第44話 ゴゾムズの力

 ユウキが目覚めると納屋には誰もいなかった。


「…………」


 クラクラする頭を振りながら外に出ると、夕日の下、ルフローンが星歌亭の外壁を雑巾で拭いていた。


 高い部分に爪先立ちで手を伸ばすなど、親の手伝いをする小学生のようなかわいらしい仕草である。


 だが相変わらずルフローンからはおぞましい絶対防衛フィールドが放射されているのが感じられる。


 そのフィールドのせいで、客にも従業員にもルフローンは認識されない。


 そのため、なぜか勝手に星歌亭が綺麗になっていくという怪奇現象を従業員たちは味わっているはずである。


 しかしなんにせよ職場が綺麗になるのはいいことだ。


 綺麗になっていく星歌亭を見ていると、建物への愛着が高まっていく。


 そうだ。絶対にこの職場をエクシーラに奪われるわけにはいかない。


 オレはこの星歌亭を守る!


 そのために新たに得た『女神官』の力で、エクシーラを打ち負かす曲を作る。それがオレの使命だ! 


 というわけでさっそく女神官を活性化してみる。


「チェンジ・パーソナリティ・テンプレート! ハーミット・トゥ……英語で『女神官』ってなんていうんだ?」


 ナビ音声が答えた。


「ハイプリーステス、ですね」ナビ音声が教えてくれた。


「ハイプリーステス!」ユウキは叫んだ。


 しかし何も起こらない。いつもなら脳内の配線が切り替わる感覚があるのだが。


「おい、どうやって使うんだ。この人格テンプレートは」


 ユウキは壁を雑巾がけするルフローンに詰め寄った。


「おお、目覚めたか。人格が崩壊して二度と目覚めぬかと思ったぞ」


「そんなわけあるかよ。むしろ元気だぜ。だが……なぜか起動しないんだ。『女神官』の人格テンプレートが」


「ふむ」


 ルフローンは雑巾を木桶に投げ入れると、ユウキの目蓋を指で広げ眼底を覗き込むようにした。


「インストールは無事に完了しておるぞ」


「ならなんで起動できないんだ?」


「うーむ。おそらく『女神官』はその存在のありようが普段の小僧とあまりに違うため、起動に手間取ってるようだな」


「そんな。起動できないってことか?」


「起動のためには呼び水となる誰かが必要かもしれぬ」


「呼び水?」


「手本となる他者だ……すでに『女神官』の人格テンプレートを持っている誰かと交流するがいい。そうすれば、それに触発されて小僧の内なる『女神官』が目覚めるだろう」


「わかった。だが……女神官の人格テンプレートを持ってる奴って……例えばどんな奴だ?」


「その人格テンプレートは、高次元と脳を繋げ、そこから情報とエネルギーをダウンロードし、シンクロニシティを生むことを得意としている」


「よくわからないな」


「一言で言えば『神懸かり』だ」


「神懸かり……神といえばゴゾムズ教か」


 仮面の女がゴズムズ教の関係者だったはずだが、彼女は朝のごく限られた時間しか外に出ることができない。


 よって仮面の女以外から、『女神官』の手本を学ばなければならないようだ。


「とりあえず教会にでも行ってみるか」


 ユウキはルフローンに背を向けると、市街地方面に向かって歩き出した。


 *


「ここが教会か。入るのは初めてだな」


 ユウキは教会の石造りの建物を見上げた。


 ユウキの世界の教会に似ていて、なかなか荘厳な雰囲気がある。


 そう言えばルフローンがくれる人格テンプレートも、タロットカードと共通している。


 文化的に似たパターンが生じる何かしらの力学が異世界間に働いているのかもしれない。


 そんなことを考えながらユウキは教会は足を踏み入れた。


「おっ。中も綺麗じゃないか」


 ステンドグラスに夕日が差し込み、万華鏡のような色とりどりの光がきらめいている。


 だが今日は説教などのイベントはないのか、奥の祭壇に向かって並べられたベンチは空である。


 いや、一人だけ先客がいた。


 どこかの学校のものらしき、セーラー服を思わせる制服を着ている。その制服の銀の刺繍はステンドグラスの光を浴びてきらめいている。


 その十代の少女はきらめきに包まれながら、胸の前で手を組んで一心に何かを祈っていた。


 見るからに『女神官』の人格テンプレートを持ってそうな少女だ。


「…………」


 さっそくユウキは祈る少女に近づき、驚かさないよう小声でそっと声をかけた。


「あの……」


 瞬間、少女は潤んだ瞳をユウキに向けた。


「来てくれたのですね……」


「は……?」


 呆然とするユウキに構わず、少女は正面の祭壇のなんだかよくわからない像に向けて感極まった声を発した。


「ゴゾムズ神に感謝します……私の祈り……叶えてくれたのですね」


「ちょっと……よくわからないが……きょ、今日はいい天気だな」


 とりあえず会話に困ったら自動発動するようセットされている『世間話』が発動した。


「そ、そうですね。いい天気ですね」


 よかった……少なくとも世間話の通じる相手だ。


 若干の安心を得たユウキは、ベンチの端に恐る恐る腰を下ろした。


 少女は再度、繰り返した。


「あなたなのですね……」


「いや……どうかな……」


「あなた……遠い世界からの旅人ですよね」


「おっ、お前、なんでそんなこと知ってんだ? 初対面だろ、オレたち」


「ゴゾムズは偉大なり……森羅万象を司るゴゾムズの叡智によれば、わからないものは何もないのですよ」


「まじかよ。さすが教会だぜ……一発でこんなエキセントリックなヤツと出会えるとはな。ここに来て正解だったぜ」


「何か言いましたか?」


「いや、こっちの話だ……それより、ちょっと聞きたいんだが……どうやったらあんたみたいに神の声を聞けるようになるんだ?」


「私レベルになるのは難しいですよ」


「あんた……やっぱり教会関係者なのか?」


「いいえ。私はただのソーラル女学院の学生です」


「はあ……なんだ、ただの学生かよ。神の叡智もいいが、それで勉強できるのか?」


「べ、勉強も将来的には神の力でできるようになる予定です」


「つまり今はあまりできないということか」


「永遠の宇宙の真理の前には、人間の作り出した仮初の知識など些細なことではありませんか? 学校なんて別に行かなくてもいいのではありませんか?」


 女はベンチから立ち上がるとステンドグラスからの光を浴びてくるりと一回転した。


 ソーラル女学院の制服がよく似合っている。


 しかし彼女のは目は暗く濁っている。まるで身の丈に合わぬ野望に取り憑かれている者の瞳だ。


 ユウキはその直感を口にした。


「あんたさあ。なんか大きな野望を抱いてないか?」


「すごい! わかるんですね。信仰が薄れたこの時代に、真のゴゾムズの叡智を知らしめるのが私の野望です」


「でもあんた、学校であまり友達いないだろ」


「そうです! その通りです」


 女学生は手を叩いて喜んでいる。


「友達がいないのは自分が特別だから、と思ってないか?」


「なっ、なんでわかるんですか? こんなに私のことを理解してもらえるだなんて……なんだか涙が出てきました……」


 女学生は目元を拭うと、正面のよくわからない像に向かって手を組み瞑目した。


「ゴゾムズ神よ、感謝します……つまらないこの世界とは違う遠い場所から私に使者を使わしてくれたことを……私を誰よりも深く理解してくれる使者を私に与えてくれたことを……」


「ちょっと待てよ。オレは与えられたのか? あんたに」


「そうですよ。それがゴゾムズの意向です」


「だがお前は単にそこらの学生だろ。なんでお前がそんなにゴゾムズの力を使えるんだよ」


「汚らしい大人たちと同じようなことをいうのはやめて!」


「すっ、すまん」


「祈りの力は資格試験ではないのです。それは個人の祈りの強さにのみ依存するものなのですよ」


「そ、そうか」


「私の強い祈りの力がゴゾムズに通じた……要点はそれだけです。私はゴゾムズの力によってあなたを引き寄せた。それが事実です」


「なるほど。まあ……そういうことだとしたら、オレはあんたに何をしたらいいんだ?」


「…………」


「考えてなかったのかよ!」


「私を変えてくれる人を引き寄せるのに精一杯で……何をしてほしいのかはよくわかりません……」


「まあ、誰と会おうと自分の人生は自分で変えるしかない。オレはそう思うがな」


「そんな夢のない話、聞きたくありません……」


 女学生は耳を塞ぐとベンチで身を縮めた。


 そのとき脳内にナビ音声が響いた。


「スキル『直感』を獲得しました。また『女神官』の活性化が可能になりました」


「そうか……さっきのオレの推理の冴えは、『直感』の効果だったんだな。ついでに『女神官』も活性化してみるか」


(チェンジ・パーソナリティ・テンプレート! ハーミット・トゥ・ハイプリーステス!)


 心の中でそう叫ぶと、カチリという音がした。無事、脳内の配線が切り替わったらしい。


 思っていたのとは違うが、とにかくこの少女との会話の刺激によって『女神官』を自分のものにできたようである。


 その恩返しに何かしてやりたい。


「…………」


 なんとなくiPhoneの占いアプリを起動するといいような気がした。


 スグクル配送センターで働くか迷っていたときにインストールした、簡単なタロット占いができるアプリである。


「そうだな……ここで会ったのも何かの縁というとことで……とりあえずオレの世界に古くから伝わる占いをあんたにしてやろう」


「占い……あなた、占い師なんですか?」


「まあそんなところだ。アプリがあればなんでもできる。解決したい悩み……叶えたい目標、なんでもいいから話してみてくれ」


 少女はしばらく迷う様子を見せていたが、やがておずおずと話し出した。


 家庭と学校と人間関係の悩み……そして将来への不安と希望を……。


 ユウキは占いアプリをいじりつつ、少女のこんがらがった話に耳を傾けた。


 途中、たびたび大人びた説教したくなることがあったが、グッと堪える。


 そしてスキル『無心』を発動し、ただフラットな気持ちで少女の語りに耳を向ける。


 何か気になることが直感的に思い浮かんだら、そのつどスキル『質問』を発動して、それを掘り下げて聞いていく。


 すると少女の悩みはどんどん核心へと近づいていった。


 核心、それは『自分に自信が持てない』ということのようだった。


 やがて彼女は勝手にひとつの洞察を得た様子を見せた。


「自信が無くても……前に進むしかないということなんですか?」


「そうかもな」


 ユウキは判断を少女に委ねるとアプリを閉じた。


 そして『深呼吸』を発動し、もうすぐ夜になって消えるステンドグラスの光を味わった。


 *


 夜になり教会の職員が明かりをつけにきた。


 また何人かの来客がやってきて、夜の祈りのためか前後のベンチに座った。


「それじゃあ……オレはそろそろ行くぜ。占い、面白かったな」


「あ、あの……」


「なんだ?」


「もしまた占って欲しいことができたら、どうしたらいいですか?」


「オレはスラムの星歌亭って店で働いてる。よかったら遊びに来てくれ。あ、来る時は野犬に気をつけるんだぞ」


「はい……」


「あ、そうそう、一応聞いておくか。ゴゾムズって、どういう風に祈ったらいいんだ?」


 将来的に猫の手ならぬゴゾムズの力を借りたくなるほどの窮地にオレが追い込まれないとも限らない。


 使える力はなんでも使えるよう今のうちに準備をしておきたい。


「ゴゾムズへの祈り……それは普通にゴゾムズのマントラを唱えたらいいだけですよ」


「ゴゾムズのマントラだと? 教えてくれ」


「知らないんですか? 本当に不思議な人ですね……マントラは三つの句からできています。繰り返してください。偉大なるゴゾムズは全知全能なり」


「偉大なるゴゾムズは全知全能なり」


「無限なるゴゾムズは万物なり」


「無限なるゴゾムズは万物なり」


「ゆえに我は全知全能のゴゾムズなり」


「ゆえに我は全知全能のゴゾムズなり」


 そう唱えると確かに意識が軽度のトランス状態に導かれるのを感じた。


 脳内にナビ音声が響いた。


「スキル『祈り』を獲得しました」


「よし。いい感じだ。ありがとな」


 ユウキは女学生に礼を言うと教会を出た。

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