第4話 ゾンゲイルの歌声
ゴライオンの鍛冶屋のゴミにあふれたカウンター前で、エルフの男はいきなり奥から現れたゾンゲイルの視線を受け止めた。
「なんだ君は? 一体、どうしたんだ?」
ゾンゲイルは己の必要性を率直に訴えた。
「どうしてもミスリルが必要」
ゾンゲイルを追って仕事場にやってきたユウキは、カウンターの上に置かれているミスリル製らしき箱……『拡声箱』とエルフが呼んでいた箱を観察した。
それは一片が一メートル程度の立方体で、一切の飾りのないすべすべの表面はチタンのような輝きを発している。
上部の面には小さなくぼみがある。
指で触れるとひやりと冷たい。
エルフの男は一度深呼吸すると、まっすぐゾンゲイルに聞いた。
「事情を話してもらおう」
「ダメ。話すことはできない」
事情を話せばエルフは公共的な気持ちから箱をくれるかもしれない。だがそのような募金的な協力は鎌を弱めてしまう……そのためにゾンゲイルは事情を伏せているのかもしれない。
しかしなんにせよそんな無理矢理な交渉で、貴重なミスリル製の箱が得られるとは思えない。ユウキは呆れた。
エルフも顔をしかめた。
「何も説明せず、ただこの箱が欲しい、と?」
「そう。お金もこれしかない」
ゾンゲイルは財布の中身を見せた。
「足りない? なら働く」
「…………」
ミスリルはとんでもない値がつく希少金属のはずだ。ちょっとやそっとのお金や労働で賄えるものではないだろう。ユウキはこの件の進展を早々に諦めていた。
だが意外なことにエルフは顎に指を当てると興味深げにゾンゲイルを見つめた。
「ふむ。どうやらこれは……大浄化、そして『闇のゆりかえし』に関することのようだね」
エルフは何かを納得したようにうなずくと自己紹介を始めた。
「私は星歌亭という歌声喫茶を経営しているものだ。皆からは『若主人』と呼ばれている」
「私はゾンゲイル。こっちはユウキ」
「ふむ。星歌亭の客には冒険者や旅人が多い。君たちもその類のものだろう」
ゾンゲイルはうなずいた。
ゴライオンは話が長くなりそうだと感じたのか、作業場の丸太に深く腰をかけると酒瓶を傾けた。
エルフは語った。
「君たちのような冒険者の集う店を経営していれば、当然、各地の噂も耳にする。今、星歌亭で語られているのは、もっぱら『闇のゆりかえし』に関する噂話だ」
「『闇のゆりかえし?』」ゾンゲイルは聞いた。
「『闇によって封印されし闇の眷属が、封印の弱体化によって各地で目覚めつつあるらしい……』これが『闇のゆりかえし』の噂だ。君がこの箱を欲しがっているのは、それに関連したことのように私には思えるのだが」
「……なぜそう思うの?」
「それはね。君の瞳の中に暗い炎が燃えているのが見えるからだ。その炎を瞳に宿したものは、それぞれが何かしらの暗い物語の中に生きていて、この『闇のゆりかえし』にそれぞれの持ち場で対応しようとしている。君は今、どんな物語を生きているのかな?」
「……秘密」
「だろうね……この件に関わっているらしい者は、自分の抱える問題を決して公にしようとしない。まるで、自分の問題を公にすることで、自分の中の闇の力を失うことを恐れているかのように。だから私も追求しない。追求はしないし、それでも、可能であれば君たちの力になりたいとも思う」
「だったら!」
ゾンゲイルはガバと箱に抱きついた。
エルフはゆっくりと、有無を言わせぬ力強さでゾンゲイルを箱から引き剥がしつつ言った。
「君たちの力になりたい。だが私にも仕事がある。星歌亭に集った者たちに一夜の陶酔を与えること……それが私の仕事だ。そのために、どうしてもこの箱は必要なのだよ。ちょっとそこの君、この子を押さえるのを手伝ってくれ」
ミスリルを目にして視野が狭くなっているのか、ゾンゲイルは行動が短絡的になっていた。ふっふっという獣のごとき呼吸音を発しつつ、必死にエルフの手から逃れ、箱にしがみつこうとしている。
「…………」
ユウキはエルフを手伝ってゾンゲイルを羽交い締めにした。
羽交い締めにしつつ、ユウキがエルフに聞いた。
「この箱と『一夜の陶酔』、何の関係があるんだ?」
「ありがとう。そのままその人を押さえていてくれ。この箱、『イース・コラルの拡声箱』は太古の魔法のアーティファクトだ。過去に発せられた音が保存されたクリスタル……たとえばこのような……を、このくぼみに置くと、箱は音を奏で始める」
エルフは胸元から小さな水晶を取り出すと箱の上面のくぼみに置いた。
しばらくすると、箱は微細な振動を始め、空気を震わせ、ユウキの鼓膜を震わせた。
ユウキは全身に鳥肌が立つのを感じた。
な、なんだこれは。
歌だ。
聴こえるか聴こえないかの微妙な境目にある歌声が今、鍛冶屋の空気に満ちていた。
ユウキの意識はドワーフのゴミ屋敷を離れ、その歌声に没入していた。
歌の世界にユウキはしばし陶酔した。
*
いつの間にか歌が終わり、目を開けると、そこは先ほどと同様のゴミ屋敷だった。
だが、なんだか先程よりすべてが美しく輝いて見えた。
また、自分の体の奥深くからぞわぞわするエネルギーが湧き上がっているのが感じられた。
「どうだったろう? サートレーナの歌声は」
「す、凄いな。ただの歌にこんな効果があるなんて。ていうか、サートレーナって名前、聞いたことがあるぞ。大昔の歌手だったか?」
「人間のなのに、よく昔のことを知っている。その通り、サートレーナはイース・コラルが恋した伝説の歌姫」
そうだ。ゾンゲイルの街訪問用ボディのモデルとなった人間の歌手、それがサートレーナだった。
エルフは語った。
「彼女の歌声は、聴き手の心と体のエネルギーを活性化し、さらにそれを人の心の奥にあるもの……魂とでも呼ぶべきものと結びつける。それによってこの歌を聴いた冒険者達は、暗く長い戦いの渦中へとまた舞い戻る力をかろうじて回復するのだよ」
エルフの言葉は比喩的なものというよりも、極めて具体的な効果を語っているように思われた。
つまりこの箱とあのクリスタルが発する歌には、それを聴いた者の気力や体力を底上げする効力があるように思われた。
歌を聴いたゴライオンは涙ぐんでいる。もう何度も歌を聴いているはずのエルフまでもが歌に感じ入った表情をしている。
エルフは長く繊細な指を拡声箱に乗せ、ゾンゲイルを諭すように語った。
「私の星歌亭には、この歌を聴くためにたくさんの冒険者たちがやってくる。この歌が無くなったら、誰が冒険者の気持ちを高める? 誰が魂を揺さぶる歌を歌う?」
「…………」
「すまないが、譲れない」
「……私が歌う」
「はあ?」
思わずユウキの口から声が漏れた。
「う、歌ったこと、あるのか?」小声で聞く。
「ない」
エルフはゾンゲイルを見つめた。
「イース・コラルの従者を務めた私の曽曽曽曽曽曽曽祖父から伝わるこの太古のアーティファクトに匹敵する、魂を鼓舞する歌を君が歌えると?」
「歌える」
「何の根拠があって君はそんなことを?」
「歌えるから歌える」
ゾンゲイルは頑なだった。
エルフは顔をしかめ首を振った。
「馬鹿な。本気なのか、君は?」
「本気。歌だけじゃない。あなたのお店で、掃除も洗濯も皿洗いもする。なんでもする」
エルフは深く息を吸い込むと、カウンターに身を乗り出し、ゾンゲイルを強く覗きこんだ。
「いいか? 君が魂を鼓舞する歌えなければ、冒険者の心は弱り、『闇のゆりかえし』に対する力を失う。その責任を君が取れる、と?」
「取らない。歌えるから」
「……運命と戦っているのは君たちだけではない。あまたの冒険者たちが日々、己が対峙せねばならない闇と向き合っている」
「それが?」
「こ、この世の裏で彼ら冒険者が人知れず奏でる闇の交響曲、そのピースのどれかに不調和が生じたなら、いずれ光と闇、その双方の全体が崩壊することだってある。それは世界の崩壊を意味する。君にその責任が取れる、と?」
「取らない。そんな箱が出す音より、もっといい声、出せるから」
「ならばよかろう。歌ってみたまえ」
「ユウキ……離して」
「う……」
ユウキは羽交い締めを解いた。
振り向いたゾンゲイルはユウキの胸を押し、すっと離れてゴミ屋敷の中央に立った。
そして一瞬、彼女は瞳を閉じた。
瞬間、ユウキは幻を見た。
魔法の光を浴びて太古のエルフの宮殿で秘密の歌を歌う伝説の歌姫の幻影を。
そうだ、ゾンゲイルの今の体は、歌姫サートレーナに恋したエルフ王が、歌姫を模して作り上げた魔法のボディなんだ。
いけるか?
ゾンゲイルは手を胸の前で組むと、ぱちっと音を立てて瞳を開き、口を開いた。
「あー!」
瞬間、確かに魂が揺さぶられるのを感じた。
エルフ、ドワーフ、そしてユウキは驚きに満ちた表情で互いを見た。
ゾンゲイルはもう一度、深呼吸すると声を発した。
「あー!」
再度、魂が揺さぶられるのを感じた。
男たちは再び互いの顔を驚きに満ちた目で見やった。
その反応に自信を得たのか、ゾンゲイルはさらに大きく深呼吸すると、より大きな声を発した。
「ああー!」
それにより三度、魂が揺さぶられるのを感じた。
だがそこでエルフが片手を上げた。
「……わかった。声がいいのはわかった。わかったから、何か歌を歌ってくれ」
ゾンゲイルはきょとんとした顔でエルフを見た。
「歌?」
「ああ、歌だ。なんでもいい」
「わかった。歌う」
ゾンゲイルはゴミ屋敷の中央でまたそっと瞳を閉じると、胸の前で手を組んだ。
そしてぱちっと音を立てて瞳を開き、口を開いた。
ゾンゲイルの声帯によって空気が激しく揺さぶられ、その音波がユウキの鼓膜を叩いた。
「ああー! 黒い雷鳥のー! 羽根をむしる君ー!」
「うっ、なんだこれは……」
思わずユウキはうめいた。
ユウキの隣で歌を鑑賞する姿勢になっていたエルフは答えた。
「こっ、これは……アーケロンの農民に伝わる民謡、『黒雷鳥捕り』か? しかし……これは……」
丸太上で鑑賞する姿勢になっていたゴライオンの手から酒瓶が転げ落ちた。
「やめてくれ、お嬢ちゃん。頭が、頭が割れるようじゃ……」
ゾンゲイルは歌をやめなかった。
「ああー! 黒い雷鳥のー! 滴る血肉ー!」
エルフはその長い耳を手で塞ぎ、ユウキを見て首を振った。
その民謡を一度も聴いたことのないユウキにも分かった。
ゾンゲイル、とんでもない、音痴だ。
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