第8話 ラゾナと性魔術
児童公園の少年にどす黒い何かをさんざん注ぎ込んだ怨霊たちは、ふいに我に返ったかのか、傍らのユウキを見て言い訳した。
「ち、違うのだ。これはつい……我らは……」
「なんだよ。恥ずかしがるなよ。好きなだけ続けろ」
彼女らはしょせん怨霊。ときには弱いものを一方的にいたぶってストレス解消する時間も必要なのだろう。
そう思った。
もちろん、遥か昔のものとは言え自分の姿が嬲られるのを見るのはいい気持ちはしない。
だが『闇の伴侶』がいない無聊を慰める役に立つならそれもいいだろう。
というわけでユウキは、いたいけな少年が十二体の怨念に嬲られるのを止めなかった。
「手加減せず、満足するまで思いっきりやれよ」と、けしかけさえした。
やがて……精神空間内の日が暮れた。
さんざん暗黒を流し込まれた少年は、暗くなった公園のブランコから立ち上がると、うつろな目をして自宅によろよろと帰っていった。
怨霊たちは心なしかスッキリした様子を見せていた。
*
翌日の昼下がりに、ユウキは約束通りラゾナ宅に向かった。
体が重い。
だかこれはただの寝不足の疲れだろう。
「…………」
昨夜、明らかにヤバそうな暗黒エネルギーが、少年時代の自分のイメージへと大量に流し込まれたが、しょせん精神空間内での出来事である。
このオレに現実的な問題が生じるわけではない。
この体の重さはただの寝不足から生じるものに違いない。
そう自分に言い聞かせつつ、ユウキはポータル内の電車でうとうとした。
しばらくして大穴の迷宮に着いたので、エレベーターから星歌亭に昇り、ソーラル市街地へと向かう。
「ええと……ラゾナの家は……大通りの方か」
石版に表示された地図を便りにラゾナ宅を目指す。
週末なのでソーラルの大通りには人通りが多い。
いつもどおり多くの種族の者で賑わっているが、これまでになく武装した冒険者や兵士の姿が多い。
その大通りを市庁舎に向けて歩く。
どうやら市庁舎近くの一等地にラゾナの店兼住居があるらしい。
しばらく歩いて辿りついた。
「……ここか?」
現世ではタワーマンションに相当すると思われる、石造りの巨大な集合住宅をユウキは見上げた。
ロビーの受付に自分の名前を伝えると、警備兵に守られた階段へと通された。
大理石のごとき美しい石材がふんだんに使われた階段を上り、フカフカの絨毯が敷かれた廊下を通って、ラゾナの部屋に向かう。
ドアノッカーを叩くと間髪入れずにドアが開いた。
「こんにちは。来てくれたのね」
「凄いとこ住んでるんだな」
いつも小汚いスラムや闇の塔で生きてるユウキにとっては、とんでもないラグジュアリー空間である。
現世でもこんな金持ちそうなところには来たことがない。
「入って」
いつもの赤いローブ姿のラゾナに招かれ室内に足を踏み入れる。
刺激的でありながらうっとりとさせる香がユウキを包んだ。
玄関には巨大なクリスタルが飾られている。
廊下の壁には商品棚があって、そこに様々な魔術用具が値札と共に並べられている。
どのアイテムもユウキのバイト代ではとても買えない高価なものばかりである。
体を引っ掛けて棚を倒すのではという恐怖に駆られたユウキは、慎重に廊下の真ん中を歩いて応接室に向かった。
応接室には座り心地の良さそうなソファと祭壇が置かれていた。
「ここで占いするのよ。それが今のメインの仕事」
「へー」
ユウキは壁際の祭壇を覗き込んだ。
闇の塔にある祭壇はコントロールパネルを思わせるシンプルなセッティングだが、ラゾナの祭壇はより魔術的というか呪術的だ。
何かの動物の骸骨、鮮やかな鳥の羽、色も大きさもさまざまなクリスタル、そして煙を立ち上らせている香炉などが並べられている。
ラゾナは香炉にパラパラとなにかの樹脂を加え、鳥の羽で空気を送って煙を立たせながら言った。
「いいお客がたくさんいるから、占いメインにすることで前より収益は増えたぐらいよ。でもね、やっぱり昔みたいにマジックアイテムを作って売りたいのよ」
「『大浄化』だっけ? それで闇の魔力がこの世から減ってるから、マジックアイテムも作れないってことか?」
「そう。価値あるマジックアイテムを作るには私自身に相応の闇の魔力が必要なの。それで今回、ユウキの手を借りたいというわけ」
「わかった。それじゃ……やるか」
性エネルギーを魔力に変換する作業は、闇の塔で毎日のように行っている。今では手慣れたものである。
「ど、どこでしましょうか。私の寝室?」
「別にこの部屋でいいんじゃないか」
「そ、そうね。それじゃ、そこのソファに座りましょう」
「ああ」
ユウキは応接室のソファに座った。
その隣にラゾナは腰を下ろした。
「さて……どうやってやるんだ?」ユウキは聞いた。
「経験豊かなんでしょ? ユウキが私に教えて。私はしたことないんだから」
「オレの方のやり方と違うかもしれないからな。一応、教えてくれ」
闇の塔では、ユウキは『生命のクリスタル』を使って、性エネルギーを魔力に変換してきた。
だが見たところ『生命のクリスタル』はこの部屋にはない。
何か、それに類するアイテムを使って、性エネルギーを非接触的に魔力に変換すると思うのだが……。
「それなら、これを見て」
ラゾナは応接テーブルから一冊の本を手に取った。
『性魔術の奥義』と表紙に書かれている。
ラゾナはその本を応接テーブルに開いて革表紙を置くと、パラパラとページをめくった。
ユウキは身を乗り出してその本を覗き込んだ。
「……ん?」
繊細な作業が得意そうなラゾナの指先が勢いよくめくっていく魔術書のページ、そこには通常の性行為とほぼ同じ行為の手順が詳細に書かれていた。
一方で、『生命のクリスタル』や、それに類したアイテムを用い、非接触的に性エネルギーを魔力に変換する方法など、どこにも書かれていなかった。
『性魔術の奥義』に書かれているのは、通常の肉体を用いた性行為によって魔力を生み出す技であった。
急激に心拍数が高まっていくのを感じた。
「…………」
実はユウキもうすうす気づいていた。ラゾナがしようとしている『性魔術』、それがとてつもなくエッチな行為であることを。
だがこの自分などと性行為を望む女性などいるはずないという思いから、ユウキはその直感を否定してきた。
今もなお、ダイレクトな性行為がこれから始まるとは、どうしても思えない。
それは常に遠い山の向こうにあるものであり、こんな簡単に手に入るとは信じられない。
「念のため聞くが……本当に『生命のクリスタル』みたいなものは使わないのか?」
「『生命のクリスタル』ですって? あのエグゼドスが錬成した伝説のクリスタルのひとつ。そんなどえらいものがうちにあるわけ無いでしょ! あるとしたら闇の塔だけよ!」
「あれってそんな貴重な一点ものだったのか……で、でも何かあるんだろ? 性エネルギーを魔力に変換するようなアイテムが」
「そんな便利なものが、この世にあるとしたら、それは『生命のクリスタル』だけよ」
「…………」
「一説によると闇の塔は、人体を模して作られてるらしいわ。『生命のクリスタル』が置かれている第二クリスタルチェンバー、それは人体ではここよ」
ラゾナは自分の下腹部に手を当てた。
「そう……人体にも『生命のクリスタル』と同等の機能があるのよ。ここにある中枢を使って、性エネルギーを魔力に変換するのよ」
「……なるほど」
理屈はなんとなくわからないでもない。
ユウキは現世でたくさん読んだ武術関係の資料を思い出した。
武術を極めた達人はだいたい『気』とかいう謎のパワーを使いはじめる。
そして人体で『気』が生まれる場所は下腹部、ちょうどラゾナが手のひらを当てている場所らしい。
現世ではそこを『丹田』と呼んでいる。
丹田の『丹』とはエネルギーを意味し、『田』とはそれが生まれる場所、あるいは蓄えられる場所を意味しているとか。
とにかく『気』を生み、蓄える場所が、人体の下腹部、丹田にある。そう各種の武術では伝えられている。
また、道教と言う不老長寿の仙人を目指す宗教にも、性エネルギーを『気』へと変換するという『小周天』なる修行法があるらしい。その小周天をする際にも丹田は『気』を操作するための重要な器官として用いられるらしい。
となればこの異世界においても、丹田の力を用いて性エネルギーを魔力に変換することも可能に思われる。
と、ここでユウキはついに実感を持って理解した。
とても理解しがた納得しがたいことではあるが、とにかくこのラゾナはオレと性行為しようとしている。
魔力を得るためとは言え、本当にこのオレなどと性行為をしようというのだ、この女性は。
はっきりいって嬉しい。
だが……。
白状せねばならない。
「悪いんだが……実はオレ、したことないんだ。生身でのそういう行為は」
「え?」
「実はオレ、闇の塔の関係者で、今まで『生命のクリスタル』を使って性エネルギーを魔力に変換してきたんだ」
「嘘でしょ! 闇の塔の関係者だなんて。そんな……」
ラゾナは目を白黒させて驚いた様子を見せた。
少し迷ったがユウキは右手の指輪を見せた。
「ま、まさか……これは、塔主の指輪!」
瞬間、ラゾナはユウキの前にひざまずき恭順の意を示した。
「あらゆる魔術師の上に君臨する闇の塔の塔主……まさかユウキが……いいえ……ユウキ様がそのようなお方だったとは……」
「そういうのはいいから。顔を上げてくれ」
ラゾナはひざまずいたまま顔を上げた。
「ですが信じられません。塔主はこの世のあらゆるエネルギーを極めしお方のはず。その中には当然、肉体を用いた快楽のエネルギーも含まれるはず。そんなお方が『性魔術』やそれに必須の行為を未体験であるとは」
「オレはあくまで塔主代理だからな。いろいろあるんだよ」
ラゾナは口々に質問をユウキに投げかけた。
ユウキは分かる範囲で答えていった。
やがてラゾナは納得した。ユウキが本当に『性魔術』のやり方を知らないということを。
彼女はひとつ大きなため息をついた。
「……で、どうする?」ユウキは聞いた。
「とりあえず……お茶でも入れてくるわ」
ラゾナはユウキの前から立ち上がると、ラベンダーに似た香りのお茶を持ってきてくれた。
ソファに並んで座ってティーカップを傾ける。
若干、気持ちが落ち着いてきた。
カップを魔術書の隣に置くとラゾナが言った。
「やり方がわからないなら、一緒に研究しましょ」
「研究? オレと? 性魔術の?」
「いや?」
「いやじゃないが……」
「私はね……昔から知的な男の人が好きなの。恋愛とか、そんなことはするつもりはないけど、ユウキとならうまくできそう。そんな気がするの」
ラゾナはパラパラと魔術書をめくった。
「言っとくけどオレ、大した学校出てないからな」
「そんなことどうでもいいでしょ。人に認められた資格も、知識の量も関係ないの。私が好きなのは、知的なキャパシティの広さと強さ。ユウキにはそれを感じるわ」
褒められて悪い気はしない。
ユウキは再び身を乗り出して魔術書を覗き込んだ。確かにその内容には知的な好奇心が刺激される。
魔術書の前半は理論が書かれており、後半には実践のためのハウツーが書かれているようだった。
ラゾナは魔術書の後半の目次を指さして言った。
「ここに書いてあるステップをひとつずつ実践していきましょう。一つのステップに付き、一週間以上の間を開けて練習していくといいらしいわ」
「わかった」
ユウキはスマホで魔術書の目次を撮影した。
『抱擁』『直視』『接吻』『接触』『交合』『絶頂』『多段階絶頂』『連続的絶頂』『魔力変換』
目次にはそのような項目が書かれていた。
「今日は『抱擁』ね。いい?」
「あ、ああ……」
ユウキとラゾナはソファの上で抱き合った。
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