第7話 黄色いコンビニと超高重力
迷いの森の夜……テントの真ん中で暗黒戦士はたまに痙攣しながら丸まっていた。
テントの帳をくぐったユウキは、足元の戦士を見下ろして呟いた。
「邪魔だな」
「今よせる」
腰をかがめてテント内に入ってきたゾンゲイルは、暗黒戦士を強引に端に寄せてスペースを作った。
その空間にゾンゲイルは大量の毛皮を敷いてふかふかの寝床を作った。彼女は毛皮をぽんぽんと叩いてユウキを見上げた。
「寝て。ここ」
「……わかった」
ユウキは柔らかな寝床に体を横たえた。
ゾンゲイルはその枕元に体育座りした。
「私、見張ってる。人工精霊だから、寝なくてもいい」
「そうか……そういうものなのか……」
ゾンゲイルに見守られながら眠れるか自信はなかったが、好意を無駄にしたくはない。
ユウキは目を閉じた。
毛皮の暖かさと、ゾンゲイルのボディの発する馥郁たる香気、それに暗黒戦士の鉄さびの匂いがユウキを包んだ。かと思うと、旅の疲れのためか、ユウキは一瞬で眠りに落ちた。
「…………」
だがしばらくして暗黒戦士の痙攣で目が覚めた。痙攣はしばらくすると収まった。
「…………」
戦士の兜の奥から健やかな寝息が聞こえてくる。
ユウキは左隣に横たわるその冷たそうな甲冑に、毛皮を数枚かけてやった。
「…………」
またしばらくして目が覚めた。
いつの間にかゾンゲイルが右隣に横たわっており、彼女の寝息がユウキの耳元をくすぐったのである。
「…………」
ユウキはその木製のボディに毛皮を沢山かけてやった。
*
朝になった。
テントから這い出したユウキは近くの川で顔を洗った。
さらにゾンゲイルに渡されたアイテムを使って歯を磨いた。
川の水は刺すように冷たかったが爽やかな気分になった。
野営地に戻ってくると、ゾンゲイルはテントを崩し、毛皮や各種アイテムを回収して大八車に乗せるという作業を始めていた。
暗黒戦士は一夜の睡眠で回復したらしく、もう痙攣していなかった。
戦士は撤収作業を手伝おうと申し出たが、ゾンゲイルがきつく断った。
「迷惑。触らないで」
「その言い方はなくないか……」ユウキは小声でゾンゲイルをたしなめた。
「いいの。暗黒戦士に触られると穢れるから」ゾンゲイルは戦士に聞こえる声でそう言うと撤収作業を続けた。
ユウキは恐れながら戦士を見た。
怒って暴れたりしなければいいのだが。
その不安をよそに、戦士はさっぱりとした態度を見せた。
「我が暗黒の瘴気に満ちておるのは事実。瘴気によって事物を呪えることも事実」
「マジかよ」
ユウキは戦士からさりげなく遠ざかった。
「とはいえ我が呪わぬ限り、この瘴気は決して害は為さぬのだが……触らぬよ、おぬしらが恐れるのであれば」
戦士は倒木の幹に腰掛けると、なんのつもりかゾンゲイルの作業を見守りはじめた。
ゾンゲイルは作業の手を止めて顔を上げると、冷たく言い放った。
「元気になったのなら、どこかに消えて」
「この森には四体の樹木の妖魔が封印されていると聞く。昨夜、我が一体を討ち果たしたが、残り三体も近くで蘇っておるやもしれぬ」
「だから何?」
「そなたらではあの妖魔に敵うまい。我が街まで護衛いたそう。一宿の恩があるゆえ」
「……いらない。迷惑」
「おいおい、せっかくだから護衛してもらおうぜ」
ゾンゲイルの戦闘能力は未知だが、危険に晒したくない。
「ユウキがそう言うなら……」しぶしぶといった様子であったが、ゾンゲイルは戦士にうなずいてみせた。
「今、我は正式に護衛を承った。ハイドラの暗黒戦士の名誉にかけ、そなたらをソーラルまで送り届けよう」
「でも、悪いな。この森に何か用事があったんじゃないのか?」
「いいのだ。我は暗黒評議会より下された『闇の塔の探索』なるクエストの途上であった。だが昨夜の戦いにより我は『暗黒』を失ってしまった。我もソーラルにゆき、その地にて『暗黒』をチャージせねばならぬ」
「なんで街で暗黒がチャージできるんだ?」
「暗黒、それは人の心が生み出すものゆえ。人が多く集まりしところに暗黒は淀む」
「ユウキ、あまりその人と話さないで」
ぴしゃりとそう言うとゾンゲイルは撤収作業を再開した。
なぜか怒っているらしくトゲトゲしい雰囲気が周囲に発散されている。
「お、オレも手伝うよ……」
「いい。私の仕事だから。ユウキは休んでて」
「…………」
ゾンゲイルが黙々と作業するのを見守ること十数分、ついに出発の準備が整った。
ゾンゲイルは大八車の後部に毛皮を敷いた。ユウキは少し恥ずかしさを感じながらそこに腰掛けた。
「…………」
ふと見上げた頭上、木々の隙間から見える空は今日も青い。
秋晴れの朝、三人は野営地を出発した。
*
ゾンゲイルは巧みに大八車を操り、道なき道を進んでいく。その大八車のあとを、大剣を背負った戦士がついてくる。
荷台に後ろ向きに腰掛けたユウキは、必然的に戦士と向かい合っていた。
「…………」
まだまだ迷いの森は続くらしい。
知らない人と長時間、こんな風に向かい合っていなければいけないのか。
気まずい。
正面には全身甲冑とフルフェイス兜で覆われた戦士がいる。
兜の目の部分にはスリットが並んでいる。
さきほどからなんとなく、そのスリットの奥から視線を感じるのだが気のせいだろうか。
ユウキは戦士を見つめてみた。
戦士はふと兜を逸らした。
「…………」
そしてまたしばらくすると、ユウキは戦士からの視線を感じた。
ユウキはもう一度、暗黒戦士を見つめてみた。
戦士は兜を逸らした。
「…………」
き、気まずい。
もうダメだ……。
一度、こんな風に気まずい感じになってしまったら、人間関係は、もうおしまいなのだ。
「はあ……」
ユウキはため息とともに、近所のコンビニのことを思い出した。
*
オレンジ色の看板が気持ちを落ち着かせてくれる近所のコンビニに、ユウキは深夜、よく漫画雑誌を買いに出かけた。
ユウキが運営するアフィリエイト・サイトでは、よく漫画の紹介記事も書かれる。そのための資料として漫画雑誌を定期的に購入するわけであるが、レジに向かうと緊張が走る。
深夜二時頃、マスクをした女性店員が必ずレジにいる。
髪を金色に染めている、大学生ぐらいの彼女を前にすると、なぜかユウキの頭はぼーっとして、受け答えがしどろもどろになってしまうのである。
先日のあの夜も、レジカウンターに向かったユウキは頭がぼーとするのを感じながら漫画雑誌を店員に渡した。店員はバーコードを読み取った。
「290円になります……」
「あ……はっ、はい」ユウキは慌ててポケットに手を入れた。
前もってポケットにぴったりの値段で用意してきた小銭は、なぜかカウンターの上で跳ねて床に落ちた。
「…………」
ユウキと女性店員は誰もいない店内で這いつくばり、どこかに転がっていった百円玉を探した。
百円玉は陳列棚の下の隙間に入ってしまっていた。それを取り出すため、さまざまな試行錯誤がなされた。
なかなか取れない。
だが店の奥からモップを取ってきた店員の機転により、ついに百円玉は陳列棚の下から取り出された。
その瞬間、達成感と喜びが店内にあふれたかに思えた。
だが……。
「290円になります……」
「あ……はっ、はい」
ユウキは今度は落とさないよう気をつけて、小銭をカウンターに置いた。店員は小銭をレジに入れた。
「こちら……レシートになります」
「ど、どうも……」
無限にあった会話の機会は沈黙と機械的な受け答えによってすべて消費されてしまった。
ユウキはマンガ雑誌片手に寒い夜道を歩いて家に帰った。
以来、あの女性店員を前にすると、もともと感じられていた気まずさが数十倍に増幅しているように感じられた。
その気まずさは日に日に倍々に増えていき、やがてどのような生命の存在も許さない超高重力空間をレジ前に形成した。
もうダメだ。
なぜかわからないが気まずくて、とてもあのコンビニには通えない。
謎の気まずさに圧倒され、ユウキは黄色いコンビニへの訪問を諦め、以後、数キロ離れた青いコンビニに通うことになった。
*
思えばあの黄色いコンビニだけでなく、オレの人生全体で同様のパターンが幾度も繰り返されている気がする。
会話の機会があったのに、そのチャンスを潰してしまい、それによって気まずくなって、コミュニケーションの扉を永遠に閉ざしてしまう。
そんなパターンが数えきれないほどオレの人生の中で繰り返されている。
今、目の前にいる暗黒戦士との間にも気まずさが刻一刻と蓄積されている。
この気まずさの濃度はすでに突破不能なレベルに達していて、こうなるとオレにはもうどうすることもできない。
もしかしたら存在したかもしれない豊かな交流の機会が虚しく潰えていくことを、ただ無力に眺めていることしかできない。
「…………」
こんなことでナンパなんて本当にできるのだろうか?
戦士と話せない男は、街の通行人とも話せないのでは?
そもそもナンパとは見知らぬ他人との交流だ。今、この戦士との交流こそがすなわちナンパであるとも考えられる。
だとすると、この異様なる異世界の暗黒戦士との交流こそが、オレの異世界ナンパの端緒であるとも考えられ、それに今オレはなすすべもなく失敗・挫折しつつある。
だがどうしても気まずさに声帯が押しつぶされて声が出ない。親しくない相手に対し、なんて声をかければいいのかわからない。
ユウキは無力感に苛まされつつ、左右を流れる森の景色に目を向けた。
「…………」
時折、リスめいた小動物が木陰を走った。
遠くを鹿らしき哺乳類の親子が歩いていた。
異世界と言ったところでしょせん、人間が住む世界。そこに生きる動植物も基本的にはユウキの世界のものと大差無いようだ。
迷いの森の豊かな生命にユウキは一瞬、目を細めつつ独り言を呟いた。
「はあ……動物はいいよな」悩みなんて何も無さそうで。
前方で大八車を引くゾンゲイルが一瞬、振り向いて言った。
「今は旅の時間。あとで狩って食べさせてあげる。我慢して」
違う、そういうことじゃなくて、と言いかけたとき、太い木の根に乗り上げた大八車が上下に大きく弾み、ユウキは舌を噛みそうになった。
誤解を解くことはできないまま、大八車は木々の合間を縫って前へ前へと進み続けた。
「…………」
まあ、なんにせよ、自分の手を汚さず美味しい肉が食べられるのは、ありがたいことである。
また、自分の独り言に対して声がかかり、労せずしてコミュニケーションが成立したことも、考えてみれば、とてもありがたいことである。
ただ周囲の環境について思ったことを何気なく口に出したら、ゾンゲイルが会話を差し挟んでくれた。それによって気分が少し軽くなった。
しかし、さきほどの会話はオレが意識的に生み出したものではない。
さきほどの一瞬の会話は、いわばこの環境とゾンゲイルのコラボレーションによって自動的に生成されたものであり、オレはただその会話が生まれるきっかけを提供したにすぎない。
そ、そうか……。
今、ユウキの脳裏に、コミュニケーションに関する偉大なる天啓が閃きつつあった。
そう……誰かと会話をしようとするとき、会話の話題や方向性を自分がコントロールする必要はないんだ。
ただ必要なのは、会話のきっかけを気軽に提供することだけなんだ。
そんな天啓をユウキは得た。
そして……会話のきっかけは、いくらでも自分の回りに転がっている。
周囲の環境や、今の自分の目に見えていること、そんな当たり前のことが、会話のきっかけとして機能する。
つまりただ自分の身の回りにあるものを見て、それをストレートに口に出せばそれだけで会話は始まるんだ!
その洞察を、ユウキはさっそく実行に移してみることにした。
「…………」
目の前にはいまだ暗黒戦士がいる。ゾンゲイルが引き、その上にユウキが乗っている大八車を、戦士は徒歩で追いかけている。
やはりそのフルフェイス兜のスリットの奥からは視線を感じる。その視線を受け止め、自分の力でなにごとか意味のあることを言おうとすると、気まずさが高まり、喉がつまり、何も言えなくなる。
だからユウキは目をそらし、秋空を見上げた。
そして環境の力を借りて、戦士とのコミュニケーションが何気なく始まることの願いつつ、口を開いた。
口を開き、今、自分の目に映るものについての独り言を発する。
「いやー。空は青いなー」
「………」
「空は雲があるなー」
「…………」
「今日は天気がいいなー」
「……そ、そうであるな。今日はいい天気であるな」
「…………!」
暗黒戦士からひび割れしわがれた声が返ってきたその瞬間、ユウキの脳内にナビ音声が高らかに響いた。
「スキル『世間話』を獲得しました」
『世間話』……人生を大きく変える可能性を秘めたスキルの獲得に、ユウキは気持ちが高ぶるのを抑えられなかった。
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