第6話 自己啓発ライター・ユウキ
早く目覚めた朝、外の空気を吸いに塔の外に出たユウキは、冷たい朝もやの中で暗黒剣を振るアトーレを見た。
暗黒鎧を着ずに、華奢にすら感じさせる生身でどでかい暗黒剣を振っている。
違和感が凄い。
「よくそんな重そうなもの持てるな」
「ええっ? ユウキさん!」
「邪魔したな。そのまま続けてくれ」
「こ、これはですね、私の筋力が人間離れしてるわけではなくて、暗黒の蛇を使って動かしてるんです」
「なるほど。暗黒の貯まり具合はどうなんだ?」
「いい感じです……ユウキさんと同じ空間に寝泊まりしていながら、特に何もしていないというそのことによって、日々、勝手に暗黒がチャージされていきます」
「…………」ユウキは顔を赤らめた。
「でももし、もっと暗黒が必要になったら協力してくださいね。この前、約束したこと」
「あ、ああ」
アトーレは一瞬ユウキを見てほほえむと、暗黒剣の素振りを再開した。
切っ先が空気を切る音が、より鋭く朝もやの中に響く。
*
朝食後にアトーレは土木工事を始めた。
シオンとゾンゲイルの家事用ボディと連れ立って、アトーレは塔の外、朝日の下に出ていった。
ユウキも見にいった。
「何するんだ?」
「塔の周りに防塁を築きます」
暗黒戦士のみが知る戦いやすく守りやすい形があるという。
先の日曜に皆で作った罠の配置とその陣形が、有機的に絡み合って機能するよう防塁を築くとのことだ。
「さすが戦士。戦いには詳しいわけだ」
「いえいえ」
シャベルを担いだアトーレは謙遜した。
土木工事のため暗黒鎧を身に着けておらず、タンクトップ状の衣服を着て、首に手ぬぐいをぶら下げているだけである。そのためか口調はカジュアルだ。
彼女の傍らで、先日修復されたゾンゲイル家事用ボディが、のっそりとした動作で土を掘っている。
現在、ゾンゲイルは街訪問用ボディでソーラルを訪問している。おそらく市場で、本日のランチ営業のための食材を買っているところだ。その彼女が、遠隔操作でこのゾンビガーゴイル形態の家事用ボディを動かしているのである。
それが可能なのは、現在、ポータルを介して闇の塔とソーラルは繋がっているためだ。
通信にラグがあるようで、家事用ボディの反応は鈍かったが、それでもシャベルで土を掘るような単純な作業なら十分にこなせた。
シオンはというとシャベルの重みにふらついていたが、やる気はあるようだ。
「僕もできることはしないとね」
「ユウキさんは自分の仕事を頑張ってください」
「わかった。行ってくる」ユウキはソーラルにナンパにでかけた。
*
しかしユウキのナンパは頭打ちになっていた。
「…………」
この朝の噴水広場で顔を上げることはできる。
引きつってはいるものの笑顔らしきものを浮かべることもできる。
だがこの先にどうしても進むことができない。
この先に待ち受けているのはナンパの本番だ。
すなわち、街を歩く人に、実際に声をかけるということだ。
だが……。
どうしても、それができない。
体がすくみ、噴水の縁から立ち上がることすらできない。
とりあえずユウキは立ち上がる練習をしてみた。
少しでも気になる人がこの朝の噴水広場に現れたら、噴水の縁から立ち上がってみる。そんな練習である。
その練習をしばらく続けることで、『気になる人が通りかかったら立ち上がる』という行動パターンをなんとか習得することができた。
しかし立ち上がったところで、足を前に進められない。
そこでユウキは、『気になる人が通りかかったら立ち上がり、右足を前に出す」という練習を始めてみた。
気力を減らしながら練習を繰り返す。
やがて、気になる人に向かって右足を踏み出すことについに成功したところでバイトの時間になった。
急ぎ大穴に向かい、ラチネッタの班で軽作業をする。そして昼には星歌亭でランチ営業の手伝いをする。
午後はブログ執筆だ。今日はナンパで思うように魂力が稼げなかった。ブログ執筆の方で魂力を稼ぎたい。
ユウキはまた噴水広場に来ると、喫茶ファウンテンのテラス席でスマホを睨み記事執筆を始めた。
まずは最近読んだ電子書籍のレビューを数本書く。
次にライフハック的身辺雑記を書く。
『物事が思うように進展しないときの心の持ち方』
今日はそんなトピックの記事を書いてみたい。
なぜならば……。
今まさに、物事がうまく進んでいないからである。
立ち上がる練習、右足を前に踏み出す練習、そんな練習をしているオレは赤子か?
こんな練習をしていて、実際に声をかけるのは何年後になるのか?
確かに……行動を細分化して練習することは、ときに役立つこともある。
しかしこれ以上、ナンパを細分化しても仕方ないのでは?
それは一という数字を無限に細かく分割するようなものではないのか?
オレは永遠に目標に到達することができないその場での足踏みを続けているのではないのか?
状態異常『自己疑念』が生じ、気持ちが焦る。
焦るばかりで、魂力はぜんぜん貯まらない。
それは死を、そして世界の破滅を意味する。
なぜなら……。
魂力が貯まらなければ魔力を塔にチャージできず、魔力が塔にチャージされなければシオンが攻撃魔法を使えないからである。
そして大規模攻撃魔法が使えなければ、日々、増えていく敵の量にいつか押し切られて塔は崩壊するからである。
昨夜などは『血を欲する餓狼』などという新規魔物も現れた。
暗黒戦士という強大な戦力が参加したばかりなので、戦い自体はなんなく切り抜けられたが、このペースで敵の数と種類が増えていけば、いずれ手に負えなくなるのは目に見えている。
それを思うと気持ちが焦って何も手につかなくなる。
そんな今の自分への、生き方のヒントとなるような記事を書きたい。
自分ひとりではとてもそんな記事など書けそうにないが……。
「ナビ音声さん」
「なんですか?」
「教えてくれ。オレは今、ナンパがうまく行かなくて焦ってる。こんなときどうすればいいのか」
「わかりました。教えます」
ナビ音声が伝えてくれる『困った時の生き方のヒント』を、ユウキはスマホに書き取っていった。
まず落ち着くこと。
無理に努力しないこと。
できないことではなく、今できていることに目を向けること。
そして、新しいアイデアの閃きを待つこと。
この四項目を柱とする優しいタッチの自己啓発的記事が、やがて完成した。
「サンキュー、ナビ音声さん」
「どういたしまして」
アップロードは塔に帰ってからやるとして、まずはこの記事に書いたとおり、できる限り落ち着くことにした。
噴水広場の喫茶ファウンテンでスイーツを頼んでみる。
何かしらの樹の実をベースとした、素朴なモンブランを思わせるスイーツが出てきた。
深呼吸しつつ、魔コーヒーとともに味わう。
少しずつ気持ちがくつろいでいく。
周りを見る余裕も出てくる。
「…………」
午後の噴水広場は朝よりも人通りが多く、できるものならば声をかけてみたい、気になる女性も多くうろついている。
だが無理にナンパをしようとすると気力が減っていく。
だから今はただスイーツを味わう。
すると気力がどんどん回復し、気持ちが前向きになってきた。
その状態で、今、自分ができていることに目を向ける。
たとえば……オレはこんな雑踏の中、ひとりで喫茶店に入ることができるようになった。
午前にはバイトもしたし、このあと星歌亭でゾンゲイルのライブの手伝いもする。
ナンパはさっぱり前に進まないが、それ以外のところに多くの変化、成長がある。
それを思うと少しだけ自分が誇らしくなった。
きっと、いつか何かいいアイデアも出てくるだろう。
ナンパを大きく前に進めるための素晴らしいアイデアが。
そんな気もしてきた。
「…………」
特に根拠があるわけでもないが、なんとなく前途が開けた雰囲気を抱えて、ユウキはテラス席から立ち上がった。
そして星歌亭でライブの手伝いをし、塔に帰ってブログの更新をした。
夜の戦闘は防塁のおかげで、安全に、効率よくこなすことができた。
ユウキはそこはかとない充実感と共に自室のベッドに潜った。
*
深夜に暗黒鎧が部屋にやってきて、怨霊たちが精神接続してきた。
ユウキは今夜も怨霊たちを接待するため、心の中に街のイメージを作り出した。
その瞬間だった。
「………!」
ユウキはアイデアを得た。ナンパを大きく前進させるためのアイデアを。
「おいお前ら」
「なんであるか? ユウキ殿、今日はどこに我らを連れていってくれるのだ?」
「お前ら、ナンパされたくないか?」
「ナンパとは?」
「お前らに好意、欲望、魅力を感じた男がお前らに声をかける、それがナンパだ」
「何を笑止な。心に闇を纏い、体もボロボロの我らに魅力などあるわけもなかろう。くだらぬことを言うのはよすがいい」
「『闇の伴侶』は、闇を恐れず、しかもお前らの本質そのものを愛してくれる存在のはずだ。よって『闇の伴侶』がいつか街でお前らを見かけたとき、きっとお前らに反射的に声をかけてしまうはずだ」
「ほ、本当か?」
「ああ、理論上はな。だが……お前らに心の準備が整っていなければ、どうなる?」
「知らぬ男に声をかけられたら、それが『闇の伴侶』だったとしても、我らは無視してしまうであろう。男に声をかけられることなど、想像の範囲外であるがゆえ」
「だろ。だから今のうちに声をかけられる練習しておけよ。オレが声をかけてやるから」
「よし。やってみようではないか」
心の中に現世の駅前の雑踏を創りだしたユウキは、駅ビル前のベンチに腰掛けた。
街を行き交う人々や車の流れもその空間内に想像する。
高架を走る電車や空を飛ぶカラスなども、スキル『想像』と『集中』を併用して創造していく。
もちろんユウキ一人だけではこんな鮮やかなイメージを想像できないが、この場所はユウキと十二人の怨霊が共同で生み出している精神空間なのである。その十三人分の想像力によって、かなりのリアリティあるイメージがこの精神空間に勢いよく創造されていく。
だがほどほどのところでユウキは街の創造を止めた。
「まあこんなところにしておくか。目標はリアルな街を想像することではなく、あくまでナンパの練習だからな。さて……お前ら、オレの目の届かないところに一回、消えろ」
心の中でのダイレクトな交流ということもあり、ユウキの言葉はかなり率直というか失礼なものになっていた。
しかし……。
「承知した」
十二人の怨霊は怒らず駅ビルの柱の影に隠れた。
「よし。それじゃ、そこから一人ずつこっちに歩いてこい。オレが一人ずつ声をかけていくから」
「わ、わかった。行くぞ」
一人目の怨霊が柱の影から歩いてきた。
包帯でぐるぐる巻きの彼女をナンパターゲットして見定めたユウキは顔を上げ、軽く自然な笑顔を作り、ベンチから立ち上がって、右足を踏み出した。
瞬間、ナビ音声が心の中に響いた。
「スキル『イメージトレーニング』を獲得しました」
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