第27話 ユウキの気づき

 第三層には一行が求める秘薬庫以外にも、書庫、金庫、休憩室、神秘の泉などの役立つ施設があるという。


 暗く殺風景な廊下を歩きながらユウキは聞いた。


「なんだその『神秘の泉』ってのは?」


 ラチネッタが手帳をパラパラとめくった。


「アイテムを投げ入れると、バージョンアップしたアイテムとなって返ってくる泉らしいべ」


「まじかよ最高だな。もし通りかかったらオレのiPhoneでも入れてみるか」


 その一方で光あれば闇があるように、遭遇したくない施設も多く点在しているという。


 拷問室、トラップルーム、狂気部屋、魔物養殖場、不運の沼などなど。


 上層階より遥かに長く単調で気が滅入る廊下を歩きながらユウキは聞いた。


「なんだその『不運の沼』ってのは?」


「扉を開けるといきなり足元がドロドロの沼になってる部屋らしいべ。落ちると近いうちになにかよくないことが起こるべ」


「まじかよ最悪だな。絶対に避けて通ろう」


 しかしこの廊下の先にどんな施設に辿り着くのか。それはこの廊下を歩く者の精神状態に依存しているのだ。


 暗い気分で廊下を歩けばネガティブな施設に、明るい気分で歩けばポジティブな施設にたどりつく。


 それゆえに一歩一歩、前向きな気分で足を踏み出さなければならない。


 だが……。


「ん? 廊下の奥に扉が見えてきたぞ。着いたのか?」


「開けてみるべ」


 ラチネッタは扉に駆け寄ってそれを小さく開け、中を覗き込んだ。


「ま、魔物がいるべ。五体の骸骨兵だべ!」


「我らが行こう。シオン殿は魔法を温存されよ」


「すぐに片付ける」


 暗黒戦士とゾンゲイルが室内に飛び込んでいった。


 暗黒剣と鎌が振るわれる音が響いた。


 しばらくして扉が内側から全開にされた。


「終わった」


「この程度、我らの敵ではない」


「おつかれ」


 ユウキは室内に足を踏み入れた。


 骸骨兵の残骸が散らばる小部屋には特にめぼしいものはなかった。


 殺風景で、宝箱も罠も仕掛けもない。


「なんなんだ? この部屋は? 特に何もないぞ」


 ラチネッタはパラパラと手帳をめくった。


「この部屋は……『なんでもない部屋』だべ」


「『なんでもない部屋』だと? なんなんだそれは?」


「探索者の精神エネルギーが指向性を持たず、ネガティブにもポジティブにも定まっていないときに現れる部屋だべ」


「ば、馬鹿な。オレたちは皆、欲しい薬を手に入れるという目標に集中している。そうだろう?」


「もちろんだべ」


「私、料理上手の薬、早く飲みたい」


「我も攻撃力を高め、戦士としての高みにのぼらんと心より欲しておる」


「僕も言わずもがなだよ。朝、塔の周りをユウキ君と走れたら、きっと気持ちいいだろうからね」


 ユウキはうなずいた。


「よし……『なんでもない部屋』に来てしまったのは、きっと何かの間違いだな。きっと次の部屋こそは秘薬庫のはずだ。行くぞ」


「行くべ」


 ラチネッタは『なんでもない部屋』の奥にあった扉を開けた。


 その向こうにはまたとんでもなく長く暗く殺風景な廊下が続いていた。


 一行は廊下へと足を踏み出し、無限に思える時の中を歩き始めた。


 *


『なんでもない部屋』を抜けた後の左右の壁には、百メートルおきほどの間隔で、額縁に入った絵がかけられていた。


 ふとユウキは立ち止まって絵を眺めた。


 額の中には、灰色の絵具で一本の線と円が描かれていた。


「なんだこの絵は?」


 ラチネッタは手帳をパラパラとめくった。


「こっ、これは……『なんでもない絵』だべ」


「なんだそれは?」


「『なんでもない部屋』を抜けたあとも、まだ探索者の精神の焦点が定まっていないときに現れる絵だべ」


「なっ、なんだと……」


 ユウキはもう一度、各員のモチベーションをチェックした。


 皆、顔に疲れはうかがえるものの、欲しい秘薬にまっすぐな願望を向けていた。


 その声には熱意がこもっており、嘘やごまかしは感じられない。


 だが……。


 現にオレたちは『なんでもない部屋』にたどり着き、『なんでもない絵』を観てしまった。


 それは、このメンバーの中に、目標に対する想いが弱い奴が混ざっているということを表している。


『こんな秘薬が欲しい』と言いつつも、心の奥底ではそんなもの欲しいと思っていない奴が、このメンバーに混ざっている。


 とはいえ犯人探しはできない。


 そんなことをしたら場の雰囲気が悪くなってしまう。


 場の雰囲気が悪くなれば、その先に待っているのは『不運の沼』あるいは最悪『拷問室』だ。


 そんなところには絶対に行きたくない。


 ユウキは無理やり笑顔を作って言った。


「みんな……疲れてるところ悪いが、もう一度、自分の欲しいものをチェックしてくれ。そしてそれが手に入った未来をリアルに想像して、気分を上げてくれ」


 メンバー各員は目を閉じた。


 おそらく想像スキルを使って、望みの秘薬を飲んだところをイメージしていると思われる。


 しばらくして目を開けた各員の顔には、静かな情熱を感じさせる微笑みが浮かんでいた。


 どうやらしっかりと自分の欲しいものをイメージできたらしい。


「……よし。次こそは『秘薬庫』にたどり着けるはずだ。行くぞ」


「行くべ」


 一行は『なんでもない絵』の脇を通り過ぎ、廊下の奥を目指して歩き始めた。


 だが何枚もの『なんでもない絵』が廊下の壁に現れた。


 しかも、やがて到着した扉の奥にあったのはやはり『なんでもない部屋』だった。


 その上、室内の敵の数が倍増していた。


 暗黒戦士とゾンゲイルの活躍により難なく撃破したものの、室内に散らばる敵の大量の残骸を見たユウキに不安と恐怖が忍び寄る。


「これは一体、どういうことなんだ……?」


 ラチネッタが手帳をパラパラとめくった。


「まずいべ。『なんでもない部屋』に敵が増えるのは、探索者の精神状態がネガティブ方向に振れつつある証拠だべ」


「くっ……」


 ここに来てついに、迷宮の闇の魔法の効果が目に見えて現れ始めた。


 ユウキは爪を噛んだ。


 シオンの防壁によっても完全に遮断できない精神攻撃が、ユウキを責め苛んでいるのだ。


 不安と恐怖が。後悔と恥が、ユウキの中に膨れ上がる。


 同時に、メンバーへの疑いと怒りまでもが湧いてくる。


 それは抑えられず外側に溢れ出した。


「なあシオン……お前、本当は運動なんてしたくないんじゃないのか? 自分に嘘をつくのはやめろよ」


「なっ、何をいうんだい。僕は心の底から体力が欲しいと思ってるよ!」


 ユウキはさらに他のメンバーにも疑いの声を向けた。


 場の空気は急激に重くなった。


「くそっ……しかたない、とりあえず先に進むぞ」


 ユウキはそう吐き捨てると扉を開け、ずんずんと廊下を歩きはじめた。


 しばらくして廊下の壁に新たな絵が現れた。


 額縁の前で足を止めたユウキの血の気が引いた。


「こっ、これは……」


 壁の油絵に描かれていたのは、薄暗い地下牢で拷問され四肢を切断されている男の絵だった。


 ラチネッタはパラパラと手帳をめくった。


「これは『拷問の絵』だべ。この絵は、廊下の奥に『拷問室』が待ち受けていることを表しているべ!」


 ここでついにユウキの心は完全に乱れた。


 振り返ってメンバーに向かって強く毒づいてしまう。


「まったく、誰なんだよ! この中に、自分の心に嘘をついてる奴がいる! そいつのせいでオレたちはいつまでも目標地点に辿り着けないんだ! 自分の願望に正直になれよ!」


 と、そのときだった。


 ゾンゲイルが無言で歩み寄ってきたかと思うと、いきなりユウキの頭に手を回し、自分の胸にぎゅっと抱き寄せてきた。


「うっ」


「落ち着いて。深呼吸して」


「…………」


 ユウキは反射的にスキル『深呼吸』を発動した。


 柔らかなゾンゲイルの胸元に埋もれるようにして深呼吸する。


 すると、あるときユウキは忽然と気付いた。


「…………」


 嘘をついているのは……オレだ。


 かつてオレは言った。


『オレが欲しいのはコミュニケーションスキルだ』と。


 だがそれはオレの真の願望ではなかった。


 コミュニケーションスキル、そんなものは、欲しいものを得るためのただの手段であって、オレが本当に欲しいものではなかった。


 オレが本当に欲しいもの。


 それは今、オレの目の前にあった。


 この顔にあたる柔らかく気持ちいいもの。


 女体。


 これこそがオレの求めるものだったのだ。

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