第4話 愚か者のトランスミッション

 いまだこの地にソーラルは無く、あるのはただ『大穴』と、山と川のみ。


 そんな太古の時代、『大穴』よりはるか遠方の集落に、ひとりの『愚かな若者』がいた。


 その愚かな若者は血気に流行り、『大穴』の奥に眠る、伝説の深宇宙ドラゴンを退治せんと村を飛び出した。


 なぜならば、深宇宙ドラゴンが蓄える叡智と秘宝はこの世のすべてを超えていると伝え聞いていたからである。


 超越を望む若者は、大切な物すべてを捨て、家族を捨て、守るべき畑と恋人と友を捨てて家を出た。


 そして若者は探索者として荒野をさまよい、荒れ狂う大河を渡り、ついに大穴の入り口を見出した。


 だが大穴の内部は深宇宙ドラゴンの発する高次元の瘴気によって人知を超えた迷宮と化していた。


 若者は己を戦士として訓練しつつ、妖魔のひしめく迷宮を下りながら経験を積み、装備とスキルを蓄えていった。


 そして人知を超えた強さを身に付け、若者から壮年の戦士へと大いなる変化を遂げたころ、ついに彼は辿り着いたのである。伝説の深宇宙ドラゴン、ルフローンがとぐろを巻いてまどろむ玉座の前へと。


 黄金と翡翠とチタンとプラチナによって造成された龍の玉座に座すルフローンは人間形態に化身し、戦士を睥睨した。


「愚かなる小僧よ。よくここまで来たな。余がじきじきに褒めてやろう」


「お前を……殺す!」


 戦士は迷宮最奥部で手に入れた先史のアーティファクト、次元の壁すら切り裂く恐るべき力を秘めた邪星剣を鞘から抜いた。


 迷宮の底で、邪星剣の鈍色の刃が輝いた。


 そして七晩に渡る戦いが龍と若者の間で繰り広げられることになる。


 その戦いの中で若者は七つの秘宝を手に入れる。


 まずは物質、肉体、本能、感覚、感情に関係する三つの秘宝、『生命』『快楽』『権力』を手に入れる。


 ついで物質と精神をつなぎ合わせる一つの秘宝、『愛』を手に入れる。


 さらに精神の力によって次元を割るための三つの秘宝、『創造』『叡智』『合一』を手に入れる。


 そして『合一』の果ての『忘我』状態で大穴を去った戦士は、故郷の集落に帰らず、建築者となって穴の近くに小屋を築く。


 その小屋の天窓から建築者は夜空を見上げて暮らす。


 小屋の周りにはやがて人々が集まりはじめ、やがてソーラルと呼ばれることになる集落がそこに形成されていく。


 生まれ故郷に残してきた家族や恋人や友人までもが、大穴のほとりに立てられた小屋の回りに集まりはじめる。


 建築者はやがてソーラル初代市長となり、そののちに魔術師となる。以上の話は『ソーラル市史』に詳しい。


 *


 どこに続いていくのかわからない話が一段落したようだ。


 噴水広場の地べたに寝転がされたままユウキは言った。


「へー。この街にそんな昔話があったのか」


 子供が考えるにしては、やけに凝った話だと思ったが、最後の部分で納得した。どうやら今の話はこの街で一般的な昔話らしい。


 隣の地べたに寝ている黒まだらの少女は頷いた。


「ああ。市庁舎の裏の庭に、初代市長が龍を求めてたどった道『ドラゴンズパス』に関する碑石がある。また、市庁舎の最奥部には『ルフローン殺し』と銘が付けられた邪星剣が今も眠っている。碑石は誰でもいつでも自由に見学できる。いつか見てくるといい」


「…………」

 

「ふん。『そんなもの誰が見るかよ。興味ないね』とでも思っているのだろう? 視野の狭い小僧よ」


「い、いや……」


「隠さなくてよい。余はある程度、哺乳類の感情を読み取り、それに干渉するスキルを持っている。お前ごとき哺乳類の考えていることは手に取るようにわかる」


「…………」


「だが小僧よ、今の昔話、ドラゴンズパスは、お前に大いに関係のあることなのだ」


「何がだよ。オレはこの街に来て二日目の男だぞ。ソーラルには縁もゆかりもない」


「はっはっは。意識の低い哺乳類よ、よく聞け。ドラゴンズパスは意義ある人生のひな形である。『何も持たぬ愚か者が、探求と変容の果てに、偉大なる宝を手に入れる』という、人間の成長のテンプレートだ。それはお前にとって役立つ元型がいくつも秘められている」


「…………」


「だがドラゴンズパスが内に秘めた元型の数々を、今、すべてお前に伝えることは難しい。それはお前の人格のキャパシティを大きく超えている。だから今、余はお前に、すべての始まりである『愚者』の元型のみを与えよう」


 少女の声が熱と力を帯びている。


 おままごとのような空想の遊びではあるはずだが、ユウキは軽い緊張を感じた。


 ついつい真剣に聞いてしまう。


「『愚者』の元型とやらが与えられると、オレはどうなるんだ?」


「お前は前より簡単に『愚かしい行動』を取れるようになる」


「『愚かしい行動』だと? そんなことオレはしたくないぞ」


「本当か? 分不相応な野望を叶えるとき、そのような愚かさが最初にどうしても必要だ。お前はそれをすることを求めているのではないか?」


「…………」


「定命の者よ、お前が運命を超えて欲しいものすべてを手に入れるには、常識をすべて捨てて己の内から沸き上がる衝動に自らを委ねる愚かさ、それが最初に必要なんだ」


「…………」


「欲しくはないのか、そんな愚かさを」


 少女は誘うようにユウキに微笑みかけた。


 彼女の赤い唇から、ピンク色の舌がちろりと覗く。


 その舌先は二つに分かれている。


 ユウキはごくりと生唾を飲み込むと、思わず頷いていた。


「く、くれ……欲しい……」


「いいだろう。素直に己が望みを表現したことを評価して、余はお前にそれを授けよう。さあ、受け取るがいい、『愚者』の元型を」 


 瞬間、黒まだら少女の縦にスリットの入った瞳が強くユウキを睨んだ。


 その瞳にとんでもなく愚かしい者の姿が映っていた。


 ヘラヘラとだらしなく緩んだ、世の中を舐めた顔をしている男の姿。


 そいつは自分のやりたいことを優先し、面白そうに感じることに惹かれ、元の世界から無責任に離れていく。


 その適当な存在のありよう、世を舐めた態度に対し、ユウキは思わず怒りを覚えた。


 こういう無責任なヤツ、どうしてもオレは、好きになれない。


 だが、少女の瞳に映っている愚か者の愚かしいその顔、それはユウキ自身のものだった。


「飲み込め。そして活性化しろ。お前の中に、そしてあらゆる人間の中に、世界の始まりより予め組み込まれている、愚者の元型の愚かなる力を」


 ユウキはそれを飲み込み、活性化した。


 自らの愚かさを。


「はあ……オレ、こんなんでいいのかな……」


 会ったばかりの少女の前だというのに思わずため息が漏れる。


 そうオレは、無責任にも現世から逃れ、労働の義務から逃れ、住民税も所得税も払わずに、今、異世界でナンパしているのだ。


 しかもそのナンパもまともにできず、こうしてストリートチルドレンの子供と訳の分からない遊びに興じて時間を潰している始末である。


「あああ……学校の同級生とか、もうみんな子供もいるんだろうな……税金とか払ってるんだろうな。なのにオレはこんなところで、こんなことして遊んでる……」


 重苦しい罪悪感がユウキにのしかかる。


 世界の皆が、ユウキを指さし、穀潰しの愚か者であると糾弾している、そう感じられた。


 そんなユウキを許すように少女は聞いた。


「いたいけな小僧よ、自らを受け入れよ。偉大なる物事を成し遂げるには、まず最初に愚者である必要がある」


「…………」


「ソーラルの初代市長も、集落での生活を捨て、先の知れぬ『ドラゴンズパス』へと探索の旅に出た


「それで?」


「その結果、多くの宝を手にし、それをこの街の繁栄の礎とした」


「でもオレは……」


「小僧、お前にも冒険の果てに手にしたい宝のヴィジョンがあるのだろ? それを手にするためには、一時的に愚者となることは許されるはずだ」


「そうかな? 本当にそう思うか?」


「ああ……余はそう思う。ときに愚者は美しい! 余はそう思う。だから小僧、余にこっそりと教えてみろ。小僧、お前の求める『宝』はなんなんだ? お前はお前の人生で何を心から求めてるんだ?」


「いや、それは、ちょっと……」


 実のところいまだに自分の夢に自信が持てない。あんなことを生涯最高の夢として思い描いている自分のことが信頼できない。だからそれを言うのは恥ずかしい。


 だが……。


「迷いを捨てよ。そして、愚者たるお前が、お前だけのドラゴンズパスの探索の果てに手に入れることを望む、お前だけの宝、お前だけの夢を、今ここに声を出して告げてみよ!」


 熱っぽく語る少女の声に乗せられ、ユウキはつい見知らぬ他人に自分の夢を披露してしまった。


「わかった、言うぞ」


「言え。もったいぶらず早く言え」


「ナンパだ。オレの夢はナンパだ……」


 瞬間、黒まだら少女は顔をしかめ、汚いものを見る目をユウキに向けた。

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