第7話 幼子の生贄

 怨霊を活用したナンパのイメトレはいい感じに進んだ。


 駅ビルの柱の影から歩いてきた一人目の怨霊に、笑顔で挨拶する。


「こんにちは」


「…………」


 怨霊は顔を硬直させたまま早足でユウキの前を歩き去っていった。


 これがリアルな街での本番なら無視されたショックで寝込んでしまったかもしれない。


 だが精神空間内でのイメトレならば、無視を冷静に受け止め分析する余裕があった。


 怨霊にとって、街でいきなり挨拶されるという経験は初めてのことであろう。


 それゆえにどのように返答したらいいのかわからず、とっさに無視して歩きさってしまったのだろう。


 リアルな街でもこのように無視されることはありえる。


 無視こそがナンパにおけるスタンダードな反応であるという可能性すらある。


 であるならば無視に慣れていく必要がある。


「よし、次の怨霊、来てくれ!」


 ユウキは次々と怨霊を柱の影から呼び出し、挨拶していった。


 一巡目は全怨霊がユウキの挨拶を無視し、そのまま前を通り過ぎていった。


 だが二巡目になると、ユウキの挨拶の声が柔らかくなったためか、あるいは単に怨霊が慣れてきたのか、両者の間に短い会話が生じはじめた。


「こんにちは」


 怨霊は足を止めなかったが声を返してきた。


「わ、我に何のようか?」


「いい天気だな」


 隣を歩きながらユウキはスキル『世間話』を発動した。


「天気……長年、そのようなもの、気にしたことなどなかったわ」


 怨霊は精神空間の駅前の空を見上げた。


 雲ひとつない青空に太陽が昇っていた。


「それじゃ」


「うむ」


 そのような一瞬の世間話を十二回繰り返して二巡目のトレーニングは終わった。


 三巡目のトレーニングでは、会話時間を伸ばすことを試みた。


 しかし……。


「いい天気だな」


「そうであるな」


 これ以上、何を話せばいいかわからなくなり沈黙が生じた。


「…………」


 この沈黙の気まずさに耐えられなくなり「それじゃ」と会話を打ち切りそうになったが、ユウキはなんとか踏みとどまってスキル『沈黙』を発動した。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 ユウキと怨霊の間に沈黙が流れる。


 スキル『沈黙』によってその気まずさを受け入れ、その奥にある静寂に浸る。


 それと共にスキル『深呼吸』を発動し、心と体を落ち着けながら会話のアイデアの閃きを待った。


 数瞬後、それはスキル『質問』の発動という形で現れた。


「あの」


「なんだ?」


「いい天気は好きか?」


「我は……晴れは好かぬ」


「え、なんで?」


「熱せられた鎧の中で肉が焼けつくがゆえ」


「昔の実体験か?」


「その通りである。現代は改良されたが、当時の暗黒鎧はただの分厚い鉄板のようなものでな。とある戦いで足を負傷した我は、死者で満ちる炎天下の戦場に転がり、援軍が来るまで直射日光を浴び続けたのだ。それでこのザマよ」


 怨霊は自分の全身に巻かれている包帯を指さした。どうやら全身火傷を負っているらしい。


「ひさかたぶりに思い出したわ。我が生の肉を持って剣を振るっていたあのころのことを……」


 怨霊は揺らめく影のような自分の両手にしげしげと目を落とした。


「ふーん。いろいろあるんだな」


 この調子でユウキは十二体の怨霊に次々と声をかけ、ちょっと長めの会話を楽しんだ。


 やがて精神空間の空に浮かぶ太陽が沈み始めた。


「よし。今日はこのあたりにしておくか」


「うむ。我ら、声をかけられることに慣れてきたぞ」


「そうだな。いつかどこかで『闇の伴侶』に声をかけられても、しっかり対応できそうだな」


「いいや、まだだ。まだ我らは声をかけられることに習熟したとは言えぬ。明日もこの修業の相手を頼めるか?」


「あ、ああ。わかった」


 精神空間から怨霊たちは一人ずつログアウトしていった。


 残されたユウキ一人の想像力では精神空間を維持できない。


 それまでクリアなイメージに満たされていた精神空間は、通常の曖昧模糊とした夜の夢に変わり、ユウキはその中で自意識を忘れていった。


 *


 翌朝、ユウキはベッドの中で惰眠を貪った。


 とても朝からソーラルに出かける気にはなれない。


 明け方まで怨霊たちとハードなトレーニングを続けていたのだ。


 精神空間のトレーニングで得た経験を統合する時間が必要である。


 ユウキは大穴でのバイトが始まる時間までベッドでゴロゴロした。


 一応、バイトの時間に重い体を起こしてソーラルに向かった。


 その後のランチ営業の手伝い、ブログ更新、夜のゾンゲイルのステージ手伝い、戦闘という日常業務の時間以外は、ぼーっと心と体を休めて、夜のトレーニングに備えた。


 深夜に暗黒鎧がユウキの部屋にやってきた。


 翌日の夜もやってきた。


 連夜、ユウキと怨霊はトレーニングを続けた。

 

 声をかける、かけられる訓練。


 それは互いにとってWin-Winの行為であると思われた。


 だが金曜の夜、いつものように精神空間の駅ビル前でイメトレを始めようとすると、怨念たちがユウキを取り囲んだ。


「なんだ?」


「ユウキ殿。相談があるのだ」


「お、おう」


「これまでのトレーニングでは、ユウキ殿が我らに声をかけくれた」


「ああ」


「次は我らが声をかけたい」


 瞬間、怨霊はどこかから出現させた暗黒剣をユウキの喉元に突きつけた。


「う」


「このように、次は攻める側のトレーニングをしてみたいのだ」


「な、なるほど。柔道の型稽古でも技をかける『取』と、技をかけられる『受』を交互に交代して練習するもんな」


 ユウキを取り囲む怨霊たちは一斉にうなずいた。


「我らは元来戦士である。受けの重要性は理解しておるつもりだが、なにより攻めることにこそ我らの本分があるのだ」


「よしわかった。そういうことなら、今日はお前らが声をかける練習をしてみろ」


 だが……。


 ここでなぜか怨霊たちはうつむいた。


「どうした? そこらを歩いてるモブキャラに声をかけもよし。通行人の役をするオレに声をかけてもよし」


 うつむいた怨霊の一人が口の中で何かつぶやいた。

 

「……のだ」


「ん?」


「大人の男は、我らの戦力を遥かに超えておるのだ」


「はあ?」


「我ら、こと男女のコミュニケーションという領域においては、幼児以下の実力しかもたぬ」


 怨霊はぎしりと音がするほど強く拳を握り締めると吐き捨てた。


「それゆえ、大人の男に声をかけることなど、とてもできぬ!」


「…………」


「怖いのだ! 大人の男に声をかけることなど、到底、不可能である!」


「…………」


「そこでユウキ殿に頼みがあるのだ。聞いてくれるか?」


「……言ってみろ」


「我ら、トレーニング相手として、弱く、何の経験もない純粋な者を所望する」


「オレは弱くて何の経験も無いぞ」


「馬鹿な謙遜はよすがいい。ユウキ殿とのこれまでの交流で、我らは圧倒されっぱなしであった。闊達自在な会話力と大人の余裕に我らは翻弄されっぱなしである」


「いやあ……」ユウキは照れた。


 怨霊は言った。


「自らを圧倒する者との交流、それは我らのコミュニケーション力を急速に成長させるやもしれぬ。それにより我らはいつか到来するであろう『闇の伴侶』との交流を可能にするだけの心のキャパシティを即急に得ることができるかもしれぬ。だが……」


「だが?」


「強すぎる練習相手は我らを萎縮させるのだ。ユウキ殿! 自信を失いし我らに、もっと与しやすい、もっと弱くて、経験の無い男を与えたまえ!」


「…………」


 ユウキはうつむいて沈思黙考した。


 確かに、鎧の中に何百年も閉じこもっていたらしいこの怨霊たちに比べれば、オレの方が経験豊かと言えるかもしれない。


 そして人は、自分より経験豊かな相手よりも、ときに自分より未熟で弱い相手とのコミュニケーションを望むものかもしれない。


 まあ、それもいいだろう。


 この怨霊が望むのであれば、望み通りに弱い男を与えてやろう。


 だが……どうしたらそれが可能になるのか?


 この精神空間では、スキル『集中』と『想像』の力によって、あらゆる人間のイメージを簡単に生み出すことができる。


 そこらへんを歩いている通行人も、オレの想像によって生み出されているのである。


 しかし……。


『弱い男』というイメージをどうしても生み出すことができない。


 なぜなら弱い男とは、怨霊たちがなんと言おうと、オレにとってはオレそのもののことだからである。だからどうしてもオレ以上に弱そうな存在をイメージすることができない。


「どうしたのだ、ユウキ殿? 早く我らにコミュニケーションの練習相手を与えよ」


「ちょっと待ってろ、今考えてる」


 ユウキは沈思黙考した。

 

 そして……長考の果て、ついに見出すことに成功した。今の自分よりも遥かに弱い男の、くっきりとしたイメージを。


 ユウキは顔を上げた。


「……わかったぞ。こっちに来いよ。弱い男のいる場所に連れて行ってやる」


「ほ、本当か。恩に着るぞ、ユウキ殿」


 ユウキは十二人の怨霊を引き連れて、駅から住宅街へと向かうバスに乗った。


 しばらくバスに揺られてから、ユウキの実家の近くにある停留所で降りる。


 そしてしばらく歩くと目当ての児童公園が見えてきた。


 すでに精神空間の日は暮れかけている。


 夕日の下、誰もいない児童公園で、一人の少年がブランコに揺られている。


 年の頃は十歳くらいか。


 まだ汚れを知らぬ無垢で弱そうな少年が、ブランコで泣きそうな顔をしている。


 彼は手編みの黄色い鉛筆ケースを握りしめてうつむいている。


 自分に好意を持ち、こんな素敵なプレゼントをくれた同級生、のぞみ、彼女を傷つけてしまったことを、少年は悔いているのだ。


 しかし謝ることができぬまま彼女は転校してしまった。


 どうすることもできず少年は絶望し、ぐちぐちと自分を責め続けている。


「こいつを……このしょうもないかつてのオレを……お前らの好きにしていいぞ」


 ユウキは幼き日の自分自身を怨霊たちに差し出した。


 弱い男という怨霊たちのオーダーにもっとも適合する相手、それは昔のオレだ。


 今のオレよりも遥かに弱い、最低最弱の男、それがこいつだ。


「い、いいのか? こんなかわいい少年に、汚れし我らが声をかけてもいいと本当に申すか?」


 怨霊はごくりと生唾を飲み込みながら爛々と輝く目をユウキ少年に向けた。


 ユウキはうなずいた。


「ああ、いいぞ。しかも、声をかけたあとお前らがしたいことを何でもしていいぞ」


「ほ、本当か? 我らの汚れきった闇をこの少年に注ぎ込んでもいいというのか?」


「ああ。自由にしろ。こいつはお前らのものだ」


 すると十二体の怨霊は児童公園に殺到すると十歳のユウキのイメージに群がって声をかけた。


 かと思うと、怯えて震える少年の心に無理やり侵入しようとしてか、怨霊たちは幾筋もの暗黒の蛇を一斉に伸ばし、少年の四肢を縛り上げた。


 さらに暗黒の蛇が幾筋も少年の全身の皮膚を這い回り、やがて彼の下腹部、胸、喉、頭へと、そのどす黒く汚れた管が次々に突き刺さり、その管を通して濃いコールタールのごとき粘り気のある闇がどくどくと少年の中に大量に流し込まれていった。


 少年の声にならない悲鳴が夕焼けに染まる児童公園に響いた。


 ユウキは顔をしかめてその叫びを無視した。

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