第5話 シオンとの対話

 闇の魔法の塔の最上階、第七クリスタルチェンバーにて、ユウキとシオンは視線をぶつからせていた。


 シオンの赤い瞳からは強い殺気が放射されている。だがその分、ユウキを扉に押し込もうとする圧は弱まっていた。


「ふふっ、僕をとうとう怒らせてしまいましたね。転送直前に防御魔法をかけてあげようとしましたが、そのサービスはやめにしますよ」


 ユウキは一歩、前に出ると暴言を畳みかけた。

「怒ると敬語になる奴ってキモいよな」


 だが、もはやシオンは動揺を見せなかった。


「ふふっ。感情のコントロールは魔術師の習い性ですからね。感謝してください。君への怒りを制御していなければ、君は僕の魔力によって燃やし尽くされていましたよ。こんなふうにね」

 

 瞬間、シオンの黒ローブから太陽のプロミネンスのごとき熱を持ったオーラが発せられた。


 その恐るべき圧に再び押されながらも、ユウキは反論した。


「魔力不足、厳しいんだろう? 無駄遣いしていいのか?」


 そのとき脳内にナビ音声が鳴り響いた。


「スキル『討論』を習得しました」


「………」

 さっきから『暴言』とか『討論』とか、そんな物騒なスキルばかり習得してるが、どこか壊れてるんじゃないのか、このスキル獲得システムは。


 だが今はこの『討論』を役立てるときだろう。


 そしてシオンとの間に何らかの合意を取り付けるべきだろう。


 なぜなら……。


「オレは……帰りたくないぞ。少なくとも、今はまだ」


「わかってくれ。ここに君がいたって意味がないんだ。帰ってほしい」


「Win-Winの関係を築こう。暴言を吐いたのは謝る」


「互いを利する関係、それは確かに望ましいことだね。だがそれは『ナンパしたい』などという君のくだらない願望によってすべて無に帰したんだよ」


「くだらないだと?」


「ああ、くだらないね。バカバカしいよ。ナンパなんて」


「お前、まだ二十年も生きてないだろうに、ナンパの何がわかるってんだ」


「わかるよ。ナンパ、そんなものはくだらないよ」


「なぜだ? ナンパの何がくだらないと言うんだ!」


「人心の掌握、そんなものは低レベルの魔術によってマスターできることなんだ。僕が魔法の言葉をいくつか唱えるだけで、誰もが皆、僕の意のままになるよ」


「さ、最高じゃないか。ぜひオレにも教えてくれ、その力を!」


「……ふふっ、人間はしょせん、意思を持たない機械だ。どれだけ美しい見かけをしていてもその本質は泥人形なんだ。そんなものを操っても、価値あるものは何も得られない。だから、くだらない。わからないかな?」


 そんな心理学的、哲学的な議論に踏み入るつもりはない。ユウキは別方面にアプローチしてみることにした。


「あ、そうそう、オレと友達になろう」


「友達? それは同レベルの者同士で成り立つものだろう」


「オレのレベルが低いと?」


「君が蟻だとしたら僕は象だ。自らの大きさを知る象はアリと友達になろうなどと思わないよ」


「わかった、友達なんてな、気持ち悪いだけだもんな、それはやめよう。でもオレは帰らないぞ。そ、そうだ、オレの世界の料理を振る舞ってやろう。知ってるか、トンカツ……その派生としてのカツ丼……まじうまくてビビるぞ」


「遠慮するよ。僕のこの肉体は、飲み食いなど低次元な必要性から解放されているんだ」


「なるほど、そう来たか。道理でこの塔内に人間の生活に必要なたくさんの設備が欠けていると思った」


「あの人工精霊は被召喚者である君のために何年もかけて塔の裏に風呂とトイレを作っていたけど、役だったかい?」


「ま、まあな。いい風呂だった……あいつ、いい奴だよな」


 ユウキがそう言うと、ドアの向こうからガタン、という音がした。


 どうやらゾンゲイルは扉に耳をくっつけて聞き耳を立てているようだ。


「ふふっ……」


 気が抜けたのかシオンは小さく笑うと、祭壇の脇に置かれていた木製の椅子に腰を下ろした。


 *


 いまだ光を発している次元の扉に照らされたシオンの顔は、ずいぶん疲れているように見えた。


 肩を落として椅子に座るシオンは呟いた。


「……君を召喚したのは、僕の最後の賭け、ということになる。少しでも強い転生者を召喚し、やがてこの世を蹂躙する闇の眷属どもへの、せめてもの防壁を作るつもりだったんだ」


「…………」


「僕はその賭けに負けたわけだが、気にしたり、責任を感じたりしなくてもいいよ。そもそも、どれだけ強い転移者が現れようとも、この塔はあと十日もすれば崩壊する。塔のサポートなしで転移者が闇の眷属に勝てるとは思えない。もともと勝ち目のない賭けだったんだ」


「おいおい、十日って。どうするんだよ、お前、この塔から離れられないんだろ」


 シオンは微笑みを浮かべた。


「異世界召喚には夢があるんだ。それは闇の魔術師が使える最大の技であり、この世の道理を揺るがす奇跡の技だ。闇の塔の初代マスター・エグゼドスが編み出し、歴代の塔の主が継承し、僕が受け継いだ秘術中の秘術。かつてエグゼドスは転移者と共にこの世界を救った」


「いいねー」


「だが別の塔の主は荒ぶる転生者によって殺害された」


「まじかよ」


「実は僕も怯えていたよ。かつての先達のように、スキルを得た被召喚者にその場でなぶり殺されることすら覚悟の上だったよ」


「…………」


「だが出てきた君は人畜無害で拍子抜けしてしまった。そんな無害で……優しい君を……何事もなく元の世界に送り返す。そして僕はひっそり自分の始末を付ける。そう……これでいいんだ。いつも破滅して終わるのが運命の闇の魔術師にしては恵まれた最後だよ」


「…………」


 なんか辛気臭いしんみりした雰囲気がこの転送室全体に流れているのをユウキは感じた。


 シオンとかいうこの魔術師、もうダメっぽいな。


 最初から気持ちの上で負けてるヤツは何をやってもダメだ。


 ゾンゲイルには悪いが、やっぱ帰るか。元の世界に。


 ユウキはシオンの肩に手を置いた。


「防御魔法、頼む。スグクルの段ボールは見かけより重いからな。できるだけ最大の強さの防御魔法を頼む。やれるか?」


「もちろん。いくよ」


 シオンは椅子から立ち上がると、祭壇から取り上げた小物で空中に魔術的な文様を描き、口の中で謎の呪文を唱えた。


 直後、ユウキの体の数センチ外側に淡い光の層が生じた。


「これでいいよ。しばらくの間は剣で切られようが、槍で刺されようが平気だよ。魔法にだって抵抗できるし、僕を超えた魔力を持つ術者でない限り、解除は不可能だよ」


「いいな、それ」


 ユウキはシオンに背を向けた。


 そして、次元の扉へと一歩一歩、近づいていった。


 扉の向こうに故郷の世界が見えた。


 スグクル配送センター。


 またあそこで働くのは絶対に嫌だ。

 

 だが今なら基本会話スキルがある。


 これを使えば、接客の仕事などできるかもしれない。


 バイト代が入ったら両親に何かプレゼントでも買おう。


「よし……」


 ユウキは扉をくぐろうとした。


 だが……すんでのところで足がそれた。


「……やっぱやめるわ。帰るの」


「まだゴネるのかい。それならこっちも、力で押し込むよ」


 シオンは祭壇の上の小物を操作して魔力的な圧を生み出し、それをユウキにぶつけた。


 だがユウキにかけられている防御魔法によって、圧はすべて無効化された。


「あっ……」


 シオンは驚きの声を上げた。


 追撃を加えてこないところを見るに、シオン自身、この防御魔法を解除できないようだった。


「いいじゃないか、この感じ」


 特に計算したわけではなかったが、なんとなく物事がいい方向に流れつつあるのをユウキは感じた。


 ユウキの脳裏にナビ音声が響いた。


「スキル『流れに乗る』を獲得しました」


 ユウキはシチュエーションの流れに乗って、螺旋階段へと続くドアに向かった。


 ドアノブに手をかけた瞬間、ドアが向こうから勢いよく開き、ゾンゲイルが飛び込んできた。


 感情は無いと言い張るゾンゲイルはユウキを抱きしめぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「しばらく世話になる。よろしくな」


 一瞬、振り返ったユウキはそう一声、シオンに言い残すと、ぴょんぴょん飛び跳ね続けるゾンゲイルと共に部屋を出て螺旋階段を降りていった。


「うわあああああああああ! 魔力! 闇の魔力さえ残っていれば!」


 背後のクリスタルチェンバー室内からは魔術師の悲痛な叫び声が木霊してきたが、ユウキは聞かなかったことにした。

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