第20話 軍靴の足音

 急いで塔に戻ったユウキは平等院の襲来をメンバーにシェアしようとした。


 と言ってもゾンゲイル、ラチネッタはソーラルで働いており、アトーレは暗黒評議会との連絡のためどこかに出かけている。


「おい、悠長に本なんて読んでる場合じゃないぞ!」


 ユウキは塔の五階の書庫のドアを開け放った。


 本棚の隙間の向こう、薄暗く埃っぽい書庫の奥で、シオンが丸眼鏡をかけて書見台に向かっていた。


 銀髪の少年はクイッと眼鏡をあげるとこちらを見た。


「ふふっ、いまさら何があろうと驚くべきことなど何もないよ」


「お前、そんな余裕を見せられるのもオレがこれから話す情報を聞くまでの間だけだぞ。これからオレはまじでやばいことを言うからな」


「ふふっ、言ってごらん。僕はね、わかったんだ」


「何がわかったってんだよ」


「人生とは死ぬまでの暇つぶしであるってことがね、わかったんだ、僕には」


「…………」


「その暇つぶしの中ですべては移り変わっていくんだよ。だからこの世界にも自分の命にも執着してはいけない。そうすれば心安らかに過ごせるんだ」


 読んでる本の影響か、それとも朝の運動で妙な脳のスイッチでも入ったのか、悟ったようなことを口走っている。


 だがそんなものは迫りくるリアルな軍靴の足音を聞けば吹き飛んでしまうのだ。


 小賢しい理性によって恐怖や不安に対処することなどできやしない。


 案の定、ユウキが平等院の襲来の予定を伝えると、シオンは平静な顔をしつつも貧乏ゆすりを始めた。


「知能を持つ生きた人間が、千人も、この塔を包囲するだなんて……ふふっ、終わったね……」


 そう呟くとシオンは貧乏ゆすりしながらまた手元の本に目を落とした。


 タイトルには『死の準備 ~心安らかな最後のために~』とある。恐ろしい現実から逃れる術を探すように、シオンは神経質な手捌きでページをめくった。


 ユウキは本をシオンから奪い取ると、その背表紙に貼られているラベルの分類番号に従って死霊術の棚に戻した。それから言った。


「なに諦めようとしてるんだ」


「僕はもう……疲れたんだ……」


「まあ、そりゃな。朝に走ったもんな。そうだ、風呂沸かしてやるから入ってこいよ」


 ユウキは塔の裏の風呂を沸かし、虚ろな表情のシオンを引っ張って連れていった。


 さらに風呂上りにはホカホカのシオンを自室に連れてゆき、先日、エクシーラに施したのと同様のマッサージを施した。


「い、いいよ、そんなことしてくれなくても」


「遠慮するなよ」


「あっ……うっ……」


 凝っている筋肉を刺激されるたびにシオンは声をあげたが、やがて力を抜いて枕に顔を埋めた。


 しばらくすると寝息が聞こえてきた。


 一通りマッサージをやり切ったユウキは、暇になったのでさきほどの書庫に向かい、面白そうな本を探してパラパラとめくった。


 夕暮れ時に書庫のドアが開き、シオンが顔を見せた。


「起きたのか。調子はどうだ?」


「う、うん……悪くはないよ……」


 さきほど弱音を吐いたのを恥じているのか、顔を赤らめてうつむいている。


 そんなシオンの屈託をスルーして、ユウキは本題を再度切り出した。


 肉体が適切にケアされることにより気力がチャージされる。気力がチャージされればストレスへの耐性が生じる。


 よって今のシオンはこのヘビーな話を受け止められるはずだ。


「もうしばらくすると千人の格闘家がこの塔に押し寄せるらしい」


「ふふっ……どうやって撃退しようかね」


 シオンは手からバチバチと魔術的な電撃を放出しながらそう呟いた。


 どうやらやる気になってくれたらしい。


 それは助かる。


 だが現実的に考えて、千人の人間をこの塔で迎え撃つことは得策ではない。


「どうしてだい? しっかりと準備すれば勝てるかもしれないよ」


「勝てるってお前……千人を殺すつもりかよ」


「相手は僕たちからマジックアイテムを略奪しようとしてるんだ。そんな相手を殺すことになんのためらいがあるって言うんだい?」


 シオンは手をバチバチさせた。


「まあ……殺し合いというのもコミュニケーションのひとつの形かもしれないし、決して否定はしない。だが千人殺したら今度は一万人がこの塔に押し寄せるぞ」


「どうしてだい?」


「最初の千人には親兄弟友人がいる。そいつらが復讐しに来るってわけだ」


「そしたらその一万人も殺せばいいんだよ」


「確かに、一般人の一万人ぐらいなら、やってやれないこともないかもな」


「そうさ。闇の塔の力を世に知らしめてやるときが来たんだよ! 僕はもう逃げない……!」


 シオンはバチバチと手から電撃を放出しながら、かつてないシリアスな表情を見せた。ユウキとしてもその方向性には強い魅力を感じつつあった。


 押し寄せる一万の大群相手に目もくらむ大規模攻撃魔法を投げかけるシオンと一撃必殺の武器をふるう仲間たち、そしてその戦いを指揮するオレという図式……。


 ユウキはゴクリと生唾を飲み込んだ。


 強く血湧き肉躍る。


「でもダメだぞ! そういう方向性はダメだ!」


「ふふっ、どうしてだい? 力を見せつけることによってこの世に秩序を生み出せることもあるんじゃないのかい?」


「それはそうかもしれないが……ほら……オレは他にしたいことがあるから」


 書庫の小さな窓から差し込む夕日がシオンを照らしている。


 彼の赤い瞳がユウキを直視する。


 ユウキは後ろめたさから視線をそらしつつも言った。


「わかるだろ……? オレには、他にしたいことがあるんだ」


 世界は常に揺れ動き、外界から入力されるハードな刺激がオレの注意を引きつけようとする。


 だがそれでも自分の生きる目標を見失ってはならない。


 ナンパという目標を忘れてはならない!


 ナンパのために、物事はできるだけソフトランディングさせなければならない!


 そう目をそらしつつ決心した。


「まったく、君ってやつは」


 シオンは呆れ返ったという顔をして書庫から出ていった。


 *


 夕食の席でユウキはソーラルから戻ってきた皆に事情を説明した。


 さっそくアトーレが千人の殲滅を主張した。


「我が暗黒剣は熱き血潮を持つ生命にこそ最大の効果をもたらすであろう」


 ユウキはやんわりと別の方向性を求めた。


「まずは穏便に解決する方向性を模索したいんだが」


「穏便に、となると……暗殺、だべか?」


 食卓のラチネッタが暗い瞳をして、背中に吊り下げているミスリルの短剣に手をやった。


「おら、まだ人を殺めたことはねえだよ。んだども必要とあらば、やれるだよ……」


 ぐっとシリアスな空気が食卓に立ち込める。


 確かにラチネッタは暗殺に打ってつけの人材である。


 彼女に『ミカリオンの指輪』で姿を隠してもらい、平等院の偉い人の寝首をかいてもらうことは現実的なプランに思えた。


 たった一人の犠牲で多くの人の命が救われるのである。


「おら、頑張るだよ」


 だが一人でも死ぬと、もうその時点で雰囲気が暗くなり、ナンパなどやってる場合じゃなくなる気がする。


「……暗殺も最後の手段にとっておこう。今の段階では、誰も殺さずに済むようなアイデアを探りたい」


 そこでアトーレが挙手した。


「我が暗黒を大量に脳に注ぎ込めば、その組織の要人を廃人化することは可能である」


「お、なかなかいいな」


「されど我が暗黒を多く流し込むには、この暗黒鎧を着込んで対象に接触せねばならぬ」


「うーん。その時点で大規模な戦闘が始まりそうだな」


 やはり戦闘は避けられないというのか。


 腕を組んで悩んでいると、ふとゾンゲイルが食卓に置かれたチラシを手にとった。


「これ見て。面白そう」


「ん? ああ、オレがミルミルからもらってきた『平等院の今月の行事予定』か。月末に『闇の塔への遠征』の予定が書かれてるな」


「その前のところ。来週、『百人組手』ってのがあるみたい」


 ユウキはゾンゲイルが指差したチラシの項目を読んだ。


「なになに。『平等院ソーラル支部のオープンを記念して伝統の百人組手が行われます』だと?」


 さらにユウキは百人組手の行事説明を読み上げた。


「『百人との徒手格闘を耐え最後まで立っていた強者には、漏れなく平等院の幹部の証であるブラックベルトが授与されます。平等院は平等に、強き者を幹部に受け入れます。幹部は平等院の運営に携わることができます』……」


「私、この『百人組手』に出てみる! そして幹部になって、ユウキのために平等院を裏から操る!」


 ゾンゲイルは週末の楽しげな予定を話す乙女のようにそう言った。

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