」


「ふむ。人格システムの大規模な再構築が始まっているようだな。だが……ペースが早すぎる」


「別にいいだろ。仕事はなんでも前倒しがいいって前に読んだ本に書いてあったぞ」


「早すぎる人格システムの再構成は、小僧の崩壊を招くかもしれぬ。すでにトランスへの中毒が感じられる」


「またまた。大袈裟な」


「……余は心配である。人格テンプレートのひとつひとつが、一つの人生をかけて極めるに値する多くの情報とエネルギーを持っているのだ。それをこんな短期間に大量にインストールすることで、小僧に何が起こってしまうのか」


「どっしり構えておけよ。お粥も冷める前に食え。オレの手料理だぞ」


「……う、うむ」


 結局、ルフローンはユウキの説得に押され『女帝』をトランスミッションしてくれた。


 脳に高強度の情報の塊を受け取ったユウキは例によって昏倒するような眠りに落ちた。


 しばらくして目覚めた。


「どうだ小僧?」


 ルフローンが心配そうに覗き込んでいる。


「うーん……」


 確かに『女帝』を受け取ったことは感じられたが、それを活性化することはできなかった。


 昨日の『女神官』と同様、起動のための手本が必要なのだろう。


 だがオレの知り合いに『女帝』らしいヤツなんていたか?


「あ……あいつがいたな。ちょっと行ってくる」


「くれぐれも無理するでないぞ」


 心配そうなルフローンを尻目に、ユウキはまず闇の塔に戻り、シオンからいらない蔵書をもらった。


 それを手土産にラゾナ宅に向かう。


 本を渡すとグラマラスな赤ローブの魔術師は飛び上がって喜んだ。


「これは……『秘薬錬成の手法』じゃない!」


「知ってるのか?」


「知ってるも何も、長年探していた本よ! これがあれば私の秘薬作りが数段レベルアップするわ!」


 ラゾナはうきうきとした様子でお茶の用意をしてくれた。


 今回は『和合茶』ではなく、ただの美味しいお茶である。


 紅茶とは違うようだがダージリンのマスカテルフレーバーを思い起こさせる芳香がある。


 さらにお茶請けとしてアーケロンの文化中心たるソーラルの高級菓子店ゴモニャのモコロンも振る舞われた。


「今日はただお茶を楽しみましょ」


「ああ、そうだな……」


 ユウキは豪華な調度品に囲まれてティーカップを傾けた。


「はあ、うまい。それにしてもこの部屋……なんだか気持ちいいな」


「わかる? 置いてあるもの全部、私が気に入っているものばかりだからよ」


 言われてみれば、ソファ、テーブル、絨毯、棚に並べられている各種アイテム、その全てにラゾナの細やかな心配りと愛情が感じられた。


「私は魔術師ではあるんだけど、どちらかと言えば植物とか秘薬とか、手で触れられるものを扱うのが好き。だから家具も好きなの」


「ふむ」


「好きなものに囲まれてると元気が出てくるわ。きっとそれがお客さんにも伝わるのよ」


「なるほど……」


 もしかしたら人格テンプレート『女帝』の秘密がそう言ったところにあるのかもしれない。


『女神官』は目に見えない世界に意識が繋がりやすくなる効果があった。


 逆に『女帝』は、目に見える世界の物品に対して、親しみや愛情を持ちやすくなる効果があるのかもしれない。


 そう思って手元を見てみれば……ティーカップの優美な模様やそのツルツルした感触が、ユウキにかつてない官能的な喜びを与えていた。


 周りを見てみれば、アンティークな本棚に並べられた本の皮表紙や、ラゾナが来ている服の模様など、目に見える物品のひとつひとつに美を感じた。


 いや、物品だけではない、ソファの隣に座るラゾナの肉体にも親しみを感じた。


 さらに翻って自分自身の肉体にもかつてない愛情を感じた。


 異世界でいろいろ苦労をかけているが、オレの体は風邪ひとつひかず毎日よく頑張ってくれている。


 だが……。


 それなのに……オレはいつもこの体をぞんざいに扱っている。


 すまん……。


 隣に座るラゾナの肉体は、この部屋に並べられた家具たちと同様に、細部まで美しく手入れされている。


 一方のこのオレの肉体はどうだ?


 せっかく女体化したというのに髪はボサボサで爪も汚い。服も作業着のままだ。


「はあ……」


「どうしたの? 急にため息なんかついちゃって」


「なあラゾナ……どうしたらあんたみたいに綺麗になれるんだ?」


「あら、嬉しいこと言うわね。でもユウキも綺麗よ」


「そんなことない。オレなんてこんな身なりだ」


「うふふっ。だったら綺麗にしてあげましょうか?」


「えっ」


 ラゾナは服とアクセサリーを取ってくると、それをユウキに身につけさせた。


「ちょ、ちょっと……」


「いいから、任せて」


 さらにラゾナはユウキの髪をくしけずり、化粧を施した。


「はい、完成。こっちの鏡で見てみて」


「なっ。これがオレだと……信じられん……」


「どう? 感想、教えて」


「綺麗だ……」


 気品と優雅さが全身から漂っている。


 鏡の前で自分の美しさに息を呑むユウキに、ラゾナは近寄って囁いた。


「ねえ……せっかくだから、やっぱり『性魔術の奥義』、復習しない?」


「い、いいのか……? オレはこの体だぞ」


「いいわよ。もちろん」


 ラゾナは本棚から『性魔術の奥義』を取り出すと、ソファの前のテーブルに広げた。


「さあ、こっちに来て」


「ああ……」


 ユウキはごくりと生唾を飲み込みつつソファの定位置に座った。


「それじゃ……ここから始めましょうか」


 ラゾナの人差し指が本の一節を指差し、ユウキはうなずいた。


 そして二人はこれまでに学んだことを復習していった。ユウキの心の奥に眠る謎の呪いによってそれ以上先に進めなくなるその地点まで、ゆっくりと、時間をかけて。

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