後宮のダンジョン化

 その日も、マヌエル王にはぐっすりとお休みいただいて、シルヴィはジールとエドガーが借りている家へと向かった。もちろん、テレーズも一緒だ。


「そういや、あれからも調べてたんだけど、ワディムっていう魔術師――なかなかのつわものだぞ」


 エドガーの言葉に、シルヴィは目を瞬かせた。


「でもワディムは魔術師としてはそこまで強力じゃないって思ってたんだけど。ゴーレムの扱いに関しては超一流だけど」


 あのあとすぐに、ゴーレム作成についての教本がシルヴィのところに届けられた。非常にわかりやすく、今後はこれを見ながら練習しようと思っていたのだけれど、ワディムの師匠が書いたものらしい。


「あれから、一時期ベルニウム王国に留学してたってわかったんだよ。そこでの研究が、問題視されて、留学を取り消されたというわけだ」

「……へぇ。気づかなかったわ」


 ワディムは、シルヴィにはそんなこと一言も言わなかった。

 昔、ベルニウム王国に滞在していたというのであれば、顔を合わせた時に、そんな話が出てもよさそうなものなのに。


「俺が、冒険者つながりで聞いてきたんだけどさ――なんか、古代遺跡をよみがえらせるってものらしいぜ。足りない魔力は、他人の魔力を吸い上げるとかなんとか」


 もちろん、そんな危険な魔術、禁止されているに決まっている。

ワディムも堂々と研究していたわけではないけれど、彼が集めていた資料や魔石等からそういう噂が出たそうだ。古代の遺跡は往々にしてダンジョン化している。そんなものをよみがえらせるだなんて、とんでもない話だ。


「笑っちゃうよな。自分は、古の王家の末裔だ――なんて、言ったこともあるらしいぞ」


 ジールは面白がっているようであるが、シルヴィとしては笑えなかった。


「それからシャンタル妃が後宮入りしたのは、二年前だそうだ。それ以来、エリーシア妃と正妃への訪問は少なくなったそうだな。病気になったのは、ここ三か月ほどのことで、毒を盛られているのではないかという噂もあるが、魔力が枯渇しかかってるなら呪いの類だろうな」


 エリーシア妃は、今の正妃と最後まで正妃の地位を争ったらしい。二人とも、皇帝からしたら母方のいとこにあたる血筋なのだそうだ。


「……となると、シャンタル妃が狙われる理由は山ほどあるってことよね……」


 うーんとシルヴィはうなってしまった。なぜ、ワディムは後宮の異変に気付かないのだろう。

 ベルニウム王国に留学するような人間なら、シャンタル妃の病状に気づいてもよさそうなものなのに。


「――とりあえず、シャンタル妃の病気を治す方法を見つけた方がよさそうね。あと、カティア嬢は早めに連れ出さないと――なんか、マヌエル王、カティア嬢にも興味があるみたいなのよね。エドガー、彼女の保護を頼める?」

「――わかった」


 カティアの保護を頼まれたエドガーは、渋い顔だ。カティアの呪いのせいでクリストファーがああなった――もともとそうなる素養はあったとしても――のだから、渋い顔になるのもしかたない。


「……それよりも、だ。お前、マヌエル王に何もされてないだろうな?」

「……はい?」


 いきなりそんなことを聞かれるとは思っていなかった。エドガーの眉間にはものすごく深い皺が刻み込まれている。


「何もって、何もないわよ……」


 何もないと言えばないのだが、毎日みっちりマッサージさせられているので、まあ、ある意味非常に密接なかかわりがないとは言えない。

 マッサージしている間のことを思い出し、シルヴィはちょっとげんなりした。


「――シルヴィ。まさか、マヌエル王と恋に落ちたとかそんなのないよな?」

「は? ちょっと待ってよ、ジール。なんで、いきなりそんなこと言い出すわけ?」

「だって、めちゃくちゃ美形だろ? お前、ああいうタイプ結構好きじゃなかったっけ?」

「なっ、な――」


 ジールのとんでもない発言に、言葉が出なくなる。なんで、そんなことを言い出すのだ。


(――面白がってる! こいつ面白がってる!)


 エドガーの方を見て、にやにやしているのだから質が悪い。


「……ジール、エドガーをからかうのはやめ――ん?」


 ジールの肩をぴしゃりとやり、後宮に戻ろうとした時だった。不意に、背中がぞわりとする。

「――大変!」


 シルヴィの中で、何かが暴れ出そうとしている。この感覚には覚えがある。

 と、不意にシルヴィ達のいる部屋の中に風が吹き荒れた。

『ご主人様、後宮に変化が』


 シルヴィの肩の上に姿を見せたのは、風の精霊ヴェントスだ。


「……そうみたいね。ジール、エドガー、悠長に話している場合じゃなくなったみたい! 急いで行ってくる! テレーズ、手を貸して!」


 転送陣を起動し、そのまま後宮に飛ぶ。


「――は?」


 後ろを振り返り、シルヴィは目を瞬かせた。なんで、エドガーとジールまでついてきているんだ。


「ちょ、二人とも何やってるのよ!」

「ダンジョン化しようとしてるなら、人手はいくらあってもいいだろ」


 それはまあそうかもしれないが――けれど、シルヴィはそこで考えるのを放棄した。

 後宮に男性が入り込んでいるのはよろしくないだろうが、いざとなったら、全員の記憶を書き換えるしかないだろう。

 マヌエル王はエドガーの顔を知っているだろうし、国際問題が起こるのは阻止ししたい。

 それに、人手はいくらあってもいいというのも間違いではないのだ。ついてきてしまったものはしかたない。二人にも手を貸してもらう。


「マヌエル王を起こして、まずは、皆を脱出させないと」


 エドガー達のところにいっていたので、今は"シルヴィ"としての服に身を包んでいる。腰に剣をつり、ベルトに愛用の鉄扇を挟んだら準備は完了だ。


「――起きて!」


 術を解くなり、ぐぅぐぅと眠っていたマヌエル王がぱちりと目を開く。そんな彼に、シルヴィはガウンを差し出した。


「アメリア、何があった」

「後宮がダンジョン化しています。すぐに脱出を」


 どうしてこんなことになっているのだろう。とにかく、中にいる女性達を全員外に出さなくては。


「私達だけでいける?」


 こちらもまた、侍女の服ではなく冒険者としての服に身を包んだテレーズがばたばたと戻ってくる。


「――アメリア、後ろにいるのは」


 マヌエル王の目が、シルヴィの後ろに向く。そこには本来ここにいてはいけない、王以外の男性が二人もいた。


「――そなたは」


 マヌエル王の目がエドガーのところで止まる。もちろん、彼が誰なのかに気付いたのだろう。さらに続けようとするマヌエル王をシルヴィは止めた。


「彼らは、ここがダンジョン化し始めているのに気付いた冒険者です。彼らも手を貸してくれますから、とにかく、妃や使用人達を避難させましょう」


 あとからいろいろ突っ込まれるだろうが、今は追求している場合ではないとマヌエル王も理解しているようだ。

寝間着の上からガウンを羽織ると、彼は傍らのテーブルに置かれている剣に手を伸ばした。


「――陛下、いいですか? 後宮がダンジョン化し始めています。王宮側へ抜けて、そこから外に出ましょう――妃や使用人達も、連れ出すようにします」


シルヴィを先頭に部屋を飛び出した。


「全員に一度に連絡する方法はあります?」

「……私が命じれば。この指輪の魔術で、全員に声を届けることができる」


 マヌエル王の右手中指には、太い金の指輪がはめ込まれている。


「では、命じてください。緊急事態の発生と脱出の用意をして集合と――シャンタル妃は、迎えに行った方がよさそうですね」


 マヌエル王が、全員中庭に集合するようにと命じているのを聞きながら、シルヴィは琥珀の間の扉を開け放った。

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