第46話 違法ドラッグ試飲会
『性魔術の奥義』の復習が終わった。
ラゾナ宅のソファ上で二人は身を離した。
謎めいた植物の芳香が漂うラゾナの赤いローブから身を離したそのとき、ユウキの脳裏にナビ音声が響いた。
「人格テンプレート『女帝』の準備が整いました」
思惑通りラゾナの影響を受けることで、自らの内なる『女帝』を目覚めさせることが可能になったのだ。
(よし、このままテンプレートチェンジするぞ! チェンジ・ハーミット・トゥ・エンプレス!)
「人格テンプレートが『女帝』に切り替わりました。さらにこの人格に関連したパッシブスキルとして『優雅さ』と『美』を獲得しました」
「なんじゃそりゃ」
「なに? どうしたの?」
「いや、すまん。独り言だ」
「『女帝』の人格を活性化している間ずっと、ユウキの優雅さと美のパラメータを自動的に底上げするスキルです」
(なるほど……それはいいな。ふう)
作曲に役立ちそうなスキルを手に入れたユウキは満足感と共に一息ついた。
先ほどまでラゾナと『性魔術の奥義』を練習していたため、緊張で喉がカラカラである。
ユウキはローテーブルからティーカップをとって口元に運んだ。
そのときふと気づいた。
(ん……自分で言うのもなんだが、今のオレの所作、美しくないか?)
(そうですね。『優雅さ』と『美』のスキルが働いているようです)
これまでになく自分の動作の隅々にまで気が届いている。
それでいて自意識過剰に陥ることなく、この女体が内包する美しさが自然な動作で表現されていく。
(これは気持ちいいな……)
ユウキはゆったりとティーカップを傾けながら、自分の内側から湧き上がる美と優美さを楽しんだ。
そのときふとラゾナの視線を感じた。
「ん? どうした?」
「綺麗ね、ユウキ……窓からの日差しを浴びてお茶を飲むあなたの姿……まるで一幅の絵画みたい」
「まじかよ。それなら写真撮ってくれ」
ユウキはiPhoneをラゾナに渡し、使い方を説明した。ラゾナは器用に撮影してくれた。確かに綺麗に撮れている。
「だがラゾナも綺麗だぞ」
ユウキはラゾナを写真に撮り、さらに自分たち二人を一緒に撮った。
フィルターをかけなくても映える写真が量産されていった。
*
撮影会を存分に楽しんだところでラゾナはティーポットを持って立ち上がった。
「おかわり持ってくるわね」
「サンキュー。だが時間は大丈夫なのか? 仕事、忙しいんだろ」
するとラゾナはティーポットを持ったままため息をついた。
「それがね……少し困ってるのよ」
「なにがだ?」
「実は……『オークの催淫剤』の解毒薬を冒険者ギルドに注文されているんだけど……あ、これは秘密ね」
「わかってる。それより……お、『オークの催淫剤』だと?」
それは異世界で耳にしたものの中でも、最も強くユウキの男心を揺さぶる単語だった。
「ええ……『姫騎士と百人のオーク』事件で使われたいにしえの催淫剤」
「ああ、例のあれか」
「その催淫剤と、それを分解する解毒剤を作ってみたんだけど……効果を自分では確かめられなくて困ってるのよ」
「なんで確かめられないんだ?」
「私は秘薬専門の魔術師だからね。たいていの毒は体が自動で分解しちゃうのよ」
「なるほど……」
ここで人格テンプレートが自動的に女帝から愚者へと切り替わり、むくむくと強い好奇心が湧き上がってきた。
「だったらその『オークの催淫剤』、オレが試しに飲んでやるよ」
「な、何言ってるのよ、そんなのダメよ! 『オークの催淫剤』は、女性の理性を奪ってしまう強烈な違法薬物なのよ!」
「どうせ解毒剤があるんだから平気だろ」
「だ、だけど……ハイドラの初代姫騎士でさえ、『ゴゾムズ神の加護がなければ催淫作用に負けていた』と後日、語っていたほどのものなのよ!」
「とりあえず実物を見せてくれ」
ユウキは身を乗り出した。ラゾナはローブのポケットを押さえた。
「だ、ダメよ、絶対!」
しかし異世界にしか存在し得ない真のファンタジーを目前にして、ユウキは燃え上がる好奇心を抑えることができなかった。
鼻息を荒くしながら頼み込んでしまう。
「おっ、お願いだ。せめてひとめ、ひとめだけでも見せてくれ」
「ダメっ!」
しかしその強い拒否にあってもユウキは折れなかった。
各種のスキルを発動してさらに頼み込む。
その粘り強い交渉により……ついにラゾナはポケットから小瓶を二つ取り出してテーブルに置いた。
「もう……見るだけよ……」
「ああ、わかってる」
ユウキは露わにされたそれを指でつまみ、顔を近づけて観察した。
密封されたガラスの小瓶二つに、それぞれ紫と緑の液体が入っている。
「緑の方が解毒剤。こっちの紫の方が『オークの催淫剤』……私が文献を元に再現したものよ」
「ほう……これが……」
「ちなみに初代姫騎士が飲まされたものは、これを百倍濃縮したものらしいわ」
「なーんだ。それならこれは全然薄いじゃないか。飲んでも平気だろ」
「そんなことないわよ! この標準濃度でも絶対に抵抗できないレベルの催淫効果があるのよ!」
瞬間、スキル『討論』が発動する。
「そんなこと言っても試してないからわからないだろ」
「う」
「試してみなけりゃ、解毒剤だって効くかどうかわからないだろ。なあ……そんなあやふやな仕事でいいのか?」
「ううう……だけど……ユウキを危険な目に合わせるわけにはいかないわ」
「はっ、見損なうなよ。オレは代理とは言え闇の塔のマスターだぜ」
ユウキはここぞとばかりに権威を利用した。
「そうだけど……でも……」
さらにラゾナの情に訴えかけていく。
「なあ……いつもオレに親切にしてくれるラゾナの役に立ちたいんだ。いいだろ」
「あ、ありがとう、嬉しいわ。でも……」
ここで社会的な義務感にも訴える。
「だいたい冒険者ギルドからの依頼ってことは、何か重要な必要性があってのことだろ」
「え、ええ……禁止されている『オークの催淫剤』の原材料が、今、闇マーケットで大量に取引されているらしいのよ」
「まじかよ。誰かが催淫剤を作って、何かいかがわしい目的に使おうとしてるってことか?」
「そのようね。冒険者ギルドは原材料の流れを追っているらしいわ。だけど最悪な事態が生じたときのための保険として、私に解毒剤の製作を依頼してきたの」
「なるほど、そうだったのか……」
「この薬を使われた女性は、早く解毒してあげないと心に大ダメージを負うわ。それを防ぐために……私、この仕事に手を抜きたくはないの」
「さすがラゾナだな。応援するぜ」
「でも……だけど……」
「ほら、早くオレを使って実験してくれ」
「本当に……いいの?」
「ああ、まかせろ」
なおもラゾナは迷いを見せていたが、やがて意を決したのか紫の小瓶の蓋を開けた。ユウキはさっそくそれを飲み干そうとしたが制止された。
「ま、待って。まずはユウキのバイタルデータをモニタリングする魔法をかけるわ」
ラゾナはユウキの体のエネルギーが流れるツボらしき場所に指先で触れ魔法を唱えた。体の中を覗き込まれている感覚が生じた。
これで準備オーケーなようなので、ユウキは小瓶を口元に近づけた。
「それじゃ、飲むぜ」
「ええ、お願い」
ごくっ。
ユウキは一息で小瓶の薬剤を飲み干した。
煮詰めたエナジードリンクのような味だ。
どろっとしているが、喉越しはそんなに悪くない。
「ん……別に何も変わらないぞ」
「効果が現れるまでに五分。効果がピークに達するまで十分。その後、二時間は効力が続くらしいわ」
「そ、そうか、それは楽しみだな、ワクワクするぜ。あ、そうそう……オレの変化を映像でも記録するために、ビデオもセットしておくか」
ユウキはテーブルのティーポットにiPhoneを立てかけ、インカメラを自分に向けると録画ボタンを押した。
ラゾナが不安げな視線をこちらに向けているのがスマホの画面に映っている。
「ピークに達したらすぐにこの解毒剤を飲んでもらうわ」
「そんなに心配するなよ。こんな少しの薬でオレがどうこうなるわけないだろ」
「そ、そうかもしれないけど……」
だいたい伝説の薬なんてものは、現代で再現してみても大したことないのが世の常である。
『オークの催淫薬』だなんて、名前だけはたいそうご立派だが、こんなリトルな小瓶一つでオレがエッチなマンガの登場人物みたいになるわけないだろう。
「はっはっは、笑っちまうぜ。それにしても……なんだか少し暑いな」
ユウキはラゾナに貸してもらった服の胸元を少し開けた。そのときラゾナが震えた声を発した。
「な、なんてこと……急激に心拍数と体温が上がってるわ! もうダメ、実験は中止します、早く解毒剤を飲んで!」
「まあまあ落ち着けよ、それより一緒にビデオに映ろうぜ」
ソファ上のユウキは隣に座っていたラゾナの腰をグイッと引き寄せると、目の前のiPhoneのディスプレイを見た。
心配そうなラゾナと、軽く汗をかき上気したオレの顔がインカメラに映っている。
オレの瞳は風邪でもひいているかのように潤んでいる。
「かわいいな……オレ……」
思わずそう呟いた瞬間、尾てい骨の底からゾクゾクした感覚が湧き上がり、それは背筋をチリチリと泡出せながら脳へと駆け上ったのを感じた。
「早く、早く解毒剤を飲んで……」
遠くからエコーがかかって聞こえるラゾナはよくわからないことをしきりに訴えていた。
「…………」
だが、それよりも今、ユウキは切実に何か別のものを欲しつつあった。
インカメラに映るユウキは顔を赤らめながら両足の膝をもぞもぞとこすり合わせはじめた。
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