第3話 少女の贈り物
少女は噴水裏に寝転がりながら焼き肉の串を平らげると、ユウキを見上げた。
少女の瞳の虹彩は金色で、縦に黒くスリットが空いている。
彼女と目があったユウキはなぜか本能的な恐怖を感じ、走ってこの場から逃げ去りたくなった。
だが恐るべき魔物に出会ったごときネガティブな反応を、一介のストリートチルドレン相手に見せるのは失礼だろう。
ユウキはぐっと唇を噛み、逃走本能をこらえた。
すると少女はピンク色の舌をちろりと見せて笑った。
「ほほう。か弱き哺乳類が、余の視線を受け止めるか。面白いぞ、小僧」
少女は笑っていたが、ユウキはうめいて一歩後ずさってしまった。
なぜなら彼女の舌はいわゆるスプリット・タンとなっており、先端が二股に分かれていたからである。その歳で身体改造に手を染めるとは……ユウキは衝撃で何も言えなくなった。
しかし少女は楽しげに舌をちろちろと動かしながら、地べたからユウキを見上げている。
「よかろう、施し物のお礼に何か余からお前に贈ろう。小僧、お前は何が欲しい? 何でも遠慮せずに言ってみよ」
そうは言われても、ボロ布をまとったストリート・チルドレンから、何をもらえるというのだろう。
「気持ちだけもらっておく。地べたで寝てるから死んでるかと思ったけど、元気そうで安心した」
「死ぬ? この余が? はっはっは」
少女は噴水裏の汚らしい地面に横たわりながら腹を抱えて笑い始めた。
「ああおかしい。定命の者よ、お前には笑いの才があるようだな。はっはっはっは……いいぞ小僧……その調子だ……」
ユウキは困惑した。笑いのツボがまったくわからない。ていうかこの少女の笑い声を聞いていると、頭が割れそうに痛んでくる。
関わるべきではなかったのかもしれない。
「じゃあ……オレはそろそろこのへんで」
少女の傍らにしゃがんでいたユウキは立ち上がりかけた。
しかし……。
「うっ!」
少女にがっと腕を絡め取られ、ユウキは地面に仰向けに引き倒された。
凄まじい力だ。まったく身動きが取れない。
「な、何をするんだ?」
捕食されるという理不尽な恐怖に身をすくませながら、ユウキは隣に横たわる少女の顔を見た。
片手でユウキを軽々と地面に押し付けながら、少女の視線はまっすぐ天に向けられていた。
「見てみろ、あの空を。青いだろう」
「た、確かに……青い……それで?」
「目を瞑ってみろ」
黒まだらの少女の声には、ユウキを従わせる謎の強制力があった。
ゴミだらけの汚らしい地面に横たわる不快感と恥ずかしさに眉を潜めながらもユウキは目を閉じた。
日光に温められた地面からの放射熱によって、自分がじわじわと温められるのを感じる。
「……うーん」
思わず声が漏れる。
「どうだ?」
「うーん……き、気持ちいい。地面からの放射熱によって体の芯まで温まる。それでいて日陰もあり暑すぎない。噴水のミストによって適度な湿り気もある」
「小僧、わかっているな! ……この場所は余のお気に入りの場所である。小僧も好きなときに使ってよい」
「あ、ありがとう……それじゃオレ、そろそろ行かないと」
もう二度とこの場所にはこられないな。
そう思いながらユウキは立ち上がりかけた。
だが再度、がっと腕を掴まれ、ゴミだらけの汚い地面に引き倒されてしまう。
「次にお前は何が欲しい? 余の贈り物は無尽蔵だ」
「いや……もう十分かな……オレ、本当にそろそろ行かないと」
「はっはっは。奥ゆかしいところも好感をそそる。遠慮せずともよい」
「いや、そういうわけじゃなくて……君からは何ももらえないよ」
「そうか……人間の乏しい想像力では余が持っている唸るほどの富のその一端すら認識することは難しいか。ならば小僧、お前に選択肢を与えよう」
「いや、あの……」
「一番、風呂に入れても余るほどの大金。二番、生き飽きるほどの健康寿命。三番、朗らかな人間関係。そして四番、太古の叡智……好きなものをお前に授けよう」
そう言われ、ユウキは思わず目頭が熱くなるのを感じた。
「ううっ、哀れな……」
そう……このストリートチルドレンの少女は惨めな路上生活を続けながら、マッチ売りの少女のような妄想をして自らを慰めていたのだ。
自分には大金があり、健康があり、サポーティブな人間関係があり、知恵がある……学校にも行っていない少女がそんな空想をして空腹と寂しさを紛らわせていたのかと思うと哀れでならない。
きっとこの少女はそんな自らの妄想に取り憑かれ、空想と現実の区別を失ってしまったのだろう。そう思うと哀れでならない。
だがその妄想を否定することなどオレにはできやしない。
過酷すぎる現実から自らの心を守るには、しょうもない空想をして、その中で自分がわけもなく強くなったり偉くなったりする妄想を楽しむこともときには必要なのだ。
だからオレはそれを否定しない。
むしろ少女の妄想に付き合ってやりたい。
よし、やるぞ……。
ユウキはごくりと生唾を鳴らすと意を決し、少女の妄想空間へと自らを飛び込ませた。
「そ、それじゃあオレの欲しいものを言うぞ。そうだな……一番の『唸るほどの大金』をもらおうか」
「良かろう。やはり人間が生きていくには、金の力がものを言うのだからな。大金……そんなものは余にとっては心を豊かにする飾りに過ぎぬ。だが、『大穴』最深部に横たわる余の寝床には、ドワーフの手によって錬成された純度の高い金の延べ棒がうず高く積み上げてある。小僧に何本かあげよう。重いので、丈夫な鞄を忘れずにな」
「あ、ありがとう。それじゃそろそろ、こんなところで……」と立ち上がりかけたユウキは、がっと腕を掴まれ地面に引き倒された。
「他に何が欲しい? 二番と三番と四番が残っているぞ」
「そ、それじゃあ……二番の『生き飽きるほどの健康寿命』をもらおうかな」
「良かろう。小僧、お前、目の付け所がいいな。そう……大金によって人間社会で自由に生き抜く力を得たら、その次は健康寿命を伸ばすことが大事だ。『大穴』最深部に広がる余の寝床の裏には『若返りの泉』がある。好きなときに使っていいぞ」
「あ、ありがとう。それじゃオレ、そろそろ……」と立ち上がりかけたユウキはがっと地面に引き倒された。
「他には何が欲しい? 遠慮するな」
「そ、それじゃあもう三番の『朗らかな人間関係』と、四番の『太古の叡智』ももらっちゃおうかな」
「はっはっは。一度に二つも望むとは、小僧、お主は見かけによらず結構な野心家だな。だが余は卑小な常識人よりも、むしろ身勝手な野心家を好む。良かろう、小僧に『朗らかな人間関係』のための秘訣を授けよう」
これはナンパに関していくぶん役立ちそうなトピックであったため、ユウキは前の二つよりもわずかに身を入れて少女の言葉に耳を傾けた。
だが……。
「朗らかな人間関係のために必要なのは笑顔だ。はっはっは。このように、よく笑うことが肝心だ。どうした、苦虫を噛み潰したような顔をして。恥ずかしがらずに笑ってみよ」
「は、はっはっは……」
「そうだ、上手だぞ、はっはっは」
異世界の大都市ソーラルの噴水広場で、汚らしい少女と地面に転がりながら笑い声を上げる自分をしばし客観視したユウキは、全体の意味を見失って頭が悪くなっていくのを感じた。
少女は再度、無意味な笑いを強制した。
「さあもう一回。はっはっは」
「はっはっは……」
「もう少し大きな声で。はっはっは」
「はっはっは……はっはっはっはっは」
だんだんと無意味な笑い声が自然に自分の口から漏れ始めたことにユウキは恐怖した。
自分の笑い回路が壊れてしまったのではと恐れながらも、ユウキは壊れた笑いマシーンのように笑い続けた。
「はっはっはっはっはっはっは」
「いいぞ、小僧。では『朗らかな人間関係』の肝をマスターしたお主に、『四番、太古の叡智』を授けよう」
「はっはっは。『太古の叡智』って、お前、何歳だよ」
「覚えてはおらぬ。数字など人間が創りだした下らぬ尺度よ。永遠の深宇宙的存在たる余を測るには小さい小さい」
「わかったわかった。とにかく早く教えてくれよ、その『太古の叡智』とやらをよ」
これで最後だ。
この訳の分からない子供の遊びに最後まで付き合って、やがてこの子が満足したのなら、オレはさっと立ち上がって、星歌亭に早足で向かおう。
そして星歌亭でお腹いっぱいゾンゲイルのランチを食べて、日常に戻ろう。
この子どもの近くにいると、なんだか頭がおかしくなってくる。
早く日常に戻りたい。
だがこの噴水裏に突如出現した異次元的シチュエーションから、ユウキはなかなか逃げることはできなかった。
ユウキの隣に寝転がる少女は重々しく頷いた。
「……よかろう。この余の広大無辺なる意識に蓄えられた太古の叡智、それを今、余はそなたに教えてあげよう」
そして今、汚い噴水裏の地面に仰向けになっている黒まだらの少女は、やおら横を向きユウキの片耳に手を当てたかと思うと、そこにこそこそと何事かをささやき始めた。
「むかしむかしのこと……」
どうやら昔話のようである。
黒まだらの少女が耳にこそこそと吹き込んでくるその昔話には何か催眠性の効果があった。
ユウキは噴水広場の地べたでうとうととまどろみながら、その昔話の舞台へと心を彷徨わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます