第9話 収支報告
スキル『スキンシップ』があったため、ラゾナとの抱擁は、それほど緊張することなくスムーズに行えた。
ラゾナは抱擁を解くと言った。
「いい感じね。ドキドキしながらリラックスも感じられた。やっぱり相性はいいみたいよ、私たち」
言われてみると、満足感があり、気力が回復した感があった。
「性魔術には互いの相性、それが一番、大事みたい。この本によればね」
「なるほど……でもオレ、やっぱり自信ないぞ。その本の目次の内容をひとつひとつクリアしていけるとは思えない」
最初のステップである『抱擁』から、最終目標である『魔力変換』に至るまでに、超えなければいけないハードルが高すぎる。
まだ立ち上がることすらできない乳児に、オリンピック百メートル走で金メダルを要求するがごとき無理を感じる。
「自信? そんなもの私にもないわよ。でも何事も練習すればできるようになるんじゃない?」
「練習、ね……」
「いいじゃない、練習。この世にはね。沢山の、殺し合いのための技術の練習があるのよ。だったら性魔術の練習があってもいいでしょ?」
「確かに。それはそうかもしれない」
「ただ……さっき抱き合ったとき、少し気になったんだけど」
「何が?」
「ユウキ、誰かに呪われてない?」
「呪いだと?」
ラゾナはユウキの胸に手を当てると目を閉じた。
「すごくかすかな呪いの気配を感じるわ。ユウキの心の奥深くにある……かなりの過去、おそらく二十五年前くらいの過去に由来する古い呪いよ」
「…………」
二十五年前と言えばまだオレは小学生だ。
当然、なんのファンタジー要素もない世界に生きており、呪いなどという概念が介在する余地の無い生活を送っていた。
「呪いなんて、まったく身に覚えがないな。幽霊スポットにも廃墟にも行ったこと無いし、テレビのオカルト番組も怖いから見ないようにしてきた」
「テレビ? よくわからないけど……まあいいわ、もし呪いが私たちの練習の邪魔をしても、そのつど解除していけばいいんだから」
「呪いの解除? そんなことできるのか?」
「私は赤ローブの魔術師だからね。市政府や教会にいる白ローブたちほどではないけれど、ある程度の解呪はできるわ」
まったく呪いなど身に覚えがないが、必要とあらば解呪してもらえると聞いて安心した。
「いざとなれば頼む。今日のところはこれで帰るぞ」
「ええ。来週また来てね」
『抱擁』の練習の余韻か、ラゾナは若干、顔を赤らめながらソファから立ち上がった。
ユウキも顔を赤らめながらラゾナ宅を出た。
*
星歌亭にたどり着くと、エルフの若旦那が花壇の世話をしていた。
日が落ちつつある花壇の前を通りかかると、ため息が聞こえた。
「はあ……どうしたものかな」
「何かあったのか?」
ユウキは足をとめて『質問』スキルを自動発動した。
陰りつつある日差しの下、花壇の前にしゃがみこんでいる若旦那は、土いじりの手を止めて振り向いた。
「ユウキか。君にも関係することだから聞いてもらおうか。実は私の姉がね……」
「姉? ああ、この建物の元の持ち主だな」
「そう。その姉が先日……返せと言ってきたんだ」
「何を? まさか星歌亭をか?」
若旦那は力なくうなずいた。
そう言えばここ最近、若旦那はずっと元気がなく悩みを抱えている様子を見せていた。
無駄にプライベートに踏み込むのもよくないと思い、何も聞かないようにしてきたが……若旦那としては聞いてほしかったらしい。抱えている問題を。
「私の姉はね、古いタイプの冒険者で……自然に揉め事や厄介事を引き寄せる体質を持っているんだ」
「そんな体質があるのか。やっかいだな」
若旦那は重々しくうなずくと先を続けた。
「『大浄化』以後、世界から揉め事の数が減ったため、姉は暇になり、冒険の拠点であるこの建物を手放して放浪の旅に出たんだ」
「ふむふむ」相槌スキルを自動発動して先を促す。
「だが今、『闇の揺り返し』により、揉め事の中枢である闇が、光の中枢であるこのソーラルに蘇りつつあるというのが姉の弁だ」
「そうなのか?」
「本当のところはわからない。とにかく先々週の昼ごろ、そこの門を潜って星歌亭にやってきた姉は、運悪く中で会計作業をしていた私に、闇と戦う責務を一人で担っているがごとき陰気な顔をして言ったものだよ。この建物を私に返しなさい、ってね」
「なんに使うつもりなんだ?」
「姉は常に命を狙われてる。旅の途上であれば宿を点々として乗りきれるが、ソーラルを活動拠点とするとなれば、ねぐらを要塞化して防備を固めなければならないというのが姉の弁だよ」
「ふーん」
「それに、エレベーターを使って『大穴』の迷宮攻略を始めるとも言っていた」
「なんのために?」
「迷宮探索を通して得られる経験とアーティファクトによって、自身を強化するため。そして迷宮の奥にいまだ眠る秘密を暴き、『闇の揺り返し』の謎を解いて、世界の脅威を取り除くため。そう姉は言っていた」
「私利私欲ではなく、世界のことを考えているんだな。いい人じゃないか」
若旦那は首を振った。
「姉は……中毒なんだ。いつか身の破滅を招く日まで、姉は危険な冒険の渦中に身を投じ続けるだろう。そのスリルで身を焦がすことが姉の欲望なんだよ……」
「なるほどな……」
いますぐ解決できる話でもないようだし、姉と弟の間でしっかり話し合うべきことがらに思える。
なのでユウキはただその話を無心に聞くだけに留め、若旦那には抽象的に励ましの言葉をかけると、特に具体的なアドバイスなどせず闇の塔に帰還した。
*
闇の塔では夕食前に会議が持たれた。
修復の進んだ第六クリスタルチェンバー『司令室』に、シオン、ゾンゲイル、アトーレ、ラチネッタとユウキが集っている。
司令室には人数分、椅子も持ち込まれており、中央の祭壇兼司令卓を取り囲むよう丸く並べられている。
シオンは手元の石版にさらさらと図表を書きながら皆に説明した。
「集まってくれてありがとう。今日は日曜ということで先週の振り返りをするよ。まずは倒した敵の数だね」
シオンが石版に図表に数字を書き込むと、それが各メンバーの手元の石版と、周囲の壁面ディスプレイおよび中央の司令卓に同期されて表示された。
ユウキの手元の石版にも以下のようなデータが映った。
・倒した敵
『生ける屍』×56体
『死してなお動く野犬』×48体
『骸骨兵』×23体
『腐れ牛』×9体
『腐れ馬』×12体
「ずいぶん倒したな。この『腐れ馬』ってのはなんだったんだ?」
「『腐れ牛』とほぼ同等のものだよ。人間に酷使された馬の廃棄パーツが寄り集まって闇の生命を得たものだね。今はまだ単体で塔を襲ってきてるけど、いずれ骸骨兵と組み合わされて『闇の騎兵』として襲撃してくるよ」
「敵のネーミングは誰が決めてるんだ? お前か?」
「ううん。書庫にあったこの本だよ」
シオンは『魔物大辞典』という本をパラパラとめくった。
「魔物は常に一定のパターンに沿って生成される傾向があるからね。過去の分類を学ぶことは今後を占う上でも重要なんだ」
甲冑姿のアトーレが聞いた。
「シオン殿は今週、どのような敵の襲撃があるとお考えか?」
「先週と同様、生命を持たない屍者たちの襲撃がもうしばらくは続くと思うよ。濃度が高まりつつある闇の波動に、最初に呼応するのは彼らだから」
屍者たちの襲撃であれば、行動パターンも単純なので対処はたやすい。先週の二倍、あるいは三倍の敵が襲撃してきても、なんなく撃退できるだろう。
しかしこのまま五倍、十倍と敵の数が増えていけば、いずれ現在の戦力では対応できない時が来る。
そうならないよう逐次、戦力をアップデートしていく必要がある。
そうシオンは語った。各メンバーはうんうんとうなずいた。
「それじゃあ次に、戦闘で得られたリソースを説明するよ」
また手元の石版に各種のデータが表示される。
・敵から得たリソース
黒闇石(小)×7
ミスリルの短剣×1
万能肉 2キロ
換金用アイテムと貴金属 およそ5万ゴールド分
500ゴールドで、屋台の焼き肉の串が一本買えたり、喫茶ファウンテンで魔コーヒーを飲めたりする。
そうなるとだいたい1ゴールドは、1円程度の価値があるものと考えていいだろう。
「この黒闇石は換金できないのか?」ユウキは聞いた。
「ふふっ。黒闇石は小さいものでも売れば相当なお金になるけど、できれば塔の設備のアップデートに使っていきたいと思ってるよ」
「なるほど」
腰に美しい短剣をぶら下げたラチネッタが言った。
「ミスリルの短剣はおらがもらったけど、本当にいいんだべか? これ、かなりの値打ちもんだべ……」
シオンが答えた。
「街で換金するより、ラチネッタ君に使ってもらった方が塔の戦力向上に役立つからね。どんどん使ってほしい」
「この『万能肉』ってのはなんなんだ? 焼いて食うのか?」
ユウキの問にゾンゲイルが答えた。
「私の家事用ボディやミニボディにも使われてる魔法の肉」
「ああ、あれか。思い出した」
シオンが言った。
「先週から万能肉の回収を始めたんだ。塔に魔力の余裕ができて、冷凍庫を再稼働できるようになったからね」
「なるほど」
「家事用ボディのメンテナンスや、各種の人工生命の製作にも使える便利なマテリアルだからね」
その後、シオンは塔の経済状況について説明した。
塔で暮らす者が増えたため出費は増えたが、ゾンゲイルとラチネッタの出稼ぎによって塔の金銭的余裕は少しずつ増えつつあるとのことだった。
さらにシオンは塔の防衛施設について説明した。
アトーレの指揮によって作られている防塁は、今週中にも完成するそうだった。
また黒闇石での塔のアップデートにより、魂力=魔力の変換効率は従来の二倍にまで高まったとのことだった。
「全体的にいい感じじゃないか」
「ふふっ、今のところね。だけどこの現状はすべて、ユウキ君の魂力によって維持されているんだ」
「そんなこと言われるとプレッシャーなんだが……」
「ごはん食べて元気だして」
会議後、ぞろぞろと司令室を出て食堂へと向かう。
スキルを駆使して未来への不安をスルーしつつ、ユウキは螺旋階段を降りてゾンゲイルの手料理をお腹に満たした。
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