第5話 始まるよ、異世界ナンパ!
ゴミ屋敷めいたゴライオンの鍛冶屋の真ん中で、ゾンゲイルは喉の奥が見えるまで絶唱すると、やがてそっと目を閉じ、口を閉じた。
「…………」
今、彼女はゴミの中に立って恍惚とした表情を浮かべている。
お、終わったのか……?
ユウキ、そしてドワーフとエルフは耳を塞いでいた手をおそるおそる外した。
もうひどい歌は聴こえなかった。
終わった。
助かった。
リスナーの三人は地獄から解放されたがごとき安堵の表情で、互いの生存を祝しあった。
しばらくしてエルフは腕を組み、頬を染めて陶酔しているゾンゲイルに声をかけた。
「……で、この歌を君は、私の店で客に聴かせるつもりだと?」
「そう」
エルフの反応は冷たかった。
「こんな歌、聴かせられるわけないだろう」
「どうして?」
「……………」
ゾンゲイルは一歩も引かなかった。
「私の歌、良くないの?」
「良いとか、良くないというか、そういうレベルの話ではなくて……」
「私、まだ歌がよくわからない。でも練習する。だから大丈夫」
「いや……しかし……」エルフは額に手を当てて考え込んだ。
本来であれば考えこむまでもなく却下な案件と思われるが……もしかしたらこのエルフはいい人なのか。あるいは単に押しに弱いだけか。
わからないがゾンゲイルはぐいぐいと力強い交渉を続けた。
「しかも歌の練習するだけじゃない。私、いろんな雑用もする」
「雑用? そんなものはいらない。私の店は、私一人で回っているんだ」
ゾンゲイルは頑なに自説を主張した。
「私が働けば店はもっと良くなる」
「ああ……確かにそれはそうかもな」ユウキは同意した。
「そうなのか?」とエルフ。
「まあな。このゾンゲイルはとんでもない高い家事スキルを持ってる。それは保証するよ」
歌に関してはひどいとしか言いようがないが、ゾンゲイルの家事スキルはマスタークラスだ。
その身でしかと体験してしているからか、ユウキの声には確信が溢れていた。
ここでゴライオンがカウンターに酒瓶を置いた。
三人はゴライオンを注視した。
ドワーフは太い指で拡声箱をこつこつと叩きながら、その周囲を眺め回している。
かと思うとドワーフは、拡声箱の中央下部の一部を指で切り取る仕草をした。
「その嬢ちゃんが鎌の修理に必要としているミスリルは、せいぜいこのぐらいじゃ」
「私の拡声箱の大きさに比べればほんの少しだな。だからって穴を開けさせるわけには……」
「長年ミスリル鍛冶屋をやってきたドワーフの勘と知識から言うんじゃが、このあたりに穴を開けると低音が増強されるはずじゃぞ」
「馬鹿な。なんの根拠があって」
「昔、鍛冶屋の修行で世界各地を旅していろいろなアーティファクトを見て回ったことがあっての……」
どうやらこのゴライオンというドワーフ、飲んだくれる前は結構、勉強熱心な鍛冶屋だったらしい。
「この種の古い拡声箱はいくつか見たことがあるんじゃ。それで、この場所に穴が空けられている拡声箱の音を聴いたことがあっての」
「……そうか、バスレフ型に改造するってことか」
ユウキはかつてアフィリエイトの商材とするために読んだ『ピュアオーディオの世界・スピーカーユニットの深淵』なる本の内容を思い出した。
確かにスピーカーの下部に穴を開けることで、低音域を増強することができる。魔法を動力とするこのミスリル製の箱にも、同様の処置で同様の効果をもたらせそうな感じは確かにある。
「若主人は低音を増強したいんじゃろ。それなら儂がやるべきことはここに穴を開けることじゃ。そうするといくらかミスリルが余るわけじゃが……」
「余ったミスリルを、この見知らぬ女性にくれてやれ、と? これだけのミスリルでも大変な額になるぞ」
「私、そのぶん働く。その箱を改造して使えない間、あなたのお店で歌も歌う」
「…………」
エルフはやれやれというジェスチャーをすると、ため息をついた。
「とりあえず今から店に来てくれ。まずは掃除を頼みたい」
*
エルフとゾンゲイルは夜の営業の準備のため、スラムのさらに外れにあるという星歌亭に向かった。
ゴライオンの鍛冶屋の前で、ゾンゲイルは振り返った。
「どうしたの? ユウキも一緒に来て」
「いや、オレは……夜までナンパをしてくるよ」
さきほどのゾンゲイルの必死な交渉、それを見たユウキの中にも勢いが生じていた。
今ならこの流れでできる気がする。この異世界にオレがいる目的を。ナンパを……。
だがゾンゲイルが駆け寄ってきた。
「ダメ。一人だと危ない」
「…………」
確かにそれはその通りである。だが今がナンパのための絶好の好機に思えた。
「夜には星歌亭に行くよ」
「わかった……気をつけて。これ、自由に使って」
ゾンゲイルはユウキにいくらかのお金を渡すと、振り向いてエルフの元へと駆け出していった。
エルフと二人、スラムの路地に消えていくゾンゲイルの背中を、ユウキはドワーフと共に、鍛冶屋の前で見送った。
二人の姿が見えなくなるとユウキは聞いた。
「ゴライオン……ここらに繁華街はあるか?」
「この路地をしばらく歩くと、でかい噴水広場がある。この辺りで一番の人通りと言えばそこじゃ」
「大八車、しばらく預かってもらえるか?」
「もちろんじゃ。あんたらは塔の主の使いじゃ。塔の主は儂の恩人じゃ。街で用をこなす間、儂の家に泊まるとええぞ」
ユウキは頼りになるドワーフに礼を述べると、ゾンゲイルに渡された小銭を作業着のポケットに入れ、噴水広場へと旅だった。
だがふと振り返ると、ゴライオンが鍛冶屋の前にへたりこみ、酒瓶を傾けているのが見えた。
大丈夫かな、あの人……。
しかし人の心配をしている場合ではない。
ナンパが目前に迫っていた。
ユウキは噴水広場を目指して、再度、スラムの路地を歩き始めた。
道に迷い、ユウキはしばしスラムと市中央部をさまよった。
だが日が暮れる前に、ついにユウキは『噴水広場』を見出した。
「ここがゴライオンの言っていた『噴水広場』か……」
噴水広場は元の世界の駅前ほどの賑わいがあった。つまりその気になればナンパできそうな程度の人通りがあった。
噴水の周りに、リーズナブルな宿泊施設や、気楽に飲める店や、各種のいかがわしい店が立ち並んでいて、多くの人びとが出入りしている。
夕日に照らされたユウキは、滔々と水を吹き出す噴水の縁に腰を下ろし、これまで見聞きした都市情報を整理した。
「…………」
この街、天文都市ソーラルの中心は天文台だ。
それは街の入口である正門から伸びるメインストリートを、まっすぐ奥に向かった先にある。
天文台のパラボナアンテナめいた構造物は高くそびえ立ち、天からの光を受け止めている。
輝く天文台はこの噴水広場からも、その白く美しき威容を拝むことができる。
一方、この街の辺縁にはスラムが広がっている。
街というものは発展するほどに闇や汚濁を排出しなくてはならない。
よってゴライオンが住むあの薄汚い路地も、この街にとって欠かすことのできないパーツと言える。
そのような、中央と辺縁、光と闇のちょうど中間地点にあるのがこの噴水広場だ。
ここにおいては中央区の光と、スラムの闇が、相互に入り交じることが可能なように思われた。
さらには別世界からの転移者と、この異世界に属する住人たちとの間に、何かしらの新たな繋がりが生じることさえ可能に思われた。
この暮れつつある陽のとろけるような赤さに包まれた、滔々と湧き出る水音の響く広場の中で、見知らぬ異性との交流がユウキを待っているかに思われた。
その可能性に満ちたこの場へと我が身を導いてくれた運命に、ユウキは深く感謝した。
「…………」
思えば長い旅だった。
しかし旅の途上のすべては必要なことだったのだ。
長年におよぶひきこもり生活や、スグクル配送センターでの痛ましいあの事故も、今この場に至るために、無くてはならぬものだったのだ。
ありがとう、オレの人生のすべて。
今オレは、感謝とともに、自分が本当にしたいことをする。
今オレは、異世界でナンパをする!
「…………」
だがどれだけ自分をドラマティックに鼓舞しようとも、なかなかユウキの腰は上がらなかった。
噴水の縁に根が生えたかのように体が動かなくなっていた。
視線も地面の石畳に落ちたまま上がらない。
肉体が、立ち上がることを拒否している。
なんだか呼吸も荒く浅くなっている。
ユウキはもう少し、この噴水の縁で肉体を休めることにした。
「…………」
できればその間、広場を歩く人を観察してみたい。
これから誰かに声をかけるわけだから、そろそろ石畳から顔を挙げて、人間観察しておきたい。
だがなぜか顔は呪縛されたかのように石畳に向けられたままピクリとも持ち上がらなかった。
「…………」
今、ユウキの意識は広場を歩く異世界の人々ではなく、己自身の内側へと向かいつつあった。
ユウキは地蔵のように固まって石畳を凝視しながら、人が孤独の中で向き合わねばならぬもの……すなわち自分自身の弱き心と対面していた。
見たくない心の闇がそこにあった。
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