第28話 変身

 人生において回り道をしている時間はない。


 回り道とは、Aを手に入れるために、まずBを手に入れようとする迂回のことである。


 そんな回り道をするのではなく、人はいきなり最終目標であるAを求め、それを最短距離で手に入れるべきだ。


 今回の件であれば、オレはいきなり女体を求めるべきだったのだ!


 ユウキは最後にもう一度、深呼吸するとゾンゲイルの豊かな胸から顔を離した。


「ユウキ……」


 心配そうに見つめているゾンゲイルとパーティ一行にユウキは言った。


「すまない、みんな……オレたちがいつまでも秘薬庫に辿り着けないのはオレのせいだった。オレが、自分自身に嘘をついていたんだ」


「嘘? どういうことだい?」


「さっきはすまなかったな、シオン。たいして欲しくないものを、欲しいと思い込もうとしていたのは、お前じゃなくてオレだったようだ。オレが本当に欲しいのは……」


「なんだい? ユウキ君は一体、何が欲しいというんだい?」


「それは……」


 女体だ、とはどうしても言うことができなかった。


 よく考えればこのパーティはユウキ意外、ほぼ女性で構成されている。そんな中で女体が欲しいという率直な願望を口に出すことはためらわれた。


 もしかしたらゾンゲイルに頼めばその女神のごとき女体を触らせてらえるかもしれない。


 あるいは暗黒戦士に頼めばその厚い鎧の下に隠されている透明感のある肌に触らせてくれるかもしれない。


 それかラチネッタに頼めば、いまだ発情期ではないものの何かしらエッチなことをさせてくれるかもしれない。


 異性にそう頼むことに気後れを感じるのであれば、同性でありつつもほぼほぼ女体を持っているシオンに頼むのもいい。


 しかし……。


 どうしてもユウキはその願いを表に出すことはできなかった。


 そのかわりにただ心の中で強く願い、求めた。


 女体を。


 *


「と、とにかくオレはもう大丈夫だ。自分が本当に欲しいものを見つけたんだ。早く秘薬庫に急ごうぜ」


 ということで一行は再び、迷宮第三層の廊下を進みはじめた。


 パーティ一行はまだユウキに心配そうな目を向けていたが、今、ユウキの気持ちはまっすぐ秘薬庫に向いていた。


「…………」


 秘薬庫で、薬を飲む。


 その薬は、女体とオレが最終的な一線を超えられるようになる薬だ。


「…………」


 オレはこれまでナンパスキルを磨くことで、いずれ遠い未来に女体と深く接することができるようになるだろうと思っていた。


 そのためオレは地味にコツコツとナンパ活動を続けてきた。


 馬鹿か!


 確かに現世においてはそのようなコツコツとした地道な活動がもしかしたら必要かもしれない、女体と真に深く親しむためには。


 だがここは異世界であり、現世の理を超越した場所である。


 ここには女体と親しむためのショートカットが無限に用意されているはずなのである。


 そのような場においてはそのショートカットをありがたく利用することこそが理にかなっている。


 すなわち秘薬庫で『女体を自分のものにするための薬』を得て、それによって己の願望を叶えるべきなのである。


「すごい、ユウキ……これまでに見たことのない真剣な顔」


 隣を歩くゾンゲイルが口元に手を当ててそう呟いた。


 ラチネッタが前方を指差した。


「新しい壁の絵が見えてきただよ!」


 近寄って見たユウキは息を呑んだ。


「な、なんだこの絵は……四肢が胴体に縫い合わされた男がテーブルで茶を飲んでるぞ」


 ラチネッタは手帳をパラパラとめくった。


「これは『回復』の絵だべ! 『拷問室』に続いていた運命が変わり、上向きに回復し始めたことを表す絵だべ!」


「よし……」


 ユウキはグッと拳を握りしめると、再度メンバーと共に無限に続くかに思われる長い廊下を進んでいった。


 やがて廊下の突き当たりに扉が現れた。


 扉の向こうには二体の骸骨兵がいた。


 暗黒戦士とゾンゲイルが一瞬で骸骨兵をバラバラにした。


 その残骸が散らばる部屋には、椅子とテーブルが置かれていた。


 テーブルには造花が飾られていた。


「なんなんだこの部屋は?」


 ユウキは無意識的に椅子に腰を下ろしながら聞いた。


 ラチネッタは手帳をパラパラとめくった。


「ここは……『一休みの部屋』だべ! 椅子で一休みしながら、これまでの長い道のりを達成感とともに思い返すことで、より早く目的地に近づけるべ!」


「ふふっ、そういうことなら一休みしようか」


「そうであるな。補給食を摂る頃合いかも知れぬ」


「これを食べるべ!」


 ラチネッタは鞄から木の実を砂糖で固めた高カロリーの補給食を取り出し、皆に配った。


 もそもそと補給食を食べつつも、ユウキは目標への集中を解かなかった。


 いや、解こうとしても解けなかったと言うべきか。


 これから女体と親しく交わるための薬が手に入るのかと思うと興奮を禁じ得ない。


 おそらくそれは惚れ薬のような形態を取るのではないかと思われる。


 異世界に来てもオレは肝心なところで女性と一線を超えることができないでいる。


 多くの女性と仲良くなったが、寸止めが増えるばかりである。


 だが惚れ薬があれば、女体の方が積極的にオレに近づいてきてくれるはずだ。


 そしてオレはついに女体と一線を超えて交わるのだ!


 うおー女体!


 かわいい女体!


 美しい女体!


 エロい女体!


 それをオレは自分のものにする!


 そのための秘薬をオレは飲む!


 そう強く決心すると体の奥から凄まじく燃える情熱の炎が湧き出すのを感じた。


 この情熱が、オレを、オレたちを、必ずや目的地へと導いてくれる。そんな確信に導かれ、ユウキは一休みの椅子から立ち上がった。


「そろそろ行くか」


「うん、行く」


 ゾンゲイルは補給食の最後の一口を飲み込むと、ユウキの左腕に自分の腕をからめた。


 柔らかい乳房が二の腕に押し付けられる。


「…………」


 あたかも女体と深く交わることを可能にする秘薬の効果が、未来から現在へと時を超えて波及しているかのように感じられた。


 今、深い満足感がユウキを包みつつあった。


 長い廊下を歩きながらユウキは言った。


「さっきはすまなかったな、シオン。許してくれ」


「ふふっ、いいんだよ。辛いときはお互い様さ」


 ゾンゲイルの反対側に立つシオンは、軽くユウキの指先に触れたかと思うと、いきなりその手をぎゅっと握ってきた。


「お、おい……」


「……いやかい?」


「そ、そんなことはないが」


「手を繋いでいた方が精神障壁の効きがいいんだよ。ユウキ君を迷宮の闇の魔法から守らないといけないから……」


 シオンは少し顔を赤らめながら、言い訳するようにそう言った。


「…………」


 左からはゾンゲイルの胸の重みが、そして右からはほぼほぼ女体のシオンの温もりが伝わってくる。


 その前後をラチネッタと暗黒戦士に守られながらユウキは廊下を奥へ奥へと進み続けた。


 やがて廊下の突き当たりに扉が見えてきた。


 ラチネッタが扉に駆け寄ると罠をチェックした。


「大丈夫だべ」


 シオンが扉に手を当てて内部を透視した。


「……ここだよ。僕たち、とうとう秘薬庫に着いたみたいだ」


「開けるだよ」


 ラチネッタは扉を小さく開けた。その奥の暗闇へと、暗黒戦士とゾンゲイルが身を滑り込ませていった。


 やがてゾンゲイルの声が中から響いてきた。


「来て、安全」


 その声に導かれて残りのメンバーも扉の奥に足を踏み入れる。


 全員が入ると魔法の光が輝いて秘薬庫を照らした。


 埃っぽい倉庫のような秘薬庫には、謎めいた機械がひとつポツンと置かれているだけだった。


 魔法の光によってその立方体が淡く照らされている。


 なんとなくユウキは自販機を思い出した。


 その四角い機械は人の背丈ほどで、ちょうど胸の高さにひとつのボタンが付いており、そのボタンの下部に凹みがあった。


 ラチネッタは手帳をパラパラとめくった。


「こっ、これこそが秘薬製造機だべ!」


「ふふっ……とうとう僕たち、たどり着いたんだね。このボタンを押せばいいのかい?」


 ラチネッタはうなずいた。


「それじゃ……僕から押してみるよ」


 ポチッ。


 ガコン。


 機械の凹みに陶器のカップが現れた。


「……このあと、どうすればいいんだい?」


「そのまましばらく待つべ。これまでの道中でおらたちが練り上げてきた精神エネルギーを元に、機械の中で秘薬が錬成されてるところだべ……あっ、出てきたべ!」


 ラチネッタがカップを指差した。


 凹みに置かれたカップに、今、機械のノズルからちょろちょろと赤黒い液体が注がれていた。


 カップが八割まで満たされたところで機械は自動的に止まった。


 シオンはそのカップを慎重に手に取った。


「では次に我が押してみよう」


 暗黒戦士がボタンを押した。


 ポチッ。


 ガコン。


 ちょろちょろー。


 新たなカップが凹みに現れ、そこに緑色の液体が注がれた。


 さらにラチネッタとゾンゲイルがボタンを押し、それぞれ青色と黄色の秘薬を得た。


「それじゃあ最後に……オレが押してみるぞ」


 ごくっと生唾を飲み込んだユウキは期待に震える指でボタンを押した。


 ポチッ。


 ガコン。


 ちょろちょろー。


 ユウキはピンク色の秘薬を得た。


 それぞれの秘薬のカップを手にしたメンバーは、互いの顔を見回した。


 そして、ゆっくりとうなずきあうと、カップを口元へと運び、秘薬に口をつけた。


「うぐっ、うぐっ、ごくっ」


 かなり量が多い。


 喉を鳴らして秘薬を飲み干す音が秘薬庫に響く。


「ぷ、ぷはー……まあまあ飲めない味じゃなかったな。それで……効果はいつ出てくるんだ?」


「即時的に出るはずだよ。僕は……体中に力が漲ってるのを感じるよ」


「おらは早くバイトしたい気分だべ!」


「我は……どうやら剣の真髄を見いだしたようだ」


 やおら暗黒戦士は素振りを始めた。確かに切れ味が増している。


「私、新しい料理のアイデア、閃いたみたい……今晩、作る!」


「お、オレは……」


 特にまだ何も感じられない。


 もしかしたら何かの手違いがあったのだろうか?


 オレだけ秘薬を得ることに失敗したのか?


 不安に思っていると、シオンの視線に気づいた。


 なにか、異様なものを見る目でこちらを見ている。


「な、なんだよ」


 もしかして、すでに惚れ薬の効力が発揮されているのか。


 シオンは目を丸くしてユウキに近づいてきた。


 彼は手を伸ばすと、ユウキの体に触れた。


「お、おい」


「ユウキ君……」


「ユウキ……」ゾンゲイルも近づいてきてユウキの頬に指先で触れた。


「おい、どうしたんだ、みんな」


 暗黒戦士も、ラチネッタもユウキに近づいてきて体に触れてきた。


 ぺたぺた。


 二の腕や頬や胴を触られる。


 ま、まじかよ……。


 これが秘薬の効果だというのか?


 女体が向こうから近づいてきてオレに接触してくれている。


 この効果があれば、女体と一線を越えるというオレの念願が叶う日も近い……。


 だがユウキはすでに一線を超えていた。


 シオンがかすれた声で呟いた。


「ユウキ君……君の体……」


「なんだよ。触りたければもっと触っていいぞ」


「じゃ、じゃあごめん、触るよ!」


 シオンはユウキの胸に手を伸ばしてきた。


「ははは。そんなところ触ったって何もないぞ」


 だが……。


 シオンに胸を触られたユウキは、かつて感じたことのない違和感を覚えた。


「ん、なんだ? この重みは……」


 肩がずっしりと重い。


 何かの質量が胸にぶら下がっているかのようだ。


 さらにゾンゲイルがユウキの腰を両手で触ってきた。


 そこにもユウキは強い違和感を覚えた。すごく滑らかな曲線がそこにあるのを感じた。


 さらにラチネッタがユウキの髪に触れた。信じられないことにいつの間にかユウキの髪は伸び、背中にまで達する長さになっていた。


 さらに暗黒戦士が兜の奥から熱い視線をユウキに送っているのが感じられた。


「う、美しい。我は……このような美人を見たのは初めてである」


 ユウキは慌てて暗黒戦士の暗黒剣に自らの顔を映してみた。


「な、なんじゃこりゃあ……」


 そこに映っていたのは、かわいく、美しく、すごくエッチな雰囲気の女体だった。


「ユウキ君……教えてくれ。君は……一体、何を願ってこの迷宮を歩いたんだい?」


「い、いやだ。教えたくない。恥ずかしいから……」


「すでに結果は出てるじゃないか! 隠さないで教えてくれ!」


「わ、わかった……オレが願ったのは……だ」


「何? 聞こえないよ!」


「にょ、女体だ!」


「…………」


「オレの願望は女体だ! かわいくて、美しくて、エッチな女体と一線を超えることを望んでオレは迷宮を歩いた! なんか文句あるかよ!」


「なるほど……まさにその望みが叶ったんだね」


「はあ? なんでオレ自身が女体化してるんだよ! おかしいだろ!」


「ううん。何もおかしくないよ。君は確かに、望みのものを手に入れたんだよ。ほら……かわいくて、美しくて、エッチなその女体は、確かに君のものじゃないか」


 シオンは呆れ顔でそう呟いた。


「凄いべ……第三層で得られる最大ランクの秘薬……性別変更の秘薬の効果を、おら達は目の当たりにしてるんだべ!」


 ラチネッタはパラパラと手帳をめくった。


 暗黒戦士はじっと情熱的な視線をユウキに向け続けた。


「すまぬ。もう少しだけ見惚れさせてくれ。目を離すことができぬ」


「ユウキ、かわいい!」


 ゾンゲイルはユウキの頬に頬擦りした。無精髭の無い、ツルツルのお肌がそこにあった。

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