第26話 第三層
大部屋での戦闘を無傷で乗り越えた一行は、獣の死霊の残骸を背後に残し、下り階段と歩を進めた。
階段は魔法の照明によって足元が照らされている。
稲妻のように何度も折れ曲がるその階段を降りながら、ユウキは聞いた。
「第三層ってどんな感じなんだ?」
ラチネッタは『ミカリオンの手帳』をパラパラとめくった。
「上層よりもさらに夢のような性質が強まっているらしいべ」
「まったくイメージできないな」
「三層以下では、迷宮探索者の主観が、迷宮体験にダイレクトな影響を与えるそうだべ。ちょっと読んでみるべ」
ラチネッタは手帳をめくると関係する項目を読み上げた。
『夜の夢の中で恐怖に飲まれた者は、怪物に追いかけられる悪夢を見るだろう。同様に、迷宮三層で恐怖に飲まれた探索者は、迷宮内に恐るべき魔物を見出すだろう』
「ふふっ。要するに、怖がりながら三層を歩けば、その恐怖から生まれた魔物に襲われるってことだね」
「ふふっ、じゃないだろ。どうするんだよ」
「魔物が出たら、殺す」
ゾンゲイルは鎌の柄に手をかけた。
「闇には闇で、恐怖には暗黒にて立ち向かうべし」
暗黒戦士は全身から暗黒のオーラを立ち上らせた。
しかしそのような脳筋な方向性はまずい気がする。
「そ、そうだ……精神状態が三層での体験を作るなら、なにかポジティブなことを考えながら歩けば魔物は出ないんじゃないか?」
「ふふっ、その通りだよ。そしてそれこそが、三層で『秘薬庫』に辿り着き、そこで望みの薬を得るための秘訣なんだよ。僕がエグゼドスの日誌から調べたところによればね」
「どういうことだ?」
「恐れを抱きながら第三層を歩けば、それは魔物という形で外界に顕現されるんだ。その逆に、ポジティブな感情を抱きながら第三層を歩けば、それは秘薬庫内部に、プラスの効果を持った秘薬として結実すると言うわけさ」
「ということは、健康で潑剌とした気分で第三層を歩けば、秘薬庫の中に『健康の薬』が現れるってことか?」
「大筋としてはそう言うことだよ」
つまり、ネガティブな感情を抱いて三層を歩けば、迷宮の探索者は魔物との無益な戦いや、『拷問室』のような恐るべき施設へと導かれる。
その逆に、ポジティブな感情を抱いて歩けば、探索者は幸運の妖精との出会いや、『秘薬庫』のような嬉しい施設へと辿り着き、そこで望みの薬を得られる。
そういうことらしい。
「だがなあ、第三層には二層よりも強力な精神攻撃の魔法がかけられてるんじゃないのか」
「その通りだべ。第三層には、第二層までの『恐怖』『不安』『後悔』に加えて『怒り』を煽る魔法がかかってるべ。しかもその効果は第二層の五倍は強いべ」
「シオンのバリアで防げるのか?」
「ふふっ。正直、完全に防ぐことは無理だろうね」
「まじかよ。やばいだろ」
「ふふっ、大丈夫。ユウキ君がいれば、きっと秘薬庫にたどり着けると僕は信じてるよ」
「んだ! ユウキさんがいれば安心だべ。おらたちの気分が暗くなってもなんとか盛り上げて明るくしてくれるべ!」
「そうに違いない。暗黒しか知らぬ我が心も、ユウキ殿といれば多少は和らぐというもの」
「ユウキと歩くの楽しい」
「…………」
ユウキは青ざめた。
完全に買いかぶられている。
おそらく前回の迷宮探索の話が、ラチネッタによって大袈裟に盛られて皆に伝わったのだろう。
オレにできることと言えば深呼吸や世間話ぐらいだというのに。
「…………」
まあ、確かに前回の迷宮探索では、そう言ったスキルによってラチネッタのパニックを解除したこともあった。
だが今回は五人パーティである。
いったん誰かが異常ステータスを得たらそれが全員に伝染して集団パニックに陥るのではないか。
そうなったら最後、オレ一人がどれだけ深呼吸で気持ちを落ち着かせたところで、一度ネガティブ方向に触れた集団の精神を立て直すことなどできやしない。
どうすればいいんだ?
「…………」
だが悩んでいるうちに、気がつけば階段の終りに辿りついていた。
このドアを開ければそこはもう第三層だ。
「じゃ、開けるだよ」
「ちょっと待ってくれ! 皆で心の準備をしよう」
扉を開ければ精神攻撃が強まるはずだ。
その前に、メンバー各員の中にポジティブな精神状態を生み出しておきたい。
「そうだな……とりあえずシオンは、無事、秘薬庫に辿り着いて『体力増強の秘薬』を飲んだときのことを想像してみてくれ。できるか?」
「ふふっ。もちろんだよ。特定のイメージを作り出し、そこに意識を集中することは魔術師の基本能力だからね」
シオンは目を閉じた。
ユウキもスキル『想像』『集中』を使い、シオンの体力が飛躍によって底上げされた時のことをイメージした。
「朝のジョギングが楽にできるようになりそうだな」
「そうだね。また一緒に走ってくれるかい?」
「ああ。次は塔の周りを二周ぐらいしてみようぜ」
シオンは建設的な目標に集中した者が見せる微笑みを浮かべた。
「ラチネッタは……種族変更の薬が欲しいんだったな」
「んだ。だども種族変更の薬はハイレベルな秘薬だから、四層か五層の秘薬庫まで行かないと手に入らないだ」
「そ、そうなのか」
「んだ。手帳によれば……三層で手に入る属性変更系の秘薬は、せいぜい『一時的な性別変更の薬』ぐらいのものらしいべ」
「そうか……だけど一応、なにか他に欲しいものを考えてみてくれないか」
「そんだら、おらは『自制心』が欲しいだ。自分の動物的な衝動を律し、行動をコントロールする力……それがあれば、おらはもっと有能な班長になれるだよ!」
「我は攻撃力を所望しよう」
「私は料理が上手になりたい」
ユウキはスキル『想像』『集中』を発動し、各員が望みの能力を得ているイメージを心に描いた。そしてそのイメージを口頭でシェアした。
秘薬を飲んでなれるかもしれない新しい自己像。
それを聞いた各員はときめいた表情を浮かべた。
「自制心が手に入ったら、おら、二倍働くだよ! もっと勉強もするだよ!」
「より大きな攻撃力を手にした我は、暗黒戦士の理想に近づけるかもしれぬ。ふふふふ……」
「料理が上手になったらもっとたくさん食べてほしい」
「わ、わかった……それじゃ……そろそろ行くか。みんな、未来への希望を絶対に忘れないで歩いてくれ」
「ふふっ。ユウキ君はどんな秘薬を飲みたいんだい?」
「オレか……オレは……コミュニケーション能力が上がる薬かな」
「いいね。みんなで素敵な秘薬に満ちた秘薬庫へと、必ずたどり着こう」
一行は顔を見合わせてうなずいた。
ラチネッタは第三層へと続く扉を開けた。
だがその瞬間……扉の奥から凄まじい濃度の闇の魔力が流れ込んできて、一行を包んだ。
濃度の高い闇の魔力が精神障壁に浸透し、ユウキの心へと忍び込み、さまざまなネガティブな感情を呼び起こし始める。
ユウキの心は急速にささくれだっていく。だが戻ることはできない。血で血を洗う戦闘を止めるためには前に進むしかない。
「……行くか」
ユウキはゴクリと生唾を飲み込むと、暗く長く続く第三層の廊下へと足を踏み出した。
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