第9話 声をかける その2

 ユウキは無心で通りすがりの労働者に声をかけた。


「ちょっと聞きたいんだけど」


 背の低い、ずんぐりした体型の労働者は足を止めてユウキを見上げた。


「なんだべ? おらになんか用か?」


 声から察するに女性のようだ。


 彼女は革の頭巾を目深に被り、防塵用らしきスカーフで口元を覆っている。


 頭巾とスカーフの隙間からくりくりとした目元が見えたので、ユウキはその視線の高さに腰をかがめた。


「ここ歩いてる人って、仕事に行くところなのか?」


「んだ。街の外れさ『大穴』があんべ。そこから有益な資材ば運び出す軽作業だべ」


 彼女は身振り手振りで『大穴』の場所を教えてくれた。どうやら星唄亭の近くにあるようだ。


「毎朝、『大穴』前の空き地に監督がいるべ。『仕事したい』って言えば、装備一式、ただでもらえるど」


「ふーん。ところで『大穴』ってなんなんだ?」


「ソーラルの誇る大迷宮だべ。下層部には深宇宙ドラゴンや、ロード・バンパイアが封印されてるらしいべ」


「そんなところで仕事して危険じゃないのか?」


「何体もの魔物と日常的に直面する仕事だども、冒険者の皆様がおらたちの資材搬出を守ってくださる。安全だべ」


「そ、そうか……とにかく安全なんだな」


 いろいろ細部にわからないところがあったが、それは元の世界でも同様だ。あまり気にすることでもないのかもしれない。


「おら、ずっと『大穴』で働いでっから、見かけたら声かけてけろ」


「わかった。ありがとう」


 腰をかがめたユウキはふと労働者と道端で見つめあった。


 労働者の頭巾とスカーフの合間で輝く瞳はかわいかった。


「……な、なんだべ。何見てるべ」


「かわいいな、と思って」


 労働者は頭巾を押し下げて顔を隠すと、いきなり背を向けて走り去っていった。

 

 一瞬、真っ赤に染まった彼女の耳朶が見えた。


 その後姿が路地の角に消えたところで、ユウキの脳内にナビ音声が響いた。


「発動限界に達しました。スキル『無心』を解除します」


 瞬間、ユウキの脳内に自意識が溢れだした。


 通りすがりの人に厚かましく声をかけたあげく、馴れ馴れしいタメ口を聞き、あまつさえじろじろと人の目を見つめて『かわいい』などとその容姿を勝手に評価した上で、無遠慮にもそれを口に出してしまった。


「オ、オレはなんていう気持ち悪くて恥ずかしいことを……彼女が逃げ出すのも当然じゃないか」


 ユウキはスラムの道端で頭を抱えた。


 頭を抱え、己がこの世のこの時空に二度と消すことのできぬ恥ずべき記憶を刻み付けてしまったことを悔いた。


 その自責の念によって『気力』が急激に消耗していく。


 まずい。なんとかせねば。


 しかし気力はすでに九割方、消費されていた。


 気力の低下による無力感が重くユウキにのしかかった。


 もうダメだ。


 もうこれ以上は、とても前に歩き出すことができない。


 ユウキはこのままスラムの路地に吹き溜まる運命に思われた。


 生きた石像のごとくに凝り固まって、永遠に立ち尽くす運命にあるかと思われた。


 そうこうするうちに闇の眷属が復活し、この世界は破滅するかに思われた。


 だがそのときだった。


 ユウキの脳内にナビ音声が響いた。


「さきほどの『声かけ』により『魂力』が大きくチャージされました」


「声かけ……?」


「『声かけ』とは、見知らぬ人間に声をかけることです」


 確かに、さっきオレは無心で通りすがりの労働者に声をかけた。


「だがそれでなぜ『魂力』がチャージされるんだ?『魂力』はナンパすることでのみチャージされるはずだろ?」


「『声かけ』とはナンパプロセスの一部です」


「つまり?」


「あなたはさきほど、ナンパをしたのです」


「ま、マジかよ……」


 オレが、この無職ひきこもりのオレが、ナンパをした、だと……?


 スラムの路地に愕然と立ちすくみながら、ユウキはさきほどの自分の行動を思い出してみた。


 すると、確かに、自分が見知らぬ女性に声をかけていることに気がついた。


 アレは……ナンパだったのか?


 ナビ音声が答えた。


「ええ。ナンパです。一日になんども使えない『無心』の中での声かけでしたが、それは確かにナンパだったのです」


 しかしまったく実感がわかない。


 先ほどの声かけに何かの前向きな意味があったとは思えない。


「…………」


 だがナビ音声が言った。


「高い山を登るには、家を出た瞬間からのあらゆる一歩が必要です。どの一歩が欠けても、目指す山頂に辿りつくことはできません」


「それで? 手短に頼む」


「平地を歩く一歩と、山頂に到着した瞬間の一歩は、その重要度において同等なのです」


「つまり……?」


「あなたは成功したのです。ナンパすることに」


「成功……だと? このオレが?」


「ええ。ナンパのためのあらゆる行動、準備、そのひとつひとつがナンパそのものであり、それをひとつ行動に移すごとに、あなたはナンパに成功するのです」


「ということは、まさか……オレが昨日、噴水広場で顔を上げる努力をしたこと、あれもナンパだったと?」


「ええ。昨日の準備によっても、あなたは多くの『魂力』を獲得しています」


「そ、そうだったのか! オレはいつの間にかナンパを成功させていたのか!」


「目標を持ち、そのためにする、あらゆるすべての行動は、その大小に関わらず魂を震わせます。気づいてください。あなたを成長させ、進化させる、そのエネルギーに」


「…………」


 スラムの路地で、カバンを背負った子どもたちがユウキを軽やかに追い越していく。


 前方からは、これから始まる仕事への決意にぎゅっと唇を結んだ労働者たちが歩いてきて、ユウキとすれ違う。


 その流れの中心で立ち止まったユウキは、自分の中で振動する何かよくわからない透明なエネルギーを垣間見た。


 今、そのエネルギーの一部は形のない魂力としてユウキの内に蓄えられ、さらにその一部は『鼻歌』へと結晶化した。


 気づけばユウキは朝のスラムの路地の真ん中で、軽快な鼻歌を奏でていた。


「ふんふんふーん」


 ナビ音声が告げた。


「スキル『鼻歌』を獲得しました」


「ふんふんふーん。なんの意味があるスキルなんだ、これは?」


「新たなメロディを生成することができるスキルです」


「なんの役に立つんだ?」


「新たなメロディは人の意識をくつろがせます」


 確かに。


 鼻歌を歌っていれば、気分が重く、暗くならない。


 もしかしたら、鼻歌を歌いながらならば、気力を失うことなく前方へと歩いていけるかもしれない。


 ユウキは鼻歌を奏でながら路地を前進した。


 やがて噴水広場が見えてきた。

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