第6話 一路、星歌亭へ

 結局、ユウキのナンパ初日は『顔を上げる』ことで終わった。


 今日はこれ以上、噴水広場で粘っていても無駄だという直感があった。


 気力がもう無いのだ。


「ん、気力……?」


 ふとユウキは呟いてみた。


「ステータス確認『気力』」


「気力は現在、空っぽです」


「やっぱりな。帰るか」


 近くの教会らしき建物から、夜の始まりを告げるらしい鐘の音が響いた。


 教会……なにを信仰してるのか知らないが、どうせ非科学的なものだろう。


 それは別にいいとして。鐘が鳴ってしばらくすると広場に人があふれ始めた。


 同時に、広場に点在していた謎の尖塔が、柔らかな白色光を発した。


 市中央の天文台が空から吸収したという光の魔力が、光源として使われているのか。


 不思議に心地いいその光に照らされ、多くの屋台が営業を始めた。


 宿屋や居酒屋や、その他いかがわしい雰囲気を発している店の前に、呼び込みが立ち始める。


 肉の焼ける匂いや、エキゾチックな香辛料の香りが噴水広場に強く立ち込める。


 ベタベタの髪をしたストリートチルドレンらしき子供が、屋台の謎肉を物欲しげに眺めている。


「…………」


 噴水の縁に腰を下ろす者も増えてきた。


 ユウキの肩身は狭くなり、居場所は急激に失われていった。


 本来であれば今こそナンパのためのベストタイムであるはずだ。


 だが、気力ゼロかつ、顔を安定的に上げ続けることができないユウキにとって、夜の噴水広場はハイレベルすぎるフィールドと化していた。


「…………」


 ユウキは学校の教室の休み時間を思い出した。


 皆がワイワイと楽しむ時間、ユウキは机に突っ伏して寝たフリをし、己の存在を消していた。


 そう……ユウキにとっては人が賑わい自由に楽しむ時間こそが恐怖なのだ。


「くっ。いつか必ずこの雰囲気に馴染めるようになるぞ……」


 だが今は一時撤退だ。


 ユウキは広場に満ちる賑やかさに押し出されるように噴水の縁から立ち上がり、気力ゼロの重い足を引きずって、スラムに続く路地へと向かった。

 

 *


 ゴライオンの鍛冶屋では外壁にもたれて、ドワーフが酒瓶を傾けていた。


 夜風が気持ちいいらしい。


 彼の赤ら顔には、幸せそうな笑みが広がっている。


 ドワーフに場所を教えてもらい、ユウキは星唄亭に向った。


「夜の路地には恐るべき獣が出るから尻尾をふまんよう気をつけるんじゃぞ……」


 背後のドワーフからわけのわからない警句が発せられていたが、どうせ酔っぱらいの戯言だろう。無視して先を急ぐ。


 そう……星歌亭ではゾンゲイルが働いているはずだ。


 基本的に有能なゾンゲイルであるが、どこか抜けているところがある。しかも夜には『あの歌』を聴衆の面前で歌うのである。


 心配だ。


 オレが行ったところで何ができるかはわからないが、早く駆けつけたい。


 ユウキは足を早めた。


 しかし夜のスラムは危険な雰囲気に満ちていた。


「この道をまっすぐ行けばわかるって言ってたけど……」


 左右を見回す。


 噴水広場とは違い、スラムには尖塔から放たれる魔法の照明などというハイカラなものはない。


 狭い路地を照らすのは月と星と、左右の汚らしいバラックから漏れる侘しい煮炊きの明かりのみだ。


 路地に満ちる濃い静けさの中に、ときおりバラックからの話し声や、見えないところで鳴く鳥の怪しい声が響いている。


「……こ、こわすぎ」


 ユウキの足取りは動物的恐怖でこわばった。


 それも仕方のないことである。


 もとの世界では安全な先進国の都市で生きていたユウキにとって、暗闇それ自体が恐怖の対象だった。


 しかもこの暗闇の中にはいくつもの生物の気配があるのだ。


 少しずつ闇に慣れてきた目を凝らすと、ゴミを漁る野犬、ゴミを漁る住人、ゴミ山の横にしゃがみこちらをじっと見つめている人影などが見えた。


 できるだけ気配を消して早足で通り過ぎたが、背後から強い視線を感じる。


「お、襲われたらどうしよう……」


 ユウキは転生後、最大の肉体的恐怖を抱いた。


 何かすがれるものを探し、ポケットに手を入れる。だがそこに入っているのはスマホのみである。物理的危機に対して役立つとは思えない。


 こうなったら足早に通り過ぎるしかない。


 ユウキは無理に前進スピードを早めた。


 しまった!


 何か柔らかいものを踏んづけてしまった。


 瞬間、グルグルと闇の中から唸り声が上がった。路地の真ん中で寝ていたひときわ大きな野犬の尻尾を踏んづけてしまったのだ。


 ユウキは野犬とエンカウントした。


 野犬は今にもユウキに飛びかかりそうである。


 ユウキは後ずさりながら野犬との戦い方を探った。


「そうだ、スキルだ。な、何か役立つスキルはないのか?」


 ナビ音声が冷静に答えた。


「ユウキのスキルセットは対人コミュニケーションに特化してビルドされています。野犬との戦闘に役立つスキルはありません」


 後ずさりながらナビに聞く。


「そ、そうだ、『共感』とか使えないか? 動物に共感して仲良くなるエコロジカルな方向性で……」


「確かにスキル、『共感』は他の哺乳類との間に信頼関係を築く効果を持っています。ですが……」


「ほらな! 共感、使用!」ユウキは野犬に共感の気持ちを向けた。

 

『こいつを噛み殺して食い散らかしたい』という強い獣欲が感じられた。

 

 ナビ音声が冷静に言った。


「このような敵対状態において『共感』は有効に機能しません」


「だったらどうしたらいいんだ!?」


「ええとですね……」


 答えが返って来る前に、スラムのバラックの傾いた壁に背中が当たった。


 住民に助けを求めて振り返ると、そのバラックの割れた窓の奥は真っ暗だった。無人のようだ。助けはない。


 いまや息がかかりそうな距離で巨大な野犬が唸っていた。


 暗闇の中にその両目が爛々と輝いている。地面にぽたぽたとよだれを落とすその黒い影は、今にも跳びかかってきそうである。


 ヤバい。


 死にそう。


 こんなところで死ぬのか?


 と、そのときナビ音声から返事があった。


「ええとですね、右手を前に出してみてください」


「こうか?」


「そしてシオンにもらった『塔主の指輪』に触れながら、『守れ』と念じてください」


 ユウキは銀色に輝く『塔主の指輪』に触れ、心の中で『守れ』と念じた。


 瞬間、透明なバリアがユウキの周囲に形成されたのが感じられた。


 同時に、野犬が牙をむき出してユウキに飛びかかってきた。正確に頸動脈を狙うその噛み付き攻撃は、しかし不可視の壁によって阻まれやんわりと押し返された。


「な、なんじゃこりゃあ?」


 ナビ音声が説明した。


「この指輪にはシオンによって『守りの魔法』がチャージされています。低レベルの攻撃であれば防ぐことが可能です」


「マジかよ。た、助かった……ていうか、そんな便利なものがあるなら早く説明してくれ」


「すみません」


 そんな会話をするユウキの前で、野犬がガチガチを歯を鳴らし、よだれをまき散らしている。


 だが野犬は不可視のバリアに阻まれ、どうしてもユウキに近づくことができない。


 ユウキはおそるおそる歩を進め、元の道へと戻った。


 野犬はしばらくユウキの背中を追っていたが、やがて諦めたのかスラムの闇の中に消えた。


 *


 星唄亭は城壁に近い街外れにあった。


「あれか……」


 街外れの一角に、粗大ゴミや瓦礫が積み上げられたゴミ集積場があった。


 その裏の空き地に、鉄柵に取り囲まれた木造平屋が建っていた。


 その小屋の看板に、『星唄亭』と書かれている。


「それにしても……なんていう立地だ……」


 辺りを漂う夜風には、ゴミ集積場からの強いゴミ感が混ざっていた。


 はっきり言って最悪のロケーションである。


 だが……小屋に近づいたユウキは気づいた。


 よく見てみると、星唄亭を取り囲む鉄柵は繊細な鍛鉄細工だった。


 その見事に打ち出された幾何学模様がユウキの目を楽しませた。どうもこの繊細な鉄柵は、防犯というよりも来客の美的感覚を喜ばせることが主目的に見える。


 ユウキは鉄柵の開かれた門をくぐった。


 鉄柵の内側には小さな花壇があった。窓明かりを浴びて小さな花々が輝いていた。


「なんかいいな……安らぐ……」


 花々のかすかな香りが鼻をくすぐる。


 ユウキはスキル『深呼吸』を使った。


「ふう……」


 野犬に襲われた恐怖が癒やされていくようである。


 深呼吸しながら見ると、星歌亭の入り口にも壁にも繊細なオーナメントが取り付けられており、それはスラムの汚濁の中でキラキラと輝いていた。


 この掃き溜めのスラムに一輪の美の花を咲かせようという経営者の心意気が感じられた。


 あのエルフの若主人……もしかしたらいいやつかもしれない。


 そう思った。


 *


 だが星歌亭のドアに手をかけたとき、ユウキは固まった。


 野犬に襲われたときとは別種の心理的恐怖がユウキを襲ったのだ。


「……ステータスチェック」


「『気後れ』が生じています」


 そう……今、ユウキは未知のフィールドに対する気後れを感じて硬直していた。


 ユウキはバー、居酒屋、その類の施設に一人で入った経験がなかった。


 ユウキが一人で入店できる場所といえばファーストフードぐらいのものだ。それも店員さんに注文する際は緊張感がマックスに達する。


「…………」


 入りたくない。


 入店したくない。


 それが正直な気持ちである。


 何が起こるかわからない新奇な体験に飛び込むよりは、つまらなくても安全な日々の繰り返しの中に留まっていたい。


「…………」


 ユウキの『気後れ』はピークに達した。このままゴライオン宅に引き返し、ゾンゲイルの帰りを待ちたくなった。


 しかし……ユウキは再度、スキル『深呼吸』を使った。


 可愛らしい花々の放つ香りが胸に満ちる。


「…………」


 しばしの逡巡ののちにユウキは星歌亭のドアを開けた。瞬間、華やかな雰囲気の女性がユウキを歓迎した。


「ようこそ! あっ……ユウキ……」


 ゾンゲイルだ。


 胸に銀の盆を抱えた彼女は、エルフ的に解釈されたメイド服のごとき制服に身を包んでいた。

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