四章 ナンパと創作活動
第1話 心の中の公園
スラムの路地を抜けたユウキは、なんとか噴水広場にたどり着いた。
まだ早朝のため、噴水を取り囲む居酒屋や各種商店は軒を開けていない。
噴水の裏では、ストリートチルドレンらしき髪がベタベタの子供が、縁に体を持たれ、いびきをかいている。
ユウキはストリートチルドレンと十分に距離を取ると、噴水の縁に腰を下ろした。
肌寒い。
首をすくめながら、スマホを取り出し電源を入れる。
「さて、今日はこれから何をするか……」
これまでの地味なナンパ活動によって、ある程度の魂力は溜まったらしい。
この調子でもっと沢山の魂力をためたい。
そのために、ナンパにおける本番行為、すなわち見知らぬ他人への声かけを始めたい。
だが……緊張が強い。
広場から強いプレッシャーを感じる。
スマホから顔を上げることすら難しい。
この状態でユウキがスマホから顔を上げるには、『気力』を消費して『気合い』を入れるか、スキル『無心』に頼る必要があった。
しかしすでに『気力』残量はゼロに近い。
これ以上『気合い』を入れれば、一瞬で燃え尽きてしまう。
そうなればユウキはゴライオン宅に逃げ帰り、今日一日を夜まで寝て過ごすことになるだろう。あの実家で毎日そうしていたように。
「となると……また『無心』を使うか。スキル『無心』発動!」
「『無心』の発動に失敗しました」
「な、なんでだ?」
「すでに『無心』は発動限界に達しています。休息してリフレッシュしない限り、再使用できません」
「…………」
ユウキの心に絶望が忍び寄る。
「ど、どうすればいいんだ……?」
せっかく頑張ってこの噴水広場にやってきたというのに、オレは何もできずただ噴水の縁に腰を下ろして、無意味にスマホを見つめながら、動けないでいる。
『気力』が無いために。
「ううう……気力……気力さえあれば……」
だが現実問題、オレにはもう気力が無い。
あと一回でも『気合い』を入れれば、その瞬間、『気力』残量はゼロに達し、オレは燃え尽き、ゴライオン宅に逃げ帰って夜まで寝ることになる。
結果、夜には目が冴えて朝まで眠れず、朝には眠くなって夜まで起きるという昼夜逆転生活を送るようになるのだ。世界が破滅するそのときまで。
「なんていうことだ……オレに『気力』がないせいで世界が破滅してしまう……」
その運命はもはや不可避と思われた。
だが……噴水の縁で無意味にスマホを見つめながら座っていると、ごくわずかだが心身の疲労が回復したのを感じた。
ステータスチェックしてみると、確かに『気力』は微量であるが回復していた。
「そ、そうか……減ったものは増やせばいいんだ。まずは気力回復に専念しよう」
ユウキは広場で何もせずじっとした。
五分ほど経ってから気力の現在値を確認した。
だが……回復量はごくわずかだった。
こんなことではいつまで経っても『声かけ』はおろか『顔上げ』すらできない。日が暮れてしまう。
「もっとパッと気力回復する方法はないのか? そ、そうだ、あのスキルを使えば……」
ユウキはスキル『深呼吸』を発動した。
「すう……はあ……」
しばらく『深呼吸』を続けてから気力の現在値を確認した。
確かに時間あたりの回復率は増加したように思われるが、まだまだ実用的なレベルには達していなかった。
もっと大幅に気力の回復率を上げなければ、満足に『顔上げ』の練習をすることすらできない。
「どうすればいいんだ……どうすれば『気力』をもっと回復させることができるんだ……?」
ユウキは深呼吸しながら目を閉じて心の中にヒントを探した。
すると……そのときふと思い出した。
昨夜、星歌亭で冒険者とゾンゲイルの間に喧嘩が勃発しかけたときのことを。
あのとき経営者のエルフは、恐るべき暴力的現実から逃れるために、目を閉じて現実逃避していた。
目を閉じたエルフは瞼の裏で『故郷のエルフの森』でも思い出していそうな安らかな表情を浮かべていた。
経営者であり店長であり、つまりあの場を収める責任を持つ者なのに、現実を見ないようにして嫌なものから逃避するというあの姿勢は、はっきり言って最低なものである。
だがエルフでも人間でも、時には目の前の嫌な現実から逃げる必要があるのだ。
そうだ……オレも逃げよう、この恐るべき現実から。
ということでユウキは目を閉じた。
そして清らかで心やすらぐエルフの森を想像し、その空想の中に逃避しようとした。
瞼の裏に『エルフの故郷の森』を思い描く。
「…………」
しかし当然のことながらそんなところは行ったこともないし、見たことも聞いたこともないのでうまく想像できなかった。
そもそも『エルフの故郷の森』なんてものが、この世界に本当に存在しているかどうかも怪しい。
むしろユウキの心は、つい最近リアルに体験した場所である『迷いの森』をさまよった。
いつまでも抜け出せない鬱蒼と生い茂る森の樹木の中で、ユウキは落ち着かない気分を味わいながら右往左往した。
しかし……こんな想像をしていては、余計に気力が失われていきそうだ。
ユウキは強引に想像をねじ曲げ、『近所の公園』を空想した。
ユウキの実家の近所に公園がある。
その公園、昼間は家族連れで賑わっている。
広大な芝生を子どもたちが走り回っている。手に凧を持っていたり。シャボン玉を飛ばしていたり。それを若い親子が笑顔で見つめている。
もちろんそのような幸せなファミリーのいる場はユウキに取っては恐怖の対象である。
しかし自然の空気自体は好きだった。
だからユウキはよく昼夜逆転した深夜に公園を訪れる。そのために真っ暗な実家の玄関で靴を履いていると、背後からパジャマ姿の妹に声をかけられる。
『ユウキ。どこに行くんだ?』
妹は高校生になり色気づいたのか、目に赤いカラーコンタクトを入れ、髪は銀色に染めている。
『公園に散歩に』
『危険だぞ。私が護衛してやろう』
『いらないよ』
『気をつけるんだぞ』
妹に見送られて家を出る。
しばらく歩くと公園に到着する。昼間は家族連れで賑わっていた公園も夜には誰もいなくなる。
広大な芝生の真ん中に巨木がそびえ立っており、その近くにベンチがある。
そこにユウキは腰を下ろし、満天の星の光を浴びて深呼吸するのだ。
「すう……はあ……」
清冽な夜の空気と星明かりが全身に満ちていくようである。
凝り固まっていた筋肉の緊張がほどけていく。
こわばっていた横隔膜が緩み、体の奥深くに新鮮な空気が流れ込んでくる。
そしてユウキの中に淀んでいた恐怖と緊張が、呼気とともに外に吐き出される。
ユウキの『気力』は今、かつてないスピードで回復しつつあった。
*
しばらくしてユウキは我に返り、自らがソーラルの噴水広場にいることを思い出した。
たくさんの屋台が営業の準備を始めつつある気配が感じられる。
いまだ午前中であったが、さきほどより人通りが増えているのか、賑やかな人の話し声が聞こえてくる。
その中でユウキは再び落ち着かない気分になってきた。
だがそのときユウキの脳内に、ナビ音声の事務的な声が響いた。
「スキル『想像』を獲得しました」
「『想像』だと?」
「心の中に特定のイメージを想像し、それによって各種のプラス効果を得るスキルです」
「なるほど。それで……その結果、どうなったんだ? オレの『気力』の現在値は?」
「八割がた、回復しています」
「マジかよ……!」
確かに気力が充実しているのを感じるが、まさかそれほどまでに回復しているとは。
「『深呼吸』と『想像』のコンビネーション……凄まじい効果だな……」
いまだオレは街で顔を上げることすら難しい。だけどこのスキルがあれば、『顔上げ』で『気力』を失っても回復できる。回復さえできれば、何度でも繰り返し練習できる。
練習さえできれば、いずれは何事も上達するはずだ。
よし、やってみるか……!
噴水広場の雑踏の中でユウキはもう一度、深呼吸すると、顔を上げた。
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