三章 伝説の冒険者

第1話 ミルミル現る

 昨夜、ユウキは暗黒鎧の相手をすることなく、一人で朝までぐっすりと眠ることができた。


「日曜は休みだから部屋に来るな」と前もって怨霊たちに頼んでおいたのが功を奏した。


 そのため月曜の目覚めの気分は悪くなかった。


 ユウキは朝食を摂り、塔の周りで久しぶりにゾンゲイルの撮影会をしてから、ソーラルに向かった。


 ポータル内の電車空間で、撮影した写真を鑑賞する。


 ソファの右隣に座るラチネッタが身を乗り出してスマホを覗き込んできた。


「すごいべ、ゾンさん、まるで女神のごとき美しさだべ」


 確かに、ゾンゲイルは一日ごとに美しさのパラメータを増強させていっているよう感じられる。


 確かにイース・コラルの人形姫なる素体はもともと美しかったが、艶めかしさやきらめきが日に日に進化している。


 月から金までステージで歌うことで何か芸能力とでも言うべきものを身につけつつあるのだろうか。


「そんなことない……」左隣に座るゾンゲイルは謎の謙遜を見せつつも嬉しそうだった。


 ユウキは聞いた。


「この写真もアップロードしていいか?」


 ゾンゲイルは頬を赤らめつつうなずいた。


 *


 間もなくソーラルについた。


 ゾンゲイルとラチネッタは星歌亭ランチ営業の食材を仕入れるため、朝の市場に向かった。


 ユウキは噴水広場におもむき、いつもの定位置に腰をおろした。


 先週は怨霊相手に体力を消耗し、朝のナンパ活動をサボっていたが、今日からなんとかして再開したい。


 ナンパに限らず新たなことを習得するには、ルーティーンによる練習の習慣化が役立つ。


 怨霊が部屋にやってくるなどという思わぬできごとによって、一時は完全に途絶された朝のナンパ練習という習慣だが、なんとか今週からまた立て直していきたい。

 

「さて、と……」


 まずユウキはこれまでに習得した能力の復習をはじめた。


 顔を上げて広場を眺める。


 次に、立ち上がって右足を前に踏み出す。


「よし……体は動くな……」


 以前は緊張によって満足に顔を上げることも立ち上がることもできなかったものだが、そこから大きな進歩を遂げている。


 だが……このあとに控えているのは、実際に見知らぬ通行人に声をかけてみるという、これまでずっと先延ばしにしてきたシークエンスである。


 正直、怖くてたまらない。


 もう闇の塔に帰って夜までスマホをいじっていたい。


 だがその一方で、今、ナンパを前進させる機運が高まっているのを感じる。


 先週の、怨霊たちとの心の中での交流、あれによって通行人に声をかけるイメージを心の中に形成することができた。


 怨霊のせいで現実世界でのナンパ修練は中断されてしまったが、その分、精神世界内での修練を進めることができた。


 それゆえに……できる。


 今のオレはナンパできる。


 そう……プロスポーツ選手はイメージトレーニングに多くの時間を費やすという。


 なぜならば心の中でできるようになった動きは現実の中でも実現可能になるからである。


 心の中でのトレーニングは物理空間でのトレーニングと同等、あるいはそれ以上の効力を持っているからである。


 そのような多大な効果を持つイメトレを、オレは先週、ベッドの中でひたすら繰り返してきたのだ。


 だから……できる。


 オレはできる。ナンパが!


 その『できる』という感覚をさらに強化すべく、ユウキは一瞬、瞑目し、スキル『想像』を使って、心の中に精神空間を呼び起こした。


 長時間イメトレしてきたこの精神空間に意識を没入させることで、自然に呼吸が深くなり緊張がほぐれていく。また、いつ魅力的な通行人が現れても自然に声かけできるという自信が湧いてくる。


 そのような余裕と自信を心に保ちながら、ユウキはスキル『半眼』を発動し、うっすらと目を開けてソーラルの噴水広場を眺めた。


「…………」


 そして心の中の精神空間を、ソーラルの噴水広場にオーバーレイさせる。


 精神空間内にある余裕と自信の感覚を、この現実の噴水広場に持ち出そうという試みである。


「………」


 最初、その試みはなかなかうまくいかなかった。


 どれだけ『半眼』を使っても、この噴水広場が持つ強固な現実感に圧倒され、心の中の精神空間はすぐに焦点を失いユウキの脳裏から消えていった。


 だがそのつど、スキル『想像』を発動して精神空間を心の中に呼び起こす。そしてそれを『半眼』を使って現実空間にオーバーレイする。


 その作業を何度も繰り返すと、やがて目を開けたまま、精神空間のイメージをごくぼんやりとではあったがキープできるようになってきた。


 さらに、精神空間から生じる余裕や自信を、現実の人間が歩き回るこの噴水広場を目を開けて見ながら感じられるようになってきた。


 もっとも、その余裕や自信は数値で表したらいまだゼロに近い微々たるものであろう。


 だが微々たる量ではあれ、ユウキは今、余裕と自信を持ちつつあった。


 このナンパ本番直前という人生の中でも最大限にエクストリームな緊張が現れざるを得ないシチュエーションの中で。


「…………」

 

 ユウキの心の中から生まれた余裕と自信は、今この現実空間の中で実効性を持って作用しつつあった。


 ユウキの呼吸はいつになく深く、意識は明晰に澄み渡っていた。


 今ならできる。通りすがりの魅力的な女性に声をかけることが。


 そう感じられた……そのときだった。


 宿屋の出口からひとりの妙齢の女性が姿を表し、ユウキの意識を強く惹きつけた。


 *


 種族は人間か。


 ソーラル風にアレンジされたショートパンツにタンクトップという出で立ちで、その女性はユウキの近くに歩いてきた。


 思わずユウキは噴水の縁に腰かけたまま女性を見上げた。


 彼女は手にしたマグカップに噴水から水を汲むと、腰に手を当て喉を鳴らして飲み干した。


「くーっ! 冷たい! 朝はやっぱりこの一杯よねー!」


 そんな独り言を放つ彼女のスポーティかつスタイルの良い肢体が放つ魅力に、ユウキの視線は釘付けになっていた。


「ああ、朝日を浴びながらの新鮮な水! 細胞がリフレッシュされるのを感じるわ!」


 彼女はマグカップを噴水の縁に置くと、足腰をストレッチし、それからソーラル風にアレンジされたシャドーボクシング風の動きを始めた。


 拳が空を切り、たまに左右のハイキックや膝も空を切り裂き、ロングヘアーがユウキの近くで揺れる。


 その技のキレに見惚れていると、一瞬、目が合った。


 ここに来てついにこれまでの修練の成果が実り、ユウキのスキル『挨拶』が自動発動された。


「こ、こんにちは」


「こんにちは!」


 彼女はハイキックの足を空中に静止させたまま挨拶を返してきた。


 ユウキのスキル『世間話』が自動発動された。


「いい天気だな」


「ええ、ほんとに! しゅっしゅっ」


 彼女は軸足を変えるとニ三、ハイキックを放った。


 ユウキのスキル『質問』が発動された。


「格闘技か何かやってるのか?」


「しゅっしゅっ。ええ、この生身だけ力でね!」


『生身』という言葉に何かこだわりが感じられたので、そこについてもっと質問してみた。


「生身だけというと、たとえば魔法を使わない、というような?」


「そう! 魔法も特別なアイテムも使わず、この生身の力と技だけで十分なのよ! 本来の人間はね! しゅっしゅっ」


 彼女はフットワークを使いだした。


 確かに、緩急自在なその動きならば、攻撃魔法の多くを避けることができそうに思える。


「だが……生身で強くなって、一体何をしようっていうんだ? ソーラルに武闘会でもあるのか?」


「しゅっしゅっ。そんなものは無いわよ!」


「ならなんのために?」


「それはね!」


「それは?」


「しゅっ! 勝つためよ!」


「誰に?」


「あいつらによ!」


「あいつらとは?」


「決まってるでしょ。卑怯なマジックユーザーとアイテムユーザーたちに、よ」


「つまり……魔術師や、魔法のアイテムを使う奴らに、その拳で戦いを挑もうとしてるってことか?」


「しゅっしゅっしゅっ。はっ!」


 ここで彼女はとんでもない高さの宙返りをひとつすると、ユウキの目の前に降り立った。


 そして言う。


「……わかってるじゃない、あんた」


「今の宙返り……本当に生身の力だけか? 明らかに物理法則に反する動きだったぞ」


「な、なに言ってるのよ! 私がそんな卑怯な力に頼るわけないでしょ!」


 そう怒りを露わにする彼女の拳から、明らかに物理法則に反していると思われる力のエフェクトが生じているのが見えた。


 殴られたら死にそうだ。


「…………」


 微妙に座る位置をずらして拳から距離を取りながらユウキは考えた。


 これまでに観察してきたところ、どうもこの世界は現世に比べて感情や精神や意思の力が物理レベルに影響を与えやすい場所に思える。


 そんな世界で、純粋に肉体の力のみで戦うなどということは原理上、不可能に思える。


 だが……見ず知らずの人間と路上で無駄な討論をするつもりはない。


「わかったよ。とにかくその拳のみで戦うってことだな」


「ええ、そうよ! 私はね、この拳と足で、最強になるのよ!」


「最強? ソーラルに『武道家ランキング』みたいなものがあるのか?」


「あるわけないでしょ! なに馬鹿なこと言ってるのよ」


「じゃあどうやって最強を決めるんだ?」


「しゅっしゅっ。それは簡単。最強を倒せばいいのよ」


「誰が最強なんだ?」


「何人か候補がいるけど……その一人目は、なんと言ってもあのエルフね。あんただって知ってるでしょ」


「知らないぞ」


「あまたのアーティファクトに身を鎧った伝説の冒険者、あのエクシーラの名前を知らないの? 本当に?」


「ああ、知らない」


「あんた、とんだ田舎者ね! いいえ……どんな田舎者でも冒険者ギルドの相談役にして、七英雄の直接の弟子と噂されるエクシーラの名を知らないなんて……本当なの?」


「ああ」


「ははっ! いいじゃない、あんた、見込みがあるわ」


「見込み? なんの?」


 彼女は腰に手を当て演説を始めた。


「この世界は消え去りつつある魔法の影にいまだ怯えている。そんなの愚かよ!」


「はあ……」


「『大浄化』によって魔力がこんなにも薄れたこのご時世でも、まだみんな、名のある冒険者や伝説のアイテムに心奪われ続けてる。馬鹿みたい!」


「ふんふん」


「だけどね。あんたは一番有名な冒険者の名前も知らない。そんなことぜんぜん興味ないって顔をして。本当、見どころがあるわ」


「見どころ? だからなんの?」


「それはね」


「それは?」


 彼女はふと腰をかがめるとユウキに耳打ちした。


「平等院……それが私の属する組織の名前よ」


「平等院……だと?」


 なんだそりゃ。


(なあ……『平等院』って翻訳、本当にあってるのか?)


 ユウキはナビ音声に聞いた。即座に脳裏に答えが響いた。


「すみません。ユウキの現世で有名な建造物の名前と同じで、混乱を招くかと思いましたが、確かに意味は『平等院』であっています。『イクオリティ・テンプル』と、ここだけカタカナにすることも可能ですが」


(いや、いい)


「あんた、私たち『平等院』の仲間になる見どころがあるわ」


「…………」


「石版、ある?」


「あ、ああ」


「同期しましょ」


 ユウキがポケットから石版を取り出すと、スポーティな妙齢の女性は自分の石版をそれに重ねて同期させた。


「あとで平等院の場所、送っておくわ。興味があるなら、来てみてね。私の名はミルミル」


 そう言い残すと、ミルミルはしゅっしゅっと拳で空を切り裂きながらどこかへ走り去っていった。

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