第6話 バトル その2

 迷いの森の奥で、ゾンゲイルを真ん中に置き、甲冑戦士とユウキが見つめあっている。


 ついユウキが戦士の心配をしてしまったため、変な空気が流れている。


 近くの焚き火で木が爆ぜたとき、我に返ったのか甲冑戦士は怒鳴った。


「だっ、黙れ妖魔め! 何も苦しくなどないわ!」


「いや、それはおかしいだろ。さっきの『うわああああ!』って声は明らかに何かが痛くて苦しんでる声だろ。本当に大丈夫なのか」


「ユウキ、気が散るから黙って!」


 ゾンゲイルにまで怒られたが、何が何でもとにかくもう二度とあんな苦しげな叫びを聞きたくなかった。スキル『共感』のせいか自分まで苦しい。


 その苦しみを止めようとして、ユウキはゾンゲイルの背後から歩み出た。


 そして……唖然とした顔のゾンゲイルの横を通り過ぎ、大剣を上段に構えた甲冑戦士に歩み寄った。


「ダメ! ユウキ!」


 我に返ったらしいゾンゲイルが叫んだ。


 それによってユウキも我に返った。


 戦士から伝わってくる苦しみを止めたくて、つい無心で動いてしまった。

 

 そのせいで、つい致命的な剣の間合いに入ってしまった。


 この三十五年の人生で最大限に死に近づいている。そのことに気づき全身に冷や汗が吹き出る。


「戻って!」背後からゾンゲイルの悲痛な声が聞こえてきた。


 だが戻ってと言われても、もう無理だ。


 一歩でも後退したらバッサリ切られる気がする。


 こうなったらもう流れに乗って行くところまで行くしかない。

 

 ユウキはスキル『流れに乗る』を発動しながら、振り上げられた大剣の刃の下に歩を進めた。


 そして再度、無心になり、戦士の甲冑、その奥の痛そうな部分に手を伸ばした。


「なっ、何を……」


 戦士は絶句した。


 一方ユウキは実家の母のことを思い出していた。


 そう……ユウキが小学生のころ、お腹が痛くなったとき、よく母が手のひらで痛い部分を優しくさすってくれた。


 そうすると不思議な暖かさがユウキを満たし、魔法のように痛みは消えていった。


 もちろん鎧の合金に遮られれ、戦士にユウキの体温は伝わらない。


 だが暖かい雰囲気は伝えられるはずだ。


 ユウキは甲冑戦士の胸にそっと手のひらを当てた。


「…………!」


 瞬間、甲冑戦士が声になっていない悲鳴を上げた。


 かと思うと戦士が上段に構えていた大剣が、地響きを立ててユウキの背後に落ちた。


「あっぶな。そんな重いもの、ゆっくり降ろせよ」


「ど、ど、どこを触っておるか!」甲冑戦士は胸を両手でガードした。


「すごく苦しそうだったから、つい」


「ぶ、ぶ、無礼者!」


 甲冑戦士は左手で胸をガードしながら、右手を振りかぶった。


 掌底がフックのような軌道で飛んでくる。直撃したら顎が外れるだけでは済まないだろう。


「ユウキ!」


 背後からゾンゲイルの叫びが聞こえたが、もうガードすることも避けることも間に合わない。


 ユウキの脳裏にこれまで数限りなく見てきた格闘動画が走馬灯のようによぎった。その中から今の自分に実行可能な技をユウキはとっさに選びとり、行動に起こした。


 クリンチだ。頭を下げて一歩前に出て、甲冑戦士に無我夢中で抱きつき、その発達した胸部に自らの顔をしっかりと押し当てる。


 すると運良く戦士の軸足の裏に自分の踵が入った。ユウキはそのまま戦士を押し倒した。


「うっ……!」


 何らかの柔道の技っぽいものが決まった。ユウキはさらに安全のため上四方固めを戦士にかけた。


「はあ、はあ、はあ……」


 戦士にのしかかりその四肢を抑えながら、ユウキの全身から血の気が引いていった。


 今になって恐怖に襲われたのだ。


 死ぬとこだった。


 だが生きている。


 荒い息を付きながらユウキは自分の世界の格闘技に感謝した。


 そう……異世界にはクリンチも柔道も無いが、オレの世界にはある。そのアドバンテージがオレを生かしたのかもしれない。


「はあ、はあ……」


 だがそのときだった。荒い息を付くユウキに組み敷かれながら、甲冑戦士は痙攣を始めた。


「なっ、どうしたんだ? 大丈夫か?」


 返事はない。戦士は陸に打ち上げられた魚のように痙攣している。


 怖くなってユウキは戦士から離れた。そこにゾンゲイルが駆け寄ってきた。


 二人の眼下、骨片と木片の散らばる迷いの森の地面で、戦士はびくんびくんと痙攣を続けている。


「ど、どうしたんだ、こいつは? 後頭部を打ったのか?」


「わからない。でも今のうち。片をつける」


 ゾンゲイルは鎌を振りかぶった。


「ちょ、ちょっと待った!」


 自然に殺人を犯そうとするゾンゲイルを押し留め、怖いのを我慢して戦士に近づき、介抱のためにフルフェイス兜を脱がそうとしてみる。


 この痙攣は危険な感じがする。


 脳がやられてなければいいのだが……。


「なんだこの兜。引っ張ってもぜんぜん脱げないぞ」


 そこで戦士は目を覚ました。


「うわあああああ! は、は、離れろ。はな、はな、離れろ……」


 意識が朦朧としているのか、戦士はろれつの回っていない口調でわめいた。


 ゾンゲイルは再度、鎌を振り上げた。


「ユウキはあっちに行ってて。すぐにすます」


 自然に殺人を犯そうとするゾンゲイルをユウキは懸命に止めた。


 そのユウキの必死さによって、敵ではないことが伝わったのかもしれない。ついに戦士は人間らしい言葉を口にした。


「も、もしやおぬし、妖魔ではないのか?」


「見ればわかるだろ」


「か、かたじけない。戦いの最中、いつも我が視界は真っ赤に染まり、わけがわからなくなってしまうのだ」


 明らかにヤバい人のようだ。


 できるだけ早くどこかに去って欲しい。


 だがまた戦士は痙攣を見せた。


 介抱のために兜を脱がそうとしたが、拒絶された。


「こ、この鎧兜を付けていた方がいいのだ。戦いの中で我が失いし血肉と精気を、この暗黒鎧が補充し、砕けた骨を繋いでくれるのだから」


 そう言って戦士はまた痙攣を始めた。そのおぞましい痙攣の様子には生命への冒涜が感じられた。


 できるだけ早くどこかに去ってほしい。


 いや……俺たちが去ればいいのか。


 だがユウキは人権意識の発達した世界からやってきた人間であった。


 弱っている者を見捨てることはできない。


 ユウキはテントで休んでいくよう戦士に提案した。意外にも戦士は素直に応じた。


「か、かたじけない。そうさせてもらおう」


 だが戦士はよっぽど参っているのか、テントに転げ込む力も残っていないようだった。地面に転がり痙攣を続けている。


 ユウキは戦士の両足を抱え、テント内へと引きずっていった。


「水とか、食べ物とか、いるか?」


 テント内で胎児のように体を丸めた戦士にユウキは聞いた。


「い、いいんだ。ほ、放っておいてくれ。この暗黒鎧が我に必要なものをすべて賄ってくれるのだから」


 テント内の暗闇で戦士はまた痙攣を始めた。


 見ているのが気持ち悪かったのでユウキはテントの外に出た。


 焚き火の前に、鎌を手にしたゾンゲイルが立っていた。


 刺々しい目でユウキを見ている。


「なぜ、助けたの?」


「だ、だって……」


「あれはハイドラの呪われた暗黒戦士。近くにいるだけで幸運が逃げていく」


「ま、マジか。そんなのがいるのか」


 ゾンゲイルは頷いた。


「私のこのボディ、『呪い』への抵抗力がある。だから私の側にいればユウキは安全。だけど絶対、一対一であの人と会ったらダメ。話したらダメ。きっと災いが降りかかる」


「わ、わかったよ。一晩、テントを貸して、明日にはさよならだ」


「気をつけて。私が今言ったこと、忘れないで。ぜったい」


「ああ」


「それに……あんな危ないこと、もう二度とやめて」


 ユウキが一人で戦士の前に歩み寄ったことを、ゾンゲイルはきつく咎めた。


 ユウキは冗談にしてごまかそうとしたが、ゾンゲイルの目は真剣だった。


「……わかったよ」


 ユウキが真面目な顔で頷いてみせると、ゾンゲイルは納得したのか焚き火の回りに散らばっている骨片の片付けを始めた。


 焚き火の周りをあらかた綺麗にすると、ゾンゲイルは鍋や食器を抱えて近くの川に洗いにいった。ユウキも手伝おうとしたがいつもの調子で断られた。


 ユウキは焚き火にあたってゾンゲイルの帰りを待った。


 なかなか帰ってこなかったので焚き火の周りをウロウロしていると、炎の光を浴びてキラリと輝く黒い石を地面に見つけた。そこにゾンゲイルが皿と鍋を抱えて帰ってきた。


「洗い物、ありがとう。ところで、これってなんだろ?」

 

 ユウキは黒い石を川から帰ってきたゾンゲイルに見せた。


「これは……とても珍しい闇石。暗黒の力を増幅する。きっと樹木の妖魔のコアとして使われていたのね」


「何かの役に立つのか?」


「私達には無用のもの。穢れているから捨てたほうがいい」


「そうか……」しかし何だか捨てるのももったいない気がして、ユウキはとても珍しい闇石を作業着のポケットに入れた。


 そうこうするうちに夜は更けていった。


 夜露が降りて寒気がしてきた。


 焚き火にあたっているとゾンゲイルがユウキの手を取った。


「こっち」


 ゾンゲイルに引かれ、ユウキはテントに入った。

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