第5話 星歌亭でお昼ごはん
黒まだらの少女はユウキに背を向けるとまた噴水裏に死んだように横たわった。
ユウキに興味を失ったのか、あるいはナンパなるものを人生最大の夢として語る男に嫌悪を抱いたのか。
「お、おい……」
恐る恐る背中をつついてみたが、反応はない。
いや、わずかに身動ぎがあった。
「…………」
さきほどの会話の間に太陽が動き、噴水の縁が作る影の位置が変わっていた。
少女はその光と影の境目に体が横たわるよう、微妙に体の位置を調整した。
そしてまた動かなくなった。
「…………」
とにかくこの少女の正体はいまだ不明だが、なんにせよ行き倒れたり死にかけたりしているわけではないらしい。
「やれやれ……さすが異世界だけあって、変な奴が多いな」
ユウキは頭を振りながら汚らしい噴水裏の地面から体を起こした。
路地を抜け、星歌亭に向かう。
*
星歌亭に近づくと、花壇の前にぽつんと立つ人影が見えた。
エルフ的メイド服をまとったゾンゲイルだ。
胸の前にお盆を抱え、誰もいないスラムの路地に向かい何かを叫んでいる。
「ランチー! お昼ごはーん! 美味しいー! 量が多いー!」
ユウキは駆け寄った。
ゾンゲイルの表情がぱっと明るくなった。
「何してるんだ? こんなところで」
「誰も来ないの。それで」
「ああ……宣伝してたのか」
ゾンゲイルは歌は下手だが、その声はよく通る上に、人の心を動かす力を持っている。
現に彼女の呼び込みの声を聞いた瞬間、ユウキはこの店に駆け込んで、美味しくて量が多いらしいランチを腹一杯にかきこみたくなった。
しかし……。
「誰も通らないぞ。宣伝するならもっと人が多いところでないと」
「私、料理も接客もするから。ここを離れられないの」
「エルフは?」
「夜に来るみたい」
つまりこのランチ営業はゾンゲイルによる完全ワンオペなのだ。
そんなことが可能なのか。
不安に思って立ちすくんでいると、いきなりゾンゲイルに手を引かれた。
「ユウキのご飯、作る。来て」
ゾンゲイルは星歌亭の玄関をくぐり、ユウキを客席へと座らせると、自身は厨房に駆け込んでいった。
ものの数分でランチセットが出てきた。
その速度にユウキは驚いた。
そして色とりどりの料理の豪華さに目を見張った。
思わずスマホを取り出し、写真を撮ってしまう。実はユウキは写真のSNSをやっており、フォロアーも百人以上いるのだ。
いつかWiFiが繋がるところに行ったらアップしたい。
それにしても……。
「う、うまそう」
ヨダレが溢れてくる。
銀のプレートには蒸された米に似た穀物と、作りおきで容易していたらしい肉料理と、ピクルス的な野菜の漬物、さらに赤と黄と緑の色合いが美しい数種の付け合せが乗っていた。
深皿に盛られた温かなスープも付いている。
「な、なんてうまそうなんだ……いや、それだけじゃない、よく考えられてる」
「わかる?」ゾンゲイルは誇らしげだ。
「ああ……わかるぞ……できるだけ作りおきして作業量を減らしている。その一方で、スープやご飯は温かいから、全体として作りたての料理を食べたという満足度がある。深く考えられたメニューだな、これは」
「そう。原価も安い」
ゾンゲイルは得意気に腰に手を当てて胸を逸らした。
この何でもできるゾンゲイルの能力は、人の世の中で活かすべきものであろう。
この人、本当に、あんな暗い塔を離れてよかったな。
そんなことを思いながら、ユウキはランチプレートをかきこんだ。
下品だと思いつつも美味しすぎてスプーンを動かす手が加速していく。
「もっと食べて。はい、おかわり」
ゾンゲイルがわんこそばのように次々とおかわりを持ってくる。
そのテンポに乗せられ、いつしかユウキはフードファイターのごとき様相を呈していた。
もう苦しい。
でも美味しい。
三人前は食べてしまったところで胃の容量に物理的な限界が訪れた。
スプーンを動かすユウキの手が止まる。
「遠慮しないで。もっともっともっと食べて」
ゾンゲイルはユウキにさらなるフードファイトを強要した。
ユウキは自らの限界を超えてスプーンを動かした。
*
食べ過ぎでテーブルに突っ伏していると、ゾンゲイルがユウキの背中を叩いた。
振動で胃の中身が整理されていく。
だんだん楽になってきた。
「ふう……」
一命を取り留めたユウキは食後のくつろぎの体勢に入った。
ゾンゲイルは食器を下げるとお茶を持ってきた。
陶器のカップから爽やかなハーブの香りが立ち上ってくる。
「飲んで。消化にいいから」
確かに、一口飲む度に胃が楽になっていくのが感じられる。
ゾンゲイルはユウキが茶を半分ほど飲むのを確認すると、身を翻して玄関に向った。
また呼び込みを再開しようというのか。
「て、手伝おうか……?」
「ユウキは休んでて」
確かに、実のところユウキは心身ともに凄まじく疲れていた。
空腹は癒やされたが、気力はほぼ枯渇している。
しかも、さきほど噴水広場で黒まだらの少女と話して以来、心の中に奇妙な異物を差し込まれたような違和感がある。
でもなあ。こんなに何もかもゾンゲイルに任せていいのだろうか。
「いいのよ。これは私の仕事」
おとなしくユウキはゾンゲイルの後ろ姿を見送った。
「はあ……」
温かいカップを手にため息をつく。
一人になると無力感がユウキを襲った。
それは元の世界でいつも感じていた無力感だ。
働く力にあふれたゾンゲイル。
彼女であればどの世界でもまっすぐに働いて生きていけるだろう。
だがオレは何の役にも立たない穀潰しだ。
元の世界でオレは一日三食、母にご飯を作ってもらっていた。
異世界でオレはゾンゲイルにご飯を作って食べさせてもらっている。
なぜオレはいつもこうなのか?
なぜオレはいつまでも何歳になっても、元の世界でも異世界に来ても、誰かに扶養されるこどもポジションなのか?
「…………」
窓の外を見てみるとゾンゲイルが全力で客の呼び込みを続けていた。
声は聞こえないが、身振り手振りから必死さが伝わってくる。
ゾンゲイルは一瞬一瞬を全力で生きているのだ。
しかしオレは元の世界でも異世界でも誰かに守られ安穏とご飯を食ってるだけだ。
こんなんでいいのか?
深い疑念がユウキの心を占領した。
それが心の中でループするごとに、ユウキの気力が低下していく。
「これはやばいぞ……ステータスチェック」
ナビ音声が脳内に響いた。
「現在、『自己疑念』の状態異常が付与されています」
「自己疑念……だと?」
「自己疑念状態にあるとき、あなたは考えても仕方ない思考のループにとらわれ、それによって時間と気力を失います。その効果は緩慢に働きますが、それゆえに可視化しにくく、結果として長期的にあなたの人生にマイナス効果を生み出し続けます」
「やっかいだな。どうすれば『自己疑念』を解除できるんだ?」
「思考を統御するためのスキルがあれば、自分にとって不都合な思考をコントロール、あるいは解除できます」
「そんなスキル持ってないぞ」
しかもそんな高度っぽいスキルを近日中に編み出せる感じはぜんぜんしない。
「今オレが持ってる手持ちのスキルでなんとかならないのか?」
「ユウキの手持ちのスキルリストを走査します」
「おう」
ナビ音声はユウキの精神内を走査した。それに伴ってスキルリストがユウキの脳裏に表示された。
『基本会話』
『感謝』
『暴言』
『討論』
『流れに乗る』
『愚痴』
『否定』
『質問』
『スキンシップ』
『褒める』
『深呼吸』
『愛情』
『共感』
『世間話』
『プレゼント』
『説教』
『地道さ』
『無心』
『鼻歌』
『想像』
『戦略』
『順応』
「いつの間にか結構な数のスキルを獲得してたんだな、オレ」
ユウキは誇らしい気分になった。
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