第6話 愚者の発動
誇らしい……。
ああ、誇らしい……。
こんなにも沢山のスキルがオレの中にある。
ユウキはこれまでに獲得したスキルリストをチェックして、誇らしい気分を感じた。
しかしまたすぐ強い『自己疑念』に飲まれてしまう。
スキルなどあったところで、それを他者に証明することはできない。履歴書に書けず、就職の役にも立たない。
こんな目に見えないものをありがたがるなんて、なんて愚かでおめでたい男なんだ、オレは。
「…………」
正午、星歌亭の窓の外は強い日差しに包まれていた。
一方、店内には誰もおらず、その薄暗い客席でユウキは頭を抱えてうめいていた。
「……ううっ」
「大丈夫ですか?」ナビ音声が心配そうな声を発する。
「だ、ダメだ……すぐに強力な『自己疑念』に意識が飲まれてしまう。こんなもの、オレの手持ちのスキルで解除できるのか?」
「ええと……」ナビ音声は口ごもった。
「一応、長期的に使うことで、どんな固い『自己疑念』でも解除できるスキルはいくつかあるみたいですね」
「どれだ? 教えてみろ」
「『感謝』『褒める』『愛情』『地道さ』と言ったところですね」
「はあ? そんな地味なスキルでどうやってオレの脳内に渦巻くこの強固な『自己疑念』を止められるというんだ?」
「まずは、自分のいいところをほんの少しでも見つけ、それに対してスキル『褒める』を使ってみてください」
「…………」
とりあえずユウキは言われたとおり素直にやってみることにした。
自分のいいところを探してみる。
だが……。
いいところ、だと?
顔も見た目も頭も性格もなにひとつ良くないのだが……。
「うーん、ダメだ。何も『いいところ』が見つからない。無理やり何かを褒めたとしても、そんなことは嘘に感じる。そしてオレは優しい嘘より残酷な真実を好む男だ」
「なるほど……それでは、『いいところ』のグレードをぐっと下げてみてください。もっと原始的かつ基本的なレベルの『いいところ』を探してみてください」
「うーん、たとえば……『ちゃんと生きてて偉いね』みたいなことか?」
「そうです。上手ですよ。その調子です」
「な、なるほど……確かに『生きてる』ことに関して言えば、オレは才能があるかもしれない。三十五年もこの肉体を維持してるわけだからな。これは元の世界の動物たちに比べても相当の長寿命だ」
「本当に凄いですよね。では次に、そのことについて『感謝』スキルを使ってみてください」
「つまり……『三十五年も健康に生きてるこの肉体よ。いつもありがとう』と言ってみろと?」
「そうです。そういう感じです」
「わかった。やってみるぞ」
ユウキはスキル『感謝』を使い、胸に手を当てながら肉体に感謝した。
「ありがとう。オレの肉体。感謝してるよ」
すると、ほんのり温かい気持ちが生じ、なんとなく自分の体がリラックスしたように感じた。
ナビ音声がさらなる指示を発した。
「そこですかさずスキル『愛情』を発動してください! 自分に愛情を送って!」
「わかった。やるぞ」
ユウキは胸に手を当てながら自分自身に愛情を送った。
「愛してるよ。大好きだよ。オレはオレを愛してる。愛してるよ……こんな感じか?」
「うまいです。最高ですよ」
「へへ……」
「これを続ければ、あなたの中に健全な自己愛が芽生え、それによって自己疑念は薄らいでいくでしょう」
「効果が出るまでどのぐらいかかるんだ?」
「半年ぐらいですね。スキル『地道さ』を使って毎日朝晩五分、地道に続けてください」
「…………」
窓の外からゾンゲイルの声が聴こえる。
眩しい光に包まれて彼女の輪郭はキラキラと輝いている。
「ランチー! お昼ごはーん! 美味しいー! 量が多いー!」
みんな必死に働いているのだ。
今このとき、元の世界でも異世界でも。
そんな中、オレは人に美味しいご飯を施されながら、この居心地のいいカフェの中で、ただ生きてるだけの自分を愛する練習をしている。
バカか。
なんて身勝手で愚かなオレよ。
人間とはもっと苦しんで身を粉にして生きねばならないのに。
なのに今のオレのやっていることはなんだ?
異世界ナンパだと?
そんなことをしているうちに恵まれない子どもたちが苦しんでいるんだよ!
「これはやばいな……ステータスチェック」
「状態異常『自己疑念』がブーストされています。『褒める』『感謝』『愛情』への反動が生じたようです」
「反動だと?」
「あなたの心にスキルによってプラスのエネルギーが送り込まれた分、マイナスのエネルギーが強まっているのです」
「なんでそんなことに?」
「人の心は善かれ悪しかれ、常に恒常性を維持するようシステム化されているからです。光が強まればその分、闇も濃くなるのです」
「ど、どうすればいいんだ?」
「反動に負けず、ひたすら数ヶ月間、地道に『褒める』『感謝』『愛情』を自らに送り続けてください。そうすれば、この『自己疑念』は必ずや解除されます」
「む、無理。ぜったい無理……」
こんなにも自己疑念が強い状態で、自分のいいところを見つけたり、自分に感謝したり愛情を送ったりすることなどできない。
そう……オレはせっかく与えられたスキルすら使いこなせない無能人間なのだ。
オレはダメだ……。
ユウキは心を閉ざし、星歌亭のテーブルに突っ伏した。
「…………」
このまま日が暮れるまでユウキは『自己疑念』を続け、残り少ない『気力』を消費した上、もっとも大切なリソースであるところの時間を無駄にするかと思われた。
だが……しばらくして脳内にナビ音声が響いた。
「仕方ないですね。得体が知れないので触りたくなかったのですが……これを使ってみましょうか。『愚者』の『人格テンプレート』を」
「はあ? 愚者のアーキタイプだと? なんなんだそれは?」
「さきほどの噴水広場のことを思い出してください」
ユウキは思い出した。
辛い『顔上げ』の修行、そして謎のストリート・チルドレンとの、何の意味があるのかわからない邂逅……。
「そう、あの少女です。あの地面に寝転がる得体の知れぬ存在から、ユウキの心へと、謎のエネルギー・パターンが送り込まれています。さきほど解析した結果、それは『人格テンプレート』だとわかりました」
「人格テンプレート? スキルみたいなものか?」
「いいえ。これはスキルよりもより深く、ユウキの人格の基底部分に変化を生じさせるもののようです」
「よくわからないが、とにかくそれを使うとどうなるんだ?」
「ユウキの人格の基本性質が『愚者』として再構成されます」
「『愚者』って、めちゃくちゃ頭悪そうだな」
「ええ。ユウキがこの人格テンプレートを活性化すると、『知力』が大きく低下し、その代わりに『衝動性』が大幅に上昇することが予想されています」
ここでユウキはこの人格テンプレートやらが、あのストリート・チルドレンから自分へと送られた原因について推理した。
「そうか……あの子供はめちゃくちゃ頭悪そうだったから、それがオレに伝染りかけてるんだな。インドに旅行した人間はしばらくの間、インドっぽくなってしまうのと同様の原理だ。何も不思議はない」
「…………」
「でもオレは馬鹿になりたくないぞ。『愚者』の人格テンプレートとやら、絶対に活性化するなよ」
「ですが……『自己疑念』はユウキの『知性』に巣食っています。『知性』の働きが鈍れば、『自己疑念』も弱まるはず」
「た、確かに」
「どうしますか? このまま『自己疑念』に囚われて、何もできぬまま『気力』を失い、この午後の貴重なフリータイムを無為に消費しますか? それとも『愚者』となり、知性から解放された自由な状態で、何か新たな人生の可能性を模索しますか?」
「『愚者』の人格テンプレートを活性化したら、オレはもう永久に『愚者』なのか?」
「いいえ。今、私がユウキの心のシステムを深く走査してわかったのですが……人間は生まれながらに、なんらかの基底的な人格テンプレートを持っているようです。一時的に『愚者』を活性化したとしても、数時間後にユウキはその基底人格テンプレートへと回帰するはずです」
「オレの人格の基底テンプレートって、なんだ?」
「名前を付けるとすればそれは……『隠者』です」
「い、隠者だと?」
「『知力』にブーストがかかりますが、『社交性』に大きなマイナスが生じます」
「……ちぇ、チェンジしてくれ。『隠者』から『愚者』へと」
「いいんですか?」
「ああ。今、オレは理解した。そう……生まれながらに『隠者』なんていう人格テンプレートを持っていたから、オレはこんな歳でも無職なんだ! そんな最悪な人格テンプレートなど捨ててやる」
「いいえ。『隠者』が持つ知力ブーストは人間社会における大いなる利点です。ユウキが無職なのは人格テンプレートのせいではなく、あくまでユウキが積み重ねてきた選択の結果だと思いますが」
「うっさいな! とにかく変えろよ! オレはもう『愚者』になる!」
「わかりました。とはいえ効果が持続するのは数時間だけです」
「わかった、それでいいから早く変えろ」
「こう叫んでください。『チェンジ! パーソナリティ・テンプレート! ハーミット・トゥ・フール!』と」
「なんでそんな叫ばなきゃいけないんだ? しかも英語で」
「日常会話の中での突発的な人格の変化を防ぐためです」
「わかった……いくぞ……チェンジ! パーソナリティ・テンプレート! ええと……なんだったっけ?」
「ハーミット・トゥ・フール」
「は、ハーミット・トゥ・フール!」
星歌亭の客席から立ち上がってそう叫んだユウキを、窓の外からゾンゲイルが見ていた。
一瞬、二人は目を合わせたが、ゾンゲイルは気まずげに視線を反らすとまた客の呼び込みへと戻っていった。
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