第4話 闇の塔を昇る

 一夜開けた。


 窓のない薄暗い室内でユウキがスマホをいじっていると、ドアがノックされた。


 ドアを開けるとゾンゲイルがいた。


「おはよう。来て」


 どこに行くのかわからないままゾンゲイルを追って階段を昇っていると、くしゃみが出た。


「……はくしゅん!」


 二段先を歩いていたゾンゲイルは足を止めて振り向いた。


「風邪? 私がタオル、忘れたから」


 昨夜、風呂に入ったあと、タオルの用意がなかったためユウキは体が生乾きのまま作業着を着た。


「いや。きっと異世界疲れだ。気にしないでくれ」


 とは言ったものの鼻水が垂れてきた。


 ティッシュが無い。

 どうしよう。


 とそのとき、ゾンゲイルの非生物的な体が近づいてきた。


 反射的に後ずさろうとしたが、ぐっと手首を掴まれた。


「動かないで」


 ゾンゲイルはエプロンのポケットからごわごわした布を取り出すと、ユウキの鼻を拭いた。


「あ、ありがとう」


「スキル『感謝』のレベルが上がりました」


「いいの。仕事だから」


 ゾンゲイルはごわごわした布をエプロンのポケットにしまうと、また長い螺旋階段を昇り始めた。


「…………」


 ユウキはその背中を追った。


 *


 最上階の部屋ではユウキの異世界送りがシオンの手によってスタンバイされていた。


 ここまでユウキを連れてきたゾンゲイルは、今、部屋の外で待機していた。


 だから今、この暗い空間にいるのはユウキとシオンの二人だけだ。


 昨日、この部屋の照明は魔法陣だけだった。


 だが今は、壁一面に、縄文土器のごとき異様な文様が浮かび上がって光を発している。


「この模様は一体……一階の入り口にあったのと似てるけど……」


 シオンは部屋の中央に設けられた祭壇で各種の道具を操作しながら答えた。


「よく気づいたじゃないか。この文様は魔力が流れる経路なんだよ。塔が大地から吸収した魔力を、この文様が七つのクリスタルチェンバーへと伝達する。その機能の副産物として、こうして照明にもなるんだ」


「なるほど……で、クリスタルチェンバーというのは?」


「地上一階から最上階まで縦に七つ整列している塔の中枢だよ。それぞれが違う機能を担っている。最上階のここは、上位世界との通信が主な役割だ。君を召喚したり、送り返すのも、このクリスタルの働きによるものなんだ」


 シオンは祭壇上にある透明なクリスタルを指さした。


 シンプルな台座にセットされたそのクリスタルは指でつまめそうな大きさだ。


「なんか小さくないか? クリスタルルームって言っても、こういう小さいクリスタルが置いてあるだけ? なんかしょぼくないか?」


 自分でも驚くほどの失礼な言葉が口をついて出てきた。


「スキル『暴言』を獲得しました」ナビ音声が脳内に響いた。


「おい君、失礼だぞ」


「悪い。ちょっとスキルが暴走気味で……」


「君がスキルによって失礼なことを言ったとしたら、それは君の本心なんだよ。スキルとは君の魂の力を目に見える領域に顕現させるための便宜的なシステムに過ぎないんだ」


「……う」


「まあいいよ。知恵の無い迷える衆生はどこの世でもそんなものだよ。形の大小や見栄えにとらわれ、物事の本質を知ろうともしない。この小さなクリスタルに秘められた恐るべき力のことも誰も何もわかっちゃいないんだ」


「いや、わかる。そのクリスタル、転送できるんだろ。オレを、元の世界に」


「その通り。さよならだよ……」


 シオンは祭壇上の小物を操作しながら口の中で何か呪文らしきものを唱えた。


 やがて壁の文様から幾筋もの光が柔らかく放射され、祭壇のクリスタルに集中した。


 クリスタルは集めた光を増幅して祭壇正面に投射し、青白く輝く扉をそこに描いた。


「これが次元の扉だ。開けるよ」


 シオンが祭壇の小物を操作すると、壁に描かれた光の扉が開き、その向こうにスグクル配送センターの作業所が現れた。


 ユウキにぶつかったハンドフォークと床に崩れ落ちたダンボールの山が見える。


「さあ、もう行って。この扉をくぐれば、ユウキ、君は時空を越えて、元の世界の元の時間の元の場所に帰ることができる」


「うーん。ちょっと聞きたいんだけど」


「何をだい?」


「元の時間の元の場所に帰るとなると……オレはその扉をくぐった瞬間、あの段ボールの下敷きになるわけだ」


「それがなにか?」


「なにか、じゃないだろ。戻った瞬間、オレ、段ボールの下敷きになって死ぬんじゃないのか?」


 シオンは少し考えこんでから口を開いた。


「人間はそんな簡単に死なない。そう思うよ」


「……あの箱には全国の企業に配送されるプリント用紙がぎっしり詰まってる。一箱一箱が相当重いんだぞ」


「だったら戻る直前に、君の肉体の防御力を高める魔法をかけてあげる。それが僕の最後のサービスだよ」


「それは助かるが……お前、なんだってオレをそんなに急いで元の世界に返そうとするんだ?」


「ふふっ……それは、間違っていたと気づいたからさ」


「間違い?」


「そもそもよその世界の人間に頼ろうとしたのが間違っていたんだ。僕一人でこの状況を乗り越えてみせる。僕は最強の魔法使いだからね」


「はあ……最強ね」


 シオンは見るからに自信に溢れており、誰の助けも必要としているように見えない。


 もしかしたら本当に最強の魔法使いなのかもしれない。


 そんな最強の存在相手に、元の世界では社会の戦力ランク外だったオレが、何かをしてやれるというのだろうか?


 仮にここに残ったところで。


「…………」 


 意を決して働こうとしたスグクル配送センターでも、オレのダンボール運搬力は人様の半分以下だった。


 まともにラップも巻けない戦力外労働者だった。


 そんな奴が、こんな高い塔の主である最強の魔術師を、助けるだと?


「…………」


 ユウキは一瞬、目を閉じた。


 脳裏に、数分前の出来事が思い浮かんだ。


 転送室に来る途中、塔の最上階に近い踊り場で、ゾンゲイルはきつくユウキの手を握りしめていた。


『お願い、シオンを助けてあげて』


 *


 今、次元の扉が開いた転送室の中、ユウキの目の前にシオンがいる。


 ユウキは決心した。


「……オレは帰らないぞ」


「ふふっ。何を言ってるんだ。君のような者がいても、邪魔なだけだよ」


「帰らないって言ってるだろ」


 ユウキはシオンを直視した。


 美しい少年はその視線を受け止めると、赤い瞳で睨み返してきた。


 ただの眼力か、それとも何か魔力的な力が働いたのか、ユウキはほとんど物理的な力を感じて一歩、二歩と、後ずさった。


 振り向くとすぐ背後に次元の扉がある。


「さあ、そのまま後ろに下がって。そうすれば、元の世界に戻れるから」


 ユウキの足が勝手に動く。


 一歩、また一歩と扉に近づいていく。


 このままでは扉に押し込まれてしまう。


 ユウキはもう一度、シオンを睨んだ。


 そして、スキル『暴言』を発動した。


「こんな塔にひきこもって過ごす人生、楽しいのか? 哀れすぎるぞ」


 シオンの赤い瞳がすっと細められた。

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