第7話 星歌亭にて その2

 星唄亭はこれまではずっとエルフの若主人ひとりで切り盛りされてきた。


 客は少なく、メニューは飲み物のみのため、ワンオペ運営が可能となっていた。


 だが今、テーブルの上のメニューを見てみると、その一番下に『歌姫の気まぐれプレート盛り合わせ』という項目が書き足されている。


 さきほどゾンゲイルが運んできた料理のことか。


 どうやらゾンゲイルは手伝いをするだけでは飽きたらず、新メニューの提供を始めるようエルフを説得してしまったようだ。


 カウンターの奥で飲み物を作っているエルフと目が合った。エルフはユウキに肩を竦めてみせた。


 やがて店の照明が落とされた。


 何が始まるのかと身構えていると、カウンターの奥から華美なドレスに着替えハイヒールを履いたゾンゲイルが出てきた。


 彼女はテーブルの合間を縫うように歩くとステージに昇った。


 客席からざわめきが響いた。ユウキもゾンゲイルの美しさに思わずうめいた。


 さきほどのメイド服は可愛さが強調されていたが、このドレスでは美しさに強いプラス修正がかかっている。


 フロアの壁から放射されている魔法の光を浴び、ドレスに縫い込まれた金糸をきらめかせながら、ゾンゲイルは胸の前で手を組み、目を瞑った。


 だがそのときエルフの若主人がカウンターから出てステージに駆け寄った。


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 いきなり歌い始めようとするゾンゲイルを手で制しながら、エルフは客に説明を始めた。


「今、拡声箱は修理中です。そのため今夜はサートレーナの歌を流すことができません」


 客席からは不満の声が響いた。


「そこで今夜は特別に、ゾンゲイル氏の歌声を皆さんにお聴かせしたいと思います」


「なんなんだその女は?」客席の冒険者から質問があがった。


「彼女は……不思議な……歌声の持ち主……」


 歌手を紹介する経営者の声はだんだん弱まっていった。ゾンゲイルの歌唱能力に対する疑念が色濃く感じられた。

 

 それでも彼は頑張った。


「ゾンゲイル氏は……百年に一度の逸材、この廃材横丁に咲いた神秘の徒花……」


 客席の冒険者からアグレッシブなクレームがあがった。


「おいエルフ! 俺らはなあ、伝説の歌の魔力目当てで、こんな場末のボロ屋に来てんだぞ。その女、確かに美人かもしれねえが、ただの人間の歌なんかお呼びじゃねえ……」


 そのときだった。


 ゾンゲイルがカツカツと音を立ててステージから降りると、その筋肉量の多いクレーマーを至近距離から強く睨んだ。


「何? 何か文句ある?」


「なんだ、お前……」


 クレーマーは気圧され、言葉に詰まりながらも、そのスキンヘッドに血管を浮き上がらせてゾンゲイルを睨み返した。


 殺気が高まり、両者の間の空間が歪むのが感じられた。すでに一触即発だ。


 ユウキは助けを求めてエルフを見た。


 だがエルフはこういった物理的荒事に対処する術を持たないのか、目を閉じて現実から逃避していた。ふるさとのエルフの森でも思い出していそうな顔をしている。


 ダメだ。このエルフに頼ることはできない。


 こ、ここはオレがなんとかするしかないのか。


 だがゾンゲイルと戦士の間に割って入り、喧嘩を止める……そんなこと、このオレにできるのか?


 格闘動画を見るのは好きだが、喧嘩の経験は一度もない。


 先日、荒ぶる暗黒戦士を地面に押さえ込んだが、あれは喧嘩というよりも緊急介護に近い何かだった。そのため不思議と恐怖は感じなかった。


 しかし今、ゾンゲイルと戦士が発するリアルな喧嘩の雰囲気に飲まれ、体がすくんで動けない。


「…………」


 噴水広場でもオレは街の雑踏の雰囲気に飲まれ怯えていた。


 今、星歌亭では喧嘩の雰囲気に飲まれて硬直している。


 そう……雰囲気、オレはそれに勝つことができない。


 学生時代は教室の雰囲気に屈し、オレはいつも机で寝るふりをしていた。


 実家の自室の中ですら、オレは社会の雰囲気の屈し、自らを落伍者として責めさいなみ、身動きがとれなくなっていた。


 意を決して出かけたスグクル配送センターでも、オレはあの荒ぶる労働の雰囲気に飲まれて平常心を失った。


「…………」


 すまん、ゾンゲイル。


 とてもオレはこの恐ろしい喧嘩の雰囲気に立ち向かうことなどできない。


 オレにはこの客席で喧嘩から目をそらして怯えていることしかできない。


 だが……そのときだった。


「て、てめえ! いいから黙って歌を聴けよ!」


 自分の口から信じられない暴言が発せられていることにユウキは気づいた。


「なっ、なんだお前、この……」


 そしていかつい冒険者の顔がユウキに向いた。瞬間、ユウキの必勝コンボが炸裂した。暴言からの討論だ!


「他の人だって早く歌を聴きたいと思ってるぞ。皆の邪魔になってるとは思わないのか?」

 

 そう……確かにオレはいつでもどこでも雰囲気に飲まれて何もなせない臆病な男だ。


 だけど今のオレにはスキルがある。


 コミュニケーションのためのスキルが!


 ユウキはさらなるスキルを発動した。


 深呼吸だ。


「すう……はあ……」


 緊張したときや、感情的になったときは深呼吸するに限る。


 深呼吸によって自分が落ち着けば、回りの者も落ち着いていくのだ。


 ゆっくりと息を吸い込み、そして吐き出す。


 そのたびごとに、ユウキの中に、そしてこの星歌亭というフィールドに、和らいだ落ち着いた空気が満ちていくのが感じられる。


 ユウキは冒険者を静かに見つめながら深呼吸を続けた。


 やがて気勢を削がれたのか、スキンヘッドの恐ろしげな冒険者は、酒を一息であおるとテーブルに置いた。


「ふん……わかったよ、聴いてやろうじゃねえか、その女、ゾンゲイル氏の歌をよ!」


 冒険者は挑発するようにゾンゲイルを見た。


 ゾンゲイルはうっすら微笑むと、冒険者の肩に軽く手を触れた。

 

 それからステージに戻り、胸の前で手を組むと、客席に向かって声を発した。


「あー。あー。らららららー」


 ユウキは彼女の不思議な声に、強制的に心が動かされるのを感じた。


「らーらー。ららら。ららら」


 目を閉じて、ほとんど何のメロディも感じられない空気の振動に耳を傾けた。


 結局、ゾンゲイルは歌を歌わず、ただその声のみを空間に響かせ続けた。


 やがてステージからの声がやんだ。


 ユウキは目を開けて客席を見回した。


 皆、目を閉じている。


 皆、いまだ空間に残る声の残響に耳を傾けているかのようだった。


 ずいぶんな時間が流れたあとで、スキンヘッドの冒険者がついに目を開けた。


 そのときすでにゾンゲイルはステージから降り、バックヤードに姿を消している。


 スキンヘッドの冒険者は、狐につままれたような顔で頭を振ると、ユウキに声をかけてきた。


「おい、お前……なんだったんだ、今の歌は」


「お、オレにもよくわからん。ただ、とにかくゾンゲイルの歌には不思議な効果があるらしい」


「そ、そうか……」


 他の冒険者達も目を開けて互いの顔を見つめあった。


 今の体験をどう解釈していいか迷っているらしい。


「な、なんだったんだ、今のステージは?」


「まったくわからん。聴いているうちに意識が飛んだぞ」


「でも……なんとなく気持ちよかったかもな」


「そうだな。まあ……そんなに悪くはなかったかもしれん」


 やがて閉店の時間になり、客は三々五々に店を出ていった。


 去り際、赤ローブの肉感的な女が、客を見送るエルフに何事かを耳打ちした。


 自席に座っていたユウキの耳にその会話が届いた。


「九割ってところね。いつものサートレーナの歌に比べて、あの子の声の精神賦活作用は」


「九割……そんなにあるのかい」


「あの子、何か持ってるわね。確かに逸材と言えるわ」


「伝えておくよ」


「でもこのままではダメよ。声だけでは、人の心は動かない。物語、意味を持った歌でなければ、すぐに飽きられてしまう」


「だろうね……」


「そうなる前に早くあの子に本物の歌を歌わせるといいわよ」


 アドバイザーめいたことを赤ローブの女は言った。


 彼女は『洞察力に自信あり』という雰囲気を醸し出している。シオンとローブの色は違うが魔術師なのだろう。


 エルフは腕を組んだ。


「しかし……あのゾンゲイル氏……実はすごく音痴なんだ。店を開く前に練習してもらったのだが、どうしてもサートレーナの歌を覚えてくれない」


「音痴なのは副次的な問題ね。サートレーナの歌は、あの子が歌うべき歌ではないの。あの子が歌うための新たな歌が必要なのよ」


「新たな歌……音楽ギルドに制作を頼めばいいのだろうか?」


「いいえ。それは新しい歌なんだから、エルフの定めた古い楽典に縛られている音楽ギルドに作れるわけがない」


「だとしたら、そんなもの、どこで手に入るのだろう?」


「誰かがそれを見出すはずよ。誰かが……」


 赤ローブの女は濃いアイシャドーに縁取られた瞳を閉じた。


 次に彼女が目を開いたとき、その視線はユウキを直視していた。


 しばらく見つめ合ったあと、ユウキは気まずくなって視線を逸らした。


「…………」


 魔術師らしき赤ローブの女は立ち上がるとユウキの横をすり抜けて店外に出ていった。


 あとには彼女が身に付けていた深い森の土のような香りが残っていた。



 しばらくしてバックヤードからゾンゲイルが出てきた。


 ライブの高揚感が残っているのか、まだ頬は紅潮しており、瞳は酒に酔ったように潤んでいる。

 

 しかしすでにドレスは農民服へと着替えられていた。


 今、営業を終えて、星歌亭の空気は非日常から日常へと穏やかに切り替わりつつあった。


「ふー……」


 特に何かを手伝ったわけではなかったが、ユウキは達成感を覚えて深呼吸した。


 一瞬、カウンターの中に姿を消していたエルフが、温かい飲み物の入った陶器のカップを持ってきた。


「なんだこれ?」


「エルフに伝わるお茶だよ。気分が落ち着いてよく眠れる」


 ゾンゲイルは一瞬でカップを空にした。


「おいしい。もう一杯欲しい」


「あ、熱くないのか?」


「私、耐火性だから」


 エルフは空のカップにもう一度、お茶を汲んできてゾンゲイルに渡すと言った。


「とりあえず今夜の営業は成功だ。ゾンゲイル氏、いい声だった。君は……ユウキ君は、荒れそうな場をよく収めてくれた」


「そう……ユウキが止めてくれなければ、私、あの冒険者を殺していたかもしれない」


「ゾンゲイル、ものすごく怒ってたもんな……はははは」


 ユウキは笑い話にしようとした。


 だがゾンゲイルは真顔で言った。


「私のこのボディは成人男性の1.5倍の強さしかない。一方、あの冒険者は格闘能力に特化して自らを鍛えてる。だから素手で成人男性の十倍は強い。だけど……戦いは数字じゃないから」


 淡々とそう呟きながら、ゾンゲイルは殺人シミュレーションを脳内でするような目つきで、拳を握ったり開いたりしている。


 ユウキは思った。


 さっき、喧嘩が起きそうだったとき、勇気を出して口を挟んで本当によかった。


 でなければ今頃、床の血溜まりをモップで掃除していたかもしれない。


 エルフが言った。


「け、経営者として言わせてもらう。この星歌亭で暴力は厳禁だ。これからは気をつけてくれ」


「これから……?」


 ゾンゲイルは殺人シミュレーションをやめ、目を丸くしてエルフを見た。


「ああ。これから」


「私、これから、ここで働いてもいいの?」


「よろしくお願いしたい」


 ゾンゲイルは飛び上がって喜んだ。


 *


 エルフ製のお茶で乾杯したあと、エルフは店の掃除を始めた。


 ゾンゲイルが手伝いを始めると掃除スピードは格段に跳ね上がった。


 ユウキも手伝おうとしたが、ゾンゲイルの家事スキルが凄すぎてたいして役には立たなかった。


 テーブルの拭き掃除を終えると、ゾンゲイルは断定的に提案した。


「ランチ営業。明日から始める」


 経営者のエルフはそのアイデアがうまく働かない理由を十個ほど論理的に挙げた。


 ゾンゲイルは頑なにランチ営業の開始を断定した。


 エルフは助けを求めるようにユウキを見た。ユウキは首を振った。頑なになったゾンゲイルの意を翻す方法などわからなかった。


 とりあえずゾンゲイルに明日のランチ営業を試験的に任せてみる方向で話はまとまった。

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