第19話 平等院の野望

 いつも鐘の音で時間を教えてくれる教会の裏手に、目指す建物があった。


 雑居ビルを思わせる三階建ての建物の入り口に『平等院ソーラル支部』という看板が掲げられている。


「よく来たわね!」


 ユウキが中に踏み込むことをためらっていると、ドアが開いて中からミルミルが出てきた。


 ソーラル風にアレンジされたショートパンツにタンクトップという出で立ちだ。


「こんなに早く来るなんて、あんたやっぱり見どころがあるわね」


 溌剌とした健康的な魅力が眩しい。


「とりあえず中に入って! 子供の部は夕方からからで、大人の部は夜からだから、まだ誰もいないけど」


 ミルミルはユウキを建物に引き込んで中を案内した。


 一階は板張りの道場で、二階はジム、三階は更衣室となっている。


 四階はスタッフの住居で、ミルミルはそこで寝泊まりしているらしい。


「立派な建物じゃないか。そういえば……二階のジムにはいろんな器具があったが……」


 ベンチプレス用のベンチやバーベルまであった気がする。


 この異世界にウェイトトレーニング文化など存在していたのか?


「あんなの見るのは初めてでしょ。平等院の初代グランドマスター・グルジェ様が深い瞑想の中で見出された肉体鍛錬機よ」


「深い瞑想?」


「彼はその高邁な精神によっていと高き天界を幻視され、その世にて神々の如くに筋肉を発達させし人々が使いしマシーンを目撃したのよ。それを実際に作って何十年もかけて実用化したのが、平等院の誇る肉体鍛錬機ってわけ」


(『いと高き天界』ってのは、もしかしてオレの元いた世界のことか)


 ナビ音声が同意した。


「そのようですね」


「平等院の先進性に、驚きで声も出ないようね。でもそんなにかしこまることもないわ。とりあえずここにサインしてくれる?」


「な、なんだこの書類は」


 ミルミルに手渡された書類に目を凝らすと、その内容がナビによって自動翻訳された。


「入会申込書……だと」


「なんと今ならソーラル支部オープン記念で入会料はタダ! しかも月謝は三ヶ月間無料! 設備は使い放題で、稽古も受け放題だし、やるなら今でしょ!」


「ちょっと待てよ。稽古というのは……」


「そうね。それも説明しないとね。こっちに来て」


 ミルミルはユウキを板張りの道場に連れていった。


 壁際にサンドバッグや、木人などが置かれている。


 壁にはロングソードやハルバードなど様々な武具がかけられている。


 ミルミルは軽くサンドバッグを叩いた。


「これもグルジェ様考案の鍛錬器具」


 軽く叩くとぽこんと音がした。ストレス解消にいいかもしれない。


 揺れるサンドバッグの横でミルミルは言った。


「こういった鍛錬器具の他にも、グルジェ師はいと高き天界を幻視し、多くの徒手格闘の技をこの世にもたらされたのよ。見て! はーっ」


 ミルミルは息吹と共に武道の構えをした。


「これはね。カラテっていうの。ちょっとここにパンチしてみて」


 ミルミルは自分の豊かな胸元を指差した。


 ユウキはこの後どうなるのか半ば予想しつつ軽くパンチを放った。


 ミルミルは美しい回し受けでユウキのパンチを脇に絡めとると、肘関節を極めた。


「お、すごいじゃないか」


「まあね。今のは相手が素手の場合。でも相手が素手のことなんてなかなかないわよね。だから……次は壁のロングソードを持って私に切り掛かってみて」


「おいおい、大丈夫かよ」


「大丈夫。平等院のカラテはどんな相手にだって対応できるんだから。思いっきりね」


「わかったよ」


 ユウキは壁にかかっていた刃を潰してあるロングソードを両手に持ち、軽く袈裟懸けに切り込んでみた。


 瞬間、ミルミルは美しい回し受けでロングソードを払い落とすとユウキの肘関節を極めた。


「なっ。どうやったんだ、今のは?」


「入会したら教えてあげる。でもまだ序の口。平等院のカラテは、相手がマジックユーザーだった場合にも対応できるのよ。そこの杖を私に向けて『炎の矢よ、あいつを貫け!』って叫んでみて」


「わかった。やるぞ」


 ユウキは壁にかかっていた杖を手に取ると、ミルミルに向けて叫んだ。


「炎の矢よ、あいつを貫け!」


 瞬間、炎の矢が忽然と空中に出現し空を切り裂きいてミルミル目掛けて飛んでいった。


 ヤバい! 殺人を犯してしまう!


 だがミルミルは美しい回し受けで炎の矢を払い除けたかと思うとユウキの肘関節を極めた。


「どう?」


「ま、まいった」


「すごいでしょ、これがカラテよ」


「確かにすごい……だが……ちょっと質問があるんだが」


「なに? なんでも答えるわよ」


「攻撃を手で払いのけるところまではいい。だがそのあと、どうやってオレの目の前まで接近してるんだ? さっきの魔法攻撃はかなり距離があっただろ」


「こうやってやるのよ。見てて」


 ミルミルは道場の端まで走ると、そこで振り返った。


「行くわよ。しゅっ!」


「うおっ!」


 しゅっという掛け声をしたかと思うと、道場の端にいたはずのミルミルがいきなりユウキの目の前に忽然と現れた。


「そ、そうか、短距離転移だな」


「違うわ! 私たち平等院はそんな魔法などに頼ったりはしない!」


「じゃあなんだというんだ。今、明らかにワープしただろ」


「これは『縮地』、カラテの技よ」


「…………」


 オレの知る空手にそんな技はなかったと思うが……。


 だがそんなこと言っても仕方ないのかもしれない。


 日本のカレーはインドのカレーとかなり違うし、ナポリにナポリタン・スパゲッティは存在しない。


「でも今の技は明らかに物理法則がねじ曲がってないか? 今の技も肉体の鍛錬だけで得られるというのか?」


「もちろんよ! 魔術なんていう人に不和をもたらす技を使う必要はないのよ! 肉体の鍛錬によって誰でも大きな力を得られるというのが平等院の思想なのよ!」


「ま、まあ、そうまで言うなら、わかったよ。今のは魔術じゃない、カラテの技だな」


「理解したようね。他にもいろいろ私が手取り足取り教えてあげるから安心してね。すぐに縮地ぐらい使えるようになるから」


 その習得の簡単さが、ますますそれはつまり魔術ではないのかという疑念をユウキに抱かせる。


 でもまあ……二階のジムがいつでも使えるというのはかなりの魅力ではある。


「あのさ。一応聞くけど、本当に三ヶ月も無料なのか?」


「そうよ。しかも練習に使う防具も先着五十名様に無料でプレゼントするわ」


「三ヶ月後は月謝いくらになるんだ?」


「書類のここに書いてあるわ、よく見て」


 ミルミルが指差した通常の月謝の額も、まあ妥当なものであった。バイト代で十分に払えそうである。


 しばらく考え込んだあと、ユウキは申込書にサインした。


「実は最近、ちょうど体を鍛えたいと思ってたところだからな。助かるよ」


「嬉しいわ! これであんた……ユウキも私たちの仲間ね。しっかり鍛えてあげる」


「よ、よろしく頼む」


「もうしばらくしたら『闇の塔』への遠征があるけど、新人は後ろで見てればいいだけだから安心して」


「わかった……って、なんだそれ? 『闇の塔』への遠征だと?」


「申込書の裏に書いてあるでしょ。『平等院はマジックアイテム狩りを定期的に行っています』って。ついにマジックアイテムの本場である『闇の塔』に遠征できるまで平等院に力がついたのよ!」


「それ、具体的にはどんなことするんだ?」


「アーケロン各地の平等院から精鋭千人が集まって闇の塔に一斉に雪崩れ込み、その中にいる邪悪なタワーマスターに殴る蹴るをくわえて再起不能にしたあと、この世に不和をもたらすマジックアイテムを塔から根こそぎ奪い去るのよ! 邪悪なタワーマスターをこの拳で殴れるのかと思うと、興奮でゾクゾクするわ!」


 しゅっしゅっ、とミルミルは掛け声を発しながらサンドバッグを殴った。


 凄まじい破裂音と共にサンドバッグは天井まで跳ね上がった。

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