第2話 ルフローン

 ユウキは噴水の縁で『顔上げ』をした。


 顔を上げて噴水広場を眺める。


『広場恐怖』という状態異常がかかっているために、すぐに冷や汗がにじみ、呼吸が浅くなり、視界が歪んでくる。


 限界に達したところで顔を下げ、スマホを見つめる。


「はあ……はあ……」


 スマホはネットに繋がっているわけでもなく、ただホーム画面を無意味に見つめるだけであったが、それでもなぜかスマホを見てると若干、気持ちが落ち着いた。


「はあ……はあ……ステータスチェック『気力』」


「気力は残り一割です」


「よし、スキル『深呼吸』と『想像』を発動! 『気力』を回復するぞ……」


 ユウキは目を閉じて心の中にいごこちのいい近所の公園を想像し、そのベンチで深呼吸をし、気力回復に努めた。


 ある程度、『気力』が回復したところで再度、ソーラルの噴水広場に意識を戻し、『顔上げ』の練習を再開した。


 昨日獲得したスキル、『地道さ』が効いているのかもしれない。ユウキは自分でも驚くべき粘り強さを発揮し、『顔上げ』の練習と『深呼吸』『想像』による気力回復を繰り返した。


 気力回復作業はすべて心の中で行われる作業であるため、その現実性が疑われることもあった。


 異世界の広場にひとりぼっちという恐るべきシチュエーションから逃れるため、くだらない想像によって現実逃避しているだけなのではないか、と。


 だがパラメータをチェックする限り、確かにスキル『想像』を使うたびに『気力』が回復している。


 顔を上げると気力は急激に低下するのだが、それで失われた気力はスキル『想像』と『深呼吸』を十分ほど使うことで取り戻すことができた。


 しかしあるとき、頭の中に鳴り響くナビ音声や、その声が告げる『気力』の現在値などというデータすべてが自分のくだらない妄想なのではないかという疑念にかられた。


 その疑念が軽度の『コズミック・ホラー』を呼び起こした。


 呼吸がさらに浅くなり、現実感が失われていく。


 このままでは正気が失われる。


 だがぎりぎりのところで踏みとどまった。


 なんにせよオレは『顔上げ』を昨日よりも高頻度で実行することができている。それはオレが前進しているということだ!


 前進、そして成長の実感がユウキを安心させた。状態異常『コズミック・ホラー』はいつの間にか消えていた。


 やがてユウキはナンパのワークフローを自然に編み上げていた。


 まず五秒ほど、『顔上げ』をして噴水広場を見る。これにより『気力』は残り二割程度まで低下する。


 その後に十分ほど、実家近くの公園で安らぐイメージを『想像』して『気力』を取り戻す。


 このワークフローを何度も繰り返した。


『顔上げ』そして『深呼吸』と『想像』のワークフローを、二時間ほども地道に繰り返したとき、脳内にナビ音声が響いた。


「スキル『戦略』、スキル『順応』を獲得しました」


「戦略と順応……だと?」


「はい。『戦略』は目標達成に役立つワークフローを組み上げ、それに従って行動できるようになるスキルです。他の多くのスキルと同様、パッシブスキルなので無意識的に常時発動されます」


「いいな、それ。もう一つの『順応』はどんなスキルなんだ?」


「『順応』は各種の可視化されたマイナスステータスの影響力を低下させるパッシブスキルです」


「『可視化されたマイナスステータス』……なんだそれは?」


「今のところ、『広場恐怖』が可視化されています。他にも多くの状態異常があなたに付与されていますが、それはあなたの無意識下に隠蔽されているため、現時点では認識できません」


「……なんでオレはそんな状態異常を持ってるんだ?」


「さあ。生まれながらの性質なんじゃないですか」


「なんだお前、急に投げやりな口調になりやがって……まあいい、『順応』も常時発動をキープだ。この状態で訓練を続ける」


 ユウキは引き続き『視覚化』によって『気力』を回復しながら、顔を上げる練習を繰り返した。


 地味であるがスキル『順応』が効いているのが感じられる。


「これはいい……『顔上げ』による『気力』の低下量が少なくなってるな」


『順応』を得るまでは『顔上げ』は五秒が限界だったが、今は七秒まで可能になっている。


 ユウキはわずかであるが効率が良くなった戦略的ナンパワークフローを繰り返した。


 ひたすら噴水の縁で顔を上げ、その後に目を閉じて気力回復する。


 やがて脳内にナビ音声が響いた。


「『順応』のスキルレベルが上昇しました。マイナスステータスの影響がさらに大きく低減されます」


 よし、いいぞ。これによって『顔上げ』継続時間をさらに伸ばすことができる。


 ナンパワークを大きく前進させたユウキは強い達成感を得て、ぐっと拳を握りしめた。


 同時に近くの教会がお昼の鐘を鳴らした。


「もうこんな時間か……」


 お昼時の噴水広場はかなり賑やかな雰囲気になっていた。


『気力』を消費するのでうつむき加減にユウキはそれを認識した。


 多くの飲食店が軒を開けている。どこからか湧いてきた多くの異世界人が、ぶらぶら歩きながら店を覗きこんでいる。


 スターアニスに似た香りがどこからか漂い、中華好きなユウキの食欲を刺激した。ぐるぐるとお腹が鳴ったところで、ユウキは大いなる楽しみを思い出した。


「そうだった……お昼は星歌亭でゾンゲイルのランチを食べるんだった。そろそろ行くか」


 ごくっと生唾を飲み込んだユウキは、飢えたこの肉体にジャンク感とヘルシー感を兼ね備えたゾンゲイルの手料理を流し込む快楽を想い、口の中にヨダレを溢れさせつつ噴水の縁から立ち上がった。


 そのときだった。


「…………!」


 ユウキは気づいた。噴水の裏側で朝からぐったりと縁にもたれていたストリートチルドレンが、いつの間にか地面に力なく転がっていることに。


 かわいそうに。


 空腹で死んだのかもしれない。


「……仕方ないな。発展途上国ではよくあることだ。これも自然の摂理だ」


 ユウキは己にそう言い聞かせると、見なかったことにして星歌亭に急ごうとした。


 気分が悪いが仕方がない。


 論理的に考えてオレにできることは何もない。


 死んでいたとしたらもう手遅れだ。


 生きているとしたら、オレ以外の誰かが何とかするだろう。


「…………」


 だが死んだように地面に仰向けに横たわるストリートチルドレンに、誰も近づこうとしない。


 しかたなくユウキは遠巻きに噴水の裏へと回り込み、距離をとってさり気なくストリートチルドレンを観察した。


「…………」


 十二歳ぐらいの女の子だろうか。


 ボロ布を体に巻いた彼女は、だらしなく足を広げて地面に転がっている。


 痩せた腹の上に置かれた手が上下している。


 よかった。

 

 どうやら生きているらしい。


「それにしても哀れな……」


 噴水裏の地面にはタバコ的なドラッグ風植物の燃えカスや、謎の果物の種子などが散らばっている。


 衛生観念がそもそも無いのか、それとも空腹や疲れなどでそんなものを考慮する余裕も無くなってしまったのか。


 その汚らしい地面に、少女の伸ばしっぱなしのベタベタした黒髪が放射状に広がっている。


「かわいそうに……」


 だが何にせよオレには関係のないことである。


 ユウキは目をそらし立ち去ろうとした。


 しかし気づけばぐるっと噴水の回りを一周して、元の場所に戻ってきてしまった。


 なんでなのか?


 よくわからないが、とにかく気にかかるものは気にかかる。


 ユウキはより少女に近づいてその肢体を観察した。


 皮膚は浅黒く、汚れているのかそれとも何かの皮膚病なのか、ところどころまだらになっている。


 ボロ布の隙間からは、浮き上がった肋骨が見える。


「哀れな……」


 ユウキは少女を助けることのできない自分の無力さを嘆いた。


 地べたに寝転がる少女が立てるいびきを聞きながら。


 *


 ひととおり自分の無力さを嘆いたところで、ユウキはふと違和感を覚えた。


「それにしても、なんだかおかしいぞ……」


 これまでの観察によれば、ソーラルはかなり豊かな都市であり、スラムにすらそれなりの福祉が行き届いてそうに見えた。


 そんな余裕のある街ソーラルで少女が行き倒れていたならば、誰かが救いの手を差し伸べそうなものである。


 だが誰もこの黒いまだらの少女に目を向けない。


 まるでこの一角が不可視のヴェールに覆われているかのように。


 そう……このお昼時、和やかな雰囲気の噴水広場で、少女の回りだけが異様な雰囲気を発している。


「この雰囲気……例えて言うなら……」


 ユウキは黒まだらの少女を中心とした半径二メートルの円の中に濃厚にわだかまる、その異様な雰囲気を言語化しようとした。


「そう……例えて言うならこれは……」


 何かうまいこと言おうとしたが、どうしても何も思いつかない。


 この少女の近くにいると頭が空っぽになり何も考えられなくなる。


 まるで上も下も無い、何も掴むもののない真空の暗黒宇宙に漂っている気分だ。


 この気分は、かなり状態異常『コズミック・ホラー』に近いものを感じる。


 茫漠としたコズミック感が強く少女の周辺に漂っている。


 あまり近寄りたくない。できれば少女の存在を認識したくない。


「…………」


 だがなんにせよユウキは今、黒まだらの少女の存在をしっかりと認識してしまっていた。


 こうなればもう無視するわけにもいかない。


「しかたない……」


 ユウキはお昼時になり営業を始めた近くの屋台に向かった。


 ゾンゲイルにもらった小銭を取り出して、なんだかよくわからない焼き肉の串を購入する。


 そして踵を返して噴水の裏に回り、おそるおそる、黒まだらの少女の側にしゃがみこむ。


「お、おい」


 声をかけてみるが返事がない。


 ユウキは勇気を出して少女の肩を指でつついた。


「おい……生きてるか?」


 すると少女はうっすらと半眼を開け、地面からユウキを見つめた。


「どうした、小僧?」


「食べるか、これ?」


「ほう……我に施しものとな。人間の分際でよくやる。恐ろしくないのか? それ以前に我を認識できるのか?」


「まあ……なんか気になったから」


「よかろう。人間からの自発的な施しなど、我があまたの生の中でも初めてこと。あーん」


 少女は地面に寝転がったまま、あーんと口を開けた。


 ユウキは誘い込まれるようにその口内に焼き肉の串を差し込んだ。

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