第3話 生命のクリスタル

 暗い階下から足を引きずるように螺旋階段を昇ってきた銀髪の魔術師、シオンは冷たく言い放った。


「無理だね、君にナンパなんて」


「…………」


 ぴょんぴょん飛び跳ねていたゾンゲイルはタワー・マスターの声に我に返ったのか、ユウキから距離を取って廊下に佇み、使用人めいた態度を見せた。


 ユウキは内から湧き上がる暴言を少年にぶつけた。


「自室で繊細な幼子のように臥せっていたそうだが、もうメンタルヘルスは良好な状態に戻ったのか?」


「きっ、君は……ナンパをするのにも、僕の許可、協力がなければ何ひとつ何もできないっ」


 ここでユウキの『討論』スキルが自動発動した。暴言からの討論……ユウキの必勝コンボだ!


「ふん、馬鹿なことを。ナンパなんて、人のいる場所に行って誰かに声をかけるだけだ。そんな原始的な活動に、誰の許可、協力がいるというんだ!」


 だがシオンはファサッと髪をかきあげると強者の余裕めいた笑みを見せた。


「ははっ。君はこの世界について何もわかっていないようだね。現実問題として、僕の許可、協力がなければ、君はもよりの街に行くことすらできないよ」


「な、なぜだ?」


「なぜならこの塔は『迷いの森』によって取り囲まれているんだからね」


「ま、迷いの森だと? なんなんだそれは?」


「迷いの森はこのアーケロン平原の恐怖のシンボルだよ。『悪い子は迷いの森に捨てられ樹木の妖魔に内蔵をつままれる』……子どもたちは親にそう脅されて大きくなる」


 ユウキはオーバーリアクションな身振りと共に言い返した。


「はっ、バカバカしい。そんなお伽話、誰が信じるかよ。オレはアーケロン平原の人間じゃないんだ、関東平野の人間なんだ。オレが恐れているのは、樹木の妖魔などではなくて、更新しない間に減ってしまうオレのホームページのPVだ!」


「な、何がPVだよ! そんなものっ」


「PVが何か知ってるのかよ」


「そ、それが何かは知らないけど、どうせくだらないことに決まってるっ。この世界存亡の淵によくもそんなくだらないことをっ」


 リズミカルな討論にシオンはノってきつつあった。

 ユウキはスキルを駆使してシオンに応じた。


「なんだと、お前、PVがくだらないだと? これだからこんな僻地の異世界はイヤになるぜ。オレの世界じゃ、金より大事な貴重な数値、それがページビュー、すなわちオレのページがどれだけ閲覧されてるかを示す指標だ、わかっとけ!」


 この調子で討論はどこまでも白熱していくかに思われた。


 だが銀髪の魔術師はふと我に返ったように頭を振った。


「こ、こんなことしている場合じゃないよ……」


「まあ、確かに……」


 魔術師は気持ちを落ち着かせようとしてか、ひとつ大きな深呼吸をすると、淡々と要望を述べた。


「ユウキ……君に第二クリスタルチェンバー……動力室に来てほしいんだ」


「な、なぜだ?」


「……僕らが協力してやっていけるかどうか、Win-Winの関係を築けるかどうか。それを確かめる実験をしてみたいんだよ」


「実験だと?」


「さっき、僕の自室での深い瞑想の中で閃いたんだ。ユウキ……転移者である君が持つ魂のエネルギーを、闇の魔力に変換できる可能性を、ね」


 *


 シオン、ユウキ、ゾンゲイルは螺旋階段を降りていった。


 途中、ゾンゲイルはそそくさと二人から離れ、魔力充填用台座に収まった。


「……………」


 ゾンゲイルをそこに残し、シオンとユウキはさらに塔を降った。


 ゲストルームを通り過ぎ、さきほど朝食を摂った食堂をも通り過ぎた。


 さらにその下の階の踊り場に、『第二クリスタルチェンバー』という表札がかけられたドアがあった。


 シオンはドアに触れ、何か魔術的な言葉を口の中で呟いた。


 かちりと音がしてドアは開いた。


「この中だよ」


 黒ローブの魔術師が薄暗い部屋に入っていく。その後ろを、ユウキは恐る恐るついていった。


 すると背後でドアが自動的に閉じ、室内はより暗くなった。


 だが、だんだん目が慣れてきて、やがて室内を見渡せるようになった。


 第二クリスタルチェンバーの内部は、最上階の第七クリスタルチェンバーとほぼ同様のものだった。


 窓が無い室内の中央に、小さな祭壇が置かれている。


 その祭壇の上にはやはり台座が置かれ、そこに指でつまめるサイズのクリスタルがセットされている。


 最上階との違いといえば、より湿度が高くカビ臭いことだ。


 四方の壁にはなぜか暗幕が掛けられており、それが湿っぽさ、カビ臭さをより増幅しているように感じる。


 とりあえずユウキは暴言を吐いておいた。


「なんかしょぼくない? カビ臭いし」


「ふふっ……君の乏しい認識力ではこのクリスタルチェンバーが持つ偉大な可能性を理解できないということだろうね」


「はいはい、わからないから教えてくれ。その祭壇のしょぼクリスタルにはどんな力があるんだ? 最上階のは『次元の扉』を開く力があったわけだが」


「この第二クリスタルチェンバーは、闇の魔力の貯蔵庫として機能している。塔が大地から吸い上げた闇の魔力がここにストックされるんだ」


「でも今は『大浄化』ってやつのせいで、闇の魔力がぜんぜん吸えないんだろ」


「その通り。大浄化以後、日に日にこの世界と大地からは闇の魔力が薄れ、塔はほとんど闇の魔力を吸い上げることができないでいるよ。結果、この第二クリスタルチェンバーは長らく機能停止して久しいんだ。さあ……これを見てほしい」


 シオンは壁を覆う暗幕を取り除いた。


「なんだこりゃ。植物のツタ……か?」


「そう……『魔力備蓄のツタ』だよ」


 第二クリスタルチェンバーの壁は、太い蔦にびっしりと覆われていた。


 だがよく見ると、その蔦はどれも乾燥してひび割れていた。触ればもろく崩れそうだ。


 シオンは祭壇状の小さなクリスタルを指さした。


「壁の蔦……『魔力備蓄のツタ』は、この『生命のクリスタル』と協調して働き、魔力をその内部に蓄える機能を持っているんだ」


「なるほど……でも乾いて枯れてないか?」


「いい観察眼を持っているね。その通りだよ。このツタは、新たな魔力の流入が無いため新陳代謝に問題を抱えている。まもなく枯死してしまうだろう。そのとき塔も崩壊し、恐るべき闇の眷属が蘇り、世界は崩壊するだろう」


「ふーん。たいへんだな」


「だが僕は気づいた。塔の崩壊を防ぎ、闇の眷属の目覚めを防ぎ、世界の崩壊を防ぐための、新たな魔力の源が近くにあることに」


「そんなもの、どこにあるんだ?」


「ユウキ、君こそが新たな魔力の源だ」


「……はあ? オレは魔法なんて使えないぞ」


「わかっているよ。君には一ミリの魔力もない。だが、転移者としての強力な魂の力がある。『余剰魂力確認』と心の中で唱えてみてくれ」


 ユウキは心の中で唱えた。


(余剰魂力、確認)


 瞬間、心の中にナビ音声が響いた。


「あなたは現在、『余剰魂力』をわずかに保持しています」


「『わずかに保持』、だってよ」


「いいね。これで可能性が開けたよ」


「ていうか、なんなんだ、『魂力』って?」


「魂力、ソウルエネルギーは、ユウキが心の底から望む行動を起こしたとき、ユウキの魂から湧き上がるエネルギーのことだ。通常、それはスキルを獲得するために使われる」


「へー」


「だがスキル獲得に用いることができず、ユウキの中にただ無形のエネルギーとして蓄積されていく魂のエネルギーも存在している。それが『余剰魂力』だよ」


「何かの役に立つのか?」


「普通であればなんの役にも立たないよ。無形の魂力は指向性を持たないからスキルへと加工することができない。そんな透明で未顕現の魂の力なんだ」


「そんなものどうすんだよ」


「ふふっ……お願いがあるんだ。この『生命のクリスタル』を手に持ってみてほしい」


「お、おう」


 シオンは祭壇でオレンジの暖色光を発しているクリスタルを、台座から取ってユウキの手に載せた。


「このクリスタルは、さまざまな力を吸収し、使いやすい形に変換する能力を持っている。……絶対に落とさないで」


 最初、ひやっとした冷たさを感じたが、落とさないよう気をつけてぎゅっとクリスタルを握っていると、不思議な温かみがユウキの全身に広がった。


「さあ、ここに座って」


 シオンは祭壇の側の椅子を引いた。


 ユウキは座った。


「さあ、目を閉じて」


「…………」


 ユウキは目を閉じた。


「では……ユウキ、君の『余剰魂力』を『生命のクリスタル』に流してもいいかな?」


「ダメだ」とりあえず断ってみた。ナビ音声が脳裏に響いた。


「スキル『否定』を手に入れました」


「頼むよ。この実験によって希望が見つかるかもしれないんだ」


「……わかった、いいぞ」


 ユウキが承諾の言葉を発すると、シオンはクリスタルを握るユウキの右手を、自分の両手でそっと包んだ。


 ユウキの手の中のクリスタル、その温かみがじんわり増した。


 そのぬくもりに包まれて目を閉じているとユウキは寝落ちした。


 手から力が抜け、クリスタルが床に零れ落ちる一瞬前にシオンがそれを受け止めた。


「いいね、実験は成功だよ。ごくわずかだけれど……世界の崩壊を防ぐ道筋が見つかったかもしれない」


 ユウキが目を開けると『生命のクリスタル』は強い光を発し、壁の蔦を照らしていた。


 光に照らされた蔦は見る見る間に生気を取り戻し、新芽を芽吹かせつつあった。

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