第7話 星歌亭にて

 星歌亭の戸口に立つゾンゲイルはキラキラと輝いて見えた。


 今、ゾンゲイルは農民服を脱ぎ、エルフ風メイド服に身を包んでいる。


 ユウキは息を呑んで目を丸くし、彼女が放つ魅力に見入ってしまった。


 思わず無心でスキル『褒める』を発動してしまう。


「か、かわいい……」


「嘘。そんなことない」


「いや、すごくかわいいよ。こんなかわいさ、元の世界でも見たことない」


「本当?」


「ああ。すごく似合ってる」


 ゾンゲイルは一瞬、満面の笑みを浮かべた。


 だがすぐに銀の盆を胸に抱えるとうつむいた。


「……そんなに見ないで」


 瞬間、ユウキの中に恐れが膨れ上がった。


 ゾンゲイルは不快になったのかもしれない。オレなんかに無遠慮に見つめられ褒められたせいで。


 や、やめておけばよかった。


 元の世界でそうしていたように、人を褒めたいという思いはぐっと自分の内にとどめておけばよかった。


 そもそも人間の真の価値とはその人の精神性にこそあるはずだ。見た目や服装を褒めるなんて、そんなのは人権にもとる行為だ。


 お、オレはなんていう無作法なことを。


「…………」


 ユウキもうつむいて戸口に立ちすくんだ。


 しばしの沈黙が流れる。


 だがユウキはぐっと拳を握り締めると、緊張によってひび割れた声を発した。


「す、すごく似合ってる」


 この真実の声をオレはもう押しとどめることはできない。


 かわいいものはかわいい。


 似合ってるものは似合ってる。


 この真実を表に出すことを押しとどめたら、オレは元の世界でそうだったように、また内に篭ってしまうだろう。


 それは嫌だ。


 だからオレは……!


「かわいいね」


 ユウキはうつむきながら、言いたいことを言った。


 もはや相手の反応は二の次であった。


 どんな反応が返ってきてもしかたない。


 ただ言いたいことを言い、使いたいスキルを使い続けるしかない。内にこもらないために。


「それ、すごい似合ってるね」


 ユウキは無心に『褒める』を発動し続けた。


 やがてなぜかゾンゲイルはユウキの前でもじもじした動きを見せ始めた。


 かわいさを指摘するごとにゾンゲイルはよりもじもじし、より一層かわいくなっていくようだった。


 だがそのときだった。


 壊れたレコードのごとくに発動され続けるユウキの『褒める』は、ゾンゲイルの激しいアクションによって途絶された。


「…………!」


 ゾンゲイルがいきなりユウキの手を強く引っ張ったのである。


 彼女はユウキを星歌亭の客席に引っ張っていくと、そこに押し込めるように強引に座らせた。


 かと思うとゾンゲイルはカウンターの奥、調理場らしき場所に脱兎のごとく駆け込んでいった。


「…………」


 肩が外れるかと思った。


 鈍い痛みとともに、ユウキの中に深い後悔が湧き上がった。


 客席でユウキは肩をさすりながら、先刻の『褒める』を客観的に思い返した。


「…………」


 我が事ながら強い気持ち悪さを感じざるを得ない。


 実際にかわいい者も、このオレに『かわいいよ』などと褒められたら、そのかわいさを投げ捨てたくなるだろう。


 どんなに似合ってる服も、このオレに『似合ってるね』などと褒められたら、価値が下がるだろう。


 オレはなんていう間違ったことをしてしまったのか。


 ああ、『褒める』なんてやめておけばよかった。


 ユウキは自意識に苦悶し星唄亭の客席で頭を抱えた。


 その苦悶にオーバーラップして、見知らぬ飲食店にひとりきりという不安がユウキを襲った。


 ユウキは怯えながら、いまさらながらに周囲を見回した。


 小さなライブハウスのごとき星唄亭の壁には、いくつか魔法的な照明が取り付けられていた。


 その光源が作る陰影の中に、いかにも冒険者らしき客たちの姿が点々と浮かび上がっている。


「…………」


 フロアには大小さまざまなサイズのテーブルと椅子が並べられている。


 そこにまばらに座っている客たちは、薄汚れつつも特徴的な格好の者が多い。


 壁際の席には騎士風の男がいた。


 紋章があしらわれた鋼鉄の胸当てとクラシックな風合いの兜を装備し、見事な口ひげを蓄えている。


 後方の席には、赤いローブを羽織った、ヤケに肉感的な雰囲気の女性が座っている。


 シオンと違い、ローブの色は赤で、その生地は薄く肌が透けて見えそうである。


 彼女のローブの広く開いた胸元が人の視線を集める。


 一瞬、彼女と視線が合いかけたユウキは顔を赤らめ、そのまま意識をよそに向けた。


 やたら室内を素早くうろうろしている多動症めいた背の低い種族の者や、猫科の獣の遺伝子が何かの間違いで混入したかのような猫人間など、ダイヴァーシティが感じられる客たちが酒盃を傾けている。


「…………」


 さりげなく客を観察しているうちに少しリラックスしてきたようだ。


 ユウキは作りのいい木製の椅子に背を持たれ、ひとつ深呼吸した。


「ふう……」


 緊張がほぐれるとともに、ぐるぐるとお腹が鳴った。


 昼に屋台で食べ歩きしたきりだった。


「お腹、空いたな……」


 そうつぶやいた瞬間、どん、と音を立てて大皿と銀の杯が目の前のテーブルに置かれた。


 銀の杯にはなみなみと金色の液体が注がれている。


 大皿には卵料理と肉料理が大量に載っていて、強く食欲をそそる香りを立てている。


 ユウキは顔を上げた。


「たくさん食べて」


 目の前にゾンゲイルがいた。


 さきほど戸口で見たときよりも、さらに輝くような美しさを放射している。なんとなく嬉しそうな気配も感じられる。


「……何かいいことあったのか?」


「別に……」


 ゾンゲイルは胸に盆を抱えてユウキをじっと見つめている。


 戸惑いながらユウキはフォークを握った。


 やがてゾンゲイルは他のテーブルの注文を取りに向かった。


 だが視線を感じる。


 ときおりユウキのテーブル前に戻ってきて、ユウキがしっかり食べているか監視している。


「…………」


 しばらくして皿は空になった。


 ゾンゲイルは満足気にテーブルを片付けた。


 去り際、ユウキに耳打ちした。


「本当に似合ってる?」


「あ、ああ……凄い似合ってる。かわいいよ」


 ゾンゲイルは満面の笑みを見せた。

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