カティアの言い分
通されたのは、シャンタル妃に挨拶をした部屋と、向かい合う位置にある部屋だった。どうやら、他の妃を招いた時に用いられる部屋のようだ。
(……あの侍女が邪魔ね)
シャンタル妃は、事実を知らされていないようであるけれど、シルヴィ達をここに案内した侍女は事情を知っているのかもしれない。
「――お願いできる?」
うなずいたテレーズは、侍女の方に行って話しかけた。
侍女を部屋の外に引っ張り出している。時間は長くとれない。
「――カティア嬢。ちょっといいかしら」
”アメリア”としての表情を捨てたシルヴィは、いつもの口調に戻った。声色を使うのもやめている。
「あ、あの……あなた、は……?」
カティアは、目を瞬かせてシルヴィを見ていた。どうやら、シルヴィのことがわからないらしい。
カティアの知るシルヴィはあくまでも、公爵家令嬢であった。”シルヴィ”と”シルヴィアーナ”は立ち居振る舞いからして違うから、口調をいつもに戻したところで、わかるはずもない。
「シルヴィアーナ・メルコリーニよ。あなた、こんなところで何やってるの?」
「シ、シルヴィアーナ様……? で、でも、新しく入ったお妃さまは、アメリア様だって――いえ、だって、シルヴィアーナ様は黒髪で」
「馬鹿ね。本名使って、こんなところに来るはずはないでしょう。この髪も変装。」
おそらくカティアには悪気はないのだろうが、どうにもいらいらさせられる。
「時間がないから、単刀直入に聞くわ。あなた、望んで後宮に来たの?」
その問いには、カティアはぶんぶんと勢いよく首を横に振った。
「そ、そんなことありません……シャンタル様が回復したら、国に返してもいいって……」
大きな青い瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。ため息をつきたくなったのを、シルヴィはこらえた。
カティアの証言によれば、神殿の部屋にいたところ、急に意識を失ってしまった。気がついた時には、この部屋にいたそうだ。べそべそと涙を流し続けるカティアの様子に、思わず舌打ちしそうになった。
「ここに望んできたわけではないのはわかったけれど、逃げようとしたわけでもないわよね? あなた今まで何をしていたの」
声を潜めていながらも、鋭いシルヴィの問いにカティアは目をぱちぱちと瞬かせた。
たぶん、クリストファーが見たら可愛らしいと思ったのだろうが、シルヴィからしてみたらいらいらとさせられるだけである。
「そ、その……ずっと、シャンタル様の治療、を……」
「逃げる算段をしようとか、ベルニウム王国になんとか連絡を取ろうとは思わなかったの?」
「――そ、そんなの! 無理に決まっているではありませんか! いつも見張られているんです。助けを求めるなんて、無理です……!」
ほんの少しだけ、シルヴィは反省した。もし、誘拐されたのがシルヴィだったら、誘拐犯をぶちのめし、自力で脱出しただろう。けれど、普通の人間には無理だ。
カティアも一応、冒険者としての訓練は受けているけれど、彼女の腕ではここからの脱出なんてできるはずもない。
「……そうね、今のは私が悪かったわ。ごめんなさい。それで、シャンタル妃の治療が終わったら、帰してやると言われたかしら」
自分が悪いと思った時には、素直に頭を下げる。けれど、カティアは首を横に振った。
「……お妃様にしてやると言われました。私、そんなの嫌です!」
「――あのタラシが!」
思わず本音が口から零れた。この国とベルニウム王国では文化が違う。けれど、シルヴィの前世は交際にしても結婚にしても一対一の国だった。新しく妃の一人にしてやると言われても、ありがたくもなんともない。
シルヴィの感覚からしたら、女たらしだ。
「病気と言うより、呪いの類なのかもしれません。私も、魔力がすぐに失われてしまって……最近、あまり体調がよくないんです」
「……そう」
改めてカティアの顔をまじまじと見れば、たしかに具合が悪そうだ。シルヴィは胸元に忍ばせた"ナンデモハイール"から、可愛らしいケースに入ったチョコレートを取り出した。ウルディで買い求めたものだ。
「これでも食べて、元気を出して。とにかく、あなたを連れて脱出すればいいかなって思ってたけど――呪いについても調べる必要があるかもしれないわね」
シャンタル妃は、マヌエル王の寵愛が最も深い。そんな彼女を追いやりたいであろう人間は、いくらでもいるだろう、この場所には。
(正妃もそうだし――エリーシア妃もきっとそう。いえ、この後宮にいる妃全員が容疑者よね)
妃だけではない。妃が連れてきている侍女達もそうだ。
となると、今すぐカティアを連れて脱出するというのも得策ではない。カティアにも、毒々しい紫色のポーションを飲んでもらって、もうちょっと耐えてもらうしかなさそうだ。
「……シルヴィアーナ様」
チョコレートのケースをぎゅっと両手で抱きしめるようにして、カティアは真剣な目で問いかけてきた。
「クリストファー様は……クリストファー様は、お元気ですか?」
一瞬、シルヴィは彼女の気迫に飲み込まれかけた。社交の場でも、ダンジョンでも。シルヴィを気迫で圧倒する相手などめったにいないというのに。
カティアがそれをシルヴィに問いかけるのには、ものすごい勇気が必要だったのだろう。
そのカティアの表情を見ていたら、胸にすとんと何かが落ちてきたような気がした。
(……そう、そういうことだったの)
カティアと深く関わり合うことさえなければ、クリストファーが王太子の地位から追われることにはならなかった。
カティアがクリストファーを好きになったのは、地位に目がくらんだわけでも、魔族に操られただけでもなく、そこにカティアの意思があったのだということを、今、この場になって思い知らされたような気がする。
シルヴィの中にも、どこかでカティアを蔑む様な気持ちがあったのだと――今、この場で気づかされてしまった。
クリストファーが王太子としての地位を追われた今でも、カティアは彼のことを想っている。その事実に、胸を突かれた。
もし――二人の出会いが、もっと違ったものであったなら。魔族に操られることなく、ただ、恋に落ちただけだったなら。
ひょっとしたら、もっと平和に解決する方法もあったかもしれなかった。
これはゲームではないのだから、過去を悔やんだところで、セーブポイントからやり直しなんてできるはずもないけれど。
「魔族と結んだ反動が、今肉体の方に出ていて、体調は崩されているわね。これも、回復魔術ではどうにもできないでしょう。今、皆が懸命に治療をしているところよ」
シルヴィの言葉に、カティアはうつむいてしまった。
(けなげなのは認めるけど、やっぱりあまり好きにはなれないわ……仲良くなる気もないけれど)
自分で動こうとはせず、べそべそと泣いているだけのカティアを見ていると、シルヴィの中でいらいらとする気持ちが芽生えてくる。
「――あ、あの! クリストファー様に、今度もお会いする予定は……ありますか?」
「なくはないけど……」
「そ、それなら……私は、大丈夫だって、お伝えいただけませんか?」
――その時。
カティアの目から、真正面からシルヴィをとらえていた。
間違いなくこの先、カティアと親友になるなんてことはあり得ない。けれど、カティアの気持ちを踏みにじる気はなかった。
今、シルヴィに頼みごとをするのでさえ、すさまじい気力を振り絞らねばならなかっただろうから。その勇気に敬意を示すくらいのことはしてもいい。
「わかった――あとは私達に任せてちょうだい」
立ち上がり、部屋を出ようとするシルヴィに向かい、カティアは問いかけてきた。
「あなたは、なぜ、ここに来たのですか?」
「そうね……放っておいたらいけない、そう思ったからかしら」
そこへ、テレーズと侍女が戻ってくる。茶の用意がされていた。
「……まあ、お茶を用意してくださったんですね。ありがとうございます。でも、わたくしはもう行かなくては。カティア様もお疲れのようですから、ポーションをお届けしますね」
これ以上は話すこともない。出されたお茶をおとなしく飲んでから退散した。
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