ダンジョンから脱出する者足止めする者
扉を開いたシルヴィは、一瞬そこで固まってしまった。
(……完璧に、ダンジョンじゃないの……!)
扉を開いたところは外廊下、そしてその向こう側は中庭のはずなのだが、完全に姿を変えていた。中庭は本来上が開けていたはずなのに、天井がかかり、空を見ることはできない。おまけに、壁も作られていて、中庭を横切ることはできないようになっていた。
そして、そこかしこを魔物がうろうろとしていた。さほど強くはなさそうだが、数は多い。
「こ、これは……どうしたというのだ、アメリアよ」
「アメリアじゃなくてシルヴィだ!」
マヌエル王の背後からエドガーがつっこむが、今はそこをがたがた言っている場合ではないだろう。
「細かいことは後! 全員逃がすのが先!」
自分の名前はアメリアではないと返すのは後回し。とにかく、シャンタル妃とカティアのところまで行こうとして――シルヴィの視界になんとか入ろうと、イグニスがじたばたしているのに気付く。
「イグニス、魔物だけなら燃やしていいから、好きなだけ暴れてきて! 殲滅! 蹂躙! 遠慮はいらないけど、人間には被害が出ないようにお願い!」
『わが貴婦人に勝利を!』
張り切ったイグニスが、勢いよく飛んでいく。
(……これは、破壊するしかないわね)
壁に触れてみれば、石造りのようだ。石でできているならば、テッラがどうにかしてくれるだろう。
「テッラ、壁ぶち抜いて、道を作って!」
『承った!』
「ヴェントス、逃げ遅れた人がいないか確認! 後宮の出口の方に誘導して!」
『かしこまりました!』
「アクア、怪我人がいたら治療に回って」
『りょーかい!』
大地の精霊、風の精霊、水の精霊が飛んでいくのにマヌエル王は驚いたように目を見張った。
「――こ、これは」
間違いなくシルヴィがただものではないということに気づいているのだろう。
「とりあえず、ついてきて! シャンタル妃を助けに行かないと!」
あの様子では、シャンタル妃は自力で逃げ出すことはできないだろう。
シルヴィが走りながら振り返ると、マヌエル王は部屋を出る時に掴んだ剣で、こちらにとびかかってくる魔物を、一刀の元に切り捨てる。
「ワディムは何をしているのかしら。こんな時に彼のゴーレムが役に立つと思うんだけど!」
中庭に埋められていた彼のゴーレムはどこに行ってしまったのやら、姿が見えない。
「シルヴィ、後ろは任せろ。シャンタル妃とカティア嬢の救出を急げ」
「ありがと、エドガー!」
「私とジールは、誘導に回るわね」
「陛下はエドガーから離れないでください。彼は、信用できます。陛下の護衛に人数を割けないので、ご理解ください」
「わかった」
シルヴィは走りながら剣を引き抜く。
(このタイミングで、ダンジョン化するなんて何かあったんじゃないの……?)
やはり、ワディムの研究が利用されているのだろうか。ワディムと話をした時には、さほど悪い印象は持たなかった。
「水晶の間に行くならば、こちらからの方が近い」
マヌエル王の声がする。後宮の主が言うのならば間違いないだろう。
元中庭だった場所にできた壁に穴をぶち明け、一気に距離を短縮する。
水晶の間の近くまで来た時、悲鳴が響いて来た。
「カティア嬢の声!」
扉を開き、中に飛び込むと、ソファにしがみつくようにして震えているカティアがいた。彼女の足元には、どろどろとしたスライム状の魔物がいる。
「――燃えなさい!」
シルヴィの指先から、鋭い炎の矢が飛び出す。カティアの足元にいるスライムが一気に殲滅された。
「シャンタル、シャンタルは無事か!」
「あー、陛下、勝手に入っちゃだめだってば……!」
「俺が行く!」
奥にいるシャンタル妃の部屋に、マヌエル王が飛び込んでいく。エドガーがマヌエル王の後を追い、シルヴィはカティアの方を振り返った。
「侍女達は?」
こわごわとカティアは、指を扉の方に向ける。
「皆、無事?」
侍女部屋の扉をあけ放ち、中にいる侍女達を外に出るように促す。最初に飛び込んだ部屋に戻った時には、マヌエル王がシャンタル妃を担いで出てきたところだった。
「シャンタル妃の具合がおかしい」
「じゃあ、すぐに外に連れ出さないと――後宮の外の方が治療がしやすいと思うの」
エドガーは焦った顔をしている。マヌエル王もシャンタル妃が心配なのか表情を曇らせた。
「カティア嬢、はい、これ持って」
シルヴィは、カティアに魔術の効果を高める杖を押しつけた。思わずと言った様子で受け取ったカティアだが、混乱した様子なのは変わりがない。
「それから、これを着て」
カティアの頭の上からばさっとかぶせたのは、シルヴィがダンジョンで拾ってきたローブだ。とても軽く動きやすいが、低級な魔物の爪や牙くらいなら通すことはない程度に防御力は高い。
「ど、どうしてこんなことに……」
「いいから、ここから脱出するわよ! あなたは、聖エイディーネ学園の卒業生でしょう。あなたには頑張ってもらうわよ」
呆然としているカティアを引きずるようにして、シルヴィは水晶の間から外へと出た。
再び壁をぶち抜きながら進み、後宮の出口付近へとやってくる。
その場は、騒然としていた。悲鳴を上げて、逃げ回る使用人達。彼女達に襲い掛かる魔物を切り捨てているのは、どうやら妃達のようだ。
「みんな、落ち着きなさい! 訓練通りに動くの! 陛下をお探しし――!」
てきぱきと指示を出しているのは、エリーシア妃だった。どうやら、新人いびりをしたのは伊達ではないらしい。
「エリーシア妃!」
「な、何よ!」
シルヴィが鋭く呼ぶと、剣を持ったエリーシア妃は素早く反応した。
「あなた達は、マヌエル王の護衛でもあるのでしょ? 使用人達も連れて、マヌエル王を守ってここから脱出なさい」
「あ、あなたにそんなことを言われる筋合いはないわ! ここから、外に魔物が出ないようにしないと――」
ここは、この国の中心部だ。普通はダンジョンから町まではいくぶん距離があるものだ。
だが、フライネ王国の後宮に転用されたダンジョンは、とっくに枯れ果てたとされていた。そんな状況なものだから、フライネ王国の中心地にあるのだ。
「それは、こちらに任せてくれるかしら。そのためにここに来たわけじゃないけど――」
ちらりとエドガーの方に目をやる。エドガーがここにいると知られるのはまずい。
この状況をどうにかおさめて、それで不問にしてもらうしかないだろう。
「わ、私は……いや、怖い!」
シルヴィの腰にしがみつくようにしていたカティアが、叫ぶ。
(……まったく、こんな時に何をやっているのよ!)
シルヴィは、強引にカティアを引きはがした。それから、彼女の両肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
「あなたは、怪我人の回復に専念して。クリストファー殿下と一緒にダンジョンに入っていた時は、そうしていたのでしょう? その杖は、魔力の消耗を抑えてくれるから」
カティアは、青ざめた顔をしている。けれど、今は彼女にかまっている余裕はなかった。精霊達も頑張っているはずなのに、次から次へと魔物が溢れてくる。
「――陛下、よろしいですね?」
「わ、わかった……だが、真っ先に私が逃げるわけにはいかない。エリーシア、皆を連れて、後宮の入口へ迎え! 戦えない者はそこから外に脱出させ、戦える者はそこで魔物を足止めしろ」
「かしこまりました!」
マヌエル王も、落ち着きを取り戻したようだ。差し出された手にシャンタル妃を託し、改めて魔物の方へと向き直る。
「脱出路は俺が開いた! 早く、逃げろ!」
シルヴィが支持を出すまでもなく、ジールは脱出の手はずを整えていた。
「精霊達! 皆を援護して、外に逃がして! ジール! テレーズ! 一緒に来て!」
一瞬迷ったけれど、シルヴィは付け足した。
「エドガーも! お願い!」
向きを変えようとした時、悲鳴のような声が上がった。
「剣が折れたわ! 部屋に取りに戻れない!」
妃のうちの一人が叫ぶ。
「じゃあ、これ使って! 慣れない武器だから、使いにくいかもしれないけど――魔石をはめ込んで切れ味が落ちないようにしてあるから、それなりに効果はあると思うわ」
シルヴィは、バッグの口を開け、次から次へと剣を取り出した。
手入れをすませ、魔石をはめ込んでちょっとした効果を追加してから、ウルディに卸に行こうと思っていたのだ。
無料で放出することになってしまうが、ここでぐたぐた言ってもしかたない。
「……ありがとう、助かるわ」
どんどん地面に置かれている剣を、妃達が手に取っていく。テレーズが指輪を外し、カティアに差し出した。
「これは、あなたに貸しておくわ。回復魔術の効果を高めてくれるの」
テレーズの指輪を受け取り、カティアはうんとうなずいた。
「……わ、わかったわ……やってみる。自信は、ないけれど」
シルヴィの渡した杖を、カティアは強くつかむ。戦う術は持っていないけれど、彼女の回復魔術は超一流と言ってもいい。この際、使えるものは何でも使う。
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