第8話 宿屋にて

 日が暮れる前に一同は迷いの森を抜け、もよりの村へと到着した。


 迷いの森のもよりの村には小さな集会所があり、それを取り囲むように数十件の民家が軒を連ねていた。


 その中に居酒屋を兼ねた宿屋があるのを見つけたゾンゲイルは、大八車を止めた。


 ゾンゲイルとユウキは宿のドアをくぐると、主人に頼んで大八車を鍵付きの納屋へと運んでもらった。


 なぜかしばらく時間を開けて宿に入ってきた戦士は、その暗黒鎧によって、すぐにハイドラの暗黒戦士と認識された。


 居酒屋で戦士は恐れと敵意の入り混じった視線で遠巻きに見つめられていた。


「……ちっ。この世に悪をまき散らすおぞましい暗黒戦士風情が……」


「……うげえ。不吉なものを見ちまった。あとで目を洗わねえと……」


 人々の意識の低そうな呟きが聞こえてくる。


 汚れたエプロンを付けた給仕の娘、でっぷりと太った居酒屋の主人、農業ひとすじ四十年といった雰囲気の客達、皆、戦士と同じ空間で息を吸う事を嫌悪し恐れているようであった。


 世間話によって暗黒戦士に親しみを感じていたユウキは、暗黒戦士を弁護したくなった。


 それというのもここまでの道中、ユウキと暗黒戦士の世間話は盛り上がり、次第に互いの身の上にまで踏み込むようになっていたからである。


 暗黒戦士はハイドラの南端にある救貧園『あすなろ荘園』の出身だった。


 父はいない。


 母は不自由な体をおしてきつい労役に従事していた。


 そんなある日、あすなろ荘園で暮らしていた幼き日の戦士は、ひょんなことからハイドラの暗黒評議会に才能を見出され、暗黒の道を歩むことを選んだのである。


 今、暗黒戦士の仕送りによって『あすなろ荘園』の母と仲間たちは、大いに暮らしが豊かになっているのである。


 そんな身の上話を聞いてしまったらもはや、尊敬の念を抱かざるを得なかった。


「あ、あんたたち……」人を見かけで判断するなよ……。


 精一杯の勇気を出してそう文句を言いかけたユウキを、戦士はさり気なくたしなめた。


 そして戦士は速やかに部屋を借りた上で、食事を自室に持ってくるよう主人に告げると二階への階段を昇っていった。


 戦士が見せたスマートな振る舞いに、ユウキは男として憧れるものがあった。


 *


 戦士が居酒屋スペースから去ると、ユウキとゾンゲイルの回りに農民たちが集まり始めた。


 皆、地味な農民服を身につけている。


 男は長袖で丈の短い灰色の服、いわゆるチュニックを着ており、腰の部分を紐で縛っている。


 女性は長袖の下着の上に、袖のないチュニックを重ね、やはり腰の部分を紐で縛り、頭はスカーフで覆っている。


 そこに部外の雰囲気を持って混ざった旅人は、大いに興味を抱かれた。


 どこからか子どもたちが湧いてきてユウキの手足にベタベタと触れた。


 大人たちは二人の来歴について口々に質問した。前もって設定を考えてあったのか、ゾンゲイルは淀みなく質問に答えていった。


 その設定ではどうやら二人は南方の部族からの小商いということになっていた。


「南方の部族ってどんな奴らなんだ?」ユウキは聞いた。


「しっ。黙ってて」ゾンゲイルにたしなめられた。


 ユウキは会話をほぼゾンゲイルに任せながら、ぬるいビール的のような軽めのアルコール飲料を傾けた。まあまあうまい。


 しばらくすると給仕の娘が料理を持ってきた。


 揚げた芋と、塩辛いベーコン状の肉と、溶けるまで煮られた何かの野菜のスープだ。


 何かボロを出す前に、すばやく食べて部屋にこもりたい。


 ユウキは急いでフォークを動かした。ゾンゲイルもスープをスプーンでさっさと口に運んでいる。


 速やかに食事を終えた二人を、主人が二階の部屋に案内した。


 広めの客室にはベッドが二台、置かれていた。


 ゾンゲイルが聞いた。


「もっと安くて狭い部屋はないの?」


「そうなるとベッド一台になりますが」


「それがいい」


 主人はふんふんと頷くとポケットから鍵束を取り出し、隣の部屋のドアを開けた。


 セミダブル程度のベッドが一台置かれていた。


「ここにする」


 ゾンゲイルは主人から鍵を受け取るとベッドに勢い良く腰を下ろした。宿の主人はゾンゲイルとユウキを何度か見比べると、ふんふんと頷きながら室外に出ていった。


 *


 ベッドに腰を下ろしたゾンゲイルは、懐から財布を取り出すと中身を数え上げていた。


 所持金は限られているため、道中ではできるだけ節約したいとのことだった。狭い部屋にしたのはそのためらしい。


「でもベッドひとつって……」ユウキはどぎまぎした。


「いいの。私は人間じゃないから。顔、洗ってきて」


「………」


 ユウキは思考停止すると部屋から出て、宿屋の各種設備を使い、できる範囲で寝る支度を整えた。


 部屋に戻ってくると窓の外は日が暮れていた。だがベッドのサイドテーブルにランプが灯っていて、室内はうっすらとオレンジ色に照らされている。


 しかし室内にゾンゲイルの姿は見えなかった。

 

 どこかに行ったのかな?


 とりあえずベッドの端に腰を下ろして、ふう、と深呼吸一つしてみる。


 するとベッドの奥で何かうごめくものがあった。


 見ると、シーツが人の形に盛り上がっている。めくってみるとゾンゲイルが現れた。


「先に寝ていたの」


 ゾンゲイルは半身を起こして目をこすった。長いまつげがパチパチと音を立てた。


 ユウキはどこでどう寝ればいいのか困惑した。


「私、人形だから。備品と思って気にしないで」


「……わかった」


 確かに昨日も同じテントで寝た仲である。いまさら恥ずかしがることもないのかもしれない。ユウキは意を決してシーツの中に潜り込んだ。


 意外にも肌触りよく清潔感のあるシーツの中、ぞもぞと体を動かし、寝るのに良い体勢を探す。


 ふいに肘がゾンゲイルの脇腹に当たった。


「ひゃっ」耳元で変な声が聞こえた。


「くすぐったい」


「人形なのに、触感、鋭いんだな」


「そうみたい、この体」


「…………」


 ゾンゲイルの脇腹は、木製のはずなのに妙に柔らかかった。


 ユウキはもう一度、さきほどより軽く肘でゾンゲイルの脇腹に触れてみた。


「ひゃっ」 再び耳元で変な声があがった。


「…………」


 好奇心に駆られたユウキは、ゾンゲイルの体がどの程度の柔らかさを持っているのか確かめようとした。


 脇腹を触るとまたくすぐったくさせてしまいそうなので、今度は二の腕に軽く触れてみた。


 それは人肌の温かみがあった。


 しかも……。


「ん? 昨日よりも柔らかくなってるぞ」


 昨夜、テントの中で触れたときよりも、明らかにゾンゲイルのボディは人間的に柔らかくなっている。


「本当?」


「自分で触ってみなよ」


「ええ……」


 ゾンゲイルはベッドの中でもぞもぞと動き、自分のボディの感触を確かめていた。


「どうだ?」


「本当。柔らかい」


「それって、大丈夫なのか?」


「ええ。もともと予期されたこと。タワーに置いてきた家事用ボディも、何年も使っているうちに柔らかくなってきたから」


 確かにあの家事用ボディ、石像のようでありながら、妙に生肉っぽい感触があった。


「私のコアが放射するエネルギーが、無機物を有機物に変えてるのかも」


 ゾンゲイルは自分の背中に埋め込まれた宝玉を、後ろに回した指先でコツコツと叩いた。


 それは暗いベッドの中、ゾンゲイルの下着の奥で緑黄色に輝いていた。


「でも、不思議。たった三日で木製のボディがここまで柔らかくなるなんて……」


 そのときユウキは、もっと不思議なことを思い出した。


「そ、そう言えば、ゾンゲイル、食べたのか?」


「何を?」


「夕食」


「あっ」


 ゾンゲイルは驚いた顔で口元に手を当てた。


「私、ご飯、食べた。味もわかった……」


「ど、ど、どういう仕組みになってるんだ? ちょっと口の中、見てもいいか?」


 ゾンゲイルはベッドに半身を起こすと、唇を開いた。


 ユウキも半身を起こすとサイドテーブルのランプを取って、ゾンゲイルの口内を覗きこんだ。


 白く綺麗な歯が並んでおり、舌はピンク色だ。


「ちょっと舌を動かしてもらえるか?」


「こう?」


 なめらかに動く舌はどう見ても木製には見えず、健康な人間の生体組織に見えた。


 ユウキは人差し指でゾンゲイルの頬にも触れてみた。


「何をするのよ」


「ぷにぷにしてる……」


 驚きのあまり何度もゾンゲイルの頬を指でつついていると、ふいにゾンゲイルによって頬をつつかれた。


「な、なんだよ」


「おかえし」


 ゾンゲイルはユウキの頬をつついたり、つまんだりした。


 その指先のいたずらはユウキの全身に広がっていった。


 ユウキをくすぐりながら、ゾンゲイルの口から軽やかな笑い声が漏れた。あまりにくすぐったくてユウキはベッドに転がってしまった。そこにゾンゲイルはのしかかり、ユウキのさまざまな部分をくすぐりはじめた。


 そのときだった。


 部屋のドアがノックされた。


 瞬時にゾンゲイルは枕の下から短剣を抜き取るとベッドから跳ね起き、怒りを感じさせる恐るべき勢いでドアに向かった。


 遅れてユウキも後を追った。


「……誰?」


 ゾンゲイルは短剣を手の内に隠し、ドアの向こうに問いかけた。


 しわがれた声が返ってきた。


「我だ。急な用件ゆえ夜分失礼仕る」


「…………」


 ゾンゲイルがゆっくりと鍵を開けると、ドアの向こうに立っていたのは暗黒戦士だった。


 暗黒鎧が宿の廊下でその輪郭を輝かせている。


「しばし邪魔することを許されよ」


 だがゾンゲイルは手の内に短剣を隠したまま、部屋の入り口に立ちはだかっていた。


 ふっ、ふっ、という獣のごとき呼吸音まで聞こえてくる。


 一方、戦士はゾンゲイルの肩越しにユウキを見た。


 フルフェイス兜ごしに視線が合うのを感じられた。何か懇願するような熱があった。


 ユウキは頷いた。


「ゾンゲイル、暗黒戦士を部屋に入れてくれ」


 ゾンゲイルはしぶしぶドアの前からどいた。


 戦士の暗黒鎧が室内に侵入してくると、狭いシングルルームの暗黒濃度が急上昇したのが感じられた。


 ユウキは緊張にごくりと生唾を飲み込んだ。


 こんな夜中に戦士が訪ねてくるとは、いったい何事か?


 だが戦士の『急な用件』とは、たいした用件ではなかった。


「お二人の護衛を街まで任されているがゆえ、同室にて一夜を明かすことを所望す」


「いらない。迷惑」ゾンゲイルの目がすっと細められた。


「いや……それは助かる。夜は危ないからな」


「…………」


 ゾンゲイルに睨まれたが、実はユウキは今夜このあとの展開をひっそりと恐れていた。


 備品の人形と言い張っているものの、もはや九割方ただの死ぬほど美しい異性であるゾンゲイルと、まだ始まったばかりの長い一夜をひとつのベッドで共にするだなんて。


 いったいどうなってしまうというのか? 


 だが第三者がいることで、その先の展開をとりあえず先延ばしにできる。


 ユウキは戦士に椅子を勧めた。


 甲冑戦士は窓を背にして、椅子に腰掛けた。


 月明かりに輝く甲冑の重みで椅子はきしんだ。


「我が見張っているがゆえ、そなたらは眠るがいい」


 ゾンゲイルは明らかに不機嫌そうな様子で短剣を抱いたまま壁に顔を向けてベッドに横になった。


 ユウキはその隣におずおずと横になりシーツを被った。


 *


 深夜、ふと目覚めると、椅子の上で戦士が同じ姿勢を保っていた。朝までそうしてるつもりか。


 依然として壁を向いているゾンゲイルからは確かな寝息が聞こえる。


 ユウキは小声で戦士に言った。


「……見張りはもういいよ。自分の部屋に帰って寝な。どこなんだ、あんたの部屋は?」


 闇に溶け込んだ暗黒鎧からしわがれた声が返ってきた。


「我が部屋はすぐ隣である。だが心配無用。苦しさこそ我が力の源。この固き椅子での寝苦しき一夜、かえって我が暗黒の力となる」


「……わかったよ。まったく、変な奴だな」


 ユウキは目を閉じた。


 *


 しばらくしてまた目を覚ますと、戦士は床に崩れ落ちていた。


 暗黒鎧の奥からかすかな寝息が聞こえてくる。


「床で寝たら冷えて風邪ひくぞ」


 ユウキは戦士を揺さぶったが目を覚ます気配はない。


 眠りが深いタイプなのかもしれない。


「…………」


 ユウキは戦士の脇に手を入れて床から引っ張りあげると、なんとかベッドに横たえた。ギシギシときしみを立てたがベッドは甲冑の重みを受け止めた。


 そして、短剣を胸に抱えて寝息を立てているゾンゲイルと、その横に並んで横になっている戦士に毛布をかけ、ユウキは椅子に座って目を閉じた。


 すぐに目を開けた。


「……無理だ」


 この硬い椅子で寝るなんて絶対に無理だ。


「…………」


 ユウキはベッドで寝息を立てる二人を覆う毛布をはがすと、戦士とゾンゲイルの間にわずかに空いているスペースに我が身を潜り込ませた。


 二人とも眠りが深いタイプなのか、まるで目を覚ます気配はなかった。


 結局、ユウキはこの日もゾンゲイルの街訪問用ボディが発する高貴な香木のごとき芳香と、戦士の暗黒鎧が発する血のような鉄さびの匂いに包まれて眠りに落ちた。


 早朝、誰より早く目覚めたユウキはゾンゲイルに怒られないよう、寝息を立てる戦士を元の位置へと戻した。


 *


 翌日の朝食後、戦士は厩舎に預けてあった馬に大八車を接続した。


 そして戦士は、ゾンゲイルとユウキに、大八車に乗るよう促した。


 おそるおそる二人が大八車に乗ると、戦士は馬の腹を蹴った。大八車はゾンゲイルの手押しの数倍のスピードで駆け出した。


 街道は石畳によって舗装されており、大八車は危なげなくソーラルに向かって速度を上げた。


 今日も空は高く青い。


 秋晴れの下、やがて地平線の向こうに背の高い人工の構造物が見えてきた。


「あれ。ソーラル」


 狭い大八車で脚をぎゅっと縮めて体育座りしていたゾンゲイルが、街道の向こうを指さした。


 白く輝くあれは城壁なのか。あの背の高い壁の向こうにオレのナンパフィールドがあるのか。


 見知らぬ人に声をかける。その行為のもたらす緊張と恐怖と高揚を思い、ユウキはごくりと生唾を飲み込んだ。

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