第3話 異世界野天風呂
食後、ゲストルームに戻ろうとしたユウキはゾンゲイルに作業着の袖を引かれた。
「ん?」
「こっち」
ゾンゲイルはユウキの手を引いて食堂を出ると、螺旋階段を降っていった。
しばらくして螺旋階段の終点、巨大な広間に辿り着いた。
どうやらここが塔の一階のようだ。
ゾンゲイルが壁に触れると、謎の光源によって広間全体が照らされた。
「……この広間、汚すぎないか。たぶん玄関なんだろうに」
「魔力、大切にしないと。掃除のような細かい仕事は、たくさん魔力を使うから」
「ふーん」
ユウキはぐるっと広間を見回した。
いたるところに物が雑然と放置されている。
大八車めいた荷車や、巨大な鎌や、タガの外れた樽などが、蜘蛛の巣と埃をかぶっている。さらにその奥には人型の球体関節人形が転がっている。
「なんだあの人形、気味悪いな。こっちの鎌は何に使うんだ?」
「ミスリルの鎌。塔の周りの雑草取りに使う」
鎌の刃先は錆びて茶色くなっている。
「凄い錆びてるぞ。実用に耐えるのか?」
ゾンゲイルは首を横に振った。
「ソーラルに行ってドワーフに鍛えなおしてもらわないと」
「ソーラル?」
「街……人間のたくさんいるところ。懐かしい……『大浄化』が起きたてからもう二五年、行ってない」
「そう言えばシオンも言ってたが、なんなんだ、『大浄化』って?」
「闇の魔力の、世界的な枯渇の始まり」
「枯渇して大丈夫なのか?」
「安心して。お風呂を沸かすぐらいなら、今の私でもできる」
ゾンゲイルはやけに重々しい決意を感じさせる口調で呟いた。
そして広間の隅に積んである薪を何本か脇に抱えると、塔の出口らしき巨大な扉に向かった。
どうやら物理的な力によって風呂を沸かそうとしているらしい。
ユウキは薪を半分持とうとしたが、ゾンゲイルに断られた。
「これは私の仕事。それより見ていて。この塔の出入り口の扉、ここはまだ魔力で動く。こういうものは、あなたの世界にはないでしょう?」
ゾンゲイルは誇らしげに巨大な扉に触れた。
瞬間、扉に彫刻された禍々しい文様に光が走った。
そして謎の力により、扉はゆっくりと自動的に開いた……かと思うと、すぐに止まった。
「変。魔力は来てるのに。どうして?」
ゾンゲイルは扉を手で押した。
まったく動かない。
「そう……錆びてガタが来てるのね。あまり出入りしないから……」
ゾンゲイルは言い訳めいた呟きを発しながら、体重をかけて扉を押した。
「…………」
開かない。
「手伝うよ」
「いらない。私の仕事だから……ふっ!」
ゾンゲイルはかかえていた薪を床に置くと、勢いよく扉にあたった。
しかし開かない。
「手伝うってば」
ユウキも体重をかけて押すと、なんとか人一人通れるほどの隙間が開いた。
その隙間から夜の冷たい空気が流れ込んできた。
ユウキは深呼吸した。
「ふう。夜風は気持ちいいな」
だが扉の前でゾンゲイルは機能停止したかのように固まっていた。
「どうしたんだ?」
「ダメなのね。もう」
「え、何が?」
「塔も、マスターも、私も」
「なんで?」
「魔力切れと老朽化。もうすぐ塔は、雑草に飲まれて崩壊する」
「そうか……それじゃ、シオンはそろそろ引越し先を見つけないとな」
ゾンゲイルは首を振った。
「マスターの生命は塔と一体化している。だからここから離れられない」
「まじかよ……」
「でも安心して。あなたを送り返すための魔力はとっておいてある」
「か、帰れるのか!? オレは」
「次元の精霊との契約、シオンは守る」
「契約?」
「『転生者が帰還を望めばその者を元の世界に送り返さなければいけない』そんな契約が交わされてる」
「ということは……」
「あなたは明日にも帰ることができる。あなたの世界に」
「そ、そうだったのか……はあ……」
緊張が抜けたためか、どっと疲れが出てきた。
「でも……今日はもてなすから、泊まっていってくれる?」
「あ、ああ」
「お風呂、こっち。もう用意してある」
すべての薪を拾ったゾンゲイルは扉の隙間に身を滑り込ませた。
ユウキはあとを追った。
冷たい夜風がユウキを包んだ。
*
塔の周りはユウキの背丈よりも高い雑草で覆われていた。
前を歩いていたゾンゲイルは一瞬、振り返ると警告した。
「この雑草にはあまり触らないで。力を吸い取られるから」
高く茂る雑草が、のこぎりのような禍々しいシルエットによって月と星を隠していた。
ゾンゲイルは禍々しい雑草の藪、その中に作られた小道の中へと身を滑り込ませていった。
「ちょ、ちょっと、待って!」
「こっち」
ゾンゲイルの背中には緑黄色の輝きを発している宝玉が埋め込まれていた。
その宝玉の光を目印に、ユウキはゾンゲイルを追った。
ゾンゲイルは雑草を左右にかき分け、夜露に濡れたその隙間の奥へ奥へと入っていく。
ユウキも夜露に濡れながら、ぬかるんだ地面を前へ前へと進んでいく。
すると……
「……うっ!」
急に足を止めたゾンゲイルの背中に鼻をぶつけた。
鼻をさすりながら周りを見ると、そこは雑草が生えていない円状の空き地だった。
そこだけ地面に石畳が敷かれているため、雑草が生えてこないようだ。
ふと背後を振り返る。
月と星を背景に、高い塔が黒くそびえ立っていた。
「ここは塔の裏。お風呂、あそこ」
ゾンゲイルは鉤爪で空き地の真ん中を指さした。
そこには月を反射する水たまりがあり、その脇で焚き火が燃えていた。
ゾンゲイルは胸に抱えていた薪を地面に下ろすと、何本か焚き火に追加した。
それから、月を映す小さな水たまりに近づいてその脇にしゃがみこんだ。
「きっといい湯加減」
そう言って鉤爪を水に差しこむ。
だが……。
「ううん、まだ、人肌より冷たい……もう少し温度が必要」
ゾンゲイルは焚き火の前に移動すると、燃えさかる火中に鉤爪を突っ込んだ。
「お、おい!」
「平気。耐火性だから」
ゾンゲイルは焚き火の中から大きな石を取り出すと、それを水たまりに投入した。
どぷんという音と共に、水たまりからもうもうと湯気が立ち上った。
「これでいいはず」
またゾンゲイルは水たまりの縁にしゃがむと鉤爪を水に差し込んだ。
「……いい。できた」
「なにが?」
「お風呂。人肌より少しぬくい」
「…………」
ユウキは恐る恐るその『お風呂』に近づいていった。
当初、単なる水たまりに見えてたそれの縁は石で組まれていた。
その石組みにしゃがみ、右手を腕まくりして水に入れてみる。
温かい。
確かに、これは露天風呂と呼べるもののようである。
「いや、これは……」
ユウキはかつて自身のアフィリエイトサイトの商材とするため購入した『秘境! 露天&野天の世界』という本に書かれていた『露天風呂と野天風呂の定義』を思い出していた。
「そう……これは……野趣あふれるロケーションの中にあり、天井及び四方の壁が無いため、野天風呂と呼ぶべきものかもな」
そんなどうでもいいことを考えているユウキの背中が鉤爪によってつつかれた。
「ん?」
「服。脱いで」
「えっ? ここで?」
ユウキはあたりを見回した。
脱衣所のようなものはない。
「私、人間じゃないから」
恥ずかしがらなくてもいい、ということか。
「……それなら」
ユウキはスグクルの作業着の上を脱いだ。
ゾンゲイルは一歩近づいてきて、腕を水平に伸ばした。
脱いだものをそこかけろ、ということか。
ユウキはそうした。
さらにTシャツも脱ぎ、ゾンゲイルの腕にかけた。
「…………」
日に当たっていないため青白い、運動もしていないため柔らかい、ユウキの上半身があらわになった。
「…………」
ユウキは自分の肉体が好きではなかった。
自宅の風呂でも、できるだけ鏡を見ないようにしていた。
その肉体、美しくないオレの肉体を、知性ある存在に見られている。
人間じゃないと言い張っているが、強い人間味を感じてならない。
「や、やっぱりいいよ。風呂はまた今度」
強い恥ずかしさに襲われたユウキは一度脱いだTシャツを、あたふたと身につけようとした。
そのときユウキの脳裏に中学の修学旅行の思い出がよぎった。
*
『オレ、今日、風邪ひいてるから風呂はやめとくよ』
修学旅行で泊まったのは、東北地方の高名な温泉旅館だった。
露天風呂の男湯と女湯は竹垣によって隔てられていた。
だが湯気の立ち上る星空の下、男女が両サイドで立てる声は、互いの耳に届いていた。
湿ったリバーブのかかったその音は、互いの肉体に対する想像をかきたてた。
一方、ユウキは部屋の中でひとり不安に思っていた。
人前で裸になることもできないオレが、いつか誰かとのびのびと、心のままに交流できる時が来るのだろうか?
もしかしたらオレは、自らを鎧う服を脱ぐことができないまま、ありのままの自分を誰にも晒せないまま大人になってしまうのではないか?
そして大人になったが最後、オレは自らを覆う厚い鎧に包まれたまま永久に孤独なのではないか?
その未来予想は的中した。
今、ユウキは裸になれないでいる。
*
真っ青な顔をして立ち尽くすユウキにゾンゲイルの声がかけられた。
「お風呂、変?」
ユウキは我に返った。
「へ、変じゃない。すごくよくできてる……もしかしてこれ、オレのために作ってくれたのか?」
「ユウキを召喚すること、何年も前にわかっていたから」
「…………」
どうやらこういった設備は、ゾンゲイルがわざわざユウキのために手作りで用意してくれたものらしい。
客室、夕食、露天風呂、すべてに思いやりが感じられた。
ユウキは目を閉じた。
「…………」
そう言えば、今までの人生の中にも、目に見えない思いやりが、たくさんあふれていた。
だがオレはたくさんの思いやりを受け取る機会を、何度も自ら拒んできた。
あの東北の旅館でも、ほんの少し勇気を出していれば、オレは裸でクラスの皆と打ち解けることができていたかもしれない。
「う……」
「泣いてるの?」
「ううん。ごめん」
ユウキは目元を素早く拭うと、シャツをもう一度脱ぎ、それをゾンゲイルの腕にかけた。
それから意を決して作業着のズボンを脱ぎ、パンツをも脱いだ。
だけど、恥ずかしい。
すぐに後ろを向いて、湯に入った。
「あ……」
温かい。
気持よくて思わず声が漏れた。
「ふあー……」
体の奥まで温かさが染み込む。
最高の湯加減だ。
浅い湯の中でユウキはすべすべした底石に体を横たえた。
縁石に頭を載せ、ぎゅっと目を閉じて思いっきり体を伸ばした。
異世界に召喚されたためか、それとも配送センターで慣れない肉体労働に従事したためか、体の奥深くが緊張していた。
その固く凝りかたまったものが、今、軟らかい水質のお湯の中で柔らかく解けていく。
全身の毛細血管に勢いよく新鮮な血液が流れていく。
「はあー」
大きな吐息とともにユウキは目を開けた。
満天の星空が広がっていた。
瞬く星々。
その光を浴びて、今、何か新しいことを起こせそうな気がする。
何か新しい自分に変われそうな気も。
でも……。
変われるかも、そんな予感は錯覚かもしれない。
だがそのとき、どぷん、という音がして湯船の隅に水柱が立った。
ゾンゲイルが焼け石を焚き火から掴みとって湯船に再投入したのだ。
冷えつつあった湯がまた温まっていく。
「…………」
そのぬくもりの中でユウキは思考を停止し、心と体に染み入る気持ちよさに身を委ねた。
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