第6話 バトル その1

 迷いの森の奥で、ゾンゲイルといい雰囲気になったのも束の間、空間にとんでもない衝撃音が走った。


 空気の振動によってユウキの皮膚はびりびりと震えた。


 ゾンゲイルはユウキを背後に庇いながら巨大な鎌を構えていた。


「…………」


 ふっ、ふっ、というゾンゲイルの獣のような浅く早い呼吸音が響いた。


 ぱちぱちという焚き火の爆ぜる音も。


 そして……戦闘モードに入ったゾンゲイルの側で、明かりに引き寄せられた羽虫が、焚き火の回りを飛び交っている。


「…………」


 そんな一瞬の静寂ののち、迷いの森全体を揺るがす衝撃音が再び炸裂した。


 どかーん。


 今度はもっと近い場所で、巨大な質量を持った鉄塊が太い樹に叩きつけられ、それによって幹が爆ぜるがごとき音がユウキの全身を震わせた。


 その破裂音を追って何者かの声が聞こえてきた。


 やけに枯れてしわがれた声だ。


「我が大剣を二度も受けて倒れぬとは、聞きしに勝る迷いの森の悪夢よ。来るか!」


 そのとき闇の奥から巨大な動く樹木が姿を表した。


 それは二本のねじ曲がった太い幹を足として、地響きを立てながら、こちらに向かって歩いてきた。サイズはユウキの街の雑居ビル程度もある。


 その樹木の怪物に続いて、全身を頭まで甲冑で覆った戦士が闇の奥から現れた。


 その戦士はどえらい大剣を上段に構えていた。


 かなりの高身長だ。


 光を吸い込む黒い甲冑で全身を覆っている。


 甲冑は重そうだし、あの大剣は物理法則的に、どんな人間にも支えるができないように思える。


 そのような魁偉な戦士と動く樹木が焚き火の向こうで睨み合っている。


 現実感を喪失したユウキは批評家的観点から聞いた。


「あの剣、でかすぎないか? バランス的に、どれだけ筋力があっても持てないぞ」


「魔力で支えてる」


「便利だな、魔力」


「黙ってて」


 ふっ、ふっというゾンゲイルの呼吸がより荒くなった。


 かなりの緊張状態にあるらしい。ユウキは聞いた。


「興奮してるのか? ていうか、そのボディに呼吸機能なんてあったのか?」


「あったみたい。この体、どんどん私に馴染んできてる」


「さっきは顔を赤くしてたもんな。高機能なボディだよな」


「黙ってて!」


 ふっ、ふっというゾンゲイルの呼吸はさらに荒くなった。


 本当に、かなりの緊張状態にあるらしい。


 だがユウキとしてはいきなり目の前に現れた巨木の怪物と、それと戦う大剣甲冑戦士の絵面に圧倒されすぎて、どこか他人事の気分だった。


「まったく、なんなんだ、あの動く木の怪物は? ん……よく見ると木の節の隙間に大量の人骨が挟まっているぞ」


 ゾンゲイルは「黙ってて!」と何度もユウキをたしなめつつ、興奮によって獣のような呼吸音を発しつつも、その合間に推理してくれた。


 彼女の推理によると、どうやらあの樹木&人骨の怪物は、『樹木の妖魔』ではないかとのことだ。


 あれは森に迷ったものの血肉と魂を喰らう、恐るべき闇の眷属の一柱……『樹木の妖魔』ではないか。


「マジかよ。で、その樹木の妖魔と戦ってるあの戦士は一体なんなんだ?」


「わからない、敵かも」


「妖魔がそこにも二匹おったか」


 甲冑戦士は大剣をかまえて樹木の妖魔と対峙しながらも、わずかに首を動かしてゾンゲイルとユウキを見た。


「だがいかに悪鬼が我を取り囲もうとも、我が呪われし刃の前には敵にあらず! 受けてみよ、我が暗黒剣を! う、う、う、うわあああああ!」


 フルフェイスの兜の奥から鬨の声とも悲鳴ともつかぬ絶叫があふれた。


 その絶叫に意識を持っていかれつつもユウキは頭の隅で考えた。


 これはアレか、戦国末期から江戸時代初期に活躍した剣豪、東郷重位を開祖とする示現流が戦闘時に発する『猿叫』なる絶叫と似たような意味合いを持つ雄叫びか?


 ユウキはネットで得た知識を元にそう推理した。


 元の世界にいたころ、ユウキはアフィリエイトサイト更新の合間に、格闘動画や剣術動画を暇つぶしに見ていた。


 だがそんな動画より遥かに強烈な現実が今、目の前で繰り広げられている。その解像度は8Kより高く、リアル感はハリウッドCGより強い。そして……。


「うわあああ! ああああああああああ!」


 フルフェイス甲冑兜の奥からあふれだす痛々しい悲鳴……それが今、闇の中で黒くうねる蛇のように凝固した。


「な、何だあれは……蛇?」


 暗闇の中に突如として現れたコールタール製の蛇のごとき禍々しくうねるものが、大剣にねっとりとまとわりついた。そしてさらに戦士は叫んだ。


「うわああああああああああ!」


 戦士の叫びとともに大剣にまとわりつく蛇は濃度をましていく。


 示現流の猿叫は自らの意識を殺人モードに切り替えるとともに、相手を威圧する目的で発する。


 だが甲冑戦士の叫びには悲痛さ、苦しさが濃厚に宿っており、それがユウキの胸を傷ませる。


「あああああああああああ!」


 こんな苦しそうな叫び声、もう聞きたくない。


 ユウキが耳を塞ぎかけたその瞬間、樹木クリーチャーはねじ曲がった大木とおびただしい人骨で構成された太い両腕を振り上げ、振り下ろした。


 一瞬、巨大な質量によって甲冑戦士が叩き潰されたかに見えた。だが、大剣にまとわりつく凝固した黒い蛇が、大木の両腕を受け止めていた。


 大剣にまとわりつく、ねっとりしたコールタールのごときものは数多の蛇のように枝分かれしながら、剣から大木の怪物の両腕へと、そして怪物の全身へと流れこんでいった。

 

 そして……大木の怪物は、全身の節々から黒い火花を発しながら、もんどり打って仰向けに倒れた。


 地響きがユウキを縦に振動させた。


 甲冑戦士は歩いて妖魔の幹に近づくと、大剣を振りかぶり、それを大木の中心めがけて振り下ろした。


 ざくっという小気味良い音とともに大剣は怪物の胸を縦に割った。それによって怪物の体をひとつに繋ぎ止めていた何らかの力が崩壊したかに見えた。


 瞬間、大木の四肢は節々に埋め込まれていた大量の人骨とともに爆発四散した。


 バラバラと木片と骨片がゾンゲイルとユウキに降り注いでくる。


「私に隠れて」


 ゾンゲイルは片手で鎌を構えつつ、片手を広げてユウキを背後にかばった。


 その手の向こう、降り注ぐ木と骨の雨の奥から、甲冑戦士がこちらに向かって歩いてくる。


 怪物の全身に浸透していた黒いコールタール状のものは、ふたたび甲冑戦士の大剣へと戻り、そこで黒く凝固した。



 甲冑戦士は大剣の切っ先をゾンゲイルに向けた。


「逃げられない。やるしか」


 ゾンゲイルは鎌をわずかに振り上げ、その切っ先を甲冑の隙間に向けた。


 ふっ、ふっという獣のごとき呼吸音がより激しくなった。


 しばしの沈黙ののち、甲冑戦士は再度、悲痛な猿叫のごとき絶叫を発した。


「う、う、うわあああああ!」


 それとともに大剣にまとわりついたコールタール状の蛇が体積を増した。


 またユウキは耳を塞ぎたくなった。


 なぜならその叫び声は人が本気で苦しんでいる時に発する声だからだ。


 思わずユウキはゾンゲイルの背後から戦士に向かって問いかけていた。


「おい、大丈夫か? どこか苦しいのか?」


 脳内にナビ音声が響いた。


「スキル、『共感』を獲得しました」


 甲冑戦士はゾンゲイルの肩越しにユウキを睨んだ。

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