第2話 次元の扉の有効活用

『迷いの森』なる謎めいたフィールドで、ユウキは大木の幹にもたれ、目を閉じて回想していた。


 半日前のことを……。


 異世界転移二日目の朝のことを……。


 *


 それはつまり、『闇の塔』最上階でシオンと対話し、彼をキレさせた直後のことである。


 ぴょんぴょん飛び跳ねているゾンゲイルと共に第七クリスタルチェンバーを出たユウキは、背後の室内から響いてくるシオンの悲痛な叫びを聞いた。


「うわあああああああああ! 魔力! 闇の魔力さえ残っていれば!」


 自称、最強の魔術師のくせに『現金1億円があれば!』と同等の非現実的な願望を口走っている。


『大浄化』によって『闇の魔力』が世界的に枯渇しているらしい昨今、そんなふうに喚いたところでどうなるものでもないはずだ。


 愚かな。


 とはいえ塔は十日後には崩壊するそうで、それもきっと闇の魔力不足の影響があるのだろうから、『魔力がほしい!』と子供のように嘆くのも仕方ないところがある。


 かわいそうに……。


 何かオレに力になれることがあればいいんだが。


 しかし今のオレにできることといえば、『基本会話』をすることと、『感謝』すること、それに『暴言』を吐いたり『討論』したりすることぐらいだ。


「…………」


 ユウキはシオンの悲痛な叫びを聞かなかったことにした。


 そして、ゾンビガーゴイル形態のゾンゲイルにいざなわれるままに、食堂へと向かった。


 *


 食堂でテーブルについてしばらく待っていると、ゾンゲイルが朝食を盆に乗せて持ってきた。


 彩り豊かなそれをつまみつつ、気になることをゾンゲイルに聞いた。


「シオンはどうした? まだ第七クリスタルチェンバーにいるのか?」


「ううん。自室で臥せってるみたい」


 かわいそうに……現実逃避を始めたか。


 シオンが現実逃避するのは、自分のせいでもある。罪悪感を覚えたユウキは話題を別方面に向けた。


「……このアスパラっぽいものと、謎の肉の炒めものがうまいな」


「よかった。これは塔の裏で採れた秋吹草の芽。そっちは罠にかかっていた夜鳴鳥のもも肉」


 ゾンゲイルのエプロンには、生乾きの血痕と羽毛が付いていた。


 どうやら野鳥はさきほど絞めたばかりのものらしい。


「わ、わざわざありがとう」


「いいの。仕事だから」


 ゾンゲイルは水差しからユウキの手もとの素焼きのカップに水を注いだ。


 ユウキはカップを傾けた。


「へえ、ハーブウォーターか。かすかな甘味とスパイシーな風味……オレの世界にはない香りだけど気に入ったよ」


「いいの、仕事だから。それで……どうするの? これから」


「街に行きたいんだ、ナンパのために」


「……本当にいいの? もうしばらく次元の扉は開いてる。今ならまだ帰れる」


「な、なんだよ……帰るなっていったのはゾンゲイルだろ?」


「ごめんなさい。でも、気になって。あなたの生活のこと」


 そう言われると確かに、元の世界に気がかりなことがいろいろあった。


 たとえばバイト代。 


 スグクルで三時間も働いた血と汗と涙の結晶が無に帰すのは辛い。


「…………」


 だがそれは以上に気がかりなのが、家族のことだ。


 長年の無職同居生活により実家には気まずい空気が流れていたが、いきなり息子が失踪したら、さすがに心配するだろう。


「…………」


「ユウキ、あなたに帰らないでもらえたら、私はとても嬉しい。だけど、よく考えて」


 そう言われ、ユウキはよく考えてみた。


「うーん……」


 冷静に考えてみると不安になってきた。


 この世界に残るということはつまり、『異世界ナンパ』をしたいがために、元の世界から失踪するということである。


 それは社会人としてあまりに無責任かつ非常識な振る舞いではないのか。


「いいや……元の世界のことなんて、全部切り捨てても問題ないさ」


 だがゾンゲイルはその黒曜石のような瞳をじっとユウキに向けてきた。


 かと思うといきなり抱きついてきた。


「ごめんなさい!」


「な、何が?」


「私のせいで、ユウキが、ユウキが……」


「オレが?」


「元の世界の大切なものを、なにもかも捨ててしまう……。私のせい。ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 ユウキに抱きついたゾンゲイルは泣きじゃくるように体を震わせている。


「…………」


 自分に感情は無いと言い張るゾンゲイルであったが、オレのことを想い、悲しんでくれている。


 人のためにこんなに泣けるヤツなんて、人間でもそうそういないぞ。


「き、気にするなよ。オレは無職ひきこもりだ。社会にいてもいなくてもいい存在なんだ。非社会人なんだ!」


「無職ひきこもり? わからないけど、社会は人の集合。だからユウキは立派な社会人」


「そ、そうなのか?」


「ぜったい、そう。それにユウキには家族がいる」


「オレは月に最大で三万円しか稼げない穀潰しだ。家にはいない方がいいんだ。妹も最近はオレと一緒にゲームしてくれない」


「そんなことない。私が親ならユウキみたいな子は家にずっといてほしい。妹ならずっと一緒に遊んでたい」


「そ、そうなのか?」


「ぜったい、そう。ユウキが家にいなくなったらすごく悲しい」


 そしてまたゾンゲイルはユウキの頭を自分の灰色のゾンビガーゴイルボディに鉤爪で抱き寄せると、体を震わせはじめた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……私のせい……」


「…………」


 そんなふうに嘆かれていると、ユウキの中にも、このまま失踪することへの抵抗感が芽生えてきた。


 そう……確かに……ゾンゲイルの言うとおり、こんなオレでも元の世界の社会の一員なのかもな。


 一応、確定申告もしてるしな。


 そんな社会人たるオレが父母に連絡ひとつせずに失踪するだなんて、確かに良くないことかもな。


「…………」


 かつてアフィリエイトサイトの商材とするために読んだ本『ビジネスパーソン・基本のキホン』によれば、社会人には必ず守るべき三つの掟があるという。


 その三つの掟とは報・連・相=報告、連絡、相談である。


 よって異世界に召喚されたぐらいのことで浮かれ、三つの掟を忘れて軽々しく失踪するとは、人間として大事な社会性を自ら投げ捨てることに等しい。


「…………」


 かといって『異世界ナンパ』を諦めることもできない。それはユウキが三十五年の人生で、初めて見つけた心からやりたいことなのだから。


「…………」


 ユウキはゾンゲイルに鉤爪で抱きしめられ、背中に鋭い痛みを感じながら考えた。


「うーん……社会性と、やりたいこと。この二つをなんとか両立できないものかな……」

 

 いや、そんな考えは甘っちょろいのかな。


 やはり夢を叶えるためには、いろいろなものを犠牲にせねばならないのかな。


 願望を実現するには、まっとうな社会性を捨てて、修羅にならねばならないのかな。


 だが……。


「どちらも諦めたくないなあ……はあ……」


 そうため息をついたときのことだった。


 ひときわ強くゾンゲイルがユウキを抱きしめ、それによって作業着のポケットからスマホが零れた。


 床に落ちる寸前で、ユウキはスマホをキャッチした。


 そのときだった。


 ユウキの脳裏にひとつのグレートなアイデアが閃いた。


 それは社会性と自分の願望、それらをほどよいバランスで両立するための画期的なアイデアだった。


「…………!」


 なおも抱きついてこようとするゾンゲイルの鉤爪を慎重に押しのけると、ユウキは勢いよく立ち上がった。


「どうしたの?」


「ちょっと転送室まで行ってくる!」


 ユウキは食堂を駆け出ると、闇の塔最上階、第七クリスタルチェンバーを再度目指した。


 *


「はあ、はあ……やっとついた……」


 最上階に到着し、汗だくになり息も切れ切れのユウキは、第七クリスタルチェンバーに入った。


 第七クリスタルチェンバー/転送室では、いまだその壁面で『次元の扉』が輝いていた。それはゾンゲイルの言葉通り、もうしばらくは開き続けているようだった。


 その次元の扉の向こうに、スグクル配送センターが見えた。


 さきほどは静止画像のように止まって見えていた配送センターだが、今は通常の時間の流れが感じられた。


 次元の扉の向こうで、人が動き回って仕事しているのが見えた。


「さて、と……」


 ユウキは右手に握りしめたスマホを見た。


 ユウキのスマホは、大容量バッテリーと太陽光発電機能が付いた立派なケースに守られていた。


 それは以前、アフィリエイト記事を書くためAmazonから購入したものである。


 このごついケースは、自宅にひきこもっているユウキには重いだけの無用の長物だった。だが、異世界に召喚された今、この多機能ケースがとても頼もしく感じられた。


 スマホのディスプレイを確認したユウキは歓声を上げた。


「よし、いいぞ……! 大容量バッテリーのおかげで、スマホのバッテリーは満タンだ!」


 そして……スマホがいつもどおり動くことを確認したユウキは、ごくりと緊張に生唾を飲み込みつつ電波状況をチェックした。


 ここは異世界。


 通常であればスマホの電波など届いているわけがない。


 だが今、この第七クリスタルチェンバーの壁面には次元の扉が開いている。そして次元の扉の向こうには、元の世界の風景が見えている。


 風景が見えているということは、あちらの世界の電磁波が、わずかなりともこちらの世界に届いているということだ。


 電磁波が届いているということは、WiFiや携帯の電波も届いているはずだ。


「……よ、よし! 来てる! 来てるぞ、電波が!」


 次元の扉の前で、自分の予想が正しかったことを確認したユウキは小躍りした。


 それから震える指先でスマホを操作し、とりあえず派遣会社に電話した。


 なんなく通話は繋がった。


「あのう、山田ユウキですが、実は……」


『急に具合が悪くなったので人知れず仕事を早退した』旨を、派遣会社に伝えた。怒られたらどうしようと恐れながら。


 だが派遣会社はユウキの健康を気遣ってくれた。しかも驚くべきことに給料についても良いように取り計らってくれるそうだった。


『本来であればタイムカードが必要なところであるが、急病なら仕方なし』ということで、なんと早退するまでの三時間分の給料が口座に振り込まれることになった。


「あ、ありがとうございます!」


 ユウキは派遣会社の担当者に感謝して通話を切った。感謝のスキルレベルが上った。


 引き続きユウキは実家に電話した。なんなく通話は繋がった。


『急遽、住み込みの仕事が見つかったので、しばらくそこに世話になることにした。しばらく帰らない』との旨を、ユウキは家族に伝えた。


 電話の向こう、次元の扉の向こうで、家族はユウキの心配をしていた。


 彼らと、しばらく、あるいは永久に会えなくなるのか。


「…………」


 あと一歩、前に踏み出せば家に帰れる。


 あの居心地のいい子供部屋に帰ることができる。


 だが異世界ナンパへの想いが、ユウキを次元の扉から引き離した。


「……近いうちに、おみやげを持って帰るよ」


 必ず帰る。


 でも今は、異世界ナンパだ……!


 ユウキは通話を切った。


「…………」


 第七クリスタルチェンバーを出ると、扉の前で待機していたゾンゲイルが再度抱きついてきて、またぴょんぴょんと飛び跳ねた。


 ユウキはチクチクする鉤爪を慎重に体から引き離しながら宣言した。


「さあ、ナンパしに行くぞ! 近くの街を教えてくれ!」


 だがそのときだった。


 暗い階下から足を引きずるように、黒ローブの魔術師が螺旋階段を昇ってきた。


 赤い瞳の少年は言った。


「無理だね、君にナンパなんて」

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